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牧師の部屋にようこそ     
  





これは牧師の個人的なブログです。
まず、教会の近くからの景色をご覧ください。これが教会のある場所です。
晴れた日の夕方は、この場所は「観光名所」になります。


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3.教会案内


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# by rev_ushioda | 2018-12-31 23:59 | Comments(0)

「大磯でコンサート」

大磯でコンサート、というチラシを見てすぐに申し込んだその日が来た。ステパノ学園のホールが会場であったが、初めて入って、その景色にすばらしさに感嘆。ホールの景色なんてあまり言わないが、写真のように正面に木陰があり、その隙間、眼下に見えるのは湘南の海、正面は逗子、左手に江の島が見える。この景色を見ながら声楽、ピアノ、パイプオルガン、ギターなどを聞く、最上のひとときだった。

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# by rev_ushioda | 2018-10-08 20:24 | Comments(0)

「後援会ツアー」

今年は勝沼に「ブドウ狩りとワイナリー・美術館の旅」で、秋の味覚を存分に楽しめる旅であった。
参加者は今年は6人と少ないながら、車中、楽しく会話をつづけ、道路も休日の割には驚くほどすいていたこともあって、あっという間に甲府盆地に。一面のブドウ畑の中を車を走らせ、目的地「ツチと実」という、名前だけ見てもこだわりのある農園に到着。季節外れの31度という気温であったが、甲府盆地に広がるブドウ園はさわやかであった。
この農園は時間制限なく巨峰食べ放題ということで、また、魚のつかみ取り、塩焼きを楽しめ、バーベキューもでき、ピザを焼くこともでき、一日、ゆったり過ごす家族連れが多かった。ところで、さあ、たべるぞ、という最初の勢いはすぐにへし折られ、ひと房を食べるだけで精一杯ということに気づくのに、それほど時間は必要なかった。家でひと房なんて食べたことがない私たちは、元を取ることもできなかったが、しかし、ブドウの味覚を十分楽しむことができた。ちなみに、私自身はブドウ狩りは初めてで、ブドウの木の幹が意外に太いことに驚き(写真)、棚の低さに身をかがめながら歩くことに閉口し、ひとふさ丸ごと食べる醍醐味に感激し、ブドウ園を後にした。
山梨県立美術館はミレーの絵を収集、展示しているところで知られている、ということに私は知らなかったが、光と闇を描き出す絵の素晴らしさよりも、巨額の県費でこれだけのミレーの絵をそろえた山梨県の度量の大きさに感動した(見方が違うか…)
美術館の前にある店の、ほうとうが、これがまたおいしかったこと。山梨県は、ほうとうでしょ。そして、そのあとマンズワインの工場により、ワインの試飲を楽しみ、ほんのりと顔を赤らめて、帰路についた。
昨年は横須賀の軍港めぐりであったが、今回は、まさに味覚の旅。一貫性がないと言えばその通りで、この容量の深さが、私たち、後援会の良さでもあると、ワインで気持ち良くなった頭で考えていた。

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# by rev_ushioda | 2018-09-25 23:23 | Comments(0)

「教会の教育」

信仰の場である教会で、教育というのはふさわしくない、と思う人がいるかもしれません。しかし、教会の歴史を振り返れば、最初から信仰と教育は一つだったのです。たとえば、洗礼を受ける前には必ず洗礼準備期間があります。また、洗礼を受けてからは、

・キリスト者として日々変化する現実とどのように向き合ったらよいか
・歴史的には信仰をどのように捉えて来たのか
・教会と自分をどのようにとらえたらよいか
・聖書をどのように読んだらよいか
・伝道をどうしたらよいか
・そもそも人生の終わり(葬儀)をどう迎えるか

そのようなたくさんの問題や課題に出会います。そこで教会は、身の丈に合ったさまざまな教育方法を編み出してきました。もし、そのような教育の機会を自分に与えないと、いずれ、自分の思いに合わせた聖書の読み方、自分の好みに合う信仰理解になり、自分に都合のいい信仰生活になって行くのは避けられません。この世との境目もあいまいになり、この世の課題を担うことも、使命を持って出て行くこともなく、ただ自分がいい気分になることを信仰だと勘違いするようになって行くのです。
そうこうするうちに、今年から「道徳」が教科として学校で教えられるようになりました。その意味は、国が人の心に介入し、点数をつけ、国が願うような人間を作り始めた(教育し始めた)ということです。そうであれば、教会は、信仰教育をもって対抗しなければなりません。

