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「宣教主事」

宣教主事が提案された時、ぜひ、泉教会にも来て、話を聞いてもらいたい。そう思った。また、大変な仕事になるだろうなとも思った。いずれにしても、何か遠くの話で、自分とは関係ないと思っていた。今年になって、やってほしいと打診を受けるまでは。
答えを出すまで、2週間、大いに悩んだ。何をするのか、中会として初めての職務なので、わからない。期待は大きいだけに、時間はどうするのか。それが一番の問題かもしれない。とにかく平安がないまま、ミディアンのモーセのように、祈りの中で自分は口が重いだの、ほかの人を選んでほしいとか、どうのこうのと言っていた。
結果的には引き受けることになって、先の中会会議で承認された。何とも気が重いが、定年を過ぎた牧師に与えられたミッションと思い、引き受けていこう。

宣教主事は、中会から委任された以下の職務を行う。
一 中会と教会・伝道教会・伝道所の宣教のために伝道委員会と協働する。
二 伝道委員会に出席し、必要な助言を行う。
三 中会全体、伝道所、伝道教会の宣教計画の策定に協力する。
四 中会全体、伝道所、伝道教会の伝道の具体的な働きに協力する。
五 教会からの要請に応じて、教会の宣教計画、伝道活動に協力する。
六 伝道所、伝道教会の伝道活動について、伝道委員会へ適宜、報告する。
七 各個教会を越えた複数の教会による宣教協力については、
  伝道委員会の主導の下、宣教主事は伝道委員会に対し助言し、協力する。
八 必要に応じて中会運営委員会に出席し、報告、相談を行う。
九 必要に応じてその他の活動を行う。


by rev_ushioda | 2019-02-26 18:16 | Comments(0)

「東京神学大学訪問」

年末に、東京基督教大学(千葉県印西市)の学長を訪ね、今日は、東京神学大学(東京都三鷹市)の学長を訪ねることになった。運営委員会のミッションとしてであるが、学長を訪ねるというのは、一緒に行ったM牧師ではないが、やはり緊張することである。特に、大住学長は人を見抜く力がある(M牧師談)という事前情報もあったが、しかし、穏やかな人柄に魅かれるものがあった。
早めについたのでICUの庭の散歩をして緑の豊かさにほっとし、娘が卒業したルーテル神学大学の庭を通って娘の4年間の生活をふと思って懐かしく思い、緊張とは別に、何か良い時を持つことができたひとときであった。


by rev_ushioda | 2019-01-18 17:23 | Comments(0)

大磯にある澤田美喜記念館収蔵のキリシタン信仰画が、「16世紀末の安土桃山期のもので作品である可能性が高いことがわかった」と先週、メディアが報じました。和紙に書かれた巻物で、キリストの生涯の15場面が墨で描かれ、ラテン語の祈りの言葉の原音がそのまま、ひらがなで書かれているそうです。
私が感銘を受けたのは、「御出生以来千五百九十二年 はうろ」という記載です。御出生とは、イエス・キリスト御降誕のことで、いわゆるAD(主の年)1592年のことです。キリスト教は日本に1549年に伝来、豊臣秀吉は1587年にバテレン(神父・宣教師)追放令を出しましたので、その5年後の作品ということになります。秀吉がバテレン追放令を出し、やがて江戸時代のキリシタンの大弾圧の時代に入るのですが、その時代も、潜伏キリシタンとして、彼らは信仰を受け継いでいきました。中山道を歩いていると、山奥にもかかわらず、ここで彼らの遺物が見つかったとか、この寺にマリア観音があるとか、今でこそ記念されています。しかし、権力者が思うがままに政治を行う中、キリシタンたちは命がけで、「御出生以来」つまり「主の年(AD)」で歴史を数えていたことに感銘を覚えました。いかに権力をもっても、人間は歴史の支配者ではない、とキリシタンたちは証ししていたのです。
平成の次は何になるのだろうと、うかれていてはいけません。それ(元号)は、この世の支配者の歴史の数え方なのです。私たちキリスト者は、主の年で歴史を数えます。昔も今も、そこに一本、筋を通し、時の権力を相対化するのがキリスト者の在り方なのです。危険も顧みずそのような信仰画を残し、祈りの言葉を記録したのは、すべて、礼拝のためでした。礼拝という筋を通し、主の年を1年、また1年と刻んで行く。キリスト者の殉教の血が証しするバトンは、今、私たちの手に委ねられています。次の信仰者の手に確かに渡すために。


by rev_ushioda | 2018-11-21 16:44 | Comments(0)

