人気ブログランキング |

.

牧師の部屋にようこそ     
  





これは牧師の個人的なブログです。
まず、教会の近くからの景色をご覧ください。これが教会のある場所です。
晴れた日の夕方は、この場所は「観光名所」になります。


 ブログ村 >  「歩く旅」  から来られた方は・・・
     → 右の「タグ」から、 「東海道を歩く」「中山道を歩く」「大山道を歩く」 を
        クリックしてください
       
       
  

 テーマ別に読む  一般の方は、右の「タグ」から 「電話メッセージ」をお勧めします。 
     私の趣味は旧街道歩きです。関心あれば、「東海道/中山道を歩く」もどうぞ。


3.教会案内


    → 泉教会地図・教会案内は ここ 

    → 泉教会ホームページは ここ
      
4.ツイッター
    → https://twitter.com/kenn__ushioda

ご注意:ブログ前後に付けられる広告は、当方と一切関係ありません

# by rev_ushioda | 2019-12-31 23:59 | Comments(0)

「FMCワーク」

きょう、FMCワークに運営委員会の一人として、参加。
毎年、夏の使用に備えるために運営委員会、財務委員会ではこのようなワークを実施している。何と財務委員の一人、80歳のN姉も参加するというので、妻も送り出すだけ、というわけにもいかず、参加(という名目でついて行ってもらった) 6時半出発、9時到着。人数も8人いて、草刈りの下準備もできていたこともあり、建物の高圧洗浄作業も入れても1時半頃にはほぼ終了。
それから向かったのが、地元で有名な富士宮焼きそばの店。あまり力を入れてない、というか掘立小屋のような店構えなのに、外国人も立ち寄るらしい。以前、旧東海道ウオークでこの辺りを通過したとき、矢野先生に御馳走して戴いた、その店だった。お腹いっぱい食べて、帰路についた。…ところ、東名高速に乗ったとたん、嫌に警察車両が多いのに気づく。見るといろいろな県の名前が。そうか、G20大阪サミットの帰りか! つける必要もないのに赤色灯をつけて何十台もの車が行進しているのをみて、やってきたぜ、みたいな虚勢というか、示威に感じた。 

それはともかく、今回は、明るいうちに帰宅でき、満足。

f0086426_19225842.jpg

# by rev_ushioda | 2019-07-01 21:50 | Comments(0)

「訪問」

きょう、先週お誕生日を迎えた母のところに、礼拝後、教会の皆さんが母を訪問してくれた。ハッピーバースデーを歌うと、母も満面の笑み。一人一人に声をかけ、冴えているところを披露。皆さん、逆に励まされてしまった。
そして、聖餐式をすることができた。
自宅介護3年目の昨年、百歳の誕生日には自宅を訪問してくれた皆さん、施設に移って1年目、今度は施設に訪ねてくれて、このような皆さんの気遣いにうれしい、感謝な日であった。

f0086426_19424837.jpg

# by rev_ushioda | 2019-06-30 20:40 | Comments(0)

「母101歳」

きょう、母が101歳の誕生日を迎えた。
施設に入所して1年近くになる。認知はなく、耳が遠いので会話に苦労するが、聞こえないわけではない。よくわかるので、食事の味がいまひとつと言い続けていて、それだけが残念なことだが、何でも持って行って食べることはでき、おやつなどはおいしくいただく。
先日、教会の写真がほしいと言うから、大きく引き伸ばして持って行ったら、教会に行きたいなあ、と。信仰の事は心もとないが、洗礼は受けている。すべて主にゆだね、写真は、壁に貼った。

f0086426_21220505.jpg

# by rev_ushioda | 2019-06-26 21:29 | Comments(0)

「公開講座全7回終了」

きょう、気持ちの聴き方講座、全7回が終了した。年2会しているが、前回から10回を7回に変更し、その代わりに1回につき3時間とした。時間数は変わらないが、1回3時間は、なかなかきつい。スタッフや、遠くから来られる参加者もあって、回数的に参加者の負担を減らす目的だが、しばらく様子見か。
今回は8人。傾聴ボランティアをされている方、お仕事で傾聴を求められる方もおられ、それなりに学習、訓練を重ねてこられた方々である。そういう方々が毎回おられ、市民講座とは言いながら、それらの学習の上にさらに学ばれるわけで、恐縮しっぱなしである。(と言いながら21年越えて続けているのは少々図々しさもあるか…)
来年は、座間でも新たな拠点で講座を開設する方向で調整中である。自分が専門の牧師の働き以外で社会的に用いられるのはこのくらいのこと。用いていただけたら幸いと、健康の許す限り、続ける努力をしたいと思う。


# by rev_ushioda | 2019-06-26 21:18 | Comments(0)

ごぶさた、です。(誰に言っているのか? 自分に?)
4月に中山道に行っているのに、どうも時間のやりくりがつかず、書くことが楽しみなのに、それができないままだ。
そうこうしているうちに、こんな記事に入り込んだ。仲間の教会でしたというプログラム「ラビリンス」。ネットを読むと「ラビリンス ウォークは、黙想や祈り、グリーフケアやストレス軽減、コミュニティづくりのために

