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「免許更新」

今日、運転免許証更新に行ってきた。
それにしても、すごい人だ。あっちに並び、こっちに並びと、ようやく終えたが、最後の講習は「優良運転者」として30分だけの講習を受けた。次は5年後だ。
ところで、写真は精度が高まったのか、以前のような指名手配用の写真ではなくなった。被写体の出来はともかく、写真の精度としては、まあまあ満足できる範囲であった。

これは、免許証からのコピーである。
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by rev_ushioda | 2015-01-19 23:19 | Comments(2)

「私は、国境に立つ」

横浜市には、かつて(明治26年までの1000年間)武蔵国と相模国の2つの国の国境線が通っていた。私の家がある瀬谷区は、相模国であった。道を隔てた東側(旭区)は、武蔵の国であった。少し北から下ってみると、マリアンナ医科大学病院の前の道から三ツ境駅を通って、私の家の前を通って隼高校横に抜ける道が、まさに国境であった。私の家の前に1000年間、国境線が通っていたのだ!

『わが街探訪再発見 武相国境』というサイトには、こう書かれていた。
「国境は、国や村の境であると同時に、水を分ける境でもありました。大部分の生活が農業によって支えられていたこの時代、水は人々にとって「命」と同じくらい大切なものでした。当時はその川がどこの海に流れ込むかで、どこの水かが決まっていたので、東京湾へ注ぐ日野川・笹下川・大岡川などの流域が武蔵国、相模湾へ注ぐ芹谷川・馬洗川・平戸永谷川などの流域が相模国と、分水嶺が「武相国境」となったのです。」

なるほど、近所(旭区)に帷子川の水源があるが、横浜方面(東京湾)に流れ、一方、瀬谷区側には阿久和川や和泉川が流れているが、いくつかの川に合流しながら、こちらは境川(武蔵と相模の境、という意味)となって相模湾に流れ込む。私の家は、その中間、まさに分水嶺にあるのだった。そうだったのか。確かに私の家は丹沢や富士山を見渡せる尾根道にあるのは知っていたが、少し大きな地図を見ると、ここは、北は多摩のほうにまで至る「多摩丘陵」だとあった。私は国境に立つ。64年にして、自分の立つ場所を知った、目から鱗の新しい発見である。

そして、話はそれで終わらない。私は牧師として、「神の国は近づいた」と伝える者である。神の国の支配があなたにあるのだ、と伝える。私の前にいる人に、神の国の国境線を拡げる者なのだ。私は、国境の人なのだ。


下は、明治14年の古地図。よく見ると、国境の両脇に谷が迫るが、国境を越えてはいない。分水嶺に国境線が引かれたのがわかる。
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この写真は、家の2階から見た西側の景色。大山まで遮るものがない。分水嶺から見る相模の国である。
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次の写真は、その反対側、相模の国側から東をみたところ。分水嶺(国境の稜線)が壁のように立ちはだかり、そこに住宅が建っているのがよくわかる。
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以下のサイトがわかりやすい。私の家は、瀬谷区と旭区の境である。
http://www.geocities.jp/kk810558/busou1.htm

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by rev_ushioda | 2015-01-16 12:06 | Comments(0)

「囲いから出よう」

『ねずみくんのひみつ』という絵本があります。はなくそをほじるねずみくんを見た、ねずみのねみちゃんは、あひるに会って言います。ねずみくんが「はなをほじってた。」あひるは豚に会って、ねずみくんが「花をほったんだって。」豚は馬に、ねずみくんが「歯を折って寝てるんだって。」馬は象に、ねずみくんが「はねて、とんでるんだって。」と言うのです。
こういうことだから、こういう伝達を、面白おかしくゲームにもするくらいです。私たちは、聞いたことを、おそらく自分の経験や理解の仕方という枠の中で聞き、また、自分の言葉に変換して理解したり人に伝えたりしているに違いないのです。言葉を聞いて、勝手な解釈をするという、そういう聞き方があるのです。勝手な解釈というのは、健全な方向に進むことは稀です。『ねずみくんのひみつ』くらいならまだいいのですが、人間には防衛機制が働きますから、私たちのフィルターを通って変換された言葉は、不健全なほうに進みやすいのです。
創世記3章の「蛇の誘惑」などは、まさにそういう不健全な伝達を言っているところです。まず、聖書の言葉、神の言葉は、私の中で健全に受け止めているでしょうか。それとも「ねずみくんがはねてとんでる」ようなものに、なり下がっていないでしょうか。
元旦礼拝で、私たちは、良い羊飼いによって「囲い」から連れ出される者だと聞きました。主イエスに導き出され、自分の勝手な理解、勝手な言葉、人を混乱に招き入れる言葉から解き放たれる者に、私たちはなりたいと思うのです。
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by rev_ushioda | 2015-01-04 22:10 | Comments(0)

