人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「思索にかけた1年」

今年は、思いがけない神経痛に5か月間悩まされ、その後、中会のことでも大きなことがあって4か月間対応に追われ、気がつけばブログも更新が滞り、決まった内容(電話メッセージ、牧会のはなし)しか、書くことができなかった。いや、書いたのではなく、ただ、転載しただけであった。
ブログを書けないということは、それだけ思索ができなかったということにも通じる。ブログは、たとえつまらないことを書くにしても、そのような「余裕」は、思索のバロメータである。それがなかったという1年であった。1月7日で62歳。少なくとも70歳まで、あと、まる9年は頑張りたい。しかし、このようなブログも書けないようでは、(そして趣味の旧街道をこの1年、1回も旅することができなかったが、そんなことでは)先が知れている。ここにきて枯渇しないよう、1月7~9日、自分への誕生日プレゼントとして、ここは中山道の歩きはじめを「宣言」しておこう。その週の祈祷会、聖書会をお休みしてでも(ミナサン、ゴメンナサイ)、確保しなければならない大事な意味があると思っている。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
# by rev_ushioda | 2012-12-25 23:18 | Comments(3)

「不安の力、悩む力、弱さの力」

ある時、書店で「不安の力」という本を見つけました。続けて「悩む力」という本も見つけたのです。このような不安とか、悩みとか、そういうマイナスの感情は、ない方がいいと考えていると、しかしそこに「力」があると言っているのです。そういえば「弱さの力」という言葉が、2000年近くも前の聖書に書かれています。パウロという人が「わたしは弱いときにこそ強い」と言っています。
なぜ、そのような不安や、悩みや、弱さが「力」になるのでしょうか。ないほうがいいに決まっていると思うのです。しかし、五木寛之さんは、不安は人間らしさのあかしのようなものだと言っています。不安がないなら、非人間的な生き方をしているのではないか、とさえ言います。確かに、不安や悩みや弱さという受け止め方は、皆、とても人間的な感情なのです。まじめに自分と向き合うからこそ、生まれる感情です。世の中の動きが妙に速くなる時、または周りの人間が歪んだ期待を自分に示した時、その時、自分らしく生きたいという叫びが、不安や悩みや弱さになるのでしょう。ですから、それがないなら、逆に何かで自分をごまかしているのかも知れません。
さきほどのパウロという人は、何か健康上の理由があったらしく、このとげを取ってくださいと、3回も、祈ったのです。その時にこういうキリストの声を聞きます。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。そして彼は「これは、思い上がることがないように私につけられたものだったのだ」と気付くに至り、そういう障碍を持つ自分を無条件に受け入れて、かえってそれを誇りとすると言いながら、こうして歴史に名を残す偉大な仕事をしていくのです。
不安や悩みや弱さは、人間の証しなのです。だからこそキリストは、その不安や悩みや弱さを持つ人間らしい感覚の持ち主を用いて、そこに本当の力を証ししてくださるのです。キリストは、あなたの不安や悩みや弱さを、きっと力に変えてくださるのです。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
# by rev_ushioda | 2012-12-22 22:50 | Comments(0)

「クリスマス休戦」

クリスマスに関する調べものをしていたら、こういう記事とであった。
http://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/41327358.html
「クリスマス休戦」というもの。どうやら史実らしい。
地には平和、みこころにかなう人々にあれ!

念のため、転載しておこう。

1914年、第一次世界大戦。冬の12月。ドイツ軍とフランス軍・英軍が、100メートルぐらいで隔てあう塹壕(ざんごう)戦は、砲撃の応酬で悲惨なものでした。その最前線のドイツ軍の塹壕に、クリスマスの日、一人の男が慰問に訪れます。彼の名は、ヴァルダー・キルヒホフ。当時、世界で最もチケットをとる事が困難といわれるバイロイト音楽祭に、1911~14年にかけて4年連続出演するほどの高名なドイツのテノール歌手でした。ドイツ軍の塹壕から、キルヒホフの美しい歌声が凄惨な戦場に響きわたり、100メートル先の敵国フランス軍の塹壕にまでとどきました。すると、フランス軍の中から「この歌声は、パリのオペラ座で聞いた、ヴァルダー・キルヒホフのものだ」と叫ぶものがいた。その歌声に聞き覚えがあることに気付いたフランス将校は、ドイツ軍の塹壕に向かって大きな拍手をおくりました。するとその拍手を聞いたキルヒホフは、自分の歌声に拍手を送ってくれた人がいることに感動。彼は、相手の気持ちに応えるためにドイツ軍の塹壕から飛び出し、笑顔でゆっくりと敵に向かって歩き出した。そして両軍の中間地帯を横断し、拍手を送ってくれた敵の将校に深々と挨拶をしたのでした。
その瞬間、戦場は、戦場でなくなってしまった。この様子を見ていた両軍の兵士たちが、塹壕から出て来て敵兵と交流してしまったからです。
休戦というのは交戦国の上層部が取り決めるのが普通ですが、現場の兵士から生じるのは稀なことでした。人々は、後にこの日の出来事を「クリスマス休戦」と呼びました。歌が、憎しみをこえた瞬間の出来事でした。この実話を基にして2005年、映画「戦場のアリア」が作られています。
残念なことに、現場で勝手に交流されたら戦意が落ちるということで休戦を生み出した兵士たちは上から厳重なる注意を受け、クリスマス休戦の後、第一次世界大戦はさらに3年も続き、2千万にのぼる人命を奪いました。だからこそ、戦争の真っ只中で起きたこのすがすがしい平和の物語は、これからも生き続け、人は決して殺し合いなんか望んでいないんだということを、訴え続けていくことでしょう。
# by rev_ushioda | 2012-12-20 23:24 | Comments(0)

