葬儀が終わり、気づいたら7月半ば。こんなに暑いのに、どうしてセミが一匹も鳴いていないのだろう、と思った。疲れて、私に何か時間感覚がなくなってしまったのだろうか。(いや、確かに今年は、セミが鳴いていない。どうしたのだろう。これから、うるさく鳴き始めるのだろうか・・・)
とにかく、葬儀の後は、疲れを覚える。日曜日の説教から続いたので、なおさらか。パソコンの前に座ると、もう、こっくりこっくり。そんな1、2日を過ごして、ようやく、動き始めたかな・・・ 前夜礼拝の説教を掲載しておこう。

ヨハネによる福音書11:1-5、32-35、43

K子さんは、1950年10月14日、北海道で、3人兄弟の次女として誕生されました。そして小学校3年生のときに、北海道から、神奈川県に移って来られました。
1979年(29歳)、看護学校に入学し、卒業後、南大和病院に勤務、以後、29年間そこでお勤めになった・・・ ということは、看護学校に入学するまでの29年間と、その道に進んで看護師として働かれた29年間とは、ちょうど同じなのです。
2008年暮れに大腸がんを発症され、2年間で何と4回の手術を繰り返してきました。職場復帰を強く望んでいましたが、その後の体調が整わないまま、昨年8月、1年前に病院を退社されています。今、申し上げたように、29年間の看護師さんとしての勤務でした。
教会との関係は、お姉さんが教会員であったことや、その前にお孫さんの葬儀に私が関わったことなどがあり、時々、おいでになっていました。
手術を繰り返していた頃、1昨年の2009年9月でしたが、教会の礼拝にご夫妻でおいでになりました。そういえば、教会に来られたとき、最初にお聞ききした言葉は、「お葬式をお願いします」ということだったと思います。そういうことを考えていたのです。
以後、ずっとお休みされないで、毎週日曜日、ご夫妻で礼拝に来られていました。おいでになったその年(一昨年)のクリスマスに、夫婦そろって洗礼を受けられ、夫婦で、クリスチャンとしての新しい生活が始まりました。
K子さんにとって本当にびっくりしたことがあるとすれば、夫のYさんが、一緒に洗礼を受けたことではなかったでしょうか。「あなたは救われないわ」と言っていましたが、その気持ちに偽りのないことが分かって、後から、謝っていました。
昨年6月の4回目の手術を最後に、その後、K子さんは、治療を一切拒否されて来られました。 ・・・治療をしないということは、何の検査もしない、ということです。病気がどのように進行しているか、誰もわからないまま、しかし本人はきっぱりとそれでよしとして、時間が流れました。最後は、ご自宅で緩和ケアを受けてこられましたが、点滴も、酸素吸入さえも、お受けにならなかったのです。
どこかで、気持ちをスパッと切り替えたのです。しかし、ご家族がその気持ちを受け止めるのに、相当の苦しみ、葛藤がおありだったことを、私も記憶しています。
治療は一切しませんから、当然、良くなることはあり得ず、私たちも、「良くなりますようにお祈りします」とも言えません。ただ、その日、「死の時」に、向かっていくしかありませんでした。そういう、命が限られた日々、何よりも礼拝を大切にされて来たのです。一人の人が「命をかけた」礼拝を、私たちも、ずっと共にさせていただいてきました。
それでも3月までは動くことが出来ていて、日曜日の礼拝と、木曜日の聖書会は、とても楽しみにされて、おいでになっていましたが、4月の第一週の聖書会でしたか、足が動かず、私たちは急速な変化に驚きました。そんな状態でよく教会まで来たと言いましたら、「《実家》に寄って行きたかった」と言っておられました。
それ以降、もうおいでになることはできず、今も申し上げましたが、ご自宅で緩和ケアを受けながら、天に帰る日をそれこそ心待ちしておられました。緩和ケアの専門の先生が「あと1~2週間」と言われた時もあり、ご家族も覚悟されたのですが、不思議にその後、普通にお話できる状態が戻って、(本人は辛さがありますから不本意だったと思いますが)しかし、ご家族にとっては結果的には3ヶ月間というお別れの時がプレゼントされることになりました。

そして、先週の金曜日のことでした。ついに、この時が来た、という思いがいたします。

ご本人が、今述べたような、死を覚悟しての日々でしたので、私もお見舞いのたびごとに聖書を読むのですが、天国の約束の箇所を必ず開いて、祈るのです。亡くなる3日前、敬子姉のために私が最後に開いた聖書の言葉は、次の言葉です。ご一緒にお聴きください。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
(以下、「続きは、こちら」をクリックしてください。)

