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明日、礼拝の中で「結婚の祈り」をする。
明日は通常の礼拝であるが、最後の「派遣の言葉、祝福」の直前にそのプログラムを入れ、結婚の祈りが終わったら結婚式で歌われる讃美歌を歌い、一同、派遣されていく、という流れである。

以下、カンバーランド長老教会『礼拝指針』の要約である。

結婚は、役所に届け出る「法的」契約以上のものであると、教会は考えています。聖書によると、結婚は神と人間との関係になぞらえられています。つまり結婚は、神がそうされたように、自分を相手に与えることです。また、非利己的な愛をもって相手を愛することです。そのような意味を知るために、結婚しようとする二人は、結婚準備会を大事にするように、教会は勧めています。準備会では、次のようなことが話されます。二人が、結婚をどのように考えているか、結婚へ臨む姿勢、イエス・キリストおよび教会との関係、結婚への情緒的、経済的適性などです。
カンバ-ランド長老教会は、結婚式を礼拝と考えています。つまり、礼拝で行われる要素(聖書朗読、説教、賛美、祈りなど)はすべて結婚式にも当てはまるのです。結婚式において出席者は皆、礼拝に参加するのです。実際、結婚式が通常の主日礼拝の中で、または直後に行われるのは、事柄にふさわしいことです。

誓約の言葉は、以下のようになります。二人はこれに、聖霊の助けによって、「はい」と答えるのです。

夫となる者へ
(    )、あなたは(    )と結婚し、その夫になろうとしています。あなたは(    )が、あなたの妻になることを信実に願い、この結婚が神さまの導きであると信じています。
そこで、わたしはあなたに、誠実に言い表すことを勧めます。あなたは、聖書から教えられることを心にとめ、常にキリストに対する畏れをもって、夫としての道を尽くし、主にあるパートナーに仕え、健やかなときも、病むときも、(    )を自分自身のように愛しますか。

妻となる者へ
(    )、あなたは(    )と結婚し、その妻になろうとしています。あなたは(    )が、あなたの夫になることを信実に願い、この結婚が神さまの導きであると信じています。
そこで、わたしはあなたに、誠実に言い表すことを勧めます。あなたは、聖書から教えられることを心にとめ、常にキリストに対する畏れをもって、妻としての道を尽くし、主にあるパートナーに仕え、健やかなときも、病むときも、(    )を自分自身のように愛しますか。

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by rev_ushioda | 2013-06-15 16:50 | Comments(0)

「良い朝を迎えて」

今朝、賛美の「めぐみ幼児園」卒園式を迎えた。寒い朝だったが、予報では、暖かくなると言っていた。
パパも長い休職期間だったが順調に回復し、4月復帰に万全の態勢である。いい朝を迎えることができた。

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by rev_ushioda | 2013-03-15 09:47 | Comments(2)

「義母の死」

義母は、いわゆる「天寿をまっとうした」という言い方があるが、そのような最期を迎えた。何の苦痛もなく、すうっと息が止まったのだった。その瞬間は、家族の誰もその場にいなかったが、すでに先週、何度かベッドのそばに集まった家族は、何の苦痛もないことを見届けていたことや、ずっとそばにいて看ていてくださったスタッフの方の話から、誰もみな、天寿の全うの瞬間を思った。先週金曜日(15日)午後11時少し前だった。

義母は、早くに連れ合いを亡くしたから、91年の生涯の後半、今日までの50年近くは、一人で過ごしてきた。当然、子どもたちの養育のためには、ずいぶん苦労したことは、言うまでもない。しかし勤めを転々としたわけではなく、連れ合いが健在だった時から続けていた仕事を最後までやりぬいた。ずっと変わらず、一つの職場であった。そこでよい仲間をいただきながら、海外旅行にも行くことができ、絵の趣味はなかなかのスキルの持ち主であった。「サロン・デ・ボザール展」という、上野で開催する展覧会に出品するごとに、何度も賞をもらうという、腕の持ち主であった。ちなみにこのボザール展は、文化庁、東京都、NHKなどが後援するもので、そこでの受賞だから、それなりの名誉が伴うものである。

