「感情転移」
2011年 12月 04日
感情転移には、2種類があって、一つ(陽性転移)は、聞き手に、信頼・尊敬・感謝などの感情を持つことを言います。他の一つ(陰性転移)は、聞き手に、不信感・猜疑心・攻撃心・恨みなどを持つことを言います。どちらも、本来、向き合うべき対象に向けるべき感情を、今出会っている対象に抱く感情のことです。その時(幼児期)に出せなかった感情を、話を聞いてくれる対象に向けるのです。上の2種類の感情は、正反対のように見えますが、根は同じです。どちらも話をよく聞いてくれる人に依存的で、幼児のように、まとわりつくといった特徴があります。
教会では、お互いが人間として向き合っていこう(よく話を聞こう)とします。すると、そこで起こりやすいのが、感情転移なのです。今まで経験できなかった人間らしい関係の中で、まず、信頼感、尊敬心が強くなり、全面的に信頼したいと思うようになります。しかし、反対に、ちょっとしたことで「つまずき」、急に熱が冷めて、もう教会に行きたくなくなります。その根は同じなのです。なぜそういうことが起こるのかというと、その信頼や尊敬を、本来、向けていなければならない対象に対して向けていなかったり、または、その怒りを本来、向けなければならない対象に向けていなかったりしているからです。一方、そういう宿題を持つ人が安らぎを求めて教会においでになるとすれば、いよいよ感情転移は起こりやすくなります。
教会は、主イエス・キリストに出会うと同時に、自分自身と出会う場所です。たとえば、何かの拍子に、仲間の誰かに対してや牧師に対して不満や怒りを感じたとき、その不満や怒りは、今まで向き合ってこなかった誰か、に向けるべき怒りであったりしないでしょうか。私たちは、受け入れられて、初めて、自分の感情と出会います。そこに出てきた感情は、自分が「宿題」としてきた、大事な感情なのかもしれません。「陽性」「陰性」問わず、正しくその感情と向き合うことができたら良いと思います。
謎は解けた、です。