今、来年度の教会の活動計画を考えながら、一番必要なことは何かを考えた時、キリスト者の出発点である「教会籍」とは何か、ということから考えて行きたいと思っています。意志をもって洗礼を受け、持つことになった神の国の国籍(教会籍)は、この世の国籍を越えるものであるに違いないと信じます。そうであれば、教会員籍と礼拝/教会員籍と教会運営/教会員籍と伝道/教会員籍と会堂維持/教会員籍と葬儀など、良い理解を持ちたいと思います。


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# by rev_ushioda | 2018-09-21 17:46 | Comments(0)

「結果オーライか」

母の特養入所のことでずっと心にかかっていたのは、もし母が、こんな所に入れられた、子どもに見捨てられた、とさびしい思いを持ったらどうしよう、ということであった。今週、3日間、外泊で帰宅させるつもりでいた。それで今日、そのことを確認した。
「そろそろ、少し、家にかえろうか、ね。」
「う~ん・・・」(あれ?喜ぶんじゃなかったの?)
「車が高いんじゃないの?」(うん?そこなの?)
「まあね、片道5000円」
「帰んなくていいよ。」
そんな会話だった。どうやら、優しいスタッフがいる施設の生活がすっかり気に入ったようだ。今まで悩んできたことがうそのような展開となった。
これでよかったんだ。何か、ここまで引きずっていた荷物が解かれたような気がした。家には介護ベッドを自費で置いたままにしている。いらなくなりそうだ。

― 自宅介護の、あの模索しながらの3年間が、急に、何か急に遠い日々に感じた。

― 家に戻らないんだ、と思ったら、何か、さびしい気になった。おそらく息子にしかわからない、何という不思議な感覚だろう。

ところで、9月18日、百歳のお祝いがあった。
受け取っているこの書面は、何と、内閣総理大臣からだ。コメントを控えよう。母は、誰から贈られたにしても、本当にうれしそうだった。


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# by rev_ushioda | 2018-09-18 23:08 | Comments(0)

地域で活躍されている在宅緩和(終末期)医療の医師、小澤竹俊先生(キリスト者)がおられます。最近では2017年にNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で全国に紹介されました。私たちの教会関係者も何人か、御家族の最期にあたり、この先生にお世話になっています。今年8月には、心を聴く市民ネットワークの講演会でお招きしたばかりです。さて、先週、小澤先生の携帯電話から電話を受けました。「余命1週間で、洗礼を希望されている方がいます。会っていただけますか」という内容で、その方のご自宅に駆けつけると、そこにおられた小澤先生から「罪の赦しを求めています」とのこと。御家族、そして細い声でお話しされるご本人のお話の内容からすると、子どもの時、おそらく幼稚園でキリスト教に触れ、以後80余年、教会には行っていなかったのですが、小澤先生とのやり取りの中で、心の蓋が開いたのでしょう。罪の赦しと洗礼を求めていることを確認しました。それまではお元気にされてきたのですが、6月に癌が分かり、急激に悪化され、限られた時間の中ですので、小会のメール稟議により、3日後の洗礼式となりました。昔、覚えた讃美歌に「いつくしみ深き」があります、とか、三浦綾子の『塩狩峠』の主人公に感銘を覚えているとか聞かせて戴きながら、お勧めの後に、以下、この方のために用意した質問で誓約していただきました。・あなたは、イエス・キリストをあなたのために送られた神がおられることを信じますか。・あなたには、罪がありますか。・あなたは、あなたの罪をゆるすためにイエス・キリストが十字架で死んだことを信じますか。すべてに「はい」と答えられたのを見て、長老1名、教会員2名の立会いの下、洗礼を執行しました。初めてお会いした方にもかかわらず、陪席した仲間たちに深い感動を与える時になりました。帰り際、御家族から、この後、葬儀をお願いします、と。緩和医療の医師と、教会との連携がうまく運んだ事例となりました。痛みを抑えるお薬の投与を受けながら、数日間だけのキリスト者としての旅路が、平安の道に変えられたに違いありません。
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# by rev_ushioda | 2018-09-02 22:26 | Comments(0)

