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「先駆ける人」

愛知県美浜町に「音吉、久吉、岩吉」という名前が刻まれた記念碑があります。この3人は、今から約190年前の1832年、江戸へ米を運ぶ途中、遭難した船の乗組員たちです。彼らは12か月も漂流した後、アメリカ、イギリス、マカオを経てモリソン号という船でようやく日本に戻れたのですが、しかし、なつかしい故国日本は、鎖国のために彼らを大砲で追い返してしまったのです。歴史の波に翻弄されながらも、しかしこの3人はマカオでキリスト教の宣教師の手伝いをして聖書を日本語に翻訳する仕事をしたり、他の漂流民を助けたり、音吉はイギリスに帰化して、日英和親条約の交渉に当たってイギリス側の通訳として来日を果たしています。

あのモリソン号事件をきっかけに、日本は急速に開国に向かうことになりました。美浜町では今、国際社会のいわば先駆けになった、そういう郷土の船乗りを「先駆的な国際人」として紹介し、名古屋の劇団は「にっぽん音吉物語」を各地で上演し、イギリスにも渡り、交流を深めたそうです。音吉たちは、はからずも当時の日本に、今日では当たり前になっている世界、新しい時代があることを示す役割を担うことになりました。鎖国の日本に、世界を突き付けた。閉じこもって、大砲で追い返すような日本に対して、新しい時代の先駆けになったのです。

さて、イエス・キリストは「神の国が近づいた」と言います。命を十字架に差し出してまで、閉じこもる私たちにもう一つの世界、新しい時代を見せてくれました。キリストは忍耐をもってかたくなな私たちの扉をたたき、見えていることとは違うもう一つの世界が、今あなたに始まる、と言うのです。私たちは、神の国、新しい時代に生きていなかった者だということに、キリストの招きによって気づいたのです。音吉たちは「国際人の先駆け」であったと後の世の人が言うなら、私たちはキリストによって「神の国の先駆け」に招かれました。この時を見分け、神の国を先駆ける者として、確信と信頼をもって、今を、生きようではありませんか。



# by rev_ushioda | 2021-07-05 14:29 | Comments(0)

「ワクチン接種」

コロナワクチンの接種方法を巡っては、なかなか取れいない、という話になるが、意外にも母がお世話になっていた地元の病院で何ということはなく予約がとれ、しかも先だと言われていた日程が、予約三日目に来週だ、となった。さっそく第一回目を受けた。その感じをレポート。
・針を打った場所に鈍痛のような感じが数日残った。
・軽い頭痛があったので、痛み止めを一回、飲んだ。
・二日目に軽い倦怠感があったので、早々に休んだ。
それがワクチンのせいかどうかは分からないが、二日目までにそういう症状があった。
コロナ禍にあって、人と会うことをできる限り控えているが、二度の接種後は、安心して訪問などできるようになることを期待している。


# by rev_ushioda | 2021-06-14 14:39 | Comments(0)

「牧師就任祝辞」

ウイクリフ聖書翻訳協会の福田先生は、「危険な祈り」があると言われました。何が危険な祈りかというと、宣教師を与えてください、牧師を与えてください、というのが、それだと。そのわけは、主が言われるからです。「あなたがいるではないか。」

石塚先生は、荒瀬先生の後、代務者として、牧師を捜すことを第一の使命として1年間、働かれて来たと思います。一番危険な祈りをされてきた。そして、その通りになった、ということでしょう。
みこころに適った神の「ご采配」に、ただもう両手を上げて「従います」と言っておられる先生の上に、祝福を祈ります。
といっても、石塚先生は私の2か月先輩の、同い年です。
無理をされませんように。
主は、もちろん年齢を考えてこのようなご采配をなさったのですから、
歳相応に、ひとり頑張らないで、群れの力にゆだねることを、ぜひお願いしたいと思います。
使徒信条の「(めぐみ)教会を信ず」ですね。

めぐみ教会の皆さん、今日を迎えて、ほっとされているのではないでしょうか。
私はたまたま先日、めぐみ教会の礼拝に伺っていますので、今日のこの時を迎えてどんなにうれしいことだろうか、手に取るように分かります。
荒瀬先生が、めぐみを離れると聞いて以来、皆さんは、ずいぶん途方に暮れたと思います。
しかし、そこで祈った、…と思います。
そこに、私は、実は本当の意味での教会ができたのではないかと、(皆さんのご心配、ご苦労をよそに)勝手に私は思っていました。
私の教会もそうなのですが、何もない、平穏無事の時というのは「牧師におまかせ」になりがちです。いいとか悪いとかではなく、そうなってしまうのです。
しかし、何かがあって、これは大変だ、というところから、教会はできる、と私は歴史を振り返ってみても、経験的にも、そう思います。
皆さんは、教会とは何かを、体で感じて来たと思います。そして、教会になった。

ということは、

牧師が就任した。終わり、ではないと思うのです。せっかく感じ取れた「これが教会だ」というもの、体で感じたものを、これから大きくしていって欲しいと思います。
少しくらい大胆であっても、石塚先生がきっと責任をとって下さるので、安心して、大胆に「めぐみ教会」を造って行ってください。
今日は、本当に、おめでとうございます!


