「憲法記念日を前に」

私は、信仰上、殉教者の「孫」に当たると、再三、お話しています。80年近く前、私の信仰上の「祖父」を含む7人の牧師は、教会に踏み込んだ刑事に連行され、投獄の末、結局、国家によって殺されました。根拠となったのは「治安維持法」という悪法でした。
昨年、この「治安維持法」と全く同じ性質を持つ法律(「共謀罪法」)を政府が強行採決したことは皆さん、御存じでしょうか。また、今年からは学校で「道徳の教科化」が実施されます。しかし、国が定める「道徳」とは、国のための個人、ということが根底にあるのです。歴史を振り返れば、この道徳に反する人は「非国民」となります。こうして歴史は繰り返されます。
このように今、国が、個人の内面に影響力をもって迫ってきているのです。時代は確実に逆行しています。だからこそ、個人の内面を監視して国の意向に沿わない者を「非国民」として密告するような時代になるのを止めるために、憲法が大事だと、さかんに言われているのです。なぜなら、憲法は「国」つまり為政者を制限するものだからです。(今の政府は次々と法律を定めることで憲法を骨抜きにして、ついに自分に制限を加える憲法をさえ変えようとしています)
「憲法」と聞いて、私たちが感じるのは、私たちが守らなければいけないことが書いてある、ということではないでしょうか。しかし、憲法は誰が守らなければいけないかというと、国(総理大臣などの為政者)なのです。私たち(国民)ではありません。為政者は、憲法によって命令されているので、自分勝手な政治はできないことになっているのです(日本国憲法99条)。しかし、これを窮屈に感じた政府は、10年前、その憲法を変えやすくするための法案を通しました。自分に都合の良い憲法を作ろうとして外堀が埋められたのです。このまま進むと、国が私たちの心を自由自在に操作することが出来るようになってしまいます。私の信仰上の「祖父」が連行された「茶色い朝」が、再びやって来るだけでなく、平和の根幹である「9条」が変えられてしまい、私たちの子ども、孫たちが、戦争のために徴兵される時代が現実になります。

憲法の話をすると引いてしまうのは、「法」という字があるからでしょう。しかし、もう一度言うと、憲法を守らなければいけないのは私たち国民ではなく、国(政府、為政者)なのです。それが日本国憲法の根幹、「立憲主義」というものなのです。
主イエスの時代、ローマ帝国皇帝が、また日本では明治時代以降、天皇が国家によって神にして主であると教育されました。イエスが神、また主であると告白したキリスト者は迫害を受けました。そういう時代を再来させないため、私たちキリスト者は、信仰者の良心をかけて、政府の都合の良いように憲法を変えさせない戦いをするのです。


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by rev_ushioda | 2018-04-20 11:53