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2018年 09月 21日 ( 1 )

「教会の教育」

信仰の場である教会で、教育というのはふさわしくない、と思う人がいるかもしれません。しかし、教会の歴史を振り返れば、最初から信仰と教育は一つだったのです。たとえば、洗礼を受ける前には必ず洗礼準備期間があります。また、洗礼を受けてからは、

・キリスト者として日々変化する現実とどのように向き合ったらよいか
・歴史的には信仰をどのように捉えて来たのか
・教会と自分をどのようにとらえたらよいか
・聖書をどのように読んだらよいか
・伝道をどうしたらよいか
・そもそも人生の終わり(葬儀)をどう迎えるか

そのようなたくさんの問題や課題に出会います。そこで教会は、身の丈に合ったさまざまな教育方法を編み出してきました。もし、そのような教育の機会を自分に与えないと、いずれ、自分の思いに合わせた聖書の読み方、自分の好みに合う信仰理解になり、自分に都合のいい信仰生活になって行くのは避けられません。この世との境目もあいまいになり、この世の課題を担うことも、使命を持って出て行くこともなく、ただ自分がいい気分になることを信仰だと勘違いするようになって行くのです。
そうこうするうちに、今年から「道徳」が教科として学校で教えられるようになりました。その意味は、国が人の心に介入し、点数をつけ、国が願うような人間を作り始めた(教育し始めた)ということです。そうであれば、教会は、信仰教育をもって対抗しなければなりません。

今、来年度の教会の活動計画を考えながら、一番必要なことは何かを考えた時、キリスト者の出発点である「教会籍」とは何か、ということから考えて行きたいと思っています。意志をもって洗礼を受け、持つことになった神の国の国籍(教会籍)は、この世の国籍を越えるものであるに違いないと信じます。そうであれば、教会員籍と礼拝/教会員籍と教会運営/教会員籍と伝道/教会員籍と会堂維持/教会員籍と葬儀など、良い理解を持ちたいと思います。


by rev_ushioda | 2018-09-21 17:46 | Comments(0)