「気を遣う」
2006年 12月 11日
それで、今年は礼拝の用語もなし、肩書きもなしで登場することになった。クリスマスだから、当然、聖書の物語をそのまま話すわけで、しかし、そんな話を聞かされた後の「お話」なので、気を遣い、それなりに疲れましたよ・・
それにしても、公的な場で宗教はいけない、というのは健全である。
自治会では、当然の顔して、回覧板に神社の祭礼の案内が挟み込まれてくる。内閣の要人たちは、当然と言って、靖国神社に参拝する。
こちらからひとこと言えば、これは慣習だ、あなたの言うことが理解できない云々と言われる。