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「フレンドシップあさひで講演」

聴くという尊い奉仕

序.いい話には「裏」がある

1.受容・共感(確認として)

(1)立場、環境、事実を受け止める
    ・うなずき、あいづち
    ・内容の繰り返し
    ・評価しない

(2)感情を受け止める/内側からの理解を 
    ・感情の反射
    ・開かれた質問
    ・感情の明確化

     参考:コミュニケーションを阻む障害

2.多義性について


3.百万円の値打ち!


4.会話事例


まとめ


午前中は、あさひ伝道所で、初めての主日礼拝をまもることができた。「明日を良い日に」という題でみことばの説教、午後、上のような内容で、2時間の講演「聴くという尊い奉仕」をさせていただいた。
躍動的なあさひ伝道所を体験させていただいて感謝であった。

帰宅したら、妻が「今日は14人だったよ」一瞬、何のことか分からなかったが、今日の礼拝人数であった。最初の数年を除き、この15年間で最低の人数を記録していたのだった。にわかに信じがたく、かなりショックを感じた日であった。礼拝人数が減少している中で、今、仲間と共に泉教会の体力回復をどうするか、最大の課題である。ほかの教会で講演してる場合じゃない、中会議長とか伝道委員長やってる場合ではない(いずれも請われてそういう立場にいるのだが)、足元はどうなってる・・・どこかから聞こえた気がする(これは、苦しい胸の内、ナイショの話)。

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# by rev_ushioda | 2012-11-11 23:40 | Comments(0)

「戸塚から大山道に その5」

10日前(10月30日)に大山道を歩いた。(忙しかったり、風邪をひいたりで、なかなか書くことができなかった)。
今回は、母の病気のために屋久島から帰っている妹も連れて、3人で出かけた。
大山もいよいよ目前にした石倉(前回、終点)からの出発。こんなところでバスを降りるのは、二度とないだろう。コスモス、菊などが咲き、柿、カラスウリが生る田舎の景色を堪能しながら、今回はバスの終点まで歩く。この道を車では何度も通ったが、歩くのは初めてで、風景といい、老舗の店や旅館といい、へえ~という連続、とにかく忘れ去られた景色が歩いてみると飛び込んでくる。戸塚から歩いてきてさえ感動するからには、「江戸」から来た昔の人々は、ここに来て、一気に感慨を新たにしたに違いない。ここは、ぜひ、仲間の皆さんと歩きたいコースであった。

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これが前回と今回の「2回分」のコース。ネットから借用。私たちが歩いた2回分を合わせた行程にほぼ一致している。私たちの始点は国道246号、終点は「大山ケーブル(バス終点)」なので、全体を右に移動させれば一致する。

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# by rev_ushioda | 2012-11-08 18:40 | Comments(0)

「旧約聖書黙想」

最近、子どもの説教でヨシュア記を取り上げました。そこでは触れませんでしたが、聖書には、次のような言葉が書かれていました。「ことごとく滅ぼし尽して主にささげよ」ヨシュア記6章17節。

この「聖絶」という考え方をどう読むかは、旧約聖書を読む者にとって悩ましい問題であり、くつかの解釈が生まれました。

解釈1.原理主義的解釈。神の民イスラエルに敵対するものは、悪の象徴であると考え、宗教的に堕落したものは滅ぼすという、(神の側に自分を置いた)自分を絶対化した短絡的、原理主義的理解の仕方。
解釈2.霊的解釈。霊的な意味で、神と悪との戦いが書かれているのであり、これをキリスト者の従順、聖化として適用する。(実際、「聖絶」というような戦闘はほとんどなかったのだと理解する)。
解釈3.自由主義的解釈。聖書の記述は、史実とは限らない。バビロン捕囚以後、歴史が「再記述」されたものである。つまり、自分たちはなぜ異民族に支配されなければならなかったかという反省及び歴史解釈によって、史実ではないことが書かれたれたものだと考える。
解釈4.民俗学的解釈。このような慣習は現代では許されないが、古来、イスラエルのみならずモアブやアッシリアのような近隣諸国にも共通して見られた「宗教儀礼」であった。(古代の戦闘は全てその民族の守護神の闘いでもあったため、闘いに敗れた民族とその所有物は、神無きもの、穢れた存在となった。それを自民族の守護神に捧げ尽くすことで神無きものが購われ、新たな所有に移される)。

