.

牧師の部屋にようこそ     
  





これは牧師の個人的なブログです。
まず、教会の近くからの景色をご覧ください。これが教会のある場所です。
晴れた日の夕方は、この場所は「観光名所」になります。


 ブログ村 >  「歩く旅」  から来られた方は・・・
     → 右の「タグ」から、 「東海道を歩く」「中山道を歩く」「大山道を歩く」 を
        クリックしてください
       
       
  

 テーマ別に読む  一般の方は、右の「タグ」から 「電話メッセージ」をお勧めします。 
     私の趣味は旧街道歩きです。関心あれば、「東海道/中山道を歩く」もどうぞ。


3.教会案内


    → 泉教会地図・教会案内は ここ 

    → 泉教会ホームページは ここ
      
4.ツイッター
    → https://twitter.com/kenn__ushioda

ご注意:ブログに付けられる以下の広告、および冒頭の広告は、当方と一切関係ありません

# by rev_ushioda | 2019-12-31 23:59 | Comments(0)

「東京神学大学訪問」

年末に、東京基督教大学(千葉県印西市)の学長を訪ね、今日は、東京神学大学(東京都三鷹市)の学長を訪ねることになった。運営委員会のミッションとしてであるが、学長を訪ねるというのは、一緒に行ったM牧師ではないが、やはり緊張することである。特に、大住学長は人を見抜く力がある(M牧師談)という事前情報もあったが、しかし、穏やかな人柄に魅かれるものがあった。
早めについたのでICUの庭の散歩をして緑の豊かさにほっとし、娘が卒業したルーテル神学大学の庭を通って娘の4年間の生活をふと思って懐かしく思い、緊張とは別に、何か良い時を持つことができたひとときであった。


# by rev_ushioda | 2019-01-18 17:23 | Comments(0)

「今年の歩き始め」

新年も8日経って、おめでとうでもないが、そういうあいさつで今年の牧師会が開催された。説教の演習と、午後はテキストの学び。私たちの牧師会は結構、学びの質が高いと思っている。最近、神学校で教える者、教団関係の雑誌などに執筆する者などが多く、私など、年齢だけは高くなっても、そういう仲間たちについて行くのに、もう大変である。もちろん、合間に交わりがあって、4時間。今年もそれぞれ遣わされた場でよく主にお仕え出来ればと思う。
帰りは、自宅まで2時間50分、歩いて帰宅。さすがに歩き続けるのは疲れ、2時間が限度か。例の中山道では、休み休みなので、けっこう歩けるのだが…
というわけで、今日は、クタクタにつかれた。いや、午前中の質の高さについていくことではなく…

f0086426_22092212.jpg

f0086426_22094021.jpg



# by rev_ushioda | 2019-01-08 22:06 | Comments(1)

「干支」

亥(い)」年の人はイノシシのように猪突猛進型の人だとか、「子(ね)」年の人はネズミのように蓄え心に長じてケチンボだとか言われます。この「干支(えと)」は、もともと生命の循環を意味する十干(じっかん)と、十二支(じゅうにし)とを組み合わせた、60年で一周する数え方であり、「干支」はその十干十二支という日の数え方に、あれこれ因縁が付けられて迷信化したものです。それで1872年(明治5年)に、政府がそれまでの太陰暦から太陽暦に切り替えた理由の一つは、事の善しあしは別にして紹介すると、迷信との悪縁を断つということでした。すなわち「日の善悪…妄誕無稽ニ属シ、人知ノ用達ヲ妨ゲルモノ」(太政官「改暦布告」)と言われています。
まして、今日、キリスト教徒、キリスト者がそのような迷信に惑わされていてはならないと思います。神が創造された「日」「月」「年」は、すべて良いのです。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31) その年に生まれたから、そういう人間になる、ということはないのです。
いつの間にかハロウインが定着し、クリスマスが過ぎれば、初詣、節分、バレンタインデー、ひな祭り、などと続きます。結婚式はキリスト教、子どもが生まれれば神道でお宮参り、葬儀は仏教と、日本人は分別なく何でも採り入れますが、聖書には、こう書かれています。「ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。」(ガラテヤ4:8~11)年賀状に干支を描くという「遊び心」までは良いにしても、自分が採り入れているその理由、意味を、キリスト教徒は、しっかり信仰によって説明できるようでありたいと思います。


