「鎌倉」

 今夜は、予報では雪だそうだ。
 しかし、昼なら大丈夫そうだ、鎌倉に行こう、というわけで「私の散歩道」(朝日新聞)でめぼしをつけておいた、「獅子舞」というところに行って来た。
 鎌倉駅から、鎌倉宮に、そしてさらに先に進んで行く。林の間の道を行くと、いかにも鎌倉らしい切り立った崖、切り通しの間を通って、山の上の天園ハイキングコースに登って行く。その途中の道が、「獅子舞」と言う、「お勧めコース」になっていた。道の脇を、清水の小さな流れがあった。その流れは、おそらく隆起した地層のためだろうか、何段もの小さな「滝」を作っていて、その脇を登っていく。雨も木になり、途中で引き返したが、ちょっとした「ハイキング気分」を味わって来た。(予報通り、若宮大路で雨、それが夜には雪になった)

 ところで、まだ車が走っている道でのこと。前から来た車が目の前で止まった。何と、乗っていたのは、教会で賛美の会を指導してくれているS*GI夫妻ではないか。何で、こんなところで?? 後ろから車が来たので、そのまますれ違ったが、驚いたねえ、どこで知った人に会うかわからないものだ、と話しながら先ほどのハイキングコースに登って行った。
 さて、鎌倉からの帰り道、降り出した雨の中をだいぶ走って、渋滞の中でのこと。あれ、前の車… そう、さっきのS*GI夫妻の車であった。こんなに多い車がある中で、まったく別行動なのに、、、 思わず、何で? あり得ない! よほど相性がいいのだろうか。
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by rev_ushioda | 2010-02-01 17:48 | Comments(0)

「帷子川親水緑道へ」

本当は旧東海道に立ちたいところであるが、それができない。少し時間がとれるたびに、近場の散策でがまんしている。
今回は、相鉄が出している「駅からさんぽ」を見ていて気になった場所、「帷子川親水緑道」に行ってみた。コースとしては、相鉄線 鶴ヶ峰駅から西谷駅までの2時間である。
印象としては、鶴ヶ峰に、こんないいところがあるのだと思った。緑に包まれた池や昔なつかしいせせらぎと、その横に続く遊歩道。ある人の記事に「木々に囲まれたせせらぎは500Mぐらいの散歩道です。ここは鶴ヶ峰の奥入瀬です。」とあった。奥入瀬か、大目に見れば、まあ、そんな感じである。吊橋もあった。
そこを抜けてから、16号を渡って、白根不動に行く。おぼろげに、小学校の時に来た記憶があるので、50年ぶりに来たことになる。そこにも、うっそうと茂った森と、川と、滝とがあった。(写真の最後は、白根不動の白糸の滝)
そこから西谷に抜ける途中も、帷子川に沿って歩く。コース案内には、「水辺のマイナスイオンで生まれ変わる」とあった。それはどうか分からないが、散策コースには、とてもよい。旧東海道には年3回くらいしか立てないので (前回の終点に行くまでが遠くなったので)、最近は3年前までそうだったように、時間があれば近くの散歩道を楽しんでいる。
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by rev_ushioda | 2009-10-19 23:04 | Comments(0)

教会への1時間の道。思い立ってから1年半、今も(まだ?)、時々(1ヶ月に1、2度であるが)片道は歩くことにしている。途中の景色がいい。今は失われた40年前の景色に出会える場所が、何個所かある。それに魅せられていると言ってもいいのかも知れない。
遠くに、一瞬ではあるが、小高い山の連なりが見える場所。季節ごとに植えてあるものが変わる畑の中の道。柿の実が鈴なりの家の傍を通る。山の傍を通れば、下の写真のように草の実が艶やかに輝いている。(残念ながら蛇が出た小路は、それ以来通っていないので、気に入っていた景色が一つ、失われてしまった)
急ぐのは、よくない。ゆっくりがいい。見える景色が違う。人間らしいものが見えてくる。
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by rev_ushioda | 2009-10-13 21:19 | Comments(0)

「横浜唯一の渓谷へ」

月~水曜日の理想的な連休だ。東海道へ、と思ったが、そこに行くまでの東名高速は大渋滞が予想されるため、断念。結婚式のあとの疲れが残っていたので、それはそれでよい決断だったのかも。
そこで、昨日は市川伝道所の候補地を見に行くことにした。現地を見、M先生御夫妻と食事を共にした。今は現地に行かなくても、インターネットで自在に歩き回ることができる。しかし、やはり現地の人にしてみれば、来て、見てほしいというのが心情であろう。
その後、木更津までドライブ、そこから、混むのを承知でアクアラインを初めて通ってみた。急ぐことのないドライブなので、渋滞も、余裕で通って来た。