ほかにもあるでしょう。しかし、では、私はどう読むかということです。はっきりしているのは、私たちはいつも相手の側に立つことが出来ない者だ、ということです。
たとえば、日本にある「桃太郎」の話も、私たちは鬼の側には立ちません。必ず桃太郎の側に立って話を聞いています。すると、あの話は、勧善懲悪となり、戦時中は鬼畜米英というように転化されて自分中心に解釈されました。しかし、福沢諭吉は言います。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり」(『ひびのをしえ』。
自分を最初からイスラエルの側に置いて聖書を読むことの間違いがあることを第一に指摘しておきたいと思います。古代、現代を通じて戦闘は繰り返されますが、しかし、いつでも、誰も、自分を正当化できないのです。
そういう意味では、「御子を信じない者は既に裁かれている」(ヨハネによる福音書3章18節)というように、本来、みなが滅ぼされるべき人間だと言うべきでしょう。そこに勝者はいません。神が一方的に「宝の民」(申命記7章)とされたことに「正しく応答する」以外、人間は生きられないのです。

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# by rev_ushioda | 2012-10-19 00:13 | Comments(0)

「無に等しい者」

聖書の中に、「神は…世の無に等しい者…を選ばれた」という言葉があります。「無に等しい者」というのは、「無価値」「役立たず」の者という意味です。しかし、「神は…世の無に等しい者…を選ばれた」というのです。
私たちは、誰も皆、人から「無価値な者」つまり「役立たず」と言われたくないし、思われたくないのです。それで無意識のうちに、職場や地域、人間関係のあるところではどこでも、自分は役立たずではない、と演出しているのです。人に少し背伸びして見せている、ということです。表で知らず知らず背伸びしているから、だから内側で疲れてしまうのです。

「ホルモン焼き」という赤ちょうちんを見たことがあるでしょう。どんなものを焼くか、ご存知ですか。ホル(捨てる)モン(物)、つまり牛や豚の内臓は捨てられていましたが、焼いて食べてみたらおいしかったので、大阪の一杯飲み屋で売ったところ、全国に広がったそうです。ゴミとしか考えられていなかったものに特別な使い道が発見されて、一度に宝に変身したのです。

話を戻しますが、「世の無に等しい者…を選ばれた」方がいると、聖書は言っているのです。私たちがたとえ「無価値」「役立たず」と人から言われ、落ちこんでしまっても、その全存在、ありのままを受け止めてくれる方がある、と言うのです。それが、聖書が私たちに紹介している、神という方なのです。神は、「世の無に等しい者」をあえて選んでしまわれる。その人に固有の、人間としての値打ちを見られる。神は、こうして、どの人も明日に向けて力強く生かすことがおできになる。まことにダイナミックな方なのです。
神さまは、一人一人に価値を見出し、生きる意味を与え、その人に一番合った役割を与えて、今日もこの世に生かしていてくださる方なのです。私は、あなたにそのような方と出会っていただきたいと思っています。あなたが私たちの教会をお訪ねくださるのを心からお待ちしています。

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# by rev_ushioda | 2012-10-09 23:59 | Comments(0)

「母、再入院のこととか」

母が心不全で再入院。前回よりも苦しそうだった。酸素吸入で楽になったが、医師からは再び覚悟を求められた。

漆間君も入院しているので、孫たちを預かったり、食事をしたりすることも多い。二人の入院のために、これから、やり繰りが大変な日々が続くようだ。

幸いに私の「神経痛」は、鍼灸治療を始めて翌日から、もう2ヶ月以上おさまっている。治療の最初の日は杖をついて行ったが、帰りは、杖は不要だった。え、うそだろう? と半信半疑。しかし、その後も痛みはまったく出なくなった。ところが最近、娘から「お父さん、臭い」と言われて、そう言われてみると確かにこの1ヶ月くらい自分でも気になっていた。何だ、これはと思って、さっそく鍼灸院できいてみたら、「それが神経痛の原因だったのです」と。なるほど、こんな体臭を放つほどのものが体内にあったとしたら、神経痛にもなったはずである。人の体についていろいろ考えるこの頃。

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# by rev_ushioda | 2012-10-05 23:21 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


by rev_ushioda