「教会の教育」

信仰の場である教会で、教育というのはふさわしくない、と思う人がいるかもしれません。しかし、教会の歴史を振り返れば、最初から信仰と教育は一つだったのです。たとえば、洗礼を受ける前には必ず洗礼準備期間があります。また、洗礼を受けてからは、

・キリスト者として日々変化する現実とどのように向き合ったらよいか
・歴史的には信仰をどのように捉えて来たのか
・教会と自分をどのようにとらえたらよいか
・聖書をどのように読んだらよいか
・伝道をどうしたらよいか
・そもそも人生の終わり(葬儀)をどう迎えるか

そのようなたくさんの問題や課題に出会います。そこで教会は、身の丈に合ったさまざまな教育方法を編み出してきました。もし、そのような教育の機会を自分に与えないと、いずれ、自分の思いに合わせた聖書の読み方、自分の好みに合う信仰理解になり、自分に都合のいい信仰生活になって行くのは避けられません。この世との境目もあいまいになり、この世の課題を担うことも、使命を持って出て行くこともなく、ただ自分がいい気分になることを信仰だと勘違いするようになって行くのです。
そうこうするうちに、今年から「道徳」が教科として学校で教えられるようになりました。その意味は、国が人の心に介入し、点数をつけ、国が願うような人間を作り始めた(教育し始めた)ということです。そうであれば、教会は、信仰教育をもって対抗しなければなりません。

今、来年度の教会の活動計画を考えながら、一番必要なことは何かを考えた時、キリスト者の出発点である「教会籍」とは何か、ということから考えて行きたいと思っています。意志をもって洗礼を受け、持つことになった神の国の国籍(教会籍)は、この世の国籍を越えるものであるに違いないと信じます。そうであれば、教会員籍と礼拝/教会員籍と教会運営/教会員籍と伝道/教会員籍と会堂維持/教会員籍と葬儀など、良い理解を持ちたいと思います。


by rev_ushioda | 2018-09-21 17:46 | Comments(0)

地域で活躍されている在宅緩和(終末期)医療の医師、小澤竹俊先生(キリスト者)がおられます。最近では2017年にNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で全国に紹介されました。私たちの教会関係者も何人か、御家族の最期にあたり、この先生にお世話になっています。今年8月には、心を聴く市民ネットワークの講演会でお招きしたばかりです。さて、先週、小澤先生の携帯電話から電話を受けました。「余命1週間で、洗礼を希望されている方がいます。会っていただけますか」という内容で、その方のご自宅に駆けつけると、そこにおられた小澤先生から「罪の赦しを求めています」とのこと。御家族、そして細い声でお話しされるご本人のお話の内容からすると、子どもの時、おそらく幼稚園でキリスト教に触れ、以後80余年、教会には行っていなかったのですが、小澤先生とのやり取りの中で、心の蓋が開いたのでしょう。罪の赦しと洗礼を求めていることを確認しました。それまではお元気にされてきたのですが、6月に癌が分かり、急激に悪化され、限られた時間の中ですので、小会のメール稟議により、3日後の洗礼式となりました。昔、覚えた讃美歌に「いつくしみ深き」があります、とか、三浦綾子の『塩狩峠』の主人公に感銘を覚えているとか聞かせて戴きながら、お勧めの後に、以下、この方のために用意した質問で誓約していただきました。・あなたは、イエス・キリストをあなたのために送られた神がおられることを信じますか。・あなたには、罪がありますか。・あなたは、あなたの罪をゆるすためにイエス・キリストが十字架で死んだことを信じますか。すべてに「はい」と答えられたのを見て、長老1名、教会員2名の立会いの下、洗礼を執行しました。初めてお会いした方にもかかわらず、陪席した仲間たちに深い感動を与える時になりました。帰り際、御家族から、この後、葬儀をお願いします、と。緩和医療の医師と、教会との連携がうまく運んだ事例となりました。痛みを抑えるお薬の投与を受けながら、数日間だけのキリスト者としての旅路が、平安の道に変えられたに違いありません。
by rev_ushioda | 2018-09-02 22:26 | Comments(0)

昨日、地元の地区センターで、平和を願う市民団体主催の「悲惨な歴史(戦争)を繰り返させないよう祈念講演会」が開かれ、宗教者の声を聞きたいということで、私にも声をかけていただき、講演者として参加しました。ほかに金光教横浜西教会教会長 山田信二先生が講演され、今回、神道、キリスト教、二つの宗教の教師の講演を聞く会となりました。金光教の山田先生のお話は興味深いものであり、どの宗教も、その信仰するところを越えて平和というテーマの下、一致できることを実感出来て、大変、有意義に感じました。その会場には、また、浄土真宗大谷派遊林寺の副住職、三島さんがおられて、今回は講演者ではありませんでしたが、主催者から紹介いただきました。