たまたま認知症をわずらうことになり、最後の10年は特養ホームでの生活になったが、実はそれまでの5~6年、時間があれば、泉教会に通っていた。義母は、キリスト教の信仰があったわけではないが、教会に来ることを楽しみにしていた。そうこうするうちに認知症になったので、そういう意味では泉教会の場所とか、日曜日ごとの礼拝と交わりは、義母の「社会生活」最期の日々となった、と言ってよいと思う。

その場所で、21日、葬礼拝が営まれていることに意味を感じないわけにはいかない。義母が最期の日々、聞いた聖書の言葉を、私たちもそれを聞いて、お別れの時、また、この日まで守り導いてくださった主を賛美するときにしたいと思う。
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by rev_ushioda | 2013-02-18 22:19 | Comments(3)

「婚約式」

結婚しようとする者は、まず、牧師に相談します。そして結婚準備会を重ね、婚約式をすることになります。

なぜ、婚約式を行うのでしょうか。それは、社会の中にふたりの関係を明らかにするためです。明らかにするということは、これから始まる結婚に責任を持つ、という表明でもあります。何ヶ月かすれば、ふたりは結婚するでしょうが、結婚とは、ふたりが一つになって親族やお互いの関係者に対して、そして社会に対して責任を果たして行くことです。そういう表明をしたふたりに対してこそ、周りの人は誠実にアドバイスし、また、祈ることができるのです。

聖書は結婚について、「父母を離れ」と言います。そうであれば、婚約期間は、離れる訓練の時です。物理的にではありません。親から、家から精神的に離れることができるか、ということです。一つの新しい家庭を作ろうという時に、親に依存せず、独り立ちできるのかが大事です。夫婦は、何より一番大切なものを共有する単位です。今まで親子の間にあった安心感、喜び、悲しみの時の慰め、これらはみな、夫婦の中でこそ育てられ、成長して行くことになります。それができないと、夫婦はいつまでもひとつになれません。婚約期間は、離れる訓練の時です。

聖書はまた、「結ばれ、ふたりは一体となる」と言います。婚約は、結び合う訓練の時です。もともと別個の人格が、結婚によって一体となるのです。だから、この期間で大事なのは、まずお互いの違いを数えること。結婚を目指しているから二人は同じだと思ったら、そこに落とし穴があります。同じ面よりも、違う面のほうがはるかに多いのです。違う生育歴、違う考え方や感じ方、ぺースの取り方があります。まず、二人は違うのだということを肝に銘じなければなりません。それを受け止める訓練を、結婚準備会で、そして婚約期間にしていきます。違うものを受け止めるという、この作業をおろそかにすると、取り返しのつかないことになりかねません。

その上で、「なぜこの人と一緒になるのか」という十分な理解を持つことが大事です。好きだから一緒になるというのでは、だめです。なぜなら、好きだからというのは、好きでなくなった時、あるいは、お互いに嫌なところが見えてきた時、結婚の理由がなくなってしまいます。「なぜこの人と一緒になるのか」、準備期間に考えていくことになります。

婚約は、「式」の準備のときではありません。「父母を離れ」「結ばれ、ふたりは一体となる」という「結婚」の準備の時なのです。準備ができるというのは、大人のすることです。婚約期間を大事にしていきましょう。

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by rev_ushioda | 2012-11-19 20:30 | Comments(0)

「親は子どもの牧師」

今度の礼拝は、成長感謝礼拝だ。教会では毎年、オリジナルカレンダーを作って子どもたちにプレゼントしている。写真を6枚預かって、2ヶ月ごとのカレンダーを作る。スキャナで読み込んで貼り付ける作業は、トリミング、色調整もするので、簡単なようでなかなか手間がかかる。今年は、4家庭分だった。そこで、以下のように思いを馳せている。