昨日、地元の地区センターで、平和を願う市民団体主催の「悲惨な歴史(戦争)を繰り返させないよう祈念講演会」が開かれ、宗教者の声を聞きたいということで、私にも声をかけていただき、講演者として参加しました。ほかに金光教横浜西教会教会長 山田信二先生が講演され、今回、神道、キリスト教、二つの宗教の教師の講演を聞く会となりました。金光教の山田先生のお話は興味深いものであり、どの宗教も、その信仰するところを越えて平和というテーマの下、一致できることを実感出来て、大変、有意義に感じました。その会場には、また、浄土真宗大谷派遊林寺の副住職、三島さんがおられて、今回は講演者ではありませんでしたが、主催者から紹介いただきました。

実は、泉教会では昨年、20周年記念事業として、以下の計画をあげていました。

「地域に向かって、地域と共に、20年の実績を印象づけられる記念事業を行いたい。たとえば『命』(案)をテーマにした他宗教も巻き込んだ地域フォーラムを実施する。」

しかし、昨年はそのきっかけを得られず、流れてしまっていたのです。それが今年、はからずも市民団体の呼び掛けによって、平和をテーマに、神道、仏教、キリスト教の教師たちが一堂に会し、講演をとおして意見を交わす機会をいただいたのです。こうした機会をつくっていただいた市民団体の方々に、心から感謝しました。そして、せっかくの出会いを無駄にすることなく、ここから、宗教者・信仰者として、平和や命などのテーマで地域に貢献できる道を探って行きたいと、願っています。

参照記事 : 金光教ホームページ8月23日




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# by rev_ushioda | 2018-08-21 21:28 | Comments(0)

「天声人語2003年3月3日」

以下、原文のまま引用する。

不意に心の底に届く言葉がある。以前はそれほど心に響かなかった言葉が、あるとき生き生きとよみがえる。読者から「フランチェスコの祈り」について便りをいただき、そんな思いを抱いた。便りには「自分はキリスト教徒ではないが、紹介してほしい言葉です」とあった。各種の訳があるが、試訳で紹介を▼「私を平和の道具にしてください。憎しみのあるところには愛を、争いのあるところには赦しを、分裂には一致を、疑いには信仰を、絶望には希望、闇には光、悲しみには喜びをもたらす者にしてください」▼フランチェスコは12世紀末、イタリアのアッシジの裕福な家に生まれ、若いときは放蕩生活を送った。戦争や病に苦しんだ後に目覚め、清貧のうちに信仰生活を送る。アッシジの聖人として知られる彼は、宗派や宗教を越えて敬愛の的になってきた。▼彼をめぐる書が様々あるなか、1冊の絵本が心に残っている。ユニセフのエズラ・ジャック・キーツ賞を受賞した『フランチェスコ』(はらだたけひで作・絵 すえもりブックス)で、聖人の半生をやさしく描き、この「祈り」の境地を簡潔に表現していた▼「フランチェスコの祈り」は続く。「慰められるより慰める者に、理解されるより理解する者に、愛されるより愛する者に……』。読者からの便りは「この祈りの言葉自体が『平和の道具』になるのではないか」と。▼いま、とげとげしい雰囲気が世界を覆っている。そんななかで、ひとときの安らぎを与えてくれ、勇気を与えてくれる言葉かもしれない。



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# by rev_ushioda | 2018-08-17 11:19 | Comments(0)

「母、特養入所」

今日、母は特養に入所した。

今までと同じショート先であるし、本人にそのようにシステムとか契約とかが変わったことは何も伝えていない。
契約上は特養入所というように大きく変わったが、月に6日は外泊ができるので、外泊を活用して、母には、今までのショートの延長のように思えるように今後、「外泊」というカードを、上手く使っていきたいと思っている。

先週、私たちの休暇のために病院にお泊りしたときは、メモ用紙に何日から何日までと自分でメモを書いていたが、私たちが大きな決断をした今回、今度は何日になるの?とは、きかれなかった。幸いにと言うべきか。逆に、きかれなかったことが妙に心を痛めるのも事実である。

