「説教批評」

牧師会では説教の研さんが行われる。今回は私の説教の当番であった。「潮田先生らしい」という感想が何人かから述べられた。以前からそういう評価が与えられることが気になっていた。
実は、牧師会での説教は、直前になされた説教となっている。使徒言行録を講解しているのでこの日はどこになるかと思っていたが、いよいよ近づいてきて、ここか!と思った。困ったなあという意味である。使徒言行録19章11~20節、開かないでもいいが、こういう個所だと困ったなあ、と率直に言って、そう思ったのである。その前の説教(成瀬教会から招かれておこなった説教)にしてしまおうか、という誘惑があった。そういう誘惑と戦いながら(笑)、準備した。そして、先の評価である。
私は思った。困ったなあというところをうまくすり抜けてしまったんだな、と。そしていつものように、自分で納得できる、分かる説教になった。牧師会では、「牧会的」「教会形成的」と言われ、おおむね良い評価であったかもしれない。しかし、私にしてみれば、それは、すり抜けた、というのが当たっている。そこのところを、ズバリ、おひとりA先生が指摘されたのであった。カウンセリングだと思った、と。実のところ、今日になって、説教をその場で聞いていた一人の姉妹から、ご主人とちょっとしたすれ違いがあり、怒らせてしまった重い心をもって説教を聴いていたが、説教を聴いて「泣きそうになった(慰めを受けた)」と。カウンセリングだと思った、という評価は、まさに的中であった。良くも悪くも、説教とは何か。いつになっても突きつけられてくるテーマである。



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by rev_ushioda | 2017-10-04 17:03 | Comments(0)

「神学校卒業式」

今日、東京基督教学園の卒業式だった。関係する卒業生がいるので出かけたが、今年は、他の神学校でも関係者がいた関係で、はからずも二つの神学校の卒業式に出ることになった。神学校の卒業式(卒業礼拝)は、自分が牧師である原点に触れる貴重な場である。今年は2回もそのような場にいることができた恵みを思う。
今日の礼拝説教は、ヨハネによる福音書13章36~14章6節からの説教であったが、実に感銘深い説教であった。説教者は、藤本 満牧師 (イムマヌエル綜合伝道団代表、同 高津キリスト教会)。内容は、人は「どこへ」「なぜ」「どうして」と問うが、主は「わたしは道である」とだけ答えられる。そしてヘンリク・シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』を引用しただけの非常にわかりやすく、しかし明確に献身を促すものであった。
小説の引用をしながらも、しかし、聖書の言葉だけをもって語る説教で、御言葉が深く心に刺し込んで涙があふれた。よい説教に久しぶりに出会い、また、その後の祝辞も意義深いもので、言葉が心に響き自分の身に迫り来て、良い意味でぐっと疲れた(?)卒業礼拝であった。

改めて私の出発の時となった卒業証書をコピーしておこう。今は口語に変わっていて残念なのだが、私の時は文語体であった。丸山忠孝先生の読み上げるこの卒業証書本文は、今もなお耳に焼き付いている。

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by rev_ushioda | 2015-03-13 21:11 | Comments(0)

「神の大いなる欠け」

休暇で箱根に行ったが、部屋に入ってすぐ、机の上にあったパズルにくぎ付けになってしまった。
4つのピースで「T」の字を作りなさい、とあった。しかし、30分かかっても出来ない。ピースの数が4つしかないというところが、なかなか難しいのである。
これではせっかく休養に来たのに休養にならない…というわけで、ついに裏技を使って解明したが(ネットで調べた。反則である。)、こういうふうに、…なる。
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こうして一つ作ってみると、これには、ポイントがあることに気づいた。それに気づくと、ほかの例題も次々、解け出した。ポイントはどこにあるか。一つのピース(図では2)の角の部分、欠けた部分を埋めてはいけない、ということである。普通は、こういう「欠けた」部分があると、そこを埋めて、何とか形にしたいという意識が働くわけだ。しかし、それを埋めてしまってはこのパズルは解けないのである。これでいくと、欠けた部分、空白は、そのまま残すことが、ポイントなのだ。「欠け」、空白こそが大事。埋めようとするのを抑えて、埋めてはならない。
そう気づいたとき、聖書が私たちに言っているのは、そういうことではないかと思った。この欠けたところは、そのままにしなければならない。聖書は言っていたのだ。「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった」(イザヤ書53章5節)と。
イエス・キリストの十字架は、神の「欠け」、そのものだったのである。弟子たちにしてみたら、自分たちの先生、イエスさまが殺されるなんてとんでもない、ということである。殺されるというのは、負、マイナスイメージの象徴である。だから「そんなことがあってはなりません」(マタイ16章22節) 神のイメージの、「欠けた部分」を埋めようとする。しかし、それでは神のこころはわからない。その大いなる「欠け」十字架をもって、神は、私たちに大事なことを語っているのだ。

「彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

もちろん、そのパズルは、ショップで買って帰った。かくしてホテルの手にうまく乗せられた次第。
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by rev_ushioda | 2015-01-14 16:40 | Comments(0)

教会は、一人一人の求めに、どのように応えるのでしょうか。
主イエスのもとに多くの人が押し寄せました。病気に悩む人たち、苦しみや悲しみをかかえた人々、いろいろな訴えや、求めのある人が、どんなに多かったか、ということです。その時、「イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。」と、マルコによる福音書は書きます(3章9節)。
「押しつぶされ」るほどに、一人一人に応えて行かれたのですが、主イエスは弟子たちに小舟を用意させました。ある時点で、群衆との間に距離を置こうとされたのです。距離を置き、されることは一つしかありません。初めの説教の言葉に戻るのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」小舟を用意するというのは、舟の上から岸にいる人々に向かって、み言葉を語るためです。苦しみ、悲しみを背負って押し寄せてきた人々に対して、主イエスはその要求をただ満たし続けるのではなくて、彼らに、ついに「時は満ち、神の国は近づいた」という事実を伝えたのです。それが舟を用意した理由でした。群衆の要求に押しつぶされない!
そうなると、主イエスに触れてもらおうとして押し寄せて来た人々にとって、み言葉の説教は、ずいぶん期待外れだったでしょう。説教を聞いても、現実は変わらないし、病気が治るわけではなかったからです。「こんなことのためにわざわざ礼拝に来たのではない」と、私たちなら思うでしょう。
主イエスは、ついには期待通りにしてくれない。しかし、ここが大事なところです。主イエスは、最後の最後で、こうしてほしいと期待する人の、その期待からから、距離を置くのです。そして、舟から語る説教、ついに十字架からの言葉の中に(神の国の中に)、聞く人を連れて行くのです。
主イエスは私たちの期待を成就するのではなく、期待を外し、ひっくり返して、そこで初めて見える世界を見せるのです。そういうことが分からないで、私の願いを押し通し、私の願いに教会は応えてくれないと言い続けるのか、それとも、ついに神の物語に新しく生きるのか。私たちは立ち止まらなければならないのです。私たちの期待に応えてくれない所に留まれば、そこから始まる物語が、教会にはある。

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by rev_ushioda | 2014-06-23 20:52 | Comments(0)