続きは、こちら
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by rev_ushioda | 2011-07-14 16:54 | Comments(0)

「感情は一瞬にして」

「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける…早く和解しなさい」 マタイによる福音書5章21-26節

人のお話を聴く現場でしばしば出会うのは、事情を説明されますが、感情に気づいていない、ということです。今回の震災で「頑張ります」と皆、言う。でも、よくよく話を聴いていくと、悲しいんだよ・・・と。人は、自分の感情を言わない。いえ、気づいていないのです。怒って話しているから怒っているのかと思うと、意外と、本人は、怒っていることに気づいていないことがあるのです。
「腹を立てる」というのは、感情です。しかし、自分では、腹を立てるような感情はない、と言うことが多いのです。正当なことを言っている、正義とはこうだとか、秩序とはこういうものだとか、意外と本人は並べ立てる。冷静に話しているつもりなのです。しかし、傍目から見れば、もうだれが見ても、腹を立てている感情そのもので話しているとしか、言えないことが起こります。自分の正義は、上から目線になり、しかも自分ではもう押さえ込めない、怒りの感情に支配されているのです。感情は、本人の意識とは別なところで、動き始めるようです。「腹を立てる」というのは、人のことだ、自分はあくまでも正義の中に生きている、と思う人がいたら、その人にこそ、腹を立てているのは、正義を言っているをあなただ、と主は言われるのです。
人間の正義には、いつも、怒りがあるのです。自分が裁判官になってしまうのです。そして、「腹を立てる」。その「腹を立てる」怒りの感情は、人間関係を一瞬に引き裂いていきます。津波の傷跡を見たでしょう。普段の生活が一瞬にして、無残な姿になりましたね。「腹を立てる」という感情が襲ってくると、兄弟であるという関係さえ、破壊するのです。
「早く和解しなさい」と主は言われます。しかし、その主が、まず和解を申し出てくださったのではありませんか。パウロの言葉では、こうなります。「その十字架の血によって…御自分と和解させられました。」(コロサイ1・20) だから、私から申し出るのです。正義は主にあるのに、私たちは感情に支配されて、自分の正義で「腹を立てて」いたのです。正義を私物化してはならないのです。主の和解の中に、私物化していた正義をお返しししたとき、感情は、私たちの中でただしく働き始めることでしょう。

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by rev_ushioda | 2011-04-17 22:56 | Comments(0)

「葬礼拝説教」

人には、様々な人生があります。そのいずれも、うまく生きようと思っても、なかなか、そうならないものがあります。

Kさんは、寝込んでからですが、娘さんの話によると、こう言われたそうです。「自由に生きさせてもらいます」。それを聞いて、Kさんを知っている、ほとんどの人は、思い切り自由に生きたじゃないか、と思うかもしれません。しかし、なお、そう言いたい気持ちがある、ということではないかと思います。
また、こうも、言われたそうです。「いいおじいさんと言われたい」と。「いいおじいさんと言われたい」というのは、そうありたい、しかし、現実はなかなかそうならないということでしょうか。自分は、うまく生きたいと願っている。なのに、失敗してしまう。しかしこれが、およそ、すべての人間なのではないでしょうか。こうありたいという希望と、現実の違いを、私たちは自分なりによくわかっているのではないでしょうか。
「いいおじいさんと言われたい」と聞くと、近くで知る人は、いまさら何を言っているのか、と思うのかも知れません。本人の気持ちは、しかし、やはりそういう言葉の端端に現れてくるのでしょうか。こうありたい、しかし、現実は、なかなかそうはいかないものを考えていたのでしょうか。そして、それが人間というものなのです。

そうであるとしたら、では、生きる意味はどこにあるのか、ということになります。聖書にはたくさんの人が出てきますが、そういう人々の足跡は、私たちに大事なことを語っていると思いますので、葬儀に際して、1箇所、引用させていただきました。
ここには、ヤコブという人のことが書かれています。この人は、兄との関係が、どうも、うまくいかない。生まれたときからうまくいかなかった。兄との確執をずっと引きづって来たのです。しかし、どうやらそれはお母さんが子どもたちを愛する愛し方に問題があったようだと聖書は言っています。詳しく言う時間はありませんが、家族の中でさまざまな確執があったのです。聖書の人にさえも、そういう問題があったことを聖書は隠していません。
いずれにしても、ヤコブは兄から「殺してやる」と言われ、そこでお母さんが私の親戚を頼りなさい、というわけで、旅に出ることになった。夜、石を枕に眠る。その時の話がここに引用した聖書の言葉なのです。寝ているヤコブのところに、天につながる階段がおりてきて、主(神)がそこに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」と。

