2013年 02月 26日
「そこに教会がないなら」
この本の中で、著者は、いわゆるニュータウン、それも新興住宅地の典型である「相鉄いずみ野線」沿線こそ、心を支える宗教というものが必要である、と言います。町には、心をいやす場所がないといけないと言うのです。そして、著者自身は教会に行っているわけではないと断わりながら、ここがどうもおかしいところなのですが、心を支える宗教として、「教会」をあげているのです。モダンなニュータウンにやさしさ、ボランティア精神の豊かな人々を集めたいなら、キリスト教会とミッションスクールを誘致するのが最もふさわしいとも言います。
この著者によると、町に教会が必要な理由は「心のいやし」だと書いていますが、その通りだと思います。私たちは、心が渇いているのです。心が叫んでいるのです。そして、心が泣いているのです。組織化された学歴社会、皆同じ考え方をしなければ仲間はずれにされる社会の中で、人は「自分らしさ」をなくして生きなければならない。叫びたくても、しかし声を押し殺していなければならない。飛行機が、飛行場に降りて羽根を休めることなく飛び続けているようなものです。がんばらなければならない。立派でなければならない。
そういう社会の中で、教会は、飛行場のようなものです。イエス・キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。教会は飛行場、いやしの場所なのです。本当の休みが与えられ、だから、本当の自分になって、ここから、出発できるのです。