「干支に思う」

主イエスは、弟子たちに「わたしを何者だと言うのか。」とお尋ねになったことがあります(マルコ8章29節)。主イエスがこの質問をなさった場所はフィリポ・カイサリヤという所でした。この地名からも想像できるように、カイザルを神とも救い主とも崇めるところで有名でした。また、所狭しと異教の神々が奉られている所でした。主イエスはあえて弟子たちをそういう場所に連れて行き、「わたしを何者だと言うのか。」と質問なさったのです。
日本は、わざわざそういうところに行かないでも、私たちの周りには至る所に神々が奉られていて、また、カイザルならぬ今の政権の支配はいよいよ人の心にまで入り込もうとしています。そういう場所で、今、主イエスは言われるのでしょう。「わたしを何者だと言うのか。」
ところで、干支(えと)という習慣が日本にあります。年賀状となると、この干支で溢れかえるわけです。干支とは、古代中国の暦の組み合わせから来たもので、十干・十二支といいます。(十干とは、10区分の記号で、等級区別を表します。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸がそれです。また、十二支とは、木星が12年で天を一周することから天を12区分した記号で、年・月・方角・時間を表します。すなわち、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。)
干支(えと)は、これら「十二支」と「十干」を組み合わせたもので、60を周期とする数詞であり、暦を始めとして、時間、方位などに用いられます。ところが、これを実在の動物や架空の動物を当て字で用いるようになり、現在では縁起を担いだり、霊験あらたかなものとして、吉凶を占う材料になっているのです。
キリスト者は、そのような文化、風習の中で、どういう態度をとったらよいでしょうか。「わたしを何者だと言うのか。」と言われる主イエスそっちのけで、干支という「縁起」に振り回されてはいけないと思います。あの占星術の学者たちは、黄金、乳香、没薬を主イエスにささげて別の道に旅立ちました。献げたものは占いの道具だったと言う人もいます。そうでなかったとしても、占いによって運命、縁起をかつぐ干支からは「別の道を通って」行きたい。
来年は、干支ではヒツジだとか。「あなたがたがヒツジと言って拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」というような機転が利くといいですね。使徒言行録17章23節参照。

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by rev_ushioda | 2014-12-28 22:15 | Comments(0)

「神のための舞台に」

「している」ことが、自分のためか、人のため、さらに言えば神のためであるかどうか。大切な分かれ道であると思います。
9月にコンサート案内のチラシを7,000枚配り、今回もクリスマス案内のチラシを7,000枚配りました(5,000枚新聞折込み、2,000枚ポスティング)。しかし、これで来られる人は、せいぜい1~2人です。続けて来られる人は、ほとんどいないのです。自分のためを考えているなら、非常にがっかりする結果だと言えるでしょう。
教会と取引があるOA機器会社などの手紙を受け取ると、「益々の御発展(伸展)を祈ります」といった文章に出会います。発展とか伸展というのは、その企業、会社、組織の人数とか売上が大きくなることを言っているわけで、そういうことが成功だとされているのです。
しかし教会は、そういう意味で発展させ、進展させるものかどうかを考えなければなりません。つまり自分の勢力を拡張させることが目的であり、それが成功なのだろうか、ということです。
教会とは何でしょうか。それは、神のため、救いのために奉仕する神の器だということです。神がこのチラシを用いてくださるように、この手を差し出すのです。チラシは、どこに行ったのだろうと思いますが、神のために配られたチラシは、神がお用いになる。ですから、私たちが今年したことは、自分の発展、伸展、満足のためにしたのではなく、ただ、神のみわざが現れるために、しただけです。神は、この手を用い、この教会という器を用いて、その招きと救いを人々に伝えられました。そこに私たちが参加し、神が、人間が人間らしく生きるための扉を開かれたのです。
私たちは、その神のためにチラシを配るだけでなく、祈りも、日々の生活も、自分のために使うのではなく神のために用いていただくこと、これがキリスト者/教会のすることの目標なのです。

