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2012年のブログに「殉教者の血が私にも」という記事を書いた。ネットの検索で知った自分の信仰上の血統について気づいたときの衝撃を書いたものだ。

しかし今日、書類を整理していて出てきたのが、「過ぎゆかぬものー私の6・26事件」と題した、『羊群』1991年6月号のコピーである。1991年といえば、ブログに書いた時より20年以上もさかのぼる。コピーをとっておいたにも関わらず、知識として知った、というただそれだけの話で、その時は何も考えなかった、ということである。
20年も経って、検索にかかった記事を見て、自分がどういう人間かということにはじめて気づいたのだ。召命感に一撃をくらい、もう堰を切ったようにしてあちらこちらでそのこと(自分は殉教者の信仰上の孫にあたること)を堰を切ったように話している。しかし、あの時は、あの時点でコピーを取っていながらも、自分に当てはめることをしなかったのだ。知識と、気づきは、このように違うものかと、唖然とする。

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by rev_ushioda | 2018-04-19 21:53 | Comments(0)

きょう、立場地区センターで開催された、「平和な泉区を目指す宗教者と市民の交流の集い」に参加した。まあ、宗教者と言われたら、行くしかないが、このような企画に大いに期待もあったわけで。呼びかけたら、教会からもほかに3人が参加してくれた。
当日は、他の宗教の方としては、金光教 横浜西教会の教会長さんだけで、あとは横浜緑園教会の牧師と、そして私、ほか教会から3人であった。お寺の住職さんは楽しみに予定していたそうであるが、急用ができたとのこと。それでも会場に全部で30人以上は集まっただろうか。「宗教者」も含めて、それぞれの立場と背景の話、また、現在の取り組みを2時間にわたり、語りあった。
つまりは改憲反対の3000万人署名のことで、泉区内で25,000の署名を集めるためにはどうしたらよいか、という話が中心にあったようだが、しかし私としては、他宗教の方とも出会えるこのような集会を企画して戴いて良かったと思った。署名の数を集めることも目標として大事であるが、そういう草の根の関心を集めることが大事なのだ。

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by rev_ushioda | 2018-04-18 23:40 | Comments(0)

スマホがよくわからない妻に、メールが来た。知り合いの人だ。しかし、文面がどうもおかしいというので、見ると、その人が普段、使わない言葉だし、コンビニで何々を購入する手続きをしてほしい、と。おかしい。本人に確認したら、アドレスを乗っ取られた、とのことであった。
そういえば、私のPCに入るメールを開いたら、ラクテンの、よく見るあの画面。ああ、いつものだと思ってみていくと、購入確認ということで、買ったことがない商品が書かれている。解約などはここでという、いつもと同じパターンになっている。買ってない商品だし、変だと思って、とりあえず、解約しておこうかと(あさはかだった)、ボタンを押した瞬間、ウイルスセキュリティが、いい仕事をしてくれたので、はっと目覚めた。その会社のホームページに行ってみると、会社を装う偽りのメールが横行している、云々とのこと。
何を信じたらいいのか、最初から疑う時代である。本人に会っても、あなた、本物ですか? などということにならなければいいが。しかしこれが(笑)で済まされないのは、牧師駆け出しの頃、交通費を貸してください。これこれの事情で… というまことしやかな話に乗って1万円を差し出したことがあった。うそだった。高い授業料であったが、最初から、人を疑う目を持たされてしまった。

ちなみに、これを書いている私は、本物です。あなたはこれを信じますか?


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by rev_ushioda | 2018-03-23 10:21 | Comments(0)

「季節は移りゆく」

福寿草が咲いたと思ったら、梅が満開。そのうち梅の花びらが散り、同じ日に桜の木を見上げたらつぼみが膨らんでいた。

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by rev_ushioda | 2018-03-13 10:39 | Comments(0)

昨日の教会員総会で、小会が考える今後の牧会体制について説明した。
すなわち、借入返済が終わる、今から8年先まで私との契約関係を続ける。補佐のために主事を雇用する。その間、良い引継ぎができるようにする、という方向性だ。
小会で、この数か月にわたって考えてきたもので、私自身、いい提案だと思っている。おそらく教会員の皆さんにも、牧師が定年を迎えて、今後どうなるのかと不安があったので、安心を与えたに違いないだろう。この考え方については、諸方面でさらに詰めていかなければならないが…

ところで、私自身、まず、まだ先と思っていた定年に直面したとき、まことに妙な気持ちになった。退職金を受け取るに至っては、まだこうして現役なのにという思いと錯綜して、事態を受け止めるのに時間がかかった。今は、それでも何年先までは出来るだろうと見つめている自分がいる。定年などと言わなければ、普通にしていたものを、何年先まで出来るかしらと、思う(不安を感じるようになっていく)のである。
ちょうど車が車検になったので、80歳で運転を辞めることにして、では逆算して残り13年、今が買い替え時だと車を新しくしたことも、ある。延長線で考えてみたり、逆算で考えてみたり、いったい、今の自分はどこにいるのだろうか、体力はどのくらいなのだろうかと、何だか自分がわからなくなったりする。


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by rev_ushioda | 2018-02-19 14:47 | Comments(0)