実は、泉教会では昨年、20周年記念事業として、以下の計画をあげていました。

「地域に向かって、地域と共に、20年の実績を印象づけられる記念事業を行いたい。たとえば『命』(案)をテーマにした他宗教も巻き込んだ地域フォーラムを実施する。」

しかし、昨年はそのきっかけを得られず、流れてしまっていたのです。それが今年、はからずも市民団体の呼び掛けによって、平和をテーマに、神道、仏教、キリスト教の教師たちが一堂に会し、講演をとおして意見を交わす機会をいただいたのです。こうした機会をつくっていただいた市民団体の方々に、心から感謝しました。そして、せっかくの出会いを無駄にすることなく、ここから、宗教者・信仰者として、平和や命などのテーマで地域に貢献できる道を探って行きたいと、願っています。

参照記事 : 金光教ホームページ8月23日




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by rev_ushioda | 2018-08-21 21:28 | Comments(0)

「サムエル・ナイト」

教会では毎年、夏休みに、子どものためのプログラムを行います。伝統的には「夏期学校」という名前ですが、「サマーキャンプ」とか、泉教会では「サムエル・ナイト」と言います。少年サムエルが祭司エリのもとに預けられて信仰教育を受けたことから、この名を付けました。ナイトは、一泊の意味もありますし、主のための騎士になろう、という信仰的な意味も重ねています。奉仕は大変なのですが、子どもたちはとても楽しいようで、「教会の三つの祝日は?」ときくと、「クリスマス、イースター、サムエル・ナイト」と答えるほどです。(笑)

他方、中学生以上の子どもたちのプログラムは、独自に行ったこともありますが、該当者が少人数の年は(ほとんどの年がそうなのですが)、外部のキャンプに送ります。そういうキャンプは、たくさんの教会から送られてくる同年代の仲間との出会いと、良く準備されたプログラムが魅力です。思春期に参加するこのようなキャンプ体験は、記憶に残る貴重な時になります。私自身も、大学生の時のキャンプで信仰を告白し、洗礼のきっかけとなりました。その時のこと、歌った賛美歌は、今も記憶から消えることはありません。

そういうわけで、教会ではキャンプ支援献金の御協力をお願いしています。中学生以上の子どもを(場合によっては小学生でも)、何とか、外部キャンプに送り出したいと願っています。献金によって送り出す子どもは一人に限られますが、毎年、一人づつでも送り出し、この素晴らしい体験をさせてあげたいのです。時は、今なのです。

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と/言う年齢にならないうちに。」
旧約聖書 コヘレトの言葉12章1節


by rev_ushioda | 2018-08-01 16:23 | Comments(0)

教会で署名集めをすることに関して、私たちは注意深く対応しています。

まず、どんな署名でも、基本的に週報では案内しません。つまり立場や考え方はキリスト者と言っても人によって違うので、教会として一つの意見に集約するような署名活動は原則、しない、という立場をもっています。教会は様々な意見が自由に交換できる場でなければなりません。署名に参加する人もいて、しない人、出来ない人もいて、それでいいのです。

では、どのように署名の依頼を案内するかというと、
①署名集めを希望している人は、まず牧師に話します。
②牧師の了解のもと、礼拝の報告で司式者が署名を集めたい人がいることを紹介します。
③署名を集めたい人はその趣旨を短く話し、個人的にお願いしたい、旨を伝えます。
④礼拝後、関心のある人は、その人のところに行って、署名します。

署名を要する問題には、自然保護や、教育、平和に関すること、命や人権、LGBTに関わることなど、多岐にわたります。何も知らなかったようなことも、あるかも知れません。そういう場合は、不用意に署名できないのはもっともなことです。起こっているその一つ一つの出来事を信仰の事柄だととらえる(注)人は、署名するでしょうし、政治的なことだとする人、よくわからない人は、署名したくないでしょう。閉鎖的な集団、組織は、規格化された思考になるよう人をマインドコントロールし、結果、誰も皆、規格化した行動をとります。私たちは、お互いの立場、考え方を尊重します。教会として一つになるのは、信仰告白だけですから、その他のどんな考え方も否定しないで、耳を傾けつつ、自分の意見も述べます。意見を述べるからといって、しかし誰をも強制しません。注意しなければならないのは、自分自身が絶対的になって人を支配し、あるいは閉鎖的になって、他の人の意見や考え方を感情的に否定してしまうことでしょう。