「あなたは身ごもって男の子を生む」ルカによる福音書1章30節
「マリアは言った。…お言葉どおり、この身に成りますように。」同38節

私たちも、マリアと同様、神のお働きを宿す「胎」、神のお働きになる舞台(日々の生活)を持ちたいものです。

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by rev_ushioda | 2014-12-20 09:39 | Comments(0)

「滴る汗」

アドベントにまったく関係ないが、NHKに「ラジオ文芸館」という番組がある。
たまたま車の中で聞いたのが、藤沢周平「滴る汗」。もう2か月も前なのに、何か忘れられないので、書き留めておこう。おおまかなあらすじは「私の読書日記」というブログに紹介されている。

歴史ものである。公儀隠密が身分を隠しながら商売をしているが、あるとき、素性が知られそうになる。そこでとった行動(口封じ)が藪蛇となっていく、という話である。最後は、「それは、あなただ」という強烈なメッセージが伝わってくる。そこで主人公が流す冷や汗が「滴る汗」であるが、それは、間違いなく、聞いている自分に向かってくる。この、どんどん引き込まれていく感覚は、さすが(さすが文学者)と言うしかない。この感覚がどこからきたかというと、読者を「当事者」としてしまう、というところにあるのだろう。
ひるがえって、教会で語られる説教は、どうなのか。どこの誰に語られているのかわからない。知識は増えても、引き込まれることもないまま、礼拝に出ても出なくても何も変わらず。そんなことになってしまってはいけないと、この放送を聞いて、思った。私からも、滴る汗が…^_^;

番組は、YOUTUBE にあった。→ 「滴る汗」

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by rev_ushioda | 2014-12-12 13:55 | Comments(0)

「クリスマスを迎える」

今年は2014年。キリスト起源の数え方です。この数え方以前は、ローマ皇帝を起源とした暦が使われていました。しかし、ディオニシウス・エクシグースという修道士が画期的な暦を発明しました。それが、今私たちが使っているキリスト起源の暦です。彼はこう言っています。
「我々はもはや暦を統治者によっては数えない。なぜなら、彼らは君主ではなく暴君だからである。我々の主イエス・キリストから数え始める。これは我々の希望の始まりだからである」。
こうして「AD、主イエス・キリストの年」という暦が作られたのです。もう一度言うと、この暦は「希望の始まり」なのです。私たちには、そして世界中の人には「希望の始まり」を示す「ものさし」が当てられている、というわけです。
今年も、クリスマスを迎えました。しかし、世界は、あらゆる意味でディオニシウス・エクシグースが言ったように「君主ではなく暴君」に支配されているように見えます。戦争やテロ、権力や言葉による暴力、搾取、傲慢、不公平の結果、憎しみ、不安に満ちています。しかし、このような時こそ、まず私たち自身の内に、「希望の始まり」であるイエス・キリストをお迎えしたいのです。
神は言われます。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている…それは平和の計画であって,災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」エレミヤ書29章11節

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by rev_ushioda | 2014-12-09 14:43 | Comments(0)