# by rev_ushioda | 2019-01-03 12:50 | Comments(0)

「1年を振り返って」

1年を振り返って思うことは以下のようなことだ。

1.母が特養に入所したこと
2.来年度の教会勤務をパート体制にしたこと
3.外部講演がおおかったこと
4.ツイッターを始めたこと

3年前、母が倒れ、あれほどてんやわんや大騒ぎしたことも、その後の3年間、自宅介護で不自由な生活を送ってきたことも、何か遠い昔のように感じる。過ぎてみると、思い出すのに難しいくらい、大変なことは忘れている。今、誰もいない部屋を見ると、次第に思い出されてくるが、シモの処理、ベッドから車いすへの移動、あれ、どうやってたっけ… という感じである。特養入所も、あれだけ悩んだのは、最近のであった。今は、自宅にいた時よりも生き生きしている母であるが、しかし、空っぽになった部屋は物悲しく迫ってくる。
写真は、特養で100歳を祝ってもらった時のもの(9月)。区、市、県、国からのお祝いを受け取り、うれしそうであった。

教会との契約をさらに2年延長した。今後の事は引き継ぎ人がいないこと、経済的にはもう少し先にならないと、引き継げないという事情もあり、延長は、やむを得ない。いろいろ考えて、来年度から、勤務形態としてはパート体制をとることにした。教会の事に関しては、大切な決断をこれからも続けることになるだろう。最大の課題は、後継者が見いだせるかどうかである。

外部講演が多かった。社会福祉法人の依頼で3回、傾聴ボランティアに1回、ケアマネさんのための講演に1回。加えて、地元の9条を守る市民団体の依頼で平和講演が1回あり、そこで地元宗教者との出会いもうれしかった。
それぞれに新しい出会いをいただき、今後の交流の発展に期待したいと思う。

f0086426_10575099.jpg



# by rev_ushioda | 2018-12-31 10:26 | Comments(0)

この忙しいときに、と思ったが、何とか二日を空けて、伊東(伊豆高原)行きとなった。
この旅行は、プレゼントである。時期的には出発当日も、2時まで、教会で区民クリスマスの印刷作業をこなし、そのあとからの出発という厳しさがあったが、忙しいから、こその、「夢のような」一泊となった。
とても、自費では泊まれるような旅館ではない。伊豆高原の別荘地内にある、高級旅館
しかも「離れ」(スイートルーム!)という超待遇。これはもう一生に一度しかないチャンスだと思って、お風呂も、希望したフランス料理も堪能した。そういえば、今年は教会に初めて行った時から50年。妻は、去年、70歳を迎えた。それはそれで湯河原に記念旅行をしたのであったが、そうだ、これは自分たちへのお祝いだ、と思い直した。
それにしても「またどうぞお出かけください」笑顔で話しかけられても、(こんなすごいところ、二度と来れるわけないでしょ…)「はい、ぜひ!」と答えたお愛想笑いの顔が、引きつってなかったかしら…
写真は、14畳だったかな、部屋の真ん中にあるソファー。寝室(ベッド)は、隣の部屋。寝室の先には、部屋付露天風呂が、その先に…一晩中、お湯が流れていた。部屋の前にはベランダあって、目の前は、山ももの原生林だった。
ちなみに、この大きな部屋で、妻は持ち込みのオルガンコンサートのプログラムの折り作業を、私は説教準備をしたのであった(笑)

f0086426_14564178.jpg


# by rev_ushioda | 2018-12-12 15:07 | Comments(0)

大磯にある澤田美喜記念館収蔵のキリシタン信仰画が、「16世紀末の安土桃山期のもので作品である可能性が高いことがわかった」と先週、メディアが報じました。和紙に書かれた巻物で、キリストの生涯の15場面が墨で描かれ、ラテン語の祈りの言葉の原音がそのまま、ひらがなで書かれているそうです。
私が感銘を受けたのは、「御出生以来千五百九十二年 はうろ」という記載です。御出生とは、イエス・キリスト御降誕のことで、いわゆるAD(主の年)1592年のことです。キリスト教は日本に1549年に伝来、豊臣秀吉は1587年にバテレン(神父・宣教師)追放令を出しましたので、その5年後の作品ということになります。秀吉がバテレン追放令を出し、やがて江戸時代のキリシタンの大弾圧の時代に入るのですが、その時代も、潜伏キリシタンとして、彼らは信仰を受け継いでいきました。中山道を歩いていると、山奥にもかかわらず、ここで彼らの遺物が見つかったとか、この寺にマリア観音があるとか、今でこそ記念されています。しかし、権力者が思うがままに政治を行う中、キリシタンたちは命がけで、「御出生以来」つまり「主の年(AD)」で歴史を数えていたことに感銘を覚えました。いかに権力をもっても、人間は歴史の支配者ではない、とキリシタンたちは証ししていたのです。
平成の次は何になるのだろうと、うかれていてはいけません。それ(元号)は、この世の支配者の歴史の数え方なのです。私たちキリスト者は、主の年で歴史を数えます。昔も今も、そこに一本、筋を通し、時の権力を相対化するのがキリスト者の在り方なのです。危険も顧みずそのような信仰画を残し、祈りの言葉を記録したのは、すべて、礼拝のためでした。礼拝という筋を通し、主の年を1年、また1年と刻んで行く。キリスト者の殉教の血が証しするバトンは、今、私たちの手に委ねられています。次の信仰者の手に確かに渡すために。