牧師は、病院にお見舞に行くことがよくあります。駆け出しの頃ですが、小さな男の子が喘息で病院に運ばれ、私もすぐに行ったのですが、処置がきついらしく「痛いよ、痛いよ」と泣いているのです。それを聞いているうちに、どうも感情が伝わってきてしまい、クラクラ・・と。貧血を起こしやすい私は、とっさに外に出て座り込んでしまいました。何ともなさけない牧師なのです。
一方、その子のお母さんですが、別の時、お子さんがまた入院し、今度は熱性けいれん。普段とは違ううつろな眼差しのために、危機感を募らせ、もう、どうしてよいかわからなくなったそうです。けれどもそこで気をとり直して、とにかくベッドの脇でこう言いました。「まーくん(その子はまーくんと呼ばれていました)、かみさまにおいのりしようね」。すると、今までうつろだったまーくんが「かみさま?」と言って、ベッドの上にちょこんと座り、お母さんの顔を、しっかり見つめたのです。
お祈りしよう、という呼び掛けで自分を取り戻してくれたことが、途方に暮れていた母親として、何よりもうれしかったと、このお母さんは話してくれました。

子どもが病気の時、また、苦しむ時、その時にこそ「いつものようにお祈りしよう」と言うことができる親は、また、そう言ってもらえる子どもは、何と幸いかと思わされました。祈りは、このように確かに人を現実に引き戻すのです。親もまた、途方に暮れず、つまらぬ迷信にも走らず、冷静に看病し、医師に信頼して、正しく治療を受けることができるのです。
子どもが入院すると、牧師に来てもらい、祈ってもらいたくても、場合によっては親だけしか入れないということもあります。家であっても、夜中とかとっさの場合は、そこでは親がしっかりしなければなりません。その時に「さあ、神さまに祈ろうね」と言うことができる親は幸いです。その時、親は子どもの牧師になるのです。親のもっとも光栄あるつとめではありませんか。

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by rev_ushioda | 2012-11-15 21:58 | Comments(0)

「健闘を祈る」

娘の連れ合いが抗がん剤治療を始めることになった。心配していたことが、現実になった。最初のときは(結婚以前)放射線治療だった。今度の辛さは、その比ではないだろう。2週間の入院、その後20日間の間をおいてまた同じように繰り返す、ということを3回・・・

主が、検査によってこのことを知らせてくださった。主が手を延べて、病と向き合わせてくださると信じていこう。健闘を祈る。

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by rev_ushioda | 2012-08-24 16:27 | Comments(1)

「母、退院」

先週金曜日、無事、母は退院した。
3週間の入院だった。緊急外来で診断を受けたとき、そういえば、医師からは最悪のことを言われたが、よく考えれば、こうして感謝して退院の日を迎えるわけだ。逆だったら、大丈夫と言ったのに…とうらまれることになる。最悪から立ち上がって、良い日を迎え、感謝されるにこしたことはない。
それにしても94歳を考えれば、心臓が若返るわけでもない。後の日々を上手に生きていくように、送り出されたときでもあった。子どもたちはもとより、孫が来る、ひ孫たちを連れてくる。一緒に写真を撮っている。考えてみれば、賑やかな日々であった。母は、新たな人生のひとふしをこうして作った。私は、自分の歳を改めて思った。この3週間、病院通いで疲れはしたが、まずは、いい日々であった。

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by rev_ushioda | 2012-08-06 17:07 | Comments(2)

「母入院」

土曜日(7月14日)の朝、母が苦しそうに、病院に連れて行ってほしいと。

朝3時頃から胸が苦しかったと言うので、すぐ、かかりつけの病院に電話。案の定、大きな病院に行って欲しいということで、もう一つの病院に電話。車で連れて行った結果、即、集中治療室に入院となった。「心不全」の発作であった。医師は、最悪のパターンをいくつか話した。そう言わなければいけないのだろうと思いながら、事態は楽観的でないことは察しがついた。

翌、日曜日。礼拝が終わったあと、病院から電話があった。ひやっとしたが、状態が安定しているので、一般病室に移します、とのこと。

今日、火曜日(17日)医師による病状説明があった。兄弟3人で説明を聞く。心臓の血管の複数個所に血管壁の詰まりがあると見られる。レントゲン写真は、発作のときと平常時のものであったが、写真を比較してみると明らかに違うことが分かった。検査をして、詰まっている個所を特定し、手術が出来ないわけではない。しかし、年齢からして、負担が大きいでしょう。本人からも、手術を望んでいないと聞いていますとのこと。それは、私も母から聞いていた。いずれにしても、一般病室に移ったのは、ICUは後がつかえているから、差しあたって安定したら一般病室に移るという、いわゆる押し出し。決して良くなったわけではない。医師からは、いつ次の発作が起ってもおかしくないと言われている。