妻が、受洗50年を迎えました。他教団で洗礼を受け、やがてカンバーランド長老教会に移り、こちらの方での教会生活がはるかに長くなりました。そして今年、受洗50年の節目を迎えました。
感謝を表したいということで感謝献金を届けるため、40年ぶりに横浜市内にある母教会を訪ねました。小学生から通い始め、高校生で親の大反対を押し切って受洗したその教会には短大を出て就職してからも通い続け、やがてカンバーランド長老教会に籍を移すまで、長くお世話になりました。礼拝堂は当時のままで、今もそこにありました。年月を刻んだ礼拝堂で、牧師夫人と語り合い、50年の信仰が守られたことを報告しながら、感謝献金を手渡してきました。
受洗して50年、この時に際して、一つひとつの節目を迎えることの意味を改めて考えました。10年、20年と、信仰生活の日々を積み重ねる、その節目を越える度、山登りならば「峠」を越える度に、後ろを振り返り、よくここまで登って来たという感動が溢れる。先はまだあるにしても、自分の居場所を確認する。そういう感謝を、献金で表わすことは、意味のあることだと思います。
人生に洗礼のしるしをつけたこと、いえ、神によってつけられたことは、「第二の誕生日」とも言える大事な節目だったのです。そこから自分と周りの見え方が変わったのです。そこから10年、20年、…50年と歩んできたのです。感謝献金を準備し、携え行く道で、神が私にしてくださったことを考えるのです。いえ、してくださらなかったことにも、また、意味があったのだと思うのです。さらに言えば、過去の歩みだけではなく、これからの自分の歩みにも目をやります。
第二の誕生日、洗礼記念日を、心からの感謝をもって、人生の一里塚として行きたいものです。

あなたは今、洗礼を受けてから、何年になるでしょうか?

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by rev_ushioda | 2014-11-15 13:27 | Comments(0)

「状況から学ぶ」

私たちは、今、自分に起こっている状況から、何かを学ぶ者でありたいと思います。思いがけないこと、驚きや、痛みや、悲しみや、怒りをこらえきれないこともしばしばあるかも知れないのです。それをそのままで終わらせることも出来ます。しかし、それで終わらせることなく、ぜひ自分を振り返り、周りを見つめて、そこから語りかけている何かを、学び取る者でありたいと思います。その「気づき」がずっと後であっても、状況が語りかける声、聞こえてくる声に、耳を傾けたいと思います。どういう声が聞こえるでしょうか。それはきっと、聖書の言葉、神の声に重なるものであることでしょう。

たとえば、私たちの教会の現状を言えば、これを書くのはまだ早いのですが、今年は、これ以上ない最悪の一年だった、と言うことが出来ます。召天者があり、高齢のため礼拝に出席できない人がおり、転居者が数人あり、その上にこの時期、転出や他教会出席者が数人、さらに病気療養の数人が重なり、それが息つく暇もないほど、次から次に起こったのです。28人平均の礼拝から18人平均の礼拝に一気に下がりました。小さな教会でこんなことが起こったら、教会はつぶれるほど、どこの教会を見ても滅多にないことです。
そこで中会の伝道委員会に相談したら、「今の家を貸して、駅前に部屋を借りたらいいじゃない!」夢を語ってくれました。実際は家賃がまったく釣り合わないのですが、可能性の話だというところがいいのです。私たちは、すぐに「それは無理だ」と言いますが、そこには希望は生まれません。また、希望〇〇教会小会から、最近バザーをしたばかりだというのに、「泉教会のバザーの品物を預かり、献品を足して小さなバザーをします。収入を期待するよりも、祈るために。」「泉教会でバザーを開く時は、応援に人を送ります。」という提案を戴きました。祈りを実行に移してくれる教会がある。正直、涙が出るほどうれしかった。

私たちは、確かに最大限に行き詰っています。しかし、状況から学ぶ者でありたいのです。そこには、普段なら見えない宝が隠されているに違いありません。今だからこそという思いで礼拝を大事にする仲間と共に、宝探しを続けましょう。

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by rev_ushioda | 2014-10-31 10:44 | Comments(0)


「神に呼ばれて:召命から献身へ」という本があります。なぜ牧師になったのかという内容で、なるほどなあ、と思う理由が書いてあります。よし、では私も今日、ここで何かかっこいい理由を話してみようかと思って探したのですが、結局私には、そういう意味での理由は、何もありませんでした。(笑)
「なぜ牧師に?」 自分にはどうも理由が見つからず、理由があるとしたら、召してくださった主に理由はある、ということしか考えつきません。そういうわけで、今日は、なぜ私を牧師にしたか、主なる神さまの方の理由を探ってみたことをお話することになると思いますが、自分のことを語るというのはあまりしたことがない。期待に沿えなかったら、ごめんなさい。