父親がイサク、祖父がアブラハムです。こういう名前を見るときに、そこには、それぞれの人生があったことを思います。
ヤコブのお父さんイサクが生まれる前、実は、祖母は高齢で出産をあきらめていたのです。そこで祖母は、その家にいた召使の女によって夫アブラハムに子どもをもうけさせていた。ところが、その女奴隷は、子どもを身ごもったと知るや、祖母のことを見下すようになっていくのです。祖母は、夫アブラハムに、この召使いを追い出すように言い、アブラハムは、仕方なく、そのようにしてしまいます。ここに見えるのは、家庭の混乱です。これがアブラハム。祖父の家庭でした。
やがて、高齢ではありましたがこの祖母夫婦に、ヤコブのお父さんになるイサクが生まれるのです。このお父さんのイサクはイサクで、飢饉のために土地を点々とする先で、人が妻を奪おうとしたらどうしようか、心配になる。そうしたら自分が殺されるかもしれないと心配した。それで、自分たちは夫婦であると言わず、妻を妹と偽ったことがありました。自分中心というか、妻を守れない優柔不断な男の姿があります。

さて、今、簡単にこのアブラハム、イサクの話をしたのは、それぞれに失敗があり、弱さがあり、夫婦、家族の問題があったということをお話したかったからです。ヤコブの父親は、イサクです。おじいちゃんはアブラハムです。皆、それぞれにうまくいかないことも多々あったのです。しかし、神さまは言われるのです。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」と。ここが大事です。
神さまの方では、この人の神、この人の神と、恥じることなく言ってくれる。あのような、情けのない人、あのような、欠けの多い人を私は知らない、とは言わない。
神さまは、人間の失敗も、欠点も、恥も、何もかも引き受けて、「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」と言われるのだと思うのです。私たちがどう思おうとも、神が人の名誉を守る、と言ったらよいでしょうか。だから私たちは、色々な思いを引きずらず、この神さまに、一切、任せておけばいいのです。
 そのアブラハム、イサクから、 ヤコブが生まれる。

ヤコブも、そう望んだのではないにしても、兄弟との仲が良くなかった。だから、こうして野宿してまで、親戚を頼る。ヤコブが、兄と仲たがいした理由は、ヤコブの嘘が原因でした。
血は争えないと、よく言われます。お父さんイサクが妻のことを妹ですと嘘を言って、自分の身の安全を図ったと言いましたが、お話しませんでしたが、実は、おじいちゃんアブラハムも、同じことをしていたのです。うそを引き継いでいるのです。そういうことが続いていくのです。ですから、この家族は、うそをつく弱さを引き継いだと見てもいいのかも知れません。

しかし、(聖書の各世代について長く話しましたが)聖書が言う大事なことは、人間の弱さの連鎖の話ではありません。そうではなく、各世代は、神さまの祝福をこそ、受け継いだということなのです。ヤコブへの祝福の言葉を、私たちはここに読むことが出来ます。人間の弱さを越えて、神さまの祝福のほうが強い、ということを聖書は書いているのです。

娘さんたちは今、信仰をいただいて、キリスト者として日々、歩んでおられます。下の娘さんは、Kさんがなくなった日、洗礼30年を迎えられた。翌日は、姪のKMさんが25年を迎えています。だから、二人の娘さんたちは、キリスト者となるために生まれた、と言えるのではないでしょうか。キリストにある新しい命を引き継ぐために、このご両親から生まれた、と言えるのです。生まれなければ、こうして、信仰に生きることはできなかったからです。キリスト者になるために、そこに、ご両親がおられたのです。神さまは、そのようにしてご両親の存在を一方的によしとしてくださっていたのだと思います。

聖書を見ると、神さまは私を母の胎内から見ておられた、いえ、天地創造の前から選んでおられた、と。しかし、もう一度繰り返します。いくらそのように選ばれていたとしても、そこに親がいなければ、人生は1日だってありません。子どもたちを信仰に生かすため、Kさんは、その存在が備えられたのです。神さまが備えてくださった人なのです。そうでしょう?
アブラハムもイサクも、そしてヤコブも、聖書を読んでいくと、やがて「アブラハムの神、イサクの神で、ヤコブの神」と、そのように言われるのです。ヤコブにも人一倍、弱さがあったのです。しかし、神さまから見れば、誰も、何も変わらない。神さまは、おそらく「Kさんの神」と言われることも、恥としない。こうして、祝福を家庭に、祝福を親戚に、そして祝福を世に、満たそうとされるのです。私たちは、その祝福を受け継ぐ人なのです。そのために生まれた。そして人生を与えられた。そこにKさんがいた。

