「キリ神同窓会」
2012年 07月 02日
神学校を1978年3月に卒業して、その後しばらくしてから開始された同窓会は、以後、毎年休まず行われてきた。同窓7人に、その連れ合いも参加して、だいたい10人になる。会場は、持ち回りである。
最近は、健康の話が大半をしめるようになった。特に、昨年は I 先生が大きな手術をされ、その後、幸いに落ち着いていたときでもあり、たまたま、会場も I 先生の教会であったということで同窓会には参加されたが、今年は、欠席された。次の手術のための検査の結果を聞く日と重なったという理由ではあったが、健康の理由で欠席者が出たのは、記憶する限り、たぶん、初めてのことであった。同窓の友たちは、それぞれ、健康に不安を抱えるようになった。一回一回こうして集まることを大事にしようと、昨年はその思いを新たにし、再会を感謝したが、今年はその友を欠いて非常に寂しい思いをした。
そういう中で、お昼の時間、今年の会場担当となった H 姉が、秋川渓谷にある食事処に案内してくださった。今は会社の社長である彼女は、私たちのために特別なもてなしをしてくださったのだ。その場所といい、食事といい、とてもここに書けるようなものではない。普段の生活からはかけ離れた環境と、もてなしに、ただただ感謝。日ごろの心労もいやされ、ゆっくりと時間が流れ、気づけば4時。渓谷に下りて、散策し、景色をもっと楽しみたかったが、遅くなるので、そこで散会。
同窓会は、当然のことだが、いずれ誰が欠けるかという話にもなる。しかし、若い日に東久留米の神学校で出会い、そこからそれぞれの場に遣わされ、今、こうして年に一度の出会いがゆるされていることは、これもまた、天に通じる道の一里塚だと思う。東久留米から出発し、今ここに立って先を見れば、必ず、天に通じるのである。病と向き合う、I 先生の健闘、平安を祈る。
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この文章を同窓会報として送りたいのですが、それでいいでしょうか。
そのために読み直して、多少、修正しましたが、固有名詞のところは一任します。
近くに住んでいたのですか! 今、ネットの地図で見ると、そこには何軒かの住宅が建っていますね。本当に懐かしい場所だし、校名も変わってしまい、ついに組織的にもなくなってしまいましたから、本当に懐かしい名前になってしまいました。東久留米時代最後に位置するのが、私たちのクラスです。