1.教会に導かれる
お手元に印刷されているチラシは、私が初めて教会(希望ヶ丘教会)に行った時に手にしたチラシです。ガリ版での多色刷りです。その下のグラフは、希望ヶ丘教会がスタートした時=礼拝堂が建った時から10年間の礼拝人数ですが、長い家庭集会時代がありましたから、最初から30人いました。そして5年目、43年(1968年)に教会設立、めぐみ幼児園開園とあります。その年の9月に、教会は特別伝道集会を開催したのですが、その時、駅前で配布したチラシが、このチラシです。私はこれを手にして、初めて、教会の門をくぐったのです。
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チラシには「あなたの悩みは解決できたか」と書いてありました。講師は吉崎忠雄先生でした。「あなたの悩みは解決できたか」私には、悩みなど何もありませんでした。しかし、私はそのチラシで導かれたのです。普通に持つ興味しかなかったと思います。悩みがあればそこで「なぜ牧師に?」という問いへの答が見つかるのですが、悩みがなかった。教会に導かれた、私のほうの理由はなかったのです。
私が教会に初めて行った年は、そこにある統計を見ると、教会設立礼拝が行なわれ、めぐみ幼児園が開園した華々しさに反して、希望が丘教会の礼拝人数が激減し、23人、翌年は最低を記録した年です。礼拝を開始して5年、教会設立礼拝や、めぐみ幼児園開園という華々しさの影に、何か、課題があったようです。「あなたの悩みは解決できたか」とは、教会が自分に向かって言うような状況だったと思います。
当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声もあったのです。しかし、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、口語訳)。この言葉に励まされて、チラシを準備して出て行った、と聞きました。そこで配ったチラシの1枚が、私を捕えたのです。翌年、洗礼を受け、私はそれから神学校に入学するまで、大学生時代、希望が丘教会の礼拝に出席いたしました。

マルコ1・35~39に、弟子たちは「イエスの後を追い、見つけると」言ったのです。「みんなが捜しています」。
その町は、カファルナウムと言いましたが、主イエスがいやしの業をされたカファルナウムでは、朝早くから皆で、主イエスを捜していたのでしょう。本当は、弟子たちが、町に戻ってくださいと言って、主イエスを捜していたのではないかとも思います。「ここが教会です。ここで、せっかくうまくいったのだから、この際、ここで成功をおさめましょう、いい教会成長プログラムを作りましょう。」そういう気持ちが起ってきても、不思議はないと思うのです。逆に、「今は外に出て行く時ではない。教会を固めましょう。」と言ってもおかしくない時も、また、ある。
主イエスは、しかし、「近くのほかの町や村へ行こう」と言われ、「そのために出てきた」と、すでに、別の方向を見ておられたのです。近くのほかの町や村に、教会の「場所」を見ておられた。
教会の仲間は、主イエスが、「そのために」と言われる町や村を見るため、そこでお仕えするために、半ば強引に引き出された者であろうと思います。希望ヶ丘教会の仲間たちも、そういう声に押し出されて、人間を獲る漁師として網を投げました。そこで、私がすなどられたのです。
なぜ教会に行ったのか。従って、その理由は、「近くのほかの町や村へ行こう」と言われた主にあります。それに忠実な教会に、理由があります。私はその主に見つけられ、そして、教会のわざに見つけられたにすぎません。