Kさんの葬儀をきっかけに、私たちは皆、神さまから祝福に招かれていることに気づきたい。招かれているのは、次の世代に、祝福のバトンをこそ、確実に渡すためです。私たちは、招いてくださった神さまに向かって、今、この器を差し出していきたい。残りの人生を、神の祝福をこそ、広めるために差し出していきたい。そういう仕事をしたい。そういう信仰に生きていきたいと、思うのです。
 
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by rev_ushioda | 2010-10-20 16:39 | Comments(0)

「希望の物語に生きる」

「希望学」というものがある。

東京大学の社会科学研究所がつい最近、2005年に立ち上げたプロジェクトである。現代は「希望」というものを見失っている、そうであってよいのかと、各分野の研究者たちに呼びかけて、希望を一つの学問として研究している、というのである。本が今年4冊発行された。テレビでも報じられたことがある。インターネットで、興味深く読んだ。

現代人は、どのような場面で希望を失うのか。その研究によると、原因の一つは、能力主義だそうである。能力があるなしで、人は勝ち組と負け組に二分されてしまう。能力を持っている人間は、その能力で右肩上がりの人生を描き、その一方で、能力がないとされれば、人生は下がって行くしかない、といった価値観があるというのである。そうした価値観からすると、いったん負けを経験すると、それが「道半ば」であって、結論はまだ見えていないにもかかわらず、もう、結論としての負けと思い込んでしまう。こうして、希望を失うのだというのである。

そうした昨今の価値観に対して、そこで言うのは、必要なのは、「物語」だ、というのである。
ちょっと補足すると、うさぎと亀の物語。この物語では、亀が遅いから負けだ、とはならない。そこに物語がある。物語は、簡単に勝ち負けをつけない。負けているけれども、勝つ、それこそが物語の醍醐味である。そういう物語が、人に希望を抱かせると、「希望額」は、いうのである。

そこで思うのは、昔も現代も、人間は、自分をそこに重ねることができる「希望の物語」がない、ということである。希望があると思った瞬間、するっと手の間から抜けていくのだ。村上龍氏『希望の国のエクソダス』、その中で、中学生は言う。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」。

そして、ここが大事である。クリスマスの物語こそ、「希望の物語」なのだ。

クリスマスに、天から降られた主イエス・キリストは、低いところにいる人びとに寄り添いながら、十字架で死なれ、墓の低さにくだり、さらに陰府にまでくだられる。しかし、この物語は、それで終わりではない。死の悲しみさえも、まだ、何も決定づけないのである。イエス・キリストは、三日の後に死の闇から引き上げられ、そこにさまよう人も、一緒に引き上げていく。こうして人は、神の命、聖霊に生かされる。

クリスマスのろうそくは、死や、混沌とした闇にも負けない、命の光の象徴である。イエス・キリストが神の物語を私たちのところに持ち込んできてくださった、だから私たちは、苦しみであっても、それを終わりとしないのである。そこには、「希望の物語」がある。そこに、自分を重ねたらいいのだ。
この希望をもって、希望を指し示す共同体として、私たちは世に生まれたのである。来る新しい年、2010年の歩みを、イエス・キリストを指し示すことで、希望の物語を作る歩みとしていきたい。
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by rev_ushioda | 2009-12-27 22:16 | Comments(2)

「M兄葬儀説教 序」

M兄は、5人兄弟の長男として東京都足立区に生まれました。小中学校時代は鶴見区で過ごし、高校は、鶴見工業高校で建築を学ばれました。
卒業後、川崎にあった日本油脂株式会社に入社、会社が戸塚に移転したのに伴い、そこで、お住まいも現在の場所に移ってこられました。
お父さまが大工であった、ということからでしょうか、とても器用な方で、大工道具一式があって、家の補修など自分でやっていたということです。弟さんにお聞きしましたら、とても面倒見がよかったそうで、そういう性格もあるでしょうか、会社は、40年間立派に勤務し、定年により、退職されました。

