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「線で読む聖書」

聖書は1冊に編集され、製本されていますが、実は66もの小さな「本」から、できています。その1冊、たとえば福音書を、日曜日の礼拝で少しづつ読んでいくと、読み終わるまで2~3年かかります。一気に読めば数時間で読めてしまうものを、2年、3年かけるのです。
私は、このような長さで聖書を読むということは、本当に大事なことだと思っています。2~3年といえば、そこにはどういうことがあるでしょうか。楽しいことも、もちろんあるでしょう。しかしまた、人間関係が悪くなることも、リストラに遭うことも、あり得ます。病気をしたり、思いがけない事故に遭うことも、そして、家族の誰かが亡くなるということだって、あります。
泉教会は、死去、転居、高齢化、転籍などが重なり、この3年間で11人が礼拝から離れました。30人弱まで伸びた礼拝が三分の二になったのです。思いがけない打撃を受けています。
そういう2年、3年にわたって聖書が読まれるということは、聖書は、今言ったどの例に対しても問題をごまかしたり、逃げたりしないで答えている、ということになります。
アメリカのあるキリスト者の家庭にホームステイさせてもらった時のことです。その家庭は、数か月前に息子さんを自殺で亡くされていた、ということを知りました。そういうことだったら、いくら予定されていたこととは言え、ホームステイを断わってくれてもよかったのに、と思いましたが、彼らはそうしませんでした。お話を聞きながら気付いたことは、この辛い出来事の前にも後にも、彼らは教会の礼拝に通い続けていた、ということです。聖書を読む生活を続けていた。聖書は、このような思いがけない出来事にも、問題をごまかしたり、逃げたりしないで、この家庭に語りかける言葉を確かに持っていた、ということでした。
すれ違いざま、ひと言ふた言、言葉をかけて終わり。責任も持たない、という時代に、聖書の言葉は2年、3年どころではありません、生涯にわたって、私たちに責任を持つ言葉であるのです。そのことを、私は40年の牧師としての経験から、そして50年にわたって聖書を読み続けてきた経験から、確信することができるのです。

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by rev_ushioda | 2014-05-26 06:34 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


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