「新しい人」

ブラジルから日住慎一兄が52年ぶりに帰国され、先週、礼拝で証をしていただきました。日住兄はブラジル東北部バイア州(フランスよりやや広い)に唯一の日本語教会、マッタ・デ・サンジョアン伝道教会の会員です。52年前、故郷、佐世保を離れ、40日間、船に乗ってブラジルのサルバドルに家族と共に移住しました。移住地に着き、さあ、これからだという1週間目、その日に何と、お父さんが交通事故で亡くなってしまったのです。お母さんは、ブラジル移住に反対でした。その見知らぬ土地に、右も左も分からないまま、子ども3人を抱えて放り出されてしまいました。それからというもの、何もない土地でどんなに苦労したか。そのお母さんの姿を考えるだけでも、日住さんは今も、辛くなると言われます。それから5年経って、今度は、そのお母さんも亡くなったのです。子どもたちだけがとり残されました。それからというもの、とにかく頑張って頑張って、ついに半世紀たって、今回、52年振りにようやく帰国できたのです。
日住兄は、教会に行くようになって、人生はすべて変わったと言われました。景色が変わったと言われました。感謝に変わったと言われました。「あなたがたは以前には…この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」しかし、今や、一人の新しい人になった、とエフェソの信徒への手紙2章は述べています。教会に行くようになってそのように変わった日住さんを見て、52年前に同じ船に乗っていた人が、イエスさまを信じるようにもなりました。
8年前の新聞に「ドミニカ訴訟」「国の移民対応『違法』」という記事が出ました。戦後、日本政府がドミニカに移住者を送り、約束と違う過酷な環境に置いたのは違法だというのです。訴訟のためにわざわざ来日して政府を恨み、人をうらみ、天を恨む。当然のことです。日住さんも「この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」しかし教会に行くうちに、神さまは日住さんをとらえてくださった。こうして「縦」の関係がつながると、不思議に「横」の関係も祝されていったのです。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもない。」「新しい人」が生まれました。
日住さんがいる同じ移住地に、佐々木さんという人がいました。移住直前に高座教会で洗礼を受けたキリスト者で、移住地で礼拝を始めた人です。佐々木さんは、こう言っていました。「イスラエルの民は、エジプトという外国で430年、奴隷だった。そこから神の民が生まれたのです。ブラジルの入植民も430年経てば、日本人でもブラジル人でもない、神の民という新しい民がそこに生まれる。それは神の業だ。私たちがするのではない。神がなさる。私たちはその神の業を証したい」
430年かかりませんでした。聖書が開かれ、キリストを礼拝するところ、そこに神の民、新しい人が生まれたのです。「移住40年『楽園』なかった」とドミニカ移住者は言っていますが、どこに行ったら「楽園」はあるのでしょうか。答は、イエス・キリストが礼拝される所に神の民、新しい人が生まれ、その人がいるところだ、ということです。
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by rev_ushioda | 2014-06-07 14:19 | Comments(0)

3年前から、礼拝でマタイによる福音書を読み始め、今日が最後になります。まる3年間かかって、読んできました。3年と言えば、おそらく何でも起こるのです。家族を天に送った人もいました。その反対に、家族が増えた人もいます。洗礼を受けて天に国籍を作った人もいます。病を得た人もいますし、事故や、自然災害に遭った人もいます。2011年には、東日本大震災がありました。原発事故によって、故郷を追われた人も多くいます。教会は、高齢化、引っ越しなどで礼拝者が激減し、仲間は大きなショックを受けています。3年というのは、何でもある(起こる)年数なのです。
その間、この福音書を読み続けたということには、どのような意味があるでしょうか。はっきりした答えがあります。人生のどの場面にも、語る言葉をもっている、ということです。
私が牧師になって初めて葬儀に直面した時、人の死に際しても語る者であった、ということを、うかつにもあまり考えて来なかったことを思い知らされました。普通は「このたびは、・・・」語尾を濁してもいいのだと聞いたことがあります。しかし、葬儀説教では、そうはいきません。はっきり語るのです。何を語るか。お経のような言葉ではありません。遺族と仲間たちに向かって、聖書をもって、慰めと希望を語るのです。聖書は、人の言葉が沈黙する時にも語り続けるものなのだと、牧師になってから、思い知らされたのです。
この3年間、いろいろなことがありました。だからといって、聖書が沈黙した日は一日もなかったのです。その都度、聖書の言葉は語りかけ、慰め、励まし、勇気づけ、立ち上がらせてくれた、と言えるのではないでしょうか。聖書は、人生のどの場面にも語る言葉をもっている、ということを私たちは学び取ることが出来たのです。いままでそうであったように、これからもそうです。聖書は、沈黙しません。この3年間でそのことを経験した私たちは、どうかこれからも一緒に、語り続ける聖書の言葉に聞いて行く、良き仲間であり続けたいと思います。

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by rev_ushioda | 2013-11-15 22:25 | Comments(0)

