「大山道」
2012年 02月 22日
さて、その編集に入れるのが、「大山道」の記事である。教会のすぐ近くを通っている古道なので、取り上げようと思った。そもそもこういう編集が、「新型」の意味である。さて、記事の内容をそのまま転載する。
見出し:
和泉町は旅人で賑わった!
小見出し:
和泉小学校から いずみ中央駅に抜ける細い道は、「大山道」という古道で、江戸時代に大山詣と遊山を兼ねた旅行をする人たちで、たいへん賑わった。
本文:
この道は、戸塚(不動坂)から始まり、国際親善病院横から住宅地を抜け和泉小学校入口信号~和泉小学校~いずみ中央駅~長後を経て大山に至る道です。江戸から東海道で来た人々は、戸塚の柏尾から「大山道」に入り、和泉町内を通って行くわけです。なるほど、写真の庚申塔から、元ナリタヤさん辺りまでだけでも、探せば4つもの古い道標、供養塔が見つかります。
江戸から来た人々が私たちの和泉町内を往来したと考えると、ロマンを誘います。
東海道などは、時の権力によって出来た政治と産業の道。そういえば東海道四百年を機に一気に東海道ブームで、東京(江戸)から京都まで歩いていこうという人が多いのですが(筆者も完歩!)、一方、大山道は大山詣と遊山を兼ねた旅行目的の道で、「庶民の道」と言って良いでしょう。
写真は「和泉小学校入口」交差点にある庚申塔。
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私もポスティングの時に見かけました。
元ナリタヤサンの響きがすでに?なつかしいですね。
我が家の前の道も「鎌倉道」とのこと。
これは、まさに時の権力者の本拠地へのルートで
さしずめ、パクス・ロマーナ ならぬ
パクス・カマクラ??