「東海道19~21日目 岡部~袋井」
2009年 01月 07日
ドーン、ドーン、ドーン(花火の音)
…ん?
お正月を過ぎた5~7日、私たちは休暇をいただいて、5ヶ月ぶりに旧東海道に出発した。直前まで、例によって風邪をひいたり、プライベートな問題があったりで気をもんだが、無事、出発。今回は、初めての2泊3日、また、二人の電車代が高くなったので、初めての車での往復を試みた。
起点は、去年の夏に汗だくで到達して以来ストップしたままになっていた岡部、終点は袋井である。この袋井は浜松手前にあり、江戸から27番目、京からも27番目、つまり、「東海道どまん中」の宿場である。ついに半分の地点に到達したのだ。(距離的には、あと2里、8キロほど行かなくては中間点250キロに届かないのだが)。何と「東海道中間地点 仲道寺」とか、「東海道どまん中東小学校」とか、いたるところに書いてある(写真)。立派な表札がかかっているので、え~と思って、よく見たら、隣には「袋井市東小学校」と、ちゃんとした校名があった。なかなかユーモアに富んだ市である。お寺のほうの名前は、どうやら本当にどまん中の意味で「仲道寺」らしい。距離的には、袋井市に入ったばかりで中間点はまだ先なのに、名物というのは、どうやら自分で作るのだ。
少し話を戻すと、今回のコースには、大井川があった。もちろんここは国道に架かる橋(80年前の鉄橋)沿いの歩道を渡ったのだが、渡り終えるまで15分、1キロである。さすが大井川。その手間に川越遺跡や、当時の建物などが残されていて、興味深かった。で、川を渡るのに、この方にお世話になった(であろう…昔は)
大井川を渡ると、「遠江(とおとうみ)の国」である。「駿河の国」を抜けたのだ。今でこそ静岡県であるが、昔は、二つの国であった。「近江(おおみ)」に対して、「遠江(とおとうみ)」。遠州という名前の入った会社、鉄道を目にするようになった。また、新しい未知の国に入ったのだ。
川を越えたところから続く小夜中山峠の厳しかったこと。箱根越えに匹敵する難所だった。足元から、山の向こうまで、どこもかしこも、お茶畑であった。
面白いことに今までいくつかの峠は、川を越えたところにある。箱根も、さった峠も、宇津の谷峠も、小夜中山峠も、皆、川越のあとにある。そして、歌人の歌碑がいくつもある。峠のいうのは、歌が生まれやすいのか。峠越えの苦しさ、寂しさの中で、古来、人は都を想い、愛する人を想うようだ。
もう一つ。1日目15キロ、2日目20キロであったが、両日とも残り2キロがどうしても歩けず、リタイアした(電車、バス利用)。まあ、無理せず、人生、残り2キロは人に助けてもらうことを考えると、気楽になれるし、視野も広がるのである。完璧は、立派と言う評価をもらえるが、それはいかにも窮屈ではないだろうか。助けはいつでも、どこでも、あるものだのだ。
峠越えの途中に「すべらず地蔵」というのがあった。冗談に言った。「秀子さんがすべらないようにお願いしまあす!」。直後、彼女が「あ、折れちゃった」と言う。彼女が手に持っていた、杖にしていた木の枝が、折れた。あまりの妙なタイミングに、二人で苦笑しながら、峠を越えた。
藤枝で泊まった宿から、小高い丘の上にあったためか、富士山が見えた。横浜から見る富士山より、距離ははるかに遠くなっているが、よく見えた。
電車の案内図。右が豊橋、左が熱海になっている。 東京、横浜の名前がないと、気持ち的に安定感がない。
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街道の魅力は歩かないと判らないので理解しがたいものもあるとは思いますが辛いことも大変なことも最後は全て楽しい思い出になるので、是非、頑張って下さい。
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中仙道は高崎で挫折しています。歩く距離や費用的には甲州街道は良かったです。(爆)
今はバイクでときおり宿場ツーリングしています。
東海道、やはりご夫婦で完歩されたのですか。
そうですか、そうですか。^^
今月末、2泊3日で行きますが、
袋井からの行程計算がうまく合わず、
ウルトラCを使って、とにかく愛知に入ります。
とにかく、ここで静岡を抜けたい、、です。
はい。がんばります(経済的に)。