# by rev_ushioda | 2018-11-21 16:44 | Comments(0)

休暇は、ねじ込まないと永遠に取れない。前後にしわ寄せが来るのを覚悟で、この3日間を確保した。木曽路の続きである。宿泊は前回と同じ国民宿舎「ねざめホテル」。実は、木曽路の馬籠宿~福島宿間で、ベッドの部屋があるホテルは、ここしかない。前後移動はJRをかなり長距離、利用することになるが、布団ではなくベッドを求めて、ここを利用するしかなかった。
孫娘は今回も同行したかったが、娘「何か歴史的なもの、ある?」「今回は、ないかなあ」「じゃ、学校休ませるわけもいかないかなあ」 実は、前回、馬籠、妻籠を通った時、同行。街道をテーマに夏休みの自由研究にしたのだ。孫娘にとっては、今回は、残念デシタ。
到着地、木曽福島は、この先(東側)に、中山道中間点がある。いよいよ、ほぼ中間まで来たことになる。

第1日目 11月12日(月)野尻宿~須原宿
前回、この近くでお水をくれた家があった。あの時は、それほど暑かったが、今回は、晩秋。歩くにはきわめて快適な季節となった。ただ、紅葉を観るには、あと2週間ほど早く来る必要があったが… 
今回も、前回同様、木曽川、国道19号、JR中央本線と「並行して」木曽谷を行くことになったが、木曽路に国道やらJRやら通すとなると、この木曽谷の区間は山々が覆いかぶさるような地形なので、多くの個所が旧道の上に重なるか、廃道になり、旅行案内書いわく「中山道は、ズタズタに削られている」今は通れないところも多かったので、国道を歩くことになる。
それでも旧道があるので、その道を進むのだが、今回は道に迷い、あるお寺に「マリア観音」があるというので楽しみにしていた道には、残念ながら行くことができなかった。迷ったのは、東海道で一度、そして今回くらいである。
宿場にはそれぞれ趣があるが、須原宿は「体勝寺の建築や庭園」「桜の花漬け」「須原ばねそ」(郷土民謡で、ばねそとは、はね躍る衆という意味らしい)。そして「水舟」。街道沿いに檜の丸太をくりぬいたなかに湧水が注がれている。

第2日目 11月13日(火)須原宿~上松宿
木曽川沿いには、いたるところに発電所が設けられている。山から水を落としこみ、発電し、川に放流する、といった施設である。今回の道中で4、5か所見ただろうか。
須原から上松間12.6キロ、4時間歩き続けても、休憩する店が、何もない。ひたすら国道を歩くことになった。1軒は休業日。もう一つは、看板で期待を持たせておきながら、着いてみれば廃屋。がっかりだ。ただ、国道と言っても交通量はさすがに少なく、景色は晩秋の木曽谷である。歩いて快適であったことはうれしかったが、休憩施設が何もないのには、閉口した。妻も下の写真のポールを、ついには、ひきずる始末。それは名誉のために不掲載です(笑)。上松駅までなお50分ほどのところ、この日の通過点に、今回泊まったホテルがあって、そこでようやく昼食休憩でき、ほっとした次第…
この上松には、中山道の観光ポイントとなっている「寝覚めの床」がある。「天下の奇勝」とガイドブックには書かれている。何でも、浦島太郎が竜宮から帰って、今までの楽しい夢から「目覚めた」ところだ、そうな… 全国各地にある浦島伝説の一つである。