2.教職者への道
それにしても、なぜ、牧師になったか?という問いが残ります。
私が初めて教会というところに行ったとき、高校3年生の時でしたが、高校生にとって、何もかも珍しい、世界が広がるような、体験でした。教会に行き続けたのは、お話が分かったからというより、新しい世界が面白かったし、また、教会のおばさんたちが毎回、玄関まで見送ってくれる。「潮田君、また来てね」と言ってくれるのがうれしかったからです。礼拝には休まずに出席しました。小さな集まりにも大きな集まりにも、出席しました。そして、1年後のクリスマスに洗礼を受けました。
しかし今、思うと、それは始まりに過ぎなかったのだと思います。やがて、教職者への道に進むのですが、その単純な理由は、すばらしい先輩がいたことです。
私とは違う大学に通う大学生がいました。後にインマヌエという教団の宣教師としてジャマイカに行き、そこの神学校の校長として教え、帰国してからも日本の神学校の校長先生になったという人が、その時、希望ヶ丘教会にいて、私は彼の信仰の姿勢にものすごい影響を受けました。
また、洗礼を授けてくれたのは竹入牧師でしたが、その頃、牧師交替があって、まだ伝道師であった瀬底先生が着任されました。瀬底先生は、牧師館を開放し、特に青年たちと夜遅くまで語り合い、聖書の言葉を語り、体ごと聖書の言葉に生きていた。その姿に、非常な魅力を感じたことで、影響を与えられていたと思います。その二人の、神の言葉に仕える伝道の姿勢を私は見ていたのですが、しかし、それは自分のことではないと、ずっと「向こう」に見ていました。
ところがある年の中高生キャンプのメッセージを語っている時でした。対象は中高生でしたが、その時、自分が語る言葉が自分に跳ね返って来るのを強く感じました。「あなたが語るこの言葉は、いったい誰に向かっているのか。まず、あなたが信実に受け止めなくてよいのか」と、聖書の言葉が迫ってきたのを感じました。
その時、これはもう、御言葉に捕まえられた、と言うしかないと思いました。なぜ牧師に?という問いに答えるとしたら、直接のきっかけは、その時の体験だと言うしかないと思います。誰かと出会ったとか、どこかに行ったとかいうことではないのです。み言葉が迫ってきた、ということなのです。
ウイクリフという聖書翻訳の団体があって、フィリピンで長く宣教した福田崇という先生をお招きしたときのことですが、冗談で言われました。危険な祈りがある、と。「牧師が足りません、誰か牧師を送ってください」とお祈りを要請されることがあります。それで、そうかと思ってお祈りする。誰かを牧師にお立てください。そのうちに、はっきり聞こえてくるのです。聞こえてきてしまうのです。「あなたはどうなのか?」と。だから、誰か牧師を立ててください。これは、危険な祈りだと。しかし、この祈りが必要なんだ、と。
御言葉を聞き、祈る。これは、聖なる危険の領域なのだと今、私は思います。私は、その危険な祈りの中で、御言葉に捕まえられました。これは、私の計画ではまったくありませんでした。
私たちは、いろいろな経緯で教会と出会ったのです。しかし、それは自分が教会に行こうと思って行ったのだから、そこまではある程度、説明がつく仕方、個人的な体験であったと思います。私も、その1人でした。
しかし、その後のことを考えると、説明が出来なくなります。自分の計画にはない、御言葉が迫って来たからです。
「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」。
人間をとる漁師。わたしと一緒に働く者になりなさい。一緒に働く者が必要だ、と言われたのです。