今日は、突然思い立って、以前から気になっていた「横浜市内唯一の渓谷」というところに行ってみることにした。それも、午後3時頃に… というのも、目指す「陣が下渓谷」は、上星川と西谷の間、意外な近場にあるからだ。
陣が下渓谷は、帷子川の支流にあたる市沢川の渓谷である。私の家の近くに長屋門公園があって、やはり森の中に湧水があり小川が流れているが、また帷子川の源流の一つとされる泉の森があるが、さすがにそれとは比べ物にならない、確かに「渓谷」と言えるほどの場所であった。森に入るとひんやりする。清流が流れる川に出ると、さらに空気が違う。付近に住宅地が迫っているのに、町の喧騒は何も聞こえない。ただ、水の音だけだ。この渓谷を、しばらく川に沿って歩いたり、川のそばを通る歩道を散策できる。横浜に残された貴重な自然だと思った。
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渓谷を歩いていくと、やがて次の写真のように、ちょうどその渓谷の真上を環状2号が通っている。この工事に伴い、2004年、渓谷は「陣ヶ下渓谷公園」として整備されたそうである。面積15ha。環状2号が渓谷の上を通る部分は、桁下への採光性、既存樹木の保存など、自然と道路の共存が工夫されたそうで、何とかという賞を、とったそうである。渓谷はずいぶん変容しただろうに、そういうものかと思った。
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by rev_ushioda | 2009-09-22 21:29 | Comments(0)

「死を覚えよ」

夏の道を歩いていると、しばしば、セミが死んでいるのに出会いました。ほんのわずかの命を生き、死んでいく。その死骸を見て、私たちは何も思わずに見過ごすことはできません。
かつて「大地は死骸で満ちている」という一文を読んだことがあります。植物の枯死したものから始まって、虫の死骸、動物の死骸、私たちはそういう死骸の上に乗って生きているのだというそのエッセイに、なるほどと納得するものがありました。私たちの生は、死の上に成り立っている。この指摘は、実際その通りであり、私たちの生き方を大いに考えさせる事実だと思うのですが、いかがでしょうか。
聖書の「箴言」という個所(教訓、戒めというような意味ですが)そこに、次のような祈りの言葉があります。「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。…生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」
生涯の日を正しく数える。これは、夏の道で足元に死んでいるセミを見て知恵を得よ、と言うのに等しいと思います。こうして、このことを心に留めた人々、昔の修道院では、「メメント・モリ」(死を覚えよ)というのが挨拶の言葉になったと聞きます。私たちは、死ぬべき自分を忘れるのです。誰も必ず死んでいくのにもかかわらず、何の備えもしないのです。それでは、生涯の日を正しく数えることができない。だから「メメント・モリ」(死を覚えよ)。
聖書はしかし、死を越えた、死とは正反対の「復活」を描き出しています。復活の意味がわからないなら「神にある命」と言い替えてもいいのです。神の命の上に、私たちの人生を乗せるのです。死の上に乗せるのではありません。このまったく別の生涯の日の数え方があるということを、セミの死骸を見たらぜひ思い出し、心に留めていただきたいのです。

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by rev_ushioda | 2009-09-02 09:25 | Comments(0)

「蛇はきらいです」

今日、教会からの帰り道、細い山道で、蛇が車に踏み潰されていた。
動かないのは分かっていても、見た途端、足がすくんだ。細い道なので、その脇を通らなければ先に進めない。30秒くらいだろうか、遠くに蛇を見ながら途方にくれていたと思う。
ブログ用に写真を撮ろうかと思ったが、今にも動くのではないかというイメージが離れず、

何をしたか。

駆け足で、目をつぶってその横を走り抜けた。
蛇は、死んでいても苦手である。もう一つ、足がたくさんある、赤黒い、ムカデ。そして、先に書いた、熊。

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by rev_ushioda | 2009-07-12 17:49 | Comments(0)