第3日目 11月14日(水)上松宿~福島宿
『夜明け前』はこう書いている。「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
前回もそうであったが、今回も、この小説にあるような、かつての難所を行くことになった。南木曽~野尻(実際は十二兼という駅辺りまで)そして、上松~木曽福島間、この区間の街道は、まさに「あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。」というところであった。現在は木曽川と国道、およびJRが並行して走り、コンクリートで固めて、難所ということはない。かえって、国道も新しい道に移った辺りは、落ち葉を踏みしめ、木曽川の流れを楽しむ快適な散歩道であった。しかし、このコンクリートの道を外して想像してみたら、にわかに、この道を行くのは命がけであったであろうことはすぐわかる。浅田次郎の『一路』にはその辺りの事が書かれていて面白い。そして、『夜明け前』である。あの道を、今、こうして歩く感動があった。下の写真は「桟(かけはし)」が保存されているところである。国道の下に桟の一部が見える。江戸時代のものだ。

やがて木曽福島駅。木曽路に沿って走るJRは、どの駅も、午後など2時間半待たないと、次の電車は来ない。来ても、特急の通過ばかりである。駅は無人駅。しかし、この木曽福島駅には、特急が停車していた。当たり前の光景だが、木曽谷を歩き続けてきた目からすると、感動であった。

f0086426_17583941.jpg
f0086426_18183846.jpg
国道下の石積みが、江戸時代のもの。この石積みの上を人々は行き来したのだ。写真の国道も、車は今は新道に回されて、通る車はほとんどなかった。山が覆いかぶさる景色と、木曽川だけは、今も昔も同じだった。



# by rev_ushioda | 2018-11-14 11:51 | Comments(0)

「大磯でコンサート」

大磯でコンサート、というチラシを見てすぐに申し込んだその日が来た。ステパノ学園のホールが会場であったが、初めて入って、その景色にすばらしさに感嘆。ホールの景色なんてあまり言わないが、写真のように正面に木陰があり、その隙間、眼下に見えるのは湘南の海、正面は逗子、左手に江の島が見える。この景色を見ながら声楽、ピアノ、パイプオルガン、ギターなどを聞く、最上のひとときだった。

f0086426_06274590.jpg

# by rev_ushioda | 2018-10-08 20:24 | Comments(0)

「後援会ツアー」

今年は勝沼に「ブドウ狩りとワイナリー・美術館の旅」で、秋の味覚を存分に楽しめる旅であった。
参加者は今年は6人と少ないながら、車中、楽しく会話をつづけ、道路も休日の割には驚くほどすいていたこともあって、あっという間に甲府盆地に。一面のブドウ畑の中を車を走らせ、目的地「ツチと実」という、名前だけ見てもこだわりのある農園に到着。季節外れの31度という気温であったが、甲府盆地に広がるブドウ園はさわやかであった。
この農園は時間制限なく巨峰食べ放題ということで、また、魚のつかみ取り、塩焼きを楽しめ、バーベキューもでき、ピザを焼くこともでき、一日、ゆったり過ごす家族連れが多かった。ところで、さあ、たべるぞ、という最初の勢いはすぐにへし折られ、ひと房を食べるだけで精一杯ということに気づくのに、それほど時間は必要なかった。家でひと房なんて食べたことがない私たちは、元を取ることもできなかったが、しかし、ブドウの味覚を十分楽しむことができた。ちなみに、私自身はブドウ狩りは初めてで、ブドウの木の幹が意外に太いことに驚き(写真)、棚の低さに身をかがめながら歩くことに閉口し、ひとふさ丸ごと食べる醍醐味に感激し、ブドウ園を後にした。
山梨県立美術館はミレーの絵を収集、展示しているところで知られている、ということに私は知らなかったが、光と闇を描き出す絵の素晴らしさよりも、巨額の県費でこれだけのミレーの絵をそろえた山梨県の度量の大きさに感動した(見方が違うか…)
美術館の前にある店の、ほうとうが、これがまたおいしかったこと。山梨県は、ほうとうでしょ。そして、そのあとマンズワインの工場により、ワインの試飲を楽しみ、ほんのりと顔を赤らめて、帰路についた。
昨年は横須賀の軍港めぐりであったが、今回は、まさに味覚の旅。一貫性がないと言えばその通りで、この容量の深さが、私たち、後援会の良さでもあると、ワインで気持ち良くなった頭で考えていた。

f0086426_06233119.jpg

# by rev_ushioda | 2018-09-25 23:23 | Comments(0)