ヨハネ4:7-15 「泉になる人」 

和泉短期大学のモットーは、一言で言えば、「学生たち、愛の泉となれ」ということでしょう。しかし、愛というものは、そう簡単に湧き出るものなのでしょうか。
日本で大震災が起こると、皆、頑張れと言いますが、当事者はすべてを失って何を頑張れるのかと言います。親を失った子どもたちは、頑張ろうと言われても、涙が出て来る。だから、自分は親を悲しませているダメな子なんだと、自分を責めるのです。そのような子どもの心を受け止めるために「レインボーハウス」が建てられます。「ここだったら誰も頑張れと言わない。あなたでいていいよ」と。ですから、励まそうとして言う「頑張れ」は、必ずしも「愛の言葉」なんかではないのです。愛は、そう簡単に湧き出るものではない。
愛の泉になるというのは、子どもたちの気持ちに丁寧に向き合うことを言います。しかしそのためにはまず、愛の泉が、まず自分に向かって湧き出ているでしょうか。自分の気持ちがよく聞かれているでしょうか。今日の聖書の言葉は、キリストが一人の女性の心を解いていく物語です。彼女は、過去の様々なことによって、心を閉ざしていました。しかし、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」というキリストの言葉に出会って、この女性はついに「渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と言ったのです。
「その水をください」と言って、帰る所があるのです。私たちは、子どもに仕える前に、まず、自分をしっかり受け止める人として立ち上がって行きたいと思います。子どもに仕える時、もし、自分を愛することなく、人の目に真実を隠し、水源すらなかったとしたら、そのようではいい仕事が出来ません。子どもの溢れる感情を聞くことは出来ません。
私が出会ったA子さんは、福祉関係の施設に勤めましたが、不安が募り、その仕事を続けられなくなりました。お母さんの話では、A子さんが子どものとき、何気なく部屋をのぞくと、「A子ちゃん」が、壁に向かって頭をごんごんとぶつけていた、と。その頃、お母さんは病弱な弟のために一生懸命だったそうで、「A子ちゃん」は、周りから「いい子」と言われていたそうです。小さな子どもは、そのように家庭の問題を一身に背負っている。皆さんは、そういう子どもの気持ちを聞く人なのです。今日、ここで一人の女性と話しているイエス・キリストのように、です。皆さんは、これから出会う子どもにとっては、小さなキリストになるはずなのです。
そのような皆さん自身が、重荷を背負っていてはいけないのです。この女性のように、皆さんは、キリストの言葉を聞き、キリストの愛で、まず自分が満たされてください。次に、それを子どもたちに分け与える、そのような「泉の人」になってほしいと、心から願います。

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by rev_ushioda | 2013-04-24 00:49 | Comments(0)

「行為の意味」

世界祈祷日礼拝が、昨日(本来は3月第一金曜日)、今年は泉教会を会場に開催された。20人ほどであったが近くのカトリック教会の姉妹も参加してくださって、礼拝ののち、良い交わりをいただくことができた。式文を中心に進める仕方は私たちはあまり慣れていないが、いい刺激になる。あやうく飛ばされそうになった説教であったが、以下、マタイ25・31~46から語った内容を書いておく。


東日本大震災の後、何度もテレビで流れていたCMの一つに次のものがあります。「こころ」は、だれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える「思い」は、見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える」
宮澤章二「行為の意味」の一部です。
なるほど、「人が人として生きること」人への思いやりについての在り方を宮澤章二さんは私たちに伝えようとしています。実は、宮澤さんよりもはるか昔に、主イエス・キリストは、「人が人として生きる」ということ、「思いやり」の本質的な意味を、話しておられました。一つのたとえを示して、そのことを語っておられます。


聖書を読みましょう。34節「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
そこで、これを聞いた人は言うのです。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見たでしょうか?」「いつ、あなたにそのようにしたのでしょうか?」 また、そのようにしなかった人たちも、同じことを言います。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見たでしょうか?」「いつ、あなたにそのようにしなかったのでしょうか?」
いつ見たか、見なかったのかというのですが、実は、主イエス・キリストを、見ようとすれば私たちは見ることが出来るのだと、ここに言われています。なぜなら、主イエスは、私たちのそばにおられるからだ、と言われるのです。主イエスは、主イエスが愛した一人ひとりのそばに一緒にいらっしゃるのです。つまり、飢えている人、のどが渇いている人、旅をする人、裸の人、病気の人、牢に入れられた人の傍、です。主イエスは、これらの人々をご自分の「兄弟」と呼びます。また、「最も小さい者」とも呼びました。そして、そのそばに立っておられるのです。
しかし、多くの場合、人は言います。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見なかったというのでしょうか?」見えないという理由は、見捨てられているから、です。彼らは自分の隣人からも無視されているのです。果たして私たちは、何か必要を訴える兄弟姉妹を見ても、見ないふりをする時があります。そういう時は、何らかの自己中心的な理由がじゃまをして、彼らを助けたくない、という気持ちになっているのです。自分を指して、こちらは忙しいのだと言います。また相手を指して、まだ、あなたより悲惨な人はたくさんいる、ぜいたくだ、もっと頑張れ、と思うのです。そして、だから、助けたくないのです。
しかしそういう時に、彼らの涙は、悲しみは、心の叫びは、主イエスによって聞かれているのです。主イエスは彼らの傍に立たれるのです。主イエスは、これらの人々をご自分の「兄弟」と呼びます。また、「最も小さい者」とも呼びました。そして、そのそばに立たれるのです。


