「聖書に聴くために」

来週から「気持ちの聴き方」講座の第50期クラスが始まります。ところで、この講座の理論は、カール・ロジャースの「来談者中心」という考え方です。平たく言えば、相手の中にあるもの(環境、価値観、感情の動き)をそのままに読み取ろうとするものです。聞き手は、何かの先入観やテクニックによって相手を見ようとするのでなく、また、ただ時間をかけて聞いていればいいというのでもなく、相手の中にあるものをそのままに読み取る姿勢とか態度が大事だという考えを「来談者中心」と言います。ロジャースは、聴き手が備えるべき3つの原則を上げています。第一は、無条件の肯定的配慮。相手のありのままの態度・価値観などを無条件に受け容れること。第二は、共感的理解。相手の感情を自分自身の感情として受け止めること。第三は、自己一致で、自分を偽らず、自分自身に対して誠実なことであり、あるがままの自分を受容していること。 ― 言ってしまえば、それだけのことですが、私はこの考え方や実際の訓練に出会って、自分が何であるか知ることができたように思っています。私は気づいていなかったのですが、それまで相手を無条件に肯定できない、相手の感情をそのまま受け止めることができない、自分自身さえ一致していない、そういう自分がいました。訓練の中で初めて、そういう自分に気づいたのです。なぜこの話をするかというと、そのことは、聖書を読む姿勢につながっていくからです。私たちは、自分の価値観や思い込みでしか、聖書を読むことができない。また、主イエスの「憐れみ」という、はらわたを引きちぎるほどの感情を理解できない。さらには自分自身さえ偽る、ということをするのです。そういう自分がいたら、少なくとも自分に気づこうとしなかったら、聖書の言うことは伝わってこないのです。気づくというのは、そこで、ある程度の訓練が必要なのです。その訓練が、「気持ちの聴き方」という学びと共通します。予断を持たず、聖書の言うところ、主イエスの言うところをそのままに受け止めることの何と難しいことか。しかし、だからこそ、「聴く」ことの良い訓練をしたいのです。「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(フィリピの信徒への手紙第2章5節・文語訳)
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by rev_ushioda | 2018-05-04 20:15 | Comments(0)