「中山道20~22日目 馬籠宿~野尻宿」木曽路に入る

ここでどうしても街道に行きたいと思い、日程の遣り繰りをした。
結果、1週間の母の預け先が病院となり、それだけで相当な費用が嵩んだが、晴れて中山道に立つことができた。1年ぶりだ。今回も孫と一緒であった。孫は1年生の時に岐阜県に入り、中を飛ばして、今年6年生で岐阜県から長野県に入ったことになる。去年、5年生の時に江戸時代からの国境を通過したはずだが、13年前の市町村合併により、「県境」は東に移動。今年、「長野県」に入ったのである。

1日目(7月30日)馬籠宿
馬籠に車を停め、妻籠まで。バスで馬籠に戻って馬籠宿観光。島崎藤村で一躍有名になった、そして、坂の宿場として有名な馬籠に立つのは、一つの小さな目標でもあった。
途中の道は、中山道きっての観光コース。といっても、出会うのは外国人ばかり。あと熊除けの鐘。100メートルも行かないところにまた設置されているという具合で、かなり危険なコースのはずが、外国人家族が山の中の谷川で水着になって遊んでいるのには驚いた。
宿場は坂の途中にあって、いきなり上りだし、馬籠から峠までの道は、ずっと上り。いきなり上り続きで、林の中とはいえ、着いて、いきなり、かなりきついスタートとなった。
しかし、馬籠宿は、坂の宿。そのため、遠く恵那山まで山の緑がつながって、目を転じれば中津川方面に「下界」の景色が開けていて、景色のすばらしい場所であった。中津川方面を見ながら、『夜明け前』にも中津川へのあこがれが書かれていたことを思い出す。しかし、ついに13年前、あこがれの中津川市に編入したというのも、ここに立ってみて、面白く感じた。

2日目(7月31日)三留野宿
鉄道(JR中央線)から離れたところにあるのが、馬籠、妻籠である。それゆえにホテルから妻籠に戻るためには、この日は電車と、バスの時刻表とにらめっこになる。まず、ホテルじたい、駅までバスを使うので、選択肢はほとんどなく、これで行くしかないという乗り継ぎで、11時…だったか、妻籠着。着いて早々、資料館にしている脇本陣に入ると、また係りの人がよく説明してくれて、お昼の時間にもなって、食事を済ませたらすっかり出発が遅くなった。
昔の面影を色濃く残す妻籠宿は、さすがに町並み保存の旗手だけに、どこを歩いても、江戸時代さながらである。妻籠宿や東海道の関宿を抜いていると感じた。
三留野宿を経由して野尻宿を目指すも、あまりの暑さのため、途中にある無人駅、十二兼駅でリタイア。電車が何と2時間半も来ないため、時間的には今までだったら先を目指せないわけでもなかったが、暑さのため、断念。自販機もない無人駅で、延々、電車を待った。
途中の木曽川沿いの道(国道19号線、写真)は炎天下、厳しい道行きとなったが、実はこの場所、街道時代は押し迫る山と川の間にかけられた「桟(かけはし)」があり、中山道の最大の難所であった。いかにも、という感じの場所である。今は、コンクリートで固められ、足元は何も恐れはないが、江戸の人々は、こういう場所を通過するために本当に怖かっただろうと思う。今日の我々には、日蔭のない厳しい難所であった。

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」(『夜明け前』)

3日目(8月1日)野尻宿
十二兼(じゅうにかね)駅から、野尻宿。
あいかわらずの田舎道を上ったり下ったりの道行き。途中、家の庭先と思うような場所を、街道は通っていた。その1軒のおばあちゃんに声をかけたら、暑いでしょうと、ペットボトル1本の良く冷えた水をいただいた。
今回は計24キロ。通常より10キロおさえた形だ。全国的に「危険な暑さ」と天気予報士が言っているなか、安全を優先し、道行きの楽しみは次回に譲った。

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by rev_ushioda | 2018-08-03 13:33 | Comments(0)