どうして私たちは、他の人の困っていることを見なかったのか。それは、私たちが、自分のことだけを見ている、からです。自分の秤で測っているからです。自分のことだけに関心を持っているからです。他者の苦しみや悲嘆への共感が欠如しているからです。感性がさび付いているからです。
キリスト新聞3月2日号の「論壇」に、木村利人さん(恵泉女学園大学 学長)が、東日本大震災と東京大空襲を重ねて、書いています。自然災害だろうが人為的な戦争だろうが、そこに人間の深い悲嘆、苦難の耐え難さがある、と。そこで、ご自身の体験を書いています。アメリカで出会った人のことです。
その人は、木村さんが日本人だと知って、こう言ったのです。1945年3月10日、少年兵として焼夷弾を満載し、東京上空に飛んできた飛行機に乗っていた、と。その日とは、100万人以上の一般市民が家を焼かれ、10万人以上が燃える炎の中で逃げ場を失い、命を落とした、東京大空襲でした。そしてこう言った。「上から見た東京の全域には、様々な色の、今まで眺めたこともないようなものすごく大きな花火が地上で舞っているようで、本当に綺麗で美しかったですよ。」得々として語った。多くの人を死なせたことへの遺憾の意の表明も、反省も全くなかったことに驚いた。まさにその日、多くの人の命が失われたのだ、自分の家も焼かれたのだ、とその人に語る木村さんの顔つきの険しさに、その人は気まずさを覚えてか、すぐにその場を離れて行った、というのです。
他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせる、東日本大震災に対してもそうだ、と そこで述べていました。

主イエスは、あの時も、今も、あしたも、ずっとこれからも、他者の苦しみや悲嘆を持つその人々のそばにいます。彼らの苦しみの中、飢え渇きの中、恥の中に、主イエスはおられるのです。しかし、人の目には隠されているのです。人の目に、主イエスが見えない、のです。
主イエスが最初に私たちのところに来られた時、誰にとっても、この方だ、と分かるような者として現れたわけではありませんでした。ベツレヘムの宿の人は、部屋が満室だというので、ヨセフとマリアを、普通の旅人として「馬小屋」に案内したのです。その夜、主イエスは馬槽の中に生まれたのです。しかしこうした結果、神の子でありながら主イエスは、住民登録の対象にもならない羊飼いの寂しさの傍にそっと立たれることになったのです。直後に、ヘロデの兵隊が町にやってきて、2歳以下の男の子を皆殺しにしました。その、殺される人たちの混乱と呻きの中に、主イエスはおられたのです。エジプトに難民となった時、主イエスは、そのような暴力の中で苦しみと悲しみを味わうような人々と、共にいました。十字架上で死なれたとき、主イエスは、のどが渇きました。裸でした。神からまったく見捨てられたその時、両脇で、やはり十字架で殺される人がいた、その人の傍に、主イエスはおられたのです。そして、「墓」の中に入れられました。死と絶望の底にある人のところに、くだって行かれたのです。主イエスは、こうして暗闇に住む者の一人になり、最も小さい者の一人になりました。 苦しむ者と共に苦しまれたのです。