注:「信仰の事柄」
「主なるキリストに治められる契約共同体は、神が創造の業において、人々のために意図した基本的な人間の尊厳を否定する政治的、経済的、文化的、人種的抑圧状況に反対し抵抗し、変革を求めていくのである。」(カンバーランド長老教会信仰告白6:30)


by rev_ushioda | 2018-07-21 20:05 | Comments(0)

「聖書検定」

昨年秋に、「聖書検定」がスタートしました。聖書検定とは、聖書から出題される検定試験です。まず、聖書検定公式テキストによって学習します。具体的には、第5級から第1級までがあり、まず第5級のテキストで学ぶことになります。こうして、聖書の膨大な内容を、バランス良く、やさしく学習することができます。検定を受けることにより、聖書を系統的に理解し、また、その真髄を知ることができるのです。聖書を知らずに信仰生活は出来ません。しかし、手引きがなければ、聖書を読もうという最初の志もなかなか続かないと思います。このテキストによって聖書の知識を身に着けることで、聖書を読むことが楽しくなり、また、深みが増して、信仰生活に必ず益すると確信します。検定試験は、それぞれのテキストの範囲で出題されます。受験の方法は通信による自宅での受検スタイルなので、時間、場所を問わず、誰でも受検することができます。

今まで、自分で出来る聖書の組織的な勉強方法は、「べテル聖書研究会」など、限られたものしかありませんでした。今回、聖書検定が誕生し、その学習の方法が一人で家でも出来るという便利さもあり、泉教会ではさっそく皆さんにこれを紹介し、希望者に受験をお勧めすることにしました。

希望者は各自で申し込み、受験しますが、泉教会では、一応、今年は年内を目標にして取り組んでいただくことにしました。

希望者は、お申し出ください。詳細、ご案内いたします。テキスト代1,000円、受験料1,500円(高校生以下1,200円)


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by rev_ushioda | 2018-06-23 18:56 | Comments(0)

「信徒クロス礼拝」

泉教会は今年になって、「信徒クロス礼拝の提案」という文書を近隣の小中規模の仲間の教会(カンバーランド長老教会)に送りました。信徒が相互に出席し合う礼拝(信徒クロス礼拝)を始めませんか、と。

泉教会は20年前、開拓伝道によって生まれた教会ですが、最初の頃、他の教会の方から、一枚のはがきを受け取りました。「開拓伝道のために祈りました」と書かれてありました。その心遣いは嬉しかったのですが、妻一人しか教会員がいない時、「教会員の皆さんによろしく」とも書かれてあったのです。「皆さん」は、いない。ああ、顔が見えないことは、こういうことなんだなあと、思った。ですから、顔が見えること、来て、見てもらうことが、一番の祈りなのだと、盛んに、来てください、と訴えてきたわけです。最近では、中会女性会が「世界祈祷日礼拝」を行うに当たり、毎年、会場教会を変えて集まり、礼拝を共にしていますが、そういう形でお互い他の教会を知ることはもとより、そこで他教会の皆さんと出会う喜びを共有しています。こうした経緯から、地域にある教会が祈りを共にするという共同体の在り方をつくりたいな、と思いました。中会と言っても、顔が見えなければ、組織の理念だけでは意味がない、力にならない、ということです。しかし、もし人が出会えば、人との出会いにより、「中会」という人間的に言えば教会組織が、しかし、目の前に人間として現れるのです。
こうして、5教会に呼び掛け、この5教会間で、きょう、「信徒クロス礼拝」が実現しました。きょうは泉教会からは工藤夫妻と、永見兄が渋沢教会を問安しています。私たちは、あさひ教会からお二人を迎えての礼拝となりました。他の教会間でもこうした問安がなされています。地域にこの人たちがいて、この人たちと共に中会という一つの共同体をつくっているのだ、とわかるのです。中会とは…などと、くどくど説明しなくても、もうわかります。人と出会うということは、百聞に勝るのです。このような繰り返しが、少なからず各個教会の伝道の姿勢によい影響を与えるに違いないと、私たちは確信するのです。願わくはこの繰り返しから、将来、新たな宣教的な芽生えが起こされるなら幸いです。他教会の信徒の皆さんとの、礼拝での出会いは、様々な可能性の宝庫となるでしょう。


by rev_ushioda | 2018-05-27 10:57 | Comments(0)