「さくらんぼ狩り」

教会の一日旅行で、さくらんぼ狩りに行った。(うん? 先日も、八木重吉記念館に行ったばかりのような?)。南アルプス市の観光農園。I 姉が10年来行っているという、お勧め農園である。参加者9人。写真は、説明を受けているところ。しかし、仲間はすでに、設定された40分以内に食べまくるぞ、、、と、すでに、さくらんぼよりも目が(らんらんとして)真っ赤に燃えていた。案の定、この銘柄は何々で…という説明は、帰りには何も覚えていなかった。
少し高いところに実がかたまっているので、脚立を立てて取った。上のほうがおいしい。お昼時間に重なって、昼食をどうしようかと考えていたが、何と、さくらんぼでおなかがいっぱいになった。清里で昼食をとる3時頃まで十分、満足したおなかであった。
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by rev_ushioda | 2009-06-12 19:42 | Comments(0)

ある新聞に1枚のカラー写真が載っていました。想像していただきたいのですが、みずみずしい緑色をした、草の新芽の写真です。しかしそこは森の中でしょうか。まだ冷たそうな水の流れの中に、その新芽は出ているのです。その新芽は、その流れの中で流されまいと懸命に頑張っているように見えます。オオウバユリと書かれています。どうしてこんな川の中に芽を出したのかな、と思う写真です。説明がありました。
「雪解けの季節。溢れた水が、森に幾筋もの沢の流れを作る。こんな時に、たまたま流れの筋道に芽を出してしまった草は、ちょっと苦労を強いられることになる。この日も、芽を出して間もないオオウバユリが急な流れに翻弄されていた。揺さぶられ傾きながらも、根を踏ん張ってひたすらこらえている。見ていて気が気ではない。ついつい、流れの向きを変えてやろうかなどという、人間の思いが脳裏をよぎる。いけない、いけない。ほんとにせっかちだ。不都合な事態を力づくでねじ曲げてでも、好転を図ろうという方向に、すぐ考えを走らせてしまう。オオウバユリはおそらくそんなことは願いもしない。ただひたすらあるがままで耐えようとしているに違いない。彼女(?)は、茎の太さから、もう何年かここに根を張って過ごしてきたと見られる。必ずこらえきって、水が引いた後、さらに深く根を伸ばして育っていくことだろう。」
そしてこう言っています。「堤防を作ってあげようとか、流れの向きを変えようとか、これはとりもなおさず、わが身のいかに、じたばたしていることかの証である」
このオオウバユリは、流れの中に根づいてしまったことを運命のいたずらと思ったかも知れない。しかし、そのことで「彼女」はさらに深く根を伸ばして育つことにもなるわけです。私たちは、すぐにでも良い方に、と思う。でもそのままの状況であっても、そこから起こること、始まるドラマもまた、あるのです。キリストは「神の業がこの人に現われるため」と言われて、将来の私たちの姿に注目していることに気付いておきたいと思います。
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by rev_ushioda | 2009-01-27 21:50 | Comments(0)

「秋の風物詩」

わが家のゆずの木に、実が、300個くらいなった。とげだらけなので、棒のようなもので落とすしかない。娘が妙に頑張って、取っている。下で孫が見ている。「かっこいい」ママに見えているんだろうな… それはどうであれ、ゆずの実が落ちてくるので、近寄らないほうがいい。辺りには、落ちたゆずのかおりが、ただよっている、わが家の秋の風物詩。
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by rev_ushioda | 2008-12-12 19:19 | Comments(0)

先日、文化の森のNさんが、「森に、このくらいの…動物が、いたんです。何だと思います? 猿ですよ」と言われた。いったい、どこからやって来たのだろう。森から出てきたのにはわけがあるのかな、と思った。
時を同じくして、どこから送られてきたか、それが分からなくなったのだが、その封筒に一緒に入っていた「クマともりとひと」という小冊子に目が留まった。「日本くま森協会」と書かれている。一読して、これだ、と思った。森が荒れて、熊がえさを求めて里に下りて来る。人間は、大騒ぎして、射殺する。だいたい、もともとは動物たちのねぐらを提供し、餌を提供した豊かな自然森を、人間は、拡大造林という政策で、人間に有用な杉やヒノキだけを植えた。森は保水力を失い、土砂崩れを起こすようになった。そして、動物たちはねぐらと餌場を失い、里に降りてくるようになった。動物が増えたのではない、奥山に住めなくなったから、里に降りてきたのだ。奥山には、もはや動物がすめなくなったのだ。これでいいわけはない、とこの冊子は訴えているのだった。
ちょうど、礼拝説教で今度、取り上げる聖書の個所は、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」だ。「わたしたち」には、動物も含まれているのだろう。この小冊子「クマともりとひと」をさっそく20冊、注文した。この実態と、そのために頑張っている人たちがいることをたくさんの人に知ってもらおう。そう思った。

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by rev_ushioda | 2008-11-21 19:56 | Comments(0)