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「そういうものか」

さて、東海道、中山道を14年もかけて、次はここまで、その次はこういう行程でと楽しんで来た。

そして、目標に達した後の気持ちとはこういうものかと。ー 次の目的地がないという所在なさだ。

これは意外な気持ちであった。

死ぬまでに京の京都に着けば良い、そんな遠い目標を置いて14年前に歩き始めたことを考えると、

目標とは常に前に置くことで、平たく言えば元気が出るのだった。

次の目標は、なくはない。所在ないなどと言ってないで、そのように次々目標を定めていくのも良いと思う。

しかし、やはり一生をかける目標、「あの道」(信仰街道)に立ち続けることに、意味があるのだろうと、思いは、そこに戻る。

それはそれとして、静岡から日本海に向けての日本横断は、寒さも緩む3月に出発しようかと考えている。予定としては2年間だ。



# by rev_ushioda | 2022-01-15 15:06 | Comments(0)

「再び礼拝堂閉鎖(当面)」

2022年、再び感染急増を受け、またしても当面は礼拝堂を閉鎖することにしました。2年、コロナと付き合ってきて、臨機応変の対応を学びました。無理をせず、今は、こういう時だと受け止めることが大事かなと思います。

ところで、

人と会うということは、色々な話ができて、人間性を理解しながら、目の前の人の意を汲む会話をしているのだと思います。

しかし、会えなくなると、そういう普段している会話がなくなり、人間性での出会い方から、言葉だけの出会い方に変わるわけで、メール、SNSは顕著で、ZOOMは双方向とはいえ、平たい画面越しでは、やはり、ぎこちない。

ふだん、それでもうまくいかない時はいかないのですが、しかし、いかにその場の空気を読みながら、言葉より人間性での出会いがされてきたかと思います。

言葉だけは、やはり、きつい。誤解も生むだろうし、トゲトゲしくもなるだろうし。逆に疎遠にもなるだろうし。いかに、普段の出会いが大事であったか。コロナによって奪われるものがあったとしたら、言葉の貧しさを補う人間らしい出会いと、そのような会話だと思います。これを、コロナごときに奪われないように心したいと思います。


# by rev_ushioda | 2022-01-11 09:33 | Comments(0)

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# by rev_ushioda | 2021-12-31 23:59 | Comments(0)

「中山道49~51日目 大宮宿~浦和宿~蕨宿~日本橋」

ついに14年ぶり、日本橋帰着である。
宿泊は、1日目、カンデオホテル大宮。2日目、ドーミーイン池袋である。中山道の道行き最後は、大都会の中の宿泊となった。

12月27日(月)大宮~蕨宿(蕨駅) 11.1キロ
大宮、そしてさいたま副都心は、まさに大都会である。その後通過する浦和は、すべて高層ビル、高層マンション群。


12月28日(火)蕨~板橋宿~巣鴨駅 12.7キロ
戸田で、荒川を渡る。ここから東京都(板橋区)である。清水坂(中山道唯一の右冨士)、志村一里塚(今も都会の中に二基がそのまま現存する)、そして首都高速にぶつかるところから、ここからが1時間半ずっと、名称こそ次々と変わるが、商店街となる。埼玉では高層ビル、高層マンションが軒を連ねていたが、江戸に来て、ここでは昔ながらの街並みが残っているのは面白いと思った。板橋宿(写真)、巣鴨(とげぬき地蔵、江戸六地蔵)を通過、巣鴨駅からホテルに。
巣鴨周辺に良いホテルはなかったため、山手線で池袋に出て、宿泊は、大都会、池袋となった。ここで温泉、気持ちよい。近くにサンシャインシティがあり、夕食はその59階で。日本橋帰着の前祝いである。

12月30日(水)巣鴨駅~日本橋 6.7キロ
巣鴨から東京大学赤門前を通り、かねやす(写真)、湯島聖堂、秋葉原の昌平橋を渡り、いよいよ最後、神田駅、東京駅、銀座へと向かう直線に入る。途中に日本橋だ。数日後に行われる箱根駅伝の実況で、ゴール直前にアナウンサーが言う声が、耳に聞こえるようだ。「笑顔がみえています…」 
さて、14年ぶりに日本橋に帰着して、昼食をとっている間に届いたのが「表彰状」である。私たちのことをよくわかって書いている、気の利いたうれしい文面であった。街道仲間が勝手に発行しているのであるが、このような人の喜びになるうれしいプレゼントもあるのだ。感謝。

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# by rev_ushioda | 2021-12-30 21:51 | Comments(0)

「キリスト者が手にするカレンダー」

年末になると、いろいろなカレンダーが届きます。クリスマスはもとより、復活祭と書かれているものも見られるようになりました。よく見ると、細かい字でいろいろ書かれているものがあります。「六曜」(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)が書かれたカレンダーは、どの家にも一つや二つは、あるのではないでしょうか。「友引」に葬式・法事を行うと、誰かが死ぬとの迷信があり、友引の日は火葬場を休業する地域は多いのです。建築関係者の大凶日とされる「三隣亡」と書かれているものもありました。大工さんは、その日の仕事は避けるようです。すると、カレンダーというのは、ただ日を追うためのものでなく、日の巡りに意味を与えようとするものだと分かってきます。教会(キリスト教)のカレンダーでは、日曜日は「主の日」という1週ごとの節目から始まって、1年に「降誕日」「復活日」「聖霊降臨日」という節目を設け、イエス・キリストの恵みと愛と支配のもとで生きよう、と意味を与えています。今日という日を、上に書いた「六曜」とか、あるいはほかの迷信的な意味づけで、この日はよい、この日はダメと言って、縛られて生きていくのか。それとも、キリスト教のカレンダーでどの日も神の創造された日と言って、毎日に意味を与えて生きるのか、大事なことになります。言い方を変えれば、何に支配を受けるのか、です。「あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。」(ガラテヤの信徒への手紙4章10節)世には、迷信をはじめ、他の思想が組み込まれたカレンダーが、溢れかえっているのです。この世のカレンダーに支配され、縛られて、人間としての自由や意味を失うのではなく、今日というどの日も良い日にしていくのが、キリスト者の持っているカレンダーなのです。
# by rev_ushioda | 2021-12-26 17:07 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


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