私たちは、飢えている人、のどが渇いている人、旅をしている人、裸の人、病気の人、牢にいる人が見えないでしょうか。そこに、主イエスを見ないでしょうか。

『罪なき者の血を流すなかれ』という本があります(『罪なき者の血を流すなかれ』フィリップ・ハリー著、新地書房)。
第二次大戦中、フランスの、あるひとつの村に、ナチスの迫害を逃れてユダヤ人が逃げてくる。村人は彼らを受け入れて、国外脱出させました。その村の出来事が書かれています。村の名前は、ルシャンボン・シュル・リニョン。1998年の朝日新聞に「20世紀からの伝言 第三部 - 七つの村の記憶」という見出しがつけられた記事がありましたが、この本で紹介されている村のことでした。
そこに逃れてきたユダヤ人は一時ここで受け入れられ、そしてナチスの軍隊が来る前に、村人は、彼らを逃がしていくのです。
本の一番最後のところなのですが、ルシャンボン・シュル・リニョンという村が、周りのル・マゼ、その他の村と共に「コンシストワール・ド・モンタギュー」発音は違っているかもしれませんが、そこに属していたと書かれています。「教区」と、そこでは訳されていましたが、私たちが言う「小会」です。このような緊迫した歴史的状況の中で、小会(長老たち)がひとつの会議を機軸にして、そこで人々は命がけの決断をするわけです。小会の指導のもとに、この村が動いていたのです。
その決定がこの村の家々に伝わって、最初に難民がこの村に来た時、それは牧師館での会話から始まりました。「夜でした。・・・入ってもいいかときくので、『もちろんですとも、さあ、どうぞお入りください』と答えました。雪まみれでした」。
これが、やがてこの村のどの家でもきかれる事になったのです。「もちろんですとも、さあ、どうぞお入りください」。
これは「台所闘争」と呼ばれています。家の台所に迎える、そしてその台所から立ち上がっていく人々の物語なのです。特に身構えるわけではない。そこは台所なのです。しかしそこから物語が始まった。会議の場で何ごとか長老たちが決めて、それで終わるのではなく、それが次に当たり前のように台所に移されていって、「もちろんですとも、さあどうぞお入りください」という言葉、生活になった。
そして、その中心に小会のつとめがあったということなのです。御言葉が宣べ伝えられる、御言葉がこの世の中で生きて働く、ということのまさにその中心に、小会のつとめがあったのです。その会議が主イエスをしっかり見ていたから、家庭の台所でも、人々は主イエスをそこで見たというようなことが起こったのです。これは、本当に大切なことだと、私は思います。
木村利人さんは、他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせる、と言いますが、あのフランスの一つの町の台所で、他者の苦しみや悲嘆への共感があった。他者の苦しみや悲嘆を想いめぐらす想像力のゆたかさがあった。彼らは、そこに主エスを見たのです。そして行動した。それは台所であった。台所こそ、主イエスをお迎えするような場所になったのです。


カトリックの讃美歌に、このような歌があります。
小さな人々の/一人一人を見守ろう/一人一人の中に キリストはいる/貧しい人が飢えている 貧しい人が渇いている 国を出た人に家がない 寒い冬には着物がない/小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる/
小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる/病気の人が苦しみ 牢獄の人はさげすまれ みなしごたちはさみしく 捨てられた人に友がない/小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる

隣人と共におられる主イエスにお仕えするために、今、私たちはあのフランスの人たちと共に、台所から、生活の場から立ち上がります。
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by rev_ushioda | 2013-03-01 15:16 | Comments(0)

「応答の質」

マルコによる福音書1章35~39節
(女性会役員会説教)