会社務めのころ、肺炎になり、かなり危ない状況になったときいておりますが、そこは何とか回復したのですが、定年後2年ほどしてから今度は糖尿病で、治療する日々を続けることになりました。
昨年2月になって、今度は大腸がんがあることが分かり、3月に手術。しかしその時点で、すでに手遅れの状態で、数ヶ月、もつかどうかという診断でしたが、それから1年半以上、転移がありながらも生きることができたのです。
入退院を繰り返しましたが、最後の入院が9月、そして、今週月曜日(11月9日)朝5時過ぎ、ついに神のみもとに召されました。初めから、痛みは何もないままでした。M兄の体は病気には犯されましたが、しかし神が、その病の体からM兄をご自身のもとに引き上げてくださったと思うしかない、最期のときでした。M兄に神が与えてくださった人生の日数は、72年でありました。

M兄は、鶴見に住んでいた頃、川崎の教会でキリスト教の洗礼を受けました。お母様と一緒の洗礼式でした。
やがて、転居と共に教会を変え、そうこうするうち、病とともに教会から離れそうになったときも、なかったわけではありません。しかし、キリストを信じる信仰は、体の中に動き続け、がんという病がついに勝利しようとした最後のとき、俄然、信仰の思いが動き始めました。今年の9月、私たちたちの教会においでになり、数回の礼拝でありましたが、しっかり人生の締めくくりをされ、ついに最後の入院となりました。しかし、病室ではCDで賛美歌を聞き、聖書の朗読を聴き、T子さんには「もっと大きな音に。皆が聴けるから(聴きたがっているから)」と言っていました。この葬儀でも、皆さんと一緒に賛美歌を歌いますが、M兄がベッドで聴いていたCDの曲の中から、好きな賛美歌として選んでもらったものです。
死の近いことは、本人が一番、知っていたと思います。T子さんも、そこは信仰の人でありまして、「お父さん、(死んだら)どこに行くんだっけ?」すると、M兄はすかさず「アメリカ、、、うそだよ、天国」という遣り取りをしておりました。痛みはありませんでしたから、完全に人生を完成してくださる神に任せきった入院の日々として私の目には映りました。
その平安がありましたので、私もお見舞いのたびごとに、聖書の言葉を読むのですが、天国の約束の箇所を必ず開いて、祈るのです。亡くなる前日、M兄のために私が最後に開いた聖書の言葉は、次の言葉です。ご一緒にお聴きください。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
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by rev_ushioda | 2009-11-09 21:35 | Comments(0)

「何を削るか」

説教の合間に…^^:

何を削るかと言うことは、大事なことだ。車を走らせながらラジオを聴いていたら、チャップリンのことに詳しい人が、話していた。NGを研究しているのだそうだ。何がNGになったか。NGの中には、観ていて面白いものがある。たとえば、チャップリンが美しい女性に気を引かれて、体が異常に熱くなっていたと思ったら、実は、椅子のヒーターが壊れていたからだった。そういう、子どもに分からないような、いわゆるシモネタのようなものはカットしたところに、チャップリンのこだわりが見えてくる、そんな話だった。
最近では、塩狩峠の劇と照明との合わせを見ていて、面白いと思った。列車が峠を登るところで、照明は、雲が後ろに行くように演出した。私は、リアルな演出だと思って観ていたら、演出家のN氏は、「それはカット」と言った。「それでは童話になってしまう」と。なるほど、だからこそ、言葉が前面に出てくるのか。

何を削るか。説教の話である。

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by rev_ushioda | 2009-09-26 23:16 | Comments(0)

「世界祈祷日」

「世界祈祷日」の礼拝が、私たちの教会で行われた。「世界祈祷日」は、世界170の国において、同じテーマで祈るいのりのプログラム。1887年、アメリカ合衆国の長老派教会の女性たちが、移民者や、いろいろな形で抑圧されている人々をおぼえて祈祷日を持ち、これが起源となっている。1945年以後、教派を越えて広がり、日本ではNCC女性委員会が中心に進めており、カンバーランド長老教会では、女性会が推進している。世界中、どこでも毎年3月の第1金曜日に実施されている。一つの祈りを世界中の教会で祈る。何とダイナミックな運動だろう。
今日は、あいにくの雨であったが、渋沢、さがみ野、あさひ、そして泉教会の、4教会が集まった。ほかに、地域のカトリック教会の2名、婦人矯風会の会長さんが加わり32名であった。今回のテーマは、「私たちは多くいても、キリストにおいてひとつの体です パプアニューギニアからのメッセージ」。説教は、私であった。以下、要約。

