母は今年6月に100歳になる。

要介護4、自宅介護を続けて2年半が過ぎた昨年11月、ショート先で具合が悪くなって、いよいよターミナルと訪問医にも言われて覚悟した。
ショートに出るのをキャンセルして様子を見てきたが、12月になって徐々に回復し、食事も、日向ぼっこもできるようになって、今まで以上に元気になった。2月19日、ショートを再開します、とケアマネさんに伝えた。

ところが、その日から、再び具合が悪くなり、唸ってみたり、認知?というような感じの、自分の状況がつかめない言動をしたり、また元に戻ったりの1週間。婿が来たので、試しに母にきいてみた。「この人、わかる?」「あら、だれかと思えば、… … だれだっけ?」にこにこしながら答えていた。具合が悪いと医師に言っても、数字的に異常が見られたりしない限り、よほどのことがない限りは、ほとんど取り合ってもらえない。それもわかるのだが… 今、やはりショートはキャンセルしますと連絡した。

次第に、その日に向かっている。玄関先にはフクジュソウが咲いている。このあたりで中山道に出て、少し気分転換したいところだが…
f0086426_14460625.jpg


[PR]
by rev_ushioda | 2018-02-26 14:38 | Comments(0)

昨日の教会員総会で、小会が考える今後の牧会体制について説明した。
すなわち、借入返済が終わる、今から8年先まで私との契約関係を続ける。補佐のために主事を雇用する。その間、良い引継ぎができるようにする、という方向性だ。
小会で、この数か月にわたって考えてきたもので、私自身、いい提案だと思っている。おそらく教会員の皆さんにも、牧師が定年を迎えて、今後どうなるのかと不安があったので、安心を与えたに違いないだろう。この考え方については、諸方面でさらに詰めていかなければならないが…

ところで、私自身、まず、まだ先と思っていた定年に直面したとき、まことに妙な気持ちになった。退職金を受け取るに至っては、まだこうして現役なのにという思いと錯綜して、事態を受け止めるのに時間がかかった。今は、それでも何年先までは出来るだろうと見つめている自分がいる。定年などと言わなければ、普通にしていたものを、何年先まで出来るかしらと、思う(不安を感じるようになっていく)のである。
ちょうど車が車検になったので、80歳で運転を辞めることにして、では逆算して残り13年、今が買い替え時だと車を新しくしたことも、ある。延長線で考えてみたり、逆算で考えてみたり、いったい、今の自分はどこにいるのだろうか、体力はどのくらいなのだろうかと、何だか自分がわからなくなったりする。


[PR]
by rev_ushioda | 2018-02-19 14:47 | Comments(0)

「自分の性格かも」

信仰、信仰と言うのですが、それは本当にキリスト教会が継承してきた信仰なのか、ということは考えてみる必要がありそうです。もしかしたら、ただ自分の願いや関心、自分の信条を聖書に読み込んで、気にいる言葉拾いをしているだけ、ということはないだろうか、ということを考えてみたいのです。

私自身、成育歴からして「マジメ」タイプの人間だと自他ともに認めていると思います。すると、自分の中に聖書の読み方がマジメになる、というカラクリがあることに、ある時、気づきました。聖書にある「きよさ」が妙にひっかかり、するとそのようなことを強調する神学もまた世にはあるもので、いつの間にかそういう教会に心魅かれたことが、若い時にありました。自分の性格や考え方に合う個所ばかりが気になり、自分に合うように聖書を読み込んでいる自分がいたのです。

同じように、厳しい人は、明けても暮れても聖書の厳しい教理ばかりに目が行ってしまうでしょうし -すると目の前の弱さを持った人を受け入れることが出来ない― 逆に優しい人は、明けても暮れても聖書の優しい個所ばかりを拾い出す -すると人間の罪に気づくことが出来ない- というようになると思います。そういう意味で、聖書を読むことは難しいのです。

以前も紹介しましたが、「カモレレロ」という文字を、日本人なら知っているカタカナで読んで、意味が分からないと言うのです。日本人ではない人は、(特殊フォントであるにはあるのですが)これをHELLO(こんにちは)と読んで意味が通じるのです。

聖書も同じです。今のカタカナのように私たちは自分が経験してきたことがあり、そしてそこで作られた性格や判断の仕方があって、結果、聖書をそのまま読むことが出来なくなっているのです。難しい、と言って離れるにしても、反対に、関心をもって深く読むにしても、私たちは自分の性格がそこで大きく動いて、その性格をもって聖書の言葉と向き合ってしまわないでしょうか。私は「気持ちの聴き方」という講座をしていますが、この講座によって自分の心の動き方に気づき、自分の性格や信条を聖書に読み込むのではなく、聖書が語るように聖書から聴くことが出来ればと願っています。


[PR]
by rev_ushioda | 2018-02-05 17:27 | Comments(0)