今年の女性の集いは、泉教会が会場担当ということで、会場を準備しました。ただ、泉教会のこの場所では広さに不都合がありますので、駅の近くのテアトルフォンテ(泉区民文化センター)を会場に借りました。なかなか立派な施設です。
私たちは、そこを何度も使っています。伝道教会設立式に際しては、「マリー・マグダレーン」という、一人芝居を上演いたしました。プロであった方をお招きしての、設立公演でした。その後、「塩狩峠」の朗読劇を上演、続いてラニー・ラッカーのゴスペルコンサートを行いました。もっと以前には、アドイッシュ展という作品展を2度、ギャラリーで開催しました。テアトルフォンテは、教会として、よく使う施設なのです。
また、NPO法人 心を聴く市民ネットワークの活動では、年間を通じて、その会議室を勉強会会場として使います。駅周辺には、ほかに社会福祉協議会の施設がありますが、そこも頻繁に使っています。
私たちは、教会としての場所を、ここ(泉教会)に、固定していないのです。確かに、何かをする場合、狭すぎてこの場所に集められない、ということもありますが、それだけではありません。私たちは教会の活動の場所を、自由に周辺施設を借りて、行っているのです。今回の女性の集いも、場所がないなら、お金のかからない大きな教会を借りたらいいだろうという話もあるかと思います。しかし、お金はかかるかもしれないけれど、テアトルフォンテもまた、私たちにしてみたら、普通に、教会の場所なのです。
教会とは何か、と考えます。皆さんは、泉教会においでになるとき、地図をご覧になったと思いますが、それは、この建物の地図であって、教会ではない。教会、エクレーシアは、私たちである。そのことは知っていると思います。そうであれば、私たちが集まる場所もまた、この建物に固定して考えないのです。テアトルフォンテもまた、教会なのです。まあ、向こうから言わせれば、勝手なこと言ってもらっては困る、と言うのでしょうが・・・
そういうわけで、今年の女性の集いはテアトルフォンテで行なう、というようにしたわけです。できるだけ近くまで来てもらって、でも教会は狭いから近いところにある施設を借りた、というようには考えていません。そこもまた、泉教会なのです。

さて、弟子たちは「イエスの後を追い、見つけると」言ったのです。「みんなが捜しています」。

確かに、主イエスがいやしの業をされたカファルナウムでは、朝早くから、主イエスをみんなが捜していたのでしょう。しかし本当は、弟子たちが、町に戻ってくださいと言って、主イエスを捜していたのではないでしょうか。「ここが教会です。ここで、せっかくうまくいったのだから、この際、ここで成功をおさめましょう、いい教会成長プログラムを作りましょう」。そういう気持ちが起ってきても、不思議はないと思うのです。
主イエスは、しかし、「近くのほかの町や村へ行こう」と言われ、「そのために出てきた」と、すでに、別の方向を見ておられたのです。近くのほかの町や村に、教会の「場所」を見ておられた。
私たちは、主イエスが「そのために」と言われるところを見るため、そこでお仕えするために、引き出された者であると思います。女性会が、今年、歩もうとするところはどこなのか、それは何のためなのか、よくわきまえていたいと思うのです。

日本中会は、昨年、「教職志願者および伝道師規定」を改正、また新たに「他教団教職者の受入れ規定」を承認した結果、水準は落とさず、しかし教職者の受入れ枠を広げました。これは、まさに主が見ておられる「そのため」の、一つの大事な決断であったと、思います。あとは、決断するのは私たちのほうだということになります。別に、皆が教職者になろう、というのではない。中会が教会の枠を広げて考えようとしている。今度は、応答の質が求めている、ということなのです。主の召し、招き、教会というものを、私たちは固定化して考えていないか、自分の中から出てくる考えでだけ、みていないか。そういうものは、一旦、壊されなければならない。
この4月、中会は、ブラジルのマッタ教会に宮島伝道師を派遣しました。彼は、他教団の牧師でしたが、マッタで働きたいという願いを与えられ、中会に移籍を願い求めてきました。その時、中会は法的に受け入れ態勢が整っていなかったのです。まだ、どうなるか分からないまま、しかし、彼は自分の教団を離れる決断をして、昨年の11月中会会議に臨むため、来日しました。ここで否決されれば、戻るところを失います。背水の陣をしいて、来日しました。そこに、応答の質があったのだと思っています。日本中会は、11月の会議で、彼を中会の「他教団志願者」として受け入れました。伝道師待遇です。他教団では、牧師であったのに、ここではまた、教職者試験に臨まなければなりません。それでも、応答し続けたのです。

教会は、こうしてできる。

新しい決断をする時は、とても緊張します。しかし、その緊張が大事なのです。緊張というのは、「みんなが捜しています」という町に戻って行くときには、おそらく感じないのです。しかし、主に従って、たとえば「ゲラサ人の地方」に行った時など(マルコ5・1~20)、いったい、弟子たちは舟を降りたのだろうか(降りなかったのではないか)、と思うほどです。それほど緊張が強いられたと思われるのです。しかし、「そのために」と言われる主に従うことで、そこに教会が、教会の物語が、生まれていくのです。
「みんなが捜して」いるところに戻ったとしたら、決して見ることができない、神の国の物語が実現するのです。