今日の聖書の言葉に、「持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」とあります。自分のものだと、「言う」者がなかったのです。持ち物は、ある。皆、別々の財産を持っていたのです。しかし、この持ち物を「自分のものだと言う者が」なかったのです。
では、誰のものと言っていたのか。直前の記事を読んで行くと、すべてのものは神のものであり、神から預かっている、そのような考えを持っていたことが分かります。自分のものだから、自分の使いたいように使い切ってしまったのではないのです。自分のものを持ち、しかもその持物を自分のためだけに使い、自分の考えで何でも判断し、自分勝手に使うというようなことが一般にあったと思うのですが、それを私物化と言うならば、教会は、それとは反対の所有のしかたをした、と言うのです。
三浦綾子さんのお話の中で、自分の家の上棟式の話が出てきます。その時、秘書がこう祈った。「どうか、この家を私物化することがありませんように」。本来、住宅というものは私生活の場である。その家を私物化するのが当たり前。しかし、それをしないようにと言うのは、本当にそうだという意味で、すごい祈りだと、本に書いているのです。教会は、所有を私物化しない生き方に生かされている共同体なのです。
ところで、聖書には「主イエスの復活を証し」と書かれています。自分の所有を仲間のために分かち合うという行動は、やがて主イエスが今、ここに、確かに生きておられる、という証しにつながった、というように読みとれます。宣教の言葉だけでなく、教会は具体的な生活をもって主イエスの復活を証ししたのです。それは、逆の意味では、主イエスの復活を証する教会共同体は、ひとりひとりの多様な所有を、他者のために役立てるための十分な動機を持っていた、持っている、ということになります。
私たちには多様性があります。おのおのの、所有物を持っている。それがお互いとの間を切り刻み、細切れにしているのが現代社会です。細切れにされたお互いは、お互いに価値観を競い、どちらが相手に対して優位であるかと争っている。こうして、人間の多様性は、少しも一致を見出し得なくなっています。
しかし、主イエス・キリストにあっては、その多様性は、お互いを引き離すものにならず、互いを分断せず、却ってその違いが良い影響を及ぼして、ひとつの体、共同体を作ることができるのです。「私たちは多くいても、キリストにおいてひとつの体です」。主イエスの復活を証しする時、教会こそが、お互いの違いを認めることができ、教会こそがその違いをひとつにすることができるに違いありません。
「私たちは多くいても、キリストにおいてひとつの体です パプアニューギニアからのメッセージ」は、私たちをもう一度、主イエスの復活を証する共同体に、引き戻すメッセージであるに違いありません。そして、主イエスの復活を証する共同体として、今度は、この世の中の多様なあり方をつなぐ役割を担うのです。そういうものとして、復活の主イエスによって、今日、この場所から遣わされる私たちでありたいと願います。

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by rev_ushioda | 2009-03-07 00:01 | Comments(0)

昨年10月から12月まで、私たちの教会の礼拝で語ってきた主の祈りの説教を、2月までには本にして出版する予定。140ページ前後で、1冊1,500円。現在、縦書きにするための文字修正、その他、校正をしている。
それにしても、1週間単位でまとめなければならない1回1回の説教に対して、しかもあの忙しい時期に、どれだけの準備をすることができたと言えるのだろう。内容は、推して知るべし、というべきか。
しかし、とは言っても、説教はその時、その時、時に適って必要だった言葉、神の民を養うために神が与えてくださった言葉であったと堅く信じている。内容は、マタイによる福音書をテキストにして、14回にわたる説教に次のような題をつけた。
向き合うことから/父よ/私たちの父よ/天におられる父よ/御名が崇められますように/御国が来ますように/御心が行われますように/私たちに必要な糧を/負い目を赦してください/赦しましたように/誘惑に遭わせず/悪い者から救ってください/ただ神に栄光あれ/アーメン
(今回は10冊だけ出版しますので、希望者は、連絡ください。なお、この本には、説教では触れなかったこと、説教の背景にあることを、「参考」として付けています)

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by rev_ushioda | 2009-01-03 09:29 | Comments(0)

「クリスマス説教」


イエスの両親であるヨセフと、イエスを身ごもって身重であったマリアの二人は、住民登録をするためにナザレからベツレヘムに旅します。120キロです。ローマ皇帝の勅令によって、身重であっても、そうしなければならなかった。支配者の勅令とは、いつの時代も権力を維持するためだけで、弱い人の立場を考えない、逆に苦しみを与える、そういうものです。(ルカ2:1-4)。
その行く道をたどると、そのひとつは、パレスチナ北方に位置するナザレから、ガリラヤ湖に出て、ヨルダン川沿いに南に進みエリコに行き、そこからエルサレムないしはベツレヘムへの道。120キロというと、直線で、ここから静岡手前辺りです。東名高速を使った道のり計算では、富士辺りになります。
しかも、ナザレは海抜約350メ-トル前後、エリコは海抜下250メ-トル前後、一番低い場所になり、ベツレヘムは海抜約800メ-トルです。
つまり、ナザレからエリコまで約600メ-トル下って、エリコから1000メ-トル登ることになります。
或いは他の道を通って行くにしても、いずれにしても山道を登り下りしなければならず、随分と大変な道のりだったはず。そして、その旅の先、ベツレヘムで、神の子イエスキリストが生まれるのです。