「希望のはじまり」

 「今年は2千何年」というように言いますが、この西暦というのは、どこから数えているか、ご存知ですか。そう、イエス・キリスト誕生から数えているのです。ですから、イエス・キリストの年の、今年は何年目と、世界中で言っているのです。この西暦と言うのは、学校でADと言うのだと習いましたが、ADはラテン語で「アンノドミニ」。主イエス・キリストの年の、という意味だったのですね。そして、イエス・キリスト誕生以前のことはBC。これは英語でbefore christ (キリスト以前)と言っているのです。そうなると、私たちの歴史は、キリストによって、言ってみれば「ものさし」が当てられていたのです。
それまで世界は、ローマ皇帝を起源とした暦が使われていました。しかし、ディオニシウス・エクシグースという修道士が画期的な暦を発明しました。それが、今私たちが使っているキリスト起源の暦です。彼はこう言っています「我々はもはや暦を統治者によっては数えない。なぜなら、彼らは君主ではなく暴君だからである。我々の主イエス・キリストから数え始める。これは我々の希望の始まりだからである」。こうして「AD、主イエス・キリストの年」という暦が作られたのです。もう一度これを作った人の言葉を引用すると、この暦は「希望の始まり」なのです。私たちには、そして世界中の人には「希望の始まり」を示す「ものさし」が当てられている、というわけです。
今年も、クリスマスを迎えようとしています。しかし、世界は、あらゆる意味でディオニシウス・エクシグースが言ったように「君主ではなく暴君」に支配されているように見えます。戦争やテロ、権力や言葉による暴力、搾取、傲慢、不公平、憎しみ、不安。このような時こそ、まず私たち自身の内に、「希望の始まり」であるイエス・キリストをお迎えしたいのです。聖書の言葉に、こうあります。「あけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」。キリスト誕生を祝うクリスマスには、あなたもぜひ教会においでください。初めての方をお迎えしています。泉教会の電話は 045-803-1749 です。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
# by rev_ushioda | 2012-12-07 11:58 | Comments(0)

「痛みがわからない者だけれど」

私は今年になって5か月間、神経痛に悩まされました。ある日、鼠蹊(そけい)部に電気が走るような痛みを感じました。机の前に座っていてもパシッと来ます。歩いていてもパシッときます。そういうときはどこにいても、うずくまってしまうのです。
一日に数回の頻度ですが、一度そういうことがあると、不思議なもので今度はいつ来るかと痛みのないときも不安になり、そうなると、いつも身構えているような状態になります。これを、「予期不安」と言うのだそうです。たった一日に数度の痛みなのに、その痛みにいつも支配される状態となりました。ペイン・クリニックに行き、「リリカ」という痛み止め薬を処方されました。整形外科に行き、レントゲン、MRIを撮りましたが、異常なし。やはり「リリカ」を処方されました。病院をあきらめ整体のようなところにも通いましたが、まったく効果なし。
ついに、後回しにしてきた「鍼灸」治療に行きました。今も定期的に通っているのですが、何とそれから3か月、初めて行った日以来、痛みは1回も来ていません。普通に歩けるという、当たり前のことですが、その喜びを今、味わっています。
ところで、痛みは私の場合、2種類ありました。電気が走るような一瞬の痛みと、鈍痛のような、説明がうまくつきませんが足が上がらない痛みと。説明が難しかったですが、聞く人も「その後、“腰”はどうですか」と言われる。(“内腿”の痛みと言ったのになあ…)と思いながら、そこで思ったのは、痛みは、人に通じないということでした。本人さえ、痛み方が変化するのですから、ましてや、人には分からないだろうということです。そして思いました。私も、人の痛みを分かっていなかったのだ、と! 
痛みを分かろうとするのなど、できっこないのです。「分かる、分かる、私もね…」など、言わない方がいいです。痛みは、本人にしか、わからないのですから。
では、何もできないのでしょうか。私が路上で痛みが走ってうずくまっていたら、通りがかりの女性が「どうしましたか? 救急車を呼びましょうか?」と声をかけてくださいました。「大丈夫です、持病ですから」と答え、先に行って戴きましたが、ありがたいなあ、と思いました。声をかける。それだけですが、その女性が治すわけでも何でもないのですが、その声があっただけで、路上に座り込んだ私には、確かに、ありがたさを感じました。
星野富弘さんが次の詩を書いています。「花がきれいですねえ/誰かがそういって/うしろを過ぎて行った/気がつくと目の前に/花が咲いていた/私は何を見ていたのだろう/この華やかな/春の前で/いったい何を/考えていたのだろう」 誰かの声がかかる。ハッとして我に返るのです。人が必要とする助けの一つは、確かにここにあるのではないでしょうか。痛みなどそんな簡単に分からない。分からなくていい。私たちはただ、誰かのそばにいて、声をかける者となれば(なることが出来れば!)、それでいい。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
# by rev_ushioda | 2012-12-04 12:00 | Comments(2)

横浜で牧会する牧師のブログです。


by rev_ushioda