この後どうなりますかと問うと、改善はないこと、むしろ、いつ最悪の発作が起るか分からないので、その覚悟を持っておいたほうがよいこと、1週間も入院していると、年齢からして立てなくなること、そういう意味で、1ヵ月後に移る施設を探し始めたほうがよいことなど、説明をしていただいた。その後、兄弟で、葬儀の話もせざるを得なくなった。思いがけない展開である。

その日まで普通の生活をしていた母である。発作で入院したら、もう家に帰れないでしょうという説明に、いつかこういう日は来ると思ってはいたが、そして病状はとてもよく理解できても、しかし、気持ちがついて行かない。複雑な思いである。家に戻れば、部屋は、そのままである。昨日まで庭の草取りもしていた。もう、ここに戻れないのか。そんな…という気持ちが巡る。 
手術はしないでと言いながら、本人は1週間も入院したら家に帰れるつもりでいる。母には何と言ったらよいのか…
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(妹たちと一緒に病室で撮った写真。携帯のカメラで撮ったら、写真加工したわけでもないのに画質がひどく悪い。夢の中みたいに…)


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by rev_ushioda | 2012-07-17 22:19 | Comments(2)

食事の時に、娘夫婦や孫たちも一緒に食べることが多い。いきおい、最近の体調不良のことが話題になる。なる、というより、自分から言い出してしまう。神経痛がどうのこうの、用意した教会のチラシが思うように配れない、云々。
突然、5歳の孫が言い出した。「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」「わたしの目にはあなたは値高く、貴く わたしはあなたを愛している」。聖書の言葉だ。教会で、子どもたちは聖書の言葉を覚えるように指導されている。それにしても、このタイミングの良さ。4歳の子どもだって、聖書の言葉がどういう意味をもっているか、分かるのだ。

「おじいちゃん、言える?」「言えないの? 牧師さんでしょ?」

^^;

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by rev_ushioda | 2012-06-30 20:26 | Comments(4)

「生まれる前から」

私たち夫婦には、2人の娘がいます。けれども、上の子が産まれる前に、私たちは2人の子を流産で失っています。そして下の子が産まれるまでにさらに1人。こうして、3人を流産で亡くしました。ですから、上の子の時も下の子の時も、大事をとって妻は10か月間、完全に寝たままの状態でした。流産を繰り返す中で、病院も、普通では産むことが出来ないけれど、どうしても子どもがほしいという人が全国から集まってくるという、鎌倉の病院を紹介されました。それでも、上の子の時はいよいよ危なくなって、出産前の4か月間は、入院ということになりました。一生懸命でした。命と向き合う日々でした。幸い産まれてからは健康で、成人式を迎えた時、親ばかですが、イルカの「なごり雪」をプレゼントしました。「今、春が来て、きみは、きれいになった・・」鎌倉に通った日々を思うと、とてもうれしかったのです。人が産まれるというのは、当たり前ではない。あの時に読んだ聖書の次の言葉を、今でも宝物のように思っています。
「あなたは私の内臓を造り、母の体内に私を組み立ててくださった。…胎児であった私をあなたの目は見ておられた。私の日々はあなたの書(書物)にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから」
私たちは見ることがありませんでしたが、造り主である神は、私たちの胎児を見ておられたのです。まだ一日も造られないうちから、もう、知っていてくださったのです。私たち夫婦は流産の子をこの手に抱くことは出来ませんでしたが、その理由もわかりませんが、神はその子も、一人の命ある人として天に迎えてくださったのです。何という慰めになったことでしょうか。
しかしこれは、流産の子どものことだけではありません。私たち一人一人のことでもあります。神さまは私たちを、実に産まれる前から、目の瞳のように慈しんで愛していていてくださったのです。そしてこの世に生を与えてくださった。人が産まれるというのは、創造主のわざです。命を創造する方に、あなたにも出会っていただきたいのです。

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by rev_ushioda | 2011-09-05 17:40 | Comments(0)