この時代は、どういう時代であったか。「ルカによる福音書」は、住民登録の勅令を出した、ローマ帝国の時代であるといっていますが、「マタイによる福音書」を読むと、「ヘロデ王の時代」と言っている。ヘロデは、自らを「ヘロデ大王」と呼んでいたのですが、「アレキサンダー大王」のような偉大な王もいましたが、それとは天と地ほどかけはなれていました。
厳密に言えば、彼は王ではなく、ローマ帝国から支配を任された領主といった方が適切であるかも知れない。とは言うものの33年という治世は、その地の歴史の中では例外的に長いものであり、ユダヤ地方に秩序と安定を保った功績は小さくありません。最大の功績はエルサレム神殿の再建であり、現在でもその壁の一部が残されています。死海のほとりにあるマサダに建てた要塞は、ヘロデの権力を偲ばせるものとして有名です。
しかし、そのような繁栄と功績こそありましたが、その背後には、恐ろしい物語が隠されていました。王になったのは実力というよりローマ帝国に対するへつらいや駆け引きの結果でありましたから、当然、自分の地位を狙う者を、いつも警戒していなければなりませんでした。
ヘロデは、裏切りと陰謀には非常に過敏になり、密告などの結果、疑いをかけられた者の結末は悲惨です。処刑された者のリストには、最高法院の指導的なメンバーたちもいますが、妻マリアムネの弟、妻の母、3人の子どもたちの名前もあります。何とも恐ろしいことです。
そんなヘロデが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」という東方から来た旅人からの質問に、「不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と聖書が書くのは、当然のことです。
その東方から来た旅人に、王は平静を装い、エルサレムに居た学者たちに聞いた答えを聞かせた。新しい王の誕生はベツレヘムである、と彼らに伝えました。王は彼らをひそかに呼びよせ「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言ったがヘロデの心には、まったく違う計画が潜んでいました。ヘロデは、自己保身というゆがんだ思いをもって、その直後、ベツレヘム中の幼子を虐殺してしまいます。主の一家は、かろうじてエジプトに逃れ、難民になりました。
これが、クリスマスの背景です。決して、きらきらした飾り付けで彩られている今日の商業化されたクリスマスのようではありません。それは恐怖、不安、悲しみ、そしてあきらめといった、暗黒と言ってよいでしょう。
毎年、アドベントに3回、クリスマスに1回、いずみ保育園で、クリスマスメッセージをします。このヘロデの話をしようとしたときに、主任が、その話はやめて欲しいと言われた。難民の子どもが多い、特殊な保育園です。もう30年も前になる1975年のベトナム戦争終結に前後して、ベトナム・ラオス・カンボジアから脱出した人々の家族が多いのです。殺戮、別離のために、悲しみ、痛みを背負い、いまだ記憶から消えない親がいる、というのです。聖書の話と自分と重なってしまう人々が、現に、ここにいる。現代も、聖書が描き出す、そういう時代だということです。