今、1枚の神を配ります。私が初めて教会(希望ヶ丘教会)に行った時のチラシです。ガリ版での多色刷りです。1968年(昭和43年)9月に、教会は特別伝道集会を開催。その時、駅前で配布したチラシが、このチラシです。私はこれを手にして、初めて、教会の門をくぐったのです。チラシには「あなたの悩みは解決できたか」と書いてありました。私には、悩みなど何もありませんでした。しかし、私はそのチラシで導かれたのです。講師は吉崎忠雄先生でした。そして、次の年に「受洗」しました。
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下のグラフは、礼拝堂が建った時から10年間の教勢です。
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希望ヶ丘教会は、家庭集会が基礎にあったため、最初から人数は30人はいました。今の場所に礼拝堂を建て、最初の礼拝が行なわれてから5年後、1968年(昭和43年)に教会設立礼拝が行なわれ、めぐみ幼児園が開園した。その年に、今、申し上げましたように、高校3年生の私が初めて、教会に行ったのです。
けれども、私が教会に初めて行った年は、そこにある統計を見ると、希望が丘教会の礼拝人数が激減し、23人、翌年は最低を記録した年です。礼拝を開始して5年、教会設立礼拝や、めぐみ幼児園開園という華々しさの影に何か課題があったようです。「あなたの悩みは解決できたか」とは、教会が自分に向かって言うような状況だったと思います。当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声もあったのです。しかし、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、口語訳)。この言葉に励まされて、出て行ったと聞きました。そこで配ったチラシの1枚が、私を捕えたのです。私は、それから神学校に入学するまでの、主に大学生時代、希望が丘教会の礼拝に出席いたしました。

教会は、いったいどこにあるのか、建物の中だけにあるのだろうか。否。主イエスは「近くのほかの町や村へ行こう・・・そのためにわたしは出てきた」と言われました。自分の教会、自分の町カファルナウム、そこに戻るときには、教会は出来ないのです。「御言を宣べ伝えなさい」と言われる主のあとに従う時、そこに教会が生まれ、教会が動き出すのです。私たちは、自分の領域に主を引き戻すのではなく、主の見るところに進み出ていく、応答の質が問われているのです。

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by rev_ushioda | 2012-04-16 20:20 | Comments(2)

「聴く」

牧師を30年以上していて何度、「最近、説教が変わりましたね」と言われたことかと思います。牧師も色々勉強をしますから、確かに変わらないことはないのですが、しかし、「説教が変わりましたね」と言われるタイミングが、自分が動いた時と明らかに違うのです。
そういう「評価」を聞いて、私は、思い出したことがあります。ある時「パウロの伝道」という講座を開いたことがありましたが、その講座のあと、一人の方が「聖書の文字が大きくなりました!」と目を輝かせて言われたのです。今まで、ぼーと、と言っては失礼ですが、自分なりの基準で聞いていた聖書の言葉が、その講座によって自分の中に受け皿ができて、聖書そのものが言っていることとして聞けるようになった時、文字が大きくなったのです。自分の受け止め方が変わった瞬間、文字が大きくなったのです。
聞き方が変わる、ということがあるのです。今まで何度も聞いたのに、ある日、初めて聞いたように思えることはないでしょうか。つまり、それまでは上の空で聞いていた、ということはないでしょうか。まさか聖書や説教を上の空で聞くことはないにしても、自分とのひっかかりが得られず、ついに聞くことができずにいるということがあるのです。しかし、聞くための器ができると、たとえば自分が苦しんでいるときとか、その時に、語られていることがしっかりと受け止められるようになるのです。同じ聖書の言葉でも、今までは何も響かなかったのに、次に読んだときには大きく響いてくることがあるのです。説教が変わったのではなく、聞き方が変わった、・・・のではないでしょうか。
同じ「聞く」でも、「聴く」という字を使うことがあります。これは、「聴診器」「傾聴」のように使います。自分の先入観、思い込み、価値観を一旦なくして、向き合う対象からそのままに聞くときに使う字です。そのように、私(こちら)が自分を前面に出すのをやめて、語られた言葉の行間を読もうとするほどに聞き取ろう、・・・そうです「聴く」ことができたら、同じ説教は、変わるのです。

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by rev_ushioda | 2011-09-09 17:49 | Comments(2)