そのために選ばれ、声をかけられたのは、名もない漁師たちだった。有名な祭司たち、学者たちではなかった。ガリラヤの漁師だったのです。「私」だったのです。
呼ばれる理由は、人間の側(こちら側)には、なかったのです。理由はすべて主イエスにある。私たちの納得とか決断とか、そうした人間的なものが理由とはなっていない。主イエスの一方的な招きが、そこにあるのです。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」。その矛先が、ある日、いきなり私に向いた、としか思えません。
それにしても、サムエル記にありますね、サムエルが何度も神さまから呼ばれる。先生に呼ばれたと思ってエリのところに飛んでいくと、「わたしは呼んでない。戻っておやすみ。」と言われる。(サムエル上3:5)私は、今からちょうど40年前です。「神学校に行って牧師になる」と。しかし、そうは言ったけれど、御言葉に確かに応答したと思ったけれど、しかし、「もし勝手な思い込みだったら・・そんなふうに『私は呼んでない。戻っておやすみ。』なんて言われたらどうしよう」と、非常に心配でした。牧師になる、とは言ったものの、もしかして、自分が勝手にそう思っているだけではないか、とても不安だったのです。神からの「召命」だと、どうしてそれを確認できるのだろうか、と思っていました。
しかし、教会の推薦を受け、神学校の入学試験に合格、中会会議の承認を受けて中会神学生になりました。そして何とか神学校を卒業でき、中会会議で伝道師への任職が承認されました。最初の教会に派遣され、やがて三たび、中会会議で牧師の任職の承認を受けたのです。この、中会での承認という節目節目を越えて初めて、ああ、本当に神から呼ばれたのだ、「召命」だったのだ、と思ったものです。
私は、自分がはたしてふさわしくなければ、どこかで神さまが強制介入してやめさせるに違いないと思っていましたが、中会会議で牧師への任職が決まり、そしていよいよ牧師任職式(按手礼)の日を迎えた時のことです。何と、説教者が、来ないのです。定刻になっても説教者が到着しない! ああ、神さまは、ついにここでストップをかけられたのか…と半分冗談に、半分は本気に思いました。30分以上遅れて説教者が到着し、無事、式は行われたのですが、最後の最後まで、召命(神が呼んでおられること)を確認するため、緊張の連続でした。
そういうわけで、牧師になるのは、本人がなると言えばなれるものではありません。いくつもの手続き、面接、また神学校での訓練、能力の承認(卒業)があり、会議での何回もの承認を経て、任職式にちゃんと説教者が来て(笑)、本当に主イエスが招いているのだと確認できたとき、牧師のつとめに任じられていくのです。教会の手続きと、本人の緊張というのは、神さまに呼ばれているということを、自分も、教会も確認するためのもので、人間的な思いが入らないために必要なのです。そうしているうちに、もう、こちらの理由なんて、吹き飛んでしまうものなのです。
それは、洗礼を受けるとか、私たちがキリスト者になる場合もまったく同じだと思います。こちらが決心したとか、そう頑張るとかが大事なのではないのです。こちらがどんなに決心し、「頑張ります」と言ってみても、キリスト者は生まれないのです。洗礼準備会というのは、言い換えれば「わたしは呼ばれている」という確認の作業なのです。あちら(神さま)の理由を問う作業なのです。主イエスに呼ばれる以外に、キリスト者も、牧師も生まれない、それが、教会です。だから教会の元の言葉(ギリシャ語)は、エクレシア。呼ばれた者たちです。なぜ牧師になったのか。理由は、主にあります。