しかし、外泊カードを上手く使おう、そう考えたら、気持ちが少し楽になったことは確かだ。

と、ここまで書いたが、主のいないベッドを見たら、そこに立ちつくし、
ショートステイと何も変わらないと自分を説得しようとすることがうそっぽくみえてきて、
大事なものを失ったのではないかという恐れ、悲しみ、後悔 …の感情があることを知った。
これでよかったのだと周りは言っても、決して納得できない思いを引きずっている。



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# by rev_ushioda | 2018-08-07 16:36 | Comments(0)

ここでどうしても街道に行きたいと思い、日程の遣り繰りをした。
結果、1週間の母の預け先が病院となり、それだけで相当な費用が嵩んだが、晴れて中山道に立つことができた。1年ぶりだ。今回も孫と一緒であった。孫は1年生の時に岐阜県に入り、中を飛ばして、今年6年生で岐阜県から長野県に入ったことになる。去年、5年生の時に江戸時代からの国境を通過したはずだが、13年前の市町村合併により、「県境」は東に移動。今年、「長野県」に入ったのである。

1日目(7月30日)馬籠宿
馬籠に車を停め、妻籠まで。バスで馬籠に戻って馬籠宿観光。島崎藤村で一躍有名になった、そして、坂の宿場として有名な馬籠に立つのは、一つの小さな目標でもあった。
途中の道は、中山道きっての観光コース。といっても、出会うのは外国人ばかり。あと熊除けの鐘。100メートルも行かないところにまた設置されているという具合で、かなり危険なコースのはずが、外国人家族が山の中の谷川で水着になって遊んでいるのには驚いた。
宿場は坂の途中にあって、いきなり上りだし、馬籠から峠までの道は、ずっと上り。いきなり上り続きで、林の中とはいえ、着いて、いきなり、かなりきついスタートとなった。
しかし、馬籠宿は、坂の宿。そのため、遠く恵那山まで山の緑がつながって、目を転じれば中津川方面に「下界」の景色が開けていて、景色のすばらしい場所であった。中津川方面を見ながら、『夜明け前』にも中津川へのあこがれが書かれていたことを思い出す。しかし、ついに13年前、あこがれの中津川市に編入したというのも、ここに立ってみて、面白く感じた。

2日目(7月31日)三留野宿
鉄道(JR中央線)から離れたところにあるのが、馬籠、妻籠である。それゆえにホテルから妻籠に戻るためには、この日は電車と、バスの時刻表とにらめっこになる。まず、ホテルじたい、駅までバスを使うので、選択肢はほとんどなく、これで行くしかないという乗り継ぎで、11時…だったか、妻籠着。着いて早々、資料館にしている脇本陣に入ると、また係りの人がよく説明してくれて、お昼の時間にもなって、食事を済ませたらすっかり出発が遅くなった。
昔の面影を色濃く残す妻籠宿は、さすがに町並み保存の旗手だけに、どこを歩いても、江戸時代さながらである。妻籠宿や東海道の関宿を抜いていると感じた。
三留野宿を経由して野尻宿を目指すも、あまりの暑さのため、途中にある無人駅、十二兼駅でリタイア。電車が何と2時間半も来ないため、時間的には今までだったら先を目指せないわけでもなかったが、暑さのため、断念。自販機もない無人駅で、延々、電車を待った。
途中の木曽川沿いの道(国道19号線、写真)は炎天下、厳しい道行きとなったが、実はこの場所、街道時代は押し迫る山と川の間にかけられた「桟(かけはし)」があり、中山道の最大の難所であった。いかにも、という感じの場所である。今は、コンクリートで固められ、足元は何も恐れはないが、江戸の人々は、こういう場所を通過するために本当に怖かっただろうと思う。今日の我々には、日蔭のない厳しい難所であった。

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」(『夜明け前』)

3日目(8月1日)野尻宿
十二兼(じゅうにかね)駅から、野尻宿。
あいかわらずの田舎道を上ったり下ったりの道行き。途中、家の庭先と思うような場所を、街道は通っていた。その1軒のおばあちゃんに声をかけたら、暑いでしょうと、ペットボトル1本の良く冷えた水をいただいた。
今回は計24キロ。通常より10キロおさえた形だ。全国的に「危険な暑さ」と天気予報士が言っているなか、安全を優先し、道行きの楽しみは次回に譲った。


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# by rev_ushioda | 2018-08-03 13:33 | Comments(0)