# by rev_ushioda | 2021-06-06 15:16 | Comments(0)

「〇〇あね  って?」

最近、中会の集まりに出て行って、お互いの名前を呼ぶときに「〇〇あね」と言う言葉を聞いて、かなりの違和感を感じています。「姉」つまりキリスト者の女性に対する敬称、シスター(姉妹)を簡略化した言い方で、教会では週報などの文書で、習慣的にそのように書き表します。それを、発音するときに、そのまま「あね」(男性なら「あに」)と言われているわけです。

私は、書き言葉と会話言葉は、この場合、変えるべきだと思います。時には「姉」を「し」、「兄」を「けい」と呼ぶに至っては、まったく奇異に響きます。私は、書き言葉とは別に、会話では男女とも「〇〇さん」と呼んだほうがよいと、常々思っています。

以前、この場でキリスト者の名前の後ろにつける言葉について書いたことがあります(2019.9.15)。そこでも触れましたが、神の前に立つお互いを表現するとき、信仰者として立つわけですから、そういう場合は(祈りの中でとか、週報や手紙といった文書の中では)主にあって姉妹であり兄弟であるという「○○姉(兄)」正しくは「姉妹」「兄弟」と書くことは、聖書が証している通り、神の前に大事なことだと思っています。

しかし、お互いに交わす日常的な会話では、「あね/し」「あに/けい」という日本語にならない奇妙な言葉は、いかがなものでしょうか。そうではなく、自然な「〇〇さん」が良いと思うのです。もちろん、「しまい」「きょうだい」でも良いわけですが、たとえば修道院や、また成熟した信仰者同士であればその限りではありませんが、信仰を持たない方を日常的にお迎えしている教会で、やたら「姉妹、兄弟」と呼び交わして、そうではない方を阻害することは、避けたいと思います。さらにはそれが形式化、習慣化することに、何やらそらぞらしさを感じるのは、私だけでしょうか。

お互い呼び合う時、信仰のあるなし、信仰の浅い深いにかかわらず、教会の「仲間」としての言葉、「〇〇さん」にしませんか。



# by rev_ushioda | 2021-05-22 10:24 | Comments(0)

「信仰の個人化」

先日の宣教フォーラムで、ある方が、コロナ禍にあって信仰が個人的なものになっていくのを感じます、と言われていました。個人的に聖書を読み、祈るのは良いにしても、そこに交わりがない。教会がないことを感じるというのです。

またほかの方は、コロナ禍で礼拝の形態がオンラインなどで多様化している中、自分の信仰が揺さぶられている気がする。主体が自分となって、好きな時に、好きな恰好で、お気に入りの教会の礼拝をオンラインで覗ける自由は、自分の信仰の核心を見誤りやすい、と言われていました。

私たちは信仰告白として「聖徒の交わり…を信じます」と言っているにもかかわらず、コロナ禍にあっては、それが制約されているのです。個人的に聖書を読むかもしれませんが、しかし信仰は深まるどころか、交わりを失って個人化し、不安定になっているのです。砂の上に建てた家のようなもので、そのうち倒れてしまうかもしれません。

「信仰が個人的なものになっていくのを感じます」「主体が自分となって好きな時に、好きな恰好で、お気に入りの教会の礼拝をオンラインで覗ける自由は、自分の信仰の核心を見誤りやすい。」皆さんはいかがでしょうか。もしかしたら、個人化した「信仰」は、もう、信仰とは言えないのです。読みたいときに聖書を読む、したいときに礼拝を「見る」、好きな礼拝を探し歩く、といった、放縦なのかもしれません。

そのような危険と隣り合わせであることに気づくと、「聖徒の交わり…を信じる」という意味の大事さにも、気づくのではないでしょうか。悪魔は信仰をなし崩しにしようと、今こそ、虎視眈々と狙いを定めているに違いありません。その犠牲とならないことを祈ります。


「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(ペトロの手紙一 5:8)



# by rev_ushioda | 2021-05-02 14:21 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


by rev_ushioda