教会員に、大磯で奉公していたという方がおられる。奉公先は、今もある和菓子屋「新杵」という店だった。そこによく買い物に来られる人だったと、話してくれたのが、島崎藤村! 何かの話の流れで島崎藤村の話題になった時、「ああ、島崎さんね。」と。「吉田さんのところにもよく、お菓子を届けに行ったね。」とも。吉田茂である。島崎藤村を「島崎さん」と言う人がいるのに(こんなに身近にいるのに)驚いた。
また、最近来られている、元台湾宣教師の方は、山地に住む民族のために宣教された人である。あるとき、バスを待っていると、「そこでたまたま出会って、簡単なあいさつをしました」というのが、これが、蒋介石だった!山地なので、警備も街中とは違って手薄だったらしいのだが、そんな出会いがあったと話してくれた。

歴史的な人物に、そんなにも身近に接した方々がおられる。歴史は、そうしたとき、一気に現実になる。韓国の慰安婦問題が長引くのは、歴史に生きた人たちと真剣に出会う努力をしないまま決着を図ろうとする政治的な手法に問題があるのだろうと思いを巡らす。

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by rev_ushioda | 2017-07-28 09:48 | Comments(0)

子どもが教会にたくさん来ていた頃の話ですが、教会でバス遠足をしました。バスの中で子どもたちは大はしゃぎで、そのうちに遊び感覚だったと思いますが、こういうやり取りが始まったのです。

「あなたの生きる目的は何ですか?」

「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」

何とこれは、当時、教会で子どもたちに教えていた信仰問答の言葉でした。意味はわからないかも知れません。しかし、教会の言葉がこのようにすぐに口に出て来るということの素晴らしさを感じた一瞬でした。
私たちの日々の生活は、時間的にもこの世のことで一杯いっぱいだし、気持ちも、いつの間にかこの世の煩いに巻き込まれ、自分を失うことがしばしばではないでしょうか。チクショー、バカバカしいと思って投げやりになることもあれば、人への不平や批判、怒りに明け暮れるようになることもある。そのような時、自分を見失わないための言葉があるでしょうか。
もちろん、聖書の言葉です。聖書の言葉でも、礼拝の度に繰り返している同じ言葉となれば「十戒」や「主の祈り」です。さらに教会が産み出した言葉があります。上のような「信仰問答」や、また「讃美歌」もそうです。そして、もう一つ、教会で交わす私たちの言葉があります。私は、自分の言った言葉をいつも思い出せるわけではありませんが、よく人から言われるのは、「あの時、先生、こう言いました。」牧師としての言葉を覚えていてくださる。(忘れてほしい言葉のほうが多いかもしれませんが…)
聖書の言葉を暗記することは、得手不得手があるでしょう。しかし、毎週礼拝で口にする言葉や、歌う讃美歌、人との会話は意外と覚えていきます。途方にくれたり、困難な日は、必ずやってきます。その時に思い出し口ずさむ言葉を、私たちは教会の生活の中でしっかりと身に着けたいと思います。



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by rev_ushioda | 2017-07-09 17:55 | Comments(0)

「弔問」

N家を弔問した。亡くなったNさんは教会員のお父さまである関係から、つかず離れずの距離感はあったが、ずいぶん長いおつきあいをさせて戴いた。昔、ご長男が交通事故で亡くなった時は、私が葬儀の司式をさせても戴いた。昨日、葬儀に参列できなかったので、今日の弔問となった。
お話の中で、最後に口にしたいと言われた物は何であったかという話になった。
「魚が大好きだったから、そう言うのかなと思ったら、最後に口にした(のどを通った)牛乳にひたひたに浸したパンだと言ったんですよ。」
点滴で栄養を摂る中で、最後のあの感覚、食べ物がのどを通る感覚をもう一度、と言われたという。好きな食べ物ではなかったのだ。食べ物がのどを通る感覚をもう一度。しかしその願いは果たされなかった。・・私はそこで言葉に詰まってしまった。

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by rev_ushioda | 2017-02-16 19:55 | Comments(0)

「自分だけの感動」

以前、私は国境に立つ、ということを書いた。私の家の前の道は、相模と武蔵の国を分ける国境線なのだ。それを知った時、それに気づいたとき、感動し、そして自分自身の牧師としてのアイデンティに目覚めたのだった。
ところでこの話には、話の続きがある。今までその話を何度もしてきたが、関心を持つ人は少ないのだ。そうか、感動というのは自分だけのものなのかと思った。人には分からない、しかし自分を動かす感動がある。人にわからなくてもいい。自分が動かされていればいい。
その感動は、実は、自分もあるとき突然気がついたのだった。国境の話は、たぶん何度も聞いてきたが、あるとき、急に気づいたのだ。今までは気づかなかったのに、ある時に気づいたのだ。そして、気づきは意味を引き出した。
そのように、心が動くときがある。無理やり動かそうとしても動くものではない。しかし、パッと視界が広がる時がある。それでいい。気づいたら、その気づきに伴って、もう誰にも動かされない自分がいるのだ。
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by rev_ushioda | 2016-12-08 19:52 | Comments(0)

「なんでわたしが?」

12月末で規定上の定年。来年には退職金が支払われるという。
教会では契約2年延長を決めているので、そういう状況でも退職金は支払われるのか(受けとるのは2年先ではないのか)確認したところ、「大丈夫」という返事。 ? 「会計が厳しいのではないか」という質問と受け取られたようだ。
私は、2年延長を決めているので、現役のまま退職金というお金を受け取る「気分」になれない、と言ったのである。さらに言えば、退職金などずっと先のことかと思っていた。にわかに退職金を来年払うと言われても、思考と言うか、体が、ついて行かないのである。流行りの言葉では、「なんでわたしが退職金?」である。

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by rev_ushioda | 2016-11-06 23:40 | Comments(0)