「ノンクリスチャンに支えられている!? 泉教会」
2008年 03月 20日
「箱根に泊まり研修から帰って来て、急いで注文のケーキを作って届け、孫を迎えに行って、明日の仕事の段取りをしていたら、今日は水曜日で祈りの日だったと、たった今、気がつきました。だめだな~本当にごめんなさい(ノ_<。)ビェェン」
近所に住むノンクリスチャンの彼女は、10年来のお付き合い。礼拝に来たり、来なかったりであるが、祈祷会には毎週、おいでになる。家族には、「平和をお祈りしてくる」と言って出てこられるのだそうだ。だけど、自分ではお祈りしない。私たちの祈りを聞いているだけであるが、平和を祈る気持ちで、毎週、祈祷会に来られる。そして、来ることができなかったことに、責任を感じておられる。こうして、ノンクリスチャンに支えられている泉教会である。
そういえば、平和憲法を守ろうと取り組んでいる皆さんがおられる。私も、泉区の「9条の会」の方々とときどき御一緒するが、熱狂的ではなく、地道に、平和を守ろうと努力されている方々である。日本の歴史を振り返ると、キリスト教の伝道ができなかっただけでなく、自分が礼拝すら守れなかった時代があったが、今は平和憲法があるから、私たちは信教の自由を与えられて、殉教もせず、安心して礼拝を守れるのだ。ノンクリスチャンたちの地道な取り組みに支えられて、私たちの礼拝があるのだった。信仰と、憲法を守ることとは、密接な関係がある。主は言われた。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」。
私たちは、イエスさまとずいぶん違う「神の子」のイメージを作ってしまっているのかも知れない。ひょっとしたら、「平和」という言葉と「政治」が結びついて、気持ちがひいているのかも知れない。だから、平和憲法が変えられようとしているこの時にも、何もしないのかも知れない。いずれにしても、私たちの教会、私たちの信仰、私たちの礼拝は、ノンクリスチャンの祈りと、平和を実現しようと地道に取り組む市井の人々によって、支えられているようだ。
願わくば、10年前から祈祷会に出ているこの方が、信仰告白を迎える日が来ますように!