3.殉教

なぜ牧師に?ということで、もう一つ、どうしても話さなければならないことがあります。私が初めて行った希望ヶ丘教会を牧会されていたのは、竹入悦夫牧師で、私は、この先生から洗礼を受けました。
ところで、その父君である竹入 高(たかし)という人は、やはり牧師で、京都で牧会されていました。日本ホーリネス教会の牧師でありました。
折しも戦時中ということで、「ホーリネス教会弾圧事件」というのが起こります。この竹入牧師も特高(特別高等警察)に検挙されました。京都西陣署に連行され、そして京都拘置所に移送される同時に、教会は解散を命ぜられたのです。
特高とは、各県に配置されている、警察とは別組織で、内務省に直属の、拷問を日常茶飯事のように繰り返していた、まさに秘密警察でした。ある牧師が書いています。「留置場は3畳ほどの広さで鉄格子があり一番奥が便所で、新参者は便所の蓋の上に正座させられた。食事は茶碗一杯。寝具は綿が片方によって透けて見える、薄い人絹の布団、寒くて眠れず、凍傷のため足の爪が抜けてしまった」と。
同じように検挙された他の牧師の家庭では、生活に困り、子どもが、教会でかわいがってくれた役員の家にかぼちゃを分けてもらいに行った。「お宅にわけてあげるかぼちゃはないね」と言われた。
竹入家の家族もまた、同じような状況に置かれ、路頭に迷いました。そして竹入 高牧師自身は(1年3カ月に及ぶ)獄中で拷問を受け、体力が弱ったところで、なるべくして結核を患い、悪化し、獄死すると面倒だという理由でしょう、突然保釈されます。案の定、保釈後、すぐに命を落としました。竹入牧師が亡くなった時も、かかわりを恐れてでしょう、その頃、京都では葬儀を引き受けてくれる牧師は一人もいなかったそうです。
当時、検挙された牧師は134名、その内10名が1年~4年の懲役という実刑判決を受けました。拘留期間中に、4人の牧師が獄死、竹入高を含めて3名の牧師は保釈後、亡くなりました。これは、日本のキリスト教史を紐解けばすぐ、分かります。
教会の信仰のために「殉教」の死を遂げた竹入 高牧師のご子息は、父君を拷問で亡くし、当然、信仰を捨ててしまったか、というとそうではなく、父君の信仰を受け継ぎ、父君と同じ牧師となりました。そして希望ヶ丘で牧会している時に出会った私の信仰を導き、私に洗礼を授けたのです。戦争中、日本で殉教した牧師は7人ですが、そのひとり竹入高牧師は、ですから、私にとっては信仰上の祖父ということになります。(竹入 高牧師が牧会された教会は、今、山科の地にある京都復興教会として信仰を証ししています。)
信仰の祖父の話をしましたが、考えてみれば、私には、殉教者の血が流れている、と言ってよいのかも知れません。殉教なんて、恐ろしくて、私には、考えられません。しかし、そんな迫害を受けるかどうかは別にして、イエス・キリストのものとして、その国の中を生きるようにというバトンを、向こうから、手渡されてしまったのです。ここでもまた、私の理由ではなく、「向こうから」ということになります。
私は、そういう牧師を選んで教会に行ったわけではありません。皆さんも、そういう牧師を選んで教会に来たわけではない。どうみても、「こちら」には理由がありません。ただ神にのみ、理由があるのだと思います。
考えてみると、牧師というものは、いえ、教会はみな、一つのバトンを持っているのです。殉教者が手渡す、信仰のバトンです。
ギリシャ語で「殉教者」という言葉(μαρτυs)は、また他の意味に「証人」があります。(使徒22:20参照)。証人となる、主イエスを証しするキリスト者となるということは、そして牧師になるということは、「殉教者」という意味が重なっていることを、私はあとから知りました。そういえば、大磯に澤田美喜記念館があります。江戸時代のキリシタンの遺物が展示されていますが、私は、大磯の澤田美喜記念館に行って、そこでこの日本という土地でキリシタンの命をかけた信仰を見て思いました。「私たちの信仰は、殉教者の血の上に乗っているのだ、信仰の祖父に殉教者を持つ私一人だけがそうなのではないのだ」と。
牧師というものは、いえ、教会/信徒は皆、一つのバトンを持っている。殉教者が手渡す信仰のバトンです。あなたもまた殉教し続けなさい、という意味ではない。殉教という命をかけて、彼らは、信仰のバトンを手渡す人を探したのです。そして見つけられたのが、私であったということです。


なぜ、教会に行ったのか。なぜ、キリスト者になったか。良く考えると、私には理由はありません。/なぜ、牧師になったか。これもまた、私には理由はありません。
ただ、主なる神に、神の御言葉にこそ、理由があった。そして、命をかけて信仰を護り抜いた先達に、理由があった。
私が教会に導かれ、信仰者になり、牧師になった理由は、私にあるのではなく、ただ神に、そしてまた信仰の先達にあったと、私は思っています。
だからどんなに弱くても、失敗しても、牧師になると決めてからここまで40年間、歩んで来ることが出来たと思っています。

後日、原稿に追加

神学校の卒業証書の言葉と、これを一人一人に読み上げる丸山先生の声が今も、私の心に響いています。

「新旧両訳聖書に啓示され宗教改革において宣明されし神学と精神に基づく伝道者の訓育を以て使命とせる本校の課程を卒業せし事を証す
願わくは貴君の生くる限り主の召命にこたえて教理と生活とを兼備し敬虔なる献身と救霊の業に励みつつ神の栄光をあらわされん事を祈る」
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(2014.10.16 女性会研修会 「なぜ牧師に?」 原稿)

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by rev_ushioda | 2014-10-14 15:22 | Comments(3)