欧米各国の教会・大学・病院・ホスピスなどで行われている活動です。」と書かれていて、私も、以前、体験したことがある。
カトリック教会では十字架の道行きは何度か体験し、紹介もしているが、これは、おもしろい、という感想か、苦手、という感想か、自分でもまだ判断がつかない。どちらかというと、工学系の頭では、このような作業は苦手と言った方が正直な感想だと思う。
しかし、それも「時」があるのかもしれない。悲しみの時、喪失の時、無力を感じた時、怒りの時など、もしかしたら、この祈りの作業は意味が出てくる気がする。

https://megumiboxy.exblog.jp/21672355/



# by rev_ushioda | 2019-06-04 10:01 | Comments(0)

「宣教主事」

私は今、中会から「宣教主事」という立場に任命されています。1、2年前から、中会にこの職務を設けようという話が出て来ました。宣教主事とは、中会の中で組織的にどこにも所属せず、各個教会の宣教の働きに協力する、というのが主な使命です。それを聞いた時、私たちの教会のことを考えました。後任者がいない私たちの教会のことも話を聞いてもらえるのか、うれしいな、と率直に思いました。しかし、「あなたがしなさい」と言われたのです。とても悩みました。だいたい教会はどこでも、伝道とか、宣教の働きを真剣に考えない教会はない。いったいその上、外の人間が何を言うことができるだろうか、と思ったからです。恐れました。しかし、協力するとは、まず「話を聞く」ことから始まる、と思い直した時に、心を決めたのです。はからずも一緒にこの働きを担うM兄が、英語で宣教主事は「ミッション・カウンセラー」と表記するのはどうか、と提案してきました。自分が持っているものに気づき、それに意味を与えて行く、その人の傍に対話の相手として居させてもらえる者が、カウンセラーです。言い得て妙とはこのことです。その向き合う対象は個人であっても、教会であっても、同じことです。真剣に伝道を考えている教会に対して、何かを提案するのではない。教会が、自分が持っているものに気づき、それに意味を与えて行く、その傍に対話する者として居させてもらえる者がカウンセラーであるなら、それだったらできるかもしれない、と思っています。今は手探りの状態ですが、実際、手探りがちょうどいいと思っています。経験や知識でもって先んじてしまったら、カウンセラーの働きはできないからです。分かって伝道の成果を上げている教会には宣教主事の働きは必要ないでしょう。しかし、わからない中を一緒に何かに気づかせてもらって、一緒に意味を発見していくことがこの働きなら、初めも終わりも、手探りがちょうどよいのです。「花がきれいですねえ/誰かがそういって/うしろを過ぎて行った/気がつくと目の前に/花が咲いていた/私は何を見ていたのだろう/この華やかな/春の前で/いったい何を/考えていたのだろう」(星野富弘)このうしろを過ぎて行ったという、「誰か」わからない人になれたらと思います。
# by rev_ushioda | 2019-05-12 23:03 | Comments(0)

「召命」

私は今年、牧師になって40年を迎えました。イースターの日に、教会の皆さんに祝って戴き、改めて、心から感謝申し上げます。(個人的には、洗礼を受けてから今年の12月で、50年を迎えます)
そしてはからずも今年、饒平名丈兄が神学校に入学されました。個人的な学びではなく、明確に牧師への思いをもっていますので、小会では中会に対して教職志願者として推薦することを決めました。

今から牧師になろう、というのです。年齢的にはギリギリだろうと思っていると、神学校には、さらに年齢が上の人がおられるのです。人の心を動かし、人に時を与えて牧会と伝道の働きに送り出されるのは主であると、私たちは認めざるを得ないわけです。主はある日、突然、アブラハムに、モーセに、ギデオンに、イザヤに… そしてガリラヤ湖の弟子たちに、普通に日常に生きている人々に、声をかけられるのです。それには年齢は関係ありませんでした。そもそも洗礼を受けるのに年齢はありません。主は、洗礼の手を頭に置いてだれでも信徒の職に任じてくださったと同じように、今度は、牧師の職に遣わすために、人に手を置いて(按手して)くださるのです。
中会の神学生になれば、その後は研修のために泉教会から離れます。私たちが送り出すのです。私たちは、受ける手を、今度は開かなければなりません。主が召されるとき、私たちは握っている手を放すのです。そこに、神の国の物語が生まれます。私たちの心の中では、どうでしょうか。主が働きかけているのに、何か握りしめてはいないでしょうか。
私たちの教会は、物語を作る教会です。教会がそういうところなのです。主の物語を作るようにと、主は私たちを召されるのです。もう終おうかと思っている私たちに、物語を作ろうとする主の声が聞こえないでしょうか。

f0086426_23012251.jpg



# by rev_ushioda | 2019-04-28 23:57 | Comments(0)

「メメント・モリ」


今年から健康保険から外れたので、今までの一般健診の対象から外れています、と連絡を受けた。確かに、2年間の任意継続で協会けんぽに入っている。協会けんぽに直接問い合わせるように、ということだ。

トシをとる、ということは、自分では意識していなくても、いろいろ作業をすることで、嫌が上にも意識させられて行く、という感じである。メメント・モリ。必要な作業なのであろう。






# by rev_ushioda | 2019-04-20 12:02 | Comments(0)

「ガレージセール」

教会のガレージセールには、礼拝後の2時間半にもかかわらず30人以上の人が立ち寄っていただいた。おしゃべりしていく人もいて、とても有意義なひとときであった。もちろん教会の仲間も、非日常性を、けっこう楽しんでいたようだ。
準備は数人に大変な思いをさせてしまったと思うが、年に一度のこのことのために、献身的な奉仕をしてくださった。
私は、土曜日に夏みかんの木に登ってみかんを獲り、日曜日は夫婦で朝6時から薪でお赤飯を炊いて、また、あれこれ走り回って…  木に登ったため、腿の筋肉が痛い。今年からイースターと分けて実施するようにして正解だった。

f0086426_23221703.jpg


# by rev_ushioda | 2019-04-14 23:21 | Comments(0)