「光輝く一瞬」
2011年 01月 25日
次女は6歳のとき、重い脳の病気にかかり、いのちを失いかけたが奇跡的に助かった。しばらく入院生活が続いた日々、病室で本を読むことに夢中になった。そして、ある日『アンネの日記』を読み、自分の誕生日がアンネと同じであることに気付き、驚きと共に深い感動を覚えたと、言ったことがある。私たちはアンネの誕生日が6月12日であることを知って次女を計画的に生んだのではないが、彼女に素敵なプレゼントができたように思っている。人はほんのちょっとした出来事との出会いで、自分の存在を誇りに思うようなことがある。そして想像の夢を膨らませ、その実現に向かって突き進むことができるようになる。
優れた小説や映画に出会うと、その瞬問、深い感動が押し寄せてくる場合がある。つまり、誰でもが、ある日ある時、ちょっとした光り輝く一瞬によって生きる支えが与えられる。それは他の誰とも違う、自分独自の感動であり、他人には説明できないものである。(聖書に出てくる伝道者)パウロについては、「彼の手紙は重々しく力強いが、会ってみると話は弱々しくつまらない」と言われている。外見上も障害があり、話もあまり上手ではなかったパウロである。そのパウロは、ダマスコ途上でイエス・キリストに捉えられ、自分の弱さや醜さをありのままにさらけ出しながらも毅然として生きる人へと変えられていった。ある日ある時、光り輝く一瞬によって生きる支えが与えられるのである。
今を生きる子どもたちが、ある日ある時、他人には理解しがたいものであっても突然に自分にとっての感動の一瞬が起こることを願う。(引用終わり)
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
…もしかしたら学校の礼拝で、このお話をして下さったことがあったかも知れません。でも、全然覚えていない自分にちょっとショックを受けながらも、自分では輝けなくても神さまにこの先の道を照らしていただきつつ歩みを続けて行きたいなぁ、と改めて思わされた私です。
そうですか、その後、Y女学院に転任されたとき、私はこの先生に出会いました。そして現在の学校に行かれたのですが、私はその時ちょうどY女学院でPTA会長で、一言二言ことばを交わした程度ですが、良い先生とお見受けしました。
このお話は、とても好きなお話です。