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「中山道23~25日目 野尻宿から福島宿 木曽谷を行く

休暇は、ねじ込まないと永遠に取れない。前後にしわ寄せが来るのを覚悟で、この3日間を確保した。木曽路の続きである。宿泊は前回と同じ国民宿舎「ねざめホテル」。実は、木曽路の馬籠宿~福島宿間で、ベッドの部屋があるホテルは、ここしかない。前後移動はJRをかなり長距離、利用することになるが、布団ではなくベッドを求めて、ここを利用するしかなかった。
孫娘は今回も同行したかったが、娘「何か歴史的なもの、ある?」「今回は、ないかなあ」「じゃ、学校休ませるわけもいかないかなあ」 実は、前回、馬籠、妻籠を通った時、同行。街道をテーマに夏休みの自由研究にしたのだ。孫娘にとっては、今回は、残念デシタ。
到着地、木曽福島は、この先(東側)に、中山道中間点がある。いよいよ、ほぼ中間まで来たことになる。

第1日目 11月12日(月)野尻宿~須原宿
前回、この近くでお水をくれた家があった。あの時は、それほど暑かったが、今回は、晩秋。歩くにはきわめて快適な季節となった。ただ、紅葉を観るには、あと2週間ほど早く来る必要があったが… 
今回も、前回同様、木曽川、国道19号、JR中央本線と「並行して」木曽谷を行くことになったが、木曽路に国道やらJRやら通すとなると、この木曽谷の区間は山々が覆いかぶさるような地形なので、多くの個所が旧道の上に重なるか、廃道になり、旅行案内書いわく「中山道は、ズタズタに削られている」今は通れないところも多かったので、国道を歩くことになる。
それでも旧道があるので、その道を進むのだが、今回は道に迷い、あるお寺に「マリア観音」があるというので楽しみにしていた道には、残念ながら行くことができなかった。迷ったのは、東海道で一度、そして今回くらいである。
宿場にはそれぞれ趣があるが、須原宿は「体勝寺の建築や庭園」「桜の花漬け」「須原ばねそ」(郷土民謡で、ばねそとは、はね躍る衆という意味らしい)。そして「水舟」。街道沿いに檜の丸太をくりぬいたなかに湧水が注がれている。

第2日目 11月13日(火)須原宿~上松宿
木曽川沿いには、いたるところに発電所が設けられている。山から水を落としこみ、発電し、川に放流する、といった施設である。今回の道中で4、5か所見ただろうか。
須原から上松間12.6キロ、4時間歩き続けても、休憩する店が、何もない。ひたすら国道を歩くことになった。1軒は休業日。もう一つは、看板で期待を持たせておきながら、着いてみれば廃屋。がっかりだ。ただ、国道と言っても交通量はさすがに少なく、景色は晩秋の木曽谷である。歩いて快適であったことはうれしかったが、休憩施設が何もないのには、閉口した。妻も下の写真のポールを、ついには、ひきずる始末。それは名誉のために不掲載です(笑)。上松駅までなお50分ほどのところ、この日の通過点に、今回泊まったホテルがあって、そこでようやく昼食休憩でき、ほっとした次第…
この上松には、中山道の観光ポイントとなっている「寝覚めの床」がある。「天下の奇勝」とガイドブックには書かれている。何でも、浦島太郎が竜宮から帰って、今までの楽しい夢から「目覚めた」ところだ、そうな… 全国各地にある浦島伝説の一つである。

第3日目 11月14日(水)上松宿~福島宿
『夜明け前』はこう書いている。「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
前回もそうであったが、今回も、この小説にあるような、かつての難所を行くことになった。南木曽~野尻(実際は十二兼という駅辺りまで)そして、上松~木曽福島間、この区間の街道は、まさに「あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。」というところであった。現在は木曽川と国道、およびJRが並行して走り、コンクリートで固めて、難所ということはない。かえって、国道も新しい道に移った辺りは、落ち葉を踏みしめ、木曽川の流れを楽しむ快適な散歩道であった。しかし、このコンクリートの道を外して想像してみたら、にわかに、この道を行くのは命がけであったであろうことはすぐわかる。浅田次郎の『一路』にはその辺りの事が書かれていて面白い。そして、『夜明け前』である。あの道を、今、こうして歩く感動があった。下の写真は「桟(かけはし)」が保存されているところである。国道の下に桟の一部が見える。江戸時代のものだ。

やがて木曽福島駅。木曽路に沿って走るJRは、どの駅も、午後など2時間半待たないと、次の電車は来ない。来ても、特急の通過ばかりである。駅は無人駅。しかし、この木曽福島駅には、特急が停車していた。当たり前の光景だが、木曽谷を歩き続けてきた目からすると、感動であった。

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国道下の石積みが、江戸時代のもの。この石積みの上を人々は行き来したのだ。写真の国道も、車は今は新道に回されて、通る車はほとんどなかった。山が覆いかぶさる景色と、木曽川だけは、今も昔も同じだった。



by rev_ushioda | 2018-11-14 11:51 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


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