しかし、ここが大事ですが、クリスマスの本当の意味は、まさにその恐怖、悲しみ、不安と痛み、そこから始まるのです。
イエス・キリストが生まれたベツレヘム(ベ-ト・レヘム)という言葉の意味は、何か。ヘブライ語で「家」を意味する「バイト」と、「パン」を意味する「レヘム」が合わさった言葉で、「パンの家」となります。
主は、自らヘロデによる殺害を逃れ、その地上での歩みのすべてをかけて神の国を宣べ伝えられました。ヨハネ6:48~58に、たとえばこのような言葉があります。「私は命のパンである。・・・これを食べるものは死なない。私は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」。
「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」イエス・キリストを食べると言うのは、命のパンであり、天から降ってきた生きたパンであるイエス・キリストを、信じ、心に迎え入れる、ということを意味します。イエス・キリストというレヘム(パン)を宿すバイト(家)・・・それは、私たち自身だということなのです。
もし、私たちがイエス・キリストを迎えることを自分に赦すなら、イエス・キリストは、ただちに私のパンになると言うのです。
この命のパンであるイエス・キリストがご降誕なさった所は、石灰岩をくりぬいて作られた、洞窟状の馬小屋だといわれます。その飼い葉おけに寝かされたのです。そこは洞窟が掘られるような傾斜しているところですので、馬小屋の上には、家があります。
家。人間の営み。端的に言えば、この世の世界、ヘロデの世界があった、その下に、イエス・キリストが、ご降誕なさった。
この世の中は、パンの家とはほど遠い。ヘロデだけではない。人々は罪に溺れ、自己保身に走り、まさに動物のような弱肉強食状態であり、神を失った人間の本能のままに暮らしていたのです。
しかしその下に、イエス・キリストが生まれた。もう、意味がお分かりでしょう。人間が人間らしく生きる糧として、パンとして、神の子イエスは、人間の生活の足元に、身を横たえたのです。そして、町は、世界は、ベツレヘム(パンの家)となるのです。
私のように、あたかも家の下に作られた馬小屋のような、汚れきった者、平和を望んでも、しかし苦しみに取り付かれたかのような毎日に生きるしかない、いったい私は何をしているんだろう、、、そういう存在を聖めて、イエスキリストは、この私をまことのパンによって生きる家、人生としてくださるのです。命のパンを食べる人は、そこから人間らしく生きる者に、死から命へと生まれ変わるのです。これがクリスマス。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と聖書が言う出来事でした。

緑園の町があります。あの町は、よく設計された町です。どういう意味かというと、元相鉄副社長、岡幸男さんが、一等地を教会のために用意したのです。教会が来て欲しいと、そのように町を設計した。
岡さんは、クリスチャンでした。彼は言いました。「相鉄は、町を作った。しかし、いくら人が住んでも町にはならないのです。そこに教会がなければ町にはならない」。イエス・キリストをパンとした「ベツレヘム(パンの家)」になれ、そういう祈りがあったのです。
イエスによって、人の心がベツレヘムになったとき、本当に、人は人になる。町は町になる。そのためにキリストは、馬小屋、町の下に生まれたのです。あなたも、今夜、このイエス・キリストを信じる人になってほしい。あなたの人生を「ベツレヘム」として欲しいのです。
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by rev_ushioda | 2008-12-24 23:59 | Comments(0)

「総会近づく」

総会がいよいよ近づいた。連日のようにガイドブックの印刷、プログラムの印刷等、大量印刷が続いている。私は記録担当なので、私自身がビデオ、写真を撮ったりするわけではないが、奉仕してくださる方々に細かい連絡が必要だ。この、細かい連絡が、結構大変なのだ。そして、日曜日に海外のゲストを6名、お迎えするので、英語で式次第、説教要旨を準備する。ホームステイの手配も…
今週と来週は、泉教会の定例集会をすべて、休みとした。2週間、教会は活動を停止し、総会に向けて全力投球する。1810年以来、200年間で初めて、アメリカ以外でもたれる総会だ。できるだけのことはしたいと思う。

次の礼拝説教…使徒言行録13:1-3

 アンティオキアで教会を生み出したのは、迫害が原因で不本意にも散らされた人々でした。その人たちが、散らされた先で伝道し、そこに教会をつくり、そしてその教会が、さらに次の新たな伝道のため神から召されていったのです。
 迫害を逃れたアンティオキアの人たちは、もう嫌な目に遭わないで済む。苦労しなくてもよい。ようやく落ち着き所を得たと思った。しかし、教会がまだ整っていないのではないかと思うような時機にも、自分たちにとって大事な教師を次の働きのために送り出すのです。
 こうして送り出されたサウロは、その後マケドニアに立ち、そこから当時の世界の中心地であったローマ、さらに西に向かってイスパニア(スぺイン)にまで、伝道の思いを広げていました。彼は、世界の中心地さえも相対化した視野を持っていたのです。これが、教会の姿でした。教会の思いは、人がここまでと言っている範囲よりもずっと先にあるのです。
 アンティオキアの教会は、二人を、聖霊が告げたように「出発させた」(別訳「解放した」)。自分たちのところに(自分たちの思いの中に)、二人を閉じ込めておかなかった。二人を解放したのです! 何よりも、自分たちの思いをこそ、解放したということでしょう。
 教会は、自分たちを、世界に向かって出発させるところなのです。2008年総会(GA)もまた、然り。この総会から私たちは、新しい視野を持って、出発するのです。その時を、今、迎える。
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by rev_ushioda | 2008-06-04 23:30 | Comments(0)