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「婚約式」

結婚しようとする者は、まず、牧師に相談します。そして結婚準備会を重ね、婚約式をすることになります。

なぜ、婚約式を行うのでしょうか。それは、社会の中にふたりの関係を明らかにするためです。明らかにするということは、これから始まる結婚に責任を持つ、という表明でもあります。何ヶ月かすれば、ふたりは結婚するでしょうが、結婚とは、ふたりが一つになって親族やお互いの関係者に対して、そして社会に対して責任を果たして行くことです。そういう表明をしたふたりに対してこそ、周りの人は誠実にアドバイスし、また、祈ることができるのです。

聖書は結婚について、「父母を離れ」と言います。そうであれば、婚約期間は、離れる訓練の時です。物理的にではありません。親から、家から精神的に離れることができるか、ということです。一つの新しい家庭を作ろうという時に、親に依存せず、独り立ちできるのかが大事です。夫婦は、何より一番大切なものを共有する単位です。今まで親子の間にあった安心感、喜び、悲しみの時の慰め、これらはみな、夫婦の中でこそ育てられ、成長して行くことになります。それができないと、夫婦はいつまでもひとつになれません。婚約期間は、離れる訓練の時です。

聖書はまた、「結ばれ、ふたりは一体となる」と言います。婚約は、結び合う訓練の時です。もともと別個の人格が、結婚によって一体となるのです。だから、この期間で大事なのは、まずお互いの違いを数えること。結婚を目指しているから二人は同じだと思ったら、そこに落とし穴があります。同じ面よりも、違う面のほうがはるかに多いのです。違う生育歴、違う考え方や感じ方、ぺースの取り方があります。まず、二人は違うのだということを肝に銘じなければなりません。それを受け止める訓練を、結婚準備会で、そして婚約期間にしていきます。違うものを受け止めるという、この作業をおろそかにすると、取り返しのつかないことになりかねません。

その上で、「なぜこの人と一緒になるのか」という十分な理解を持つことが大事です。好きだから一緒になるというのでは、だめです。なぜなら、好きだからというのは、好きでなくなった時、あるいは、お互いに嫌なところが見えてきた時、結婚の理由がなくなってしまいます。「なぜこの人と一緒になるのか」、準備期間に考えていくことになります。

婚約は、「式」の準備のときではありません。「父母を離れ」「結ばれ、ふたりは一体となる」という「結婚」の準備の時なのです。準備ができるというのは、大人のすることです。婚約期間を大事にしていきましょう。

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by rev_ushioda | 2012-11-19 20:30 | Comments(0)

「親は子どもの牧師」

今度の礼拝は、成長感謝礼拝だ。教会では毎年、オリジナルカレンダーを作って子どもたちにプレゼントしている。写真を6枚預かって、2ヶ月ごとのカレンダーを作る。スキャナで読み込んで貼り付ける作業は、トリミング、色調整もするので、簡単なようでなかなか手間がかかる。今年は、4家庭分だった。そこで、以下のように思いを馳せている。

牧師は、病院にお見舞に行くことがよくあります。駆け出しの頃ですが、小さな男の子が喘息で病院に運ばれ、私もすぐに行ったのですが、処置がきついらしく「痛いよ、痛いよ」と泣いているのです。それを聞いているうちに、どうも感情が伝わってきてしまい、クラクラ・・と。貧血を起こしやすい私は、とっさに外に出て座り込んでしまいました。何ともなさけない牧師なのです。
一方、その子のお母さんですが、別の時、お子さんがまた入院し、今度は熱性けいれん。普段とは違ううつろな眼差しのために、危機感を募らせ、もう、どうしてよいかわからなくなったそうです。けれどもそこで気をとり直して、とにかくベッドの脇でこう言いました。「まーくん(その子はまーくんと呼ばれていました)、かみさまにおいのりしようね」。すると、今までうつろだったまーくんが「かみさま?」と言って、ベッドの上にちょこんと座り、お母さんの顔を、しっかり見つめたのです。
お祈りしよう、という呼び掛けで自分を取り戻してくれたことが、途方に暮れていた母親として、何よりもうれしかったと、このお母さんは話してくれました。

子どもが病気の時、また、苦しむ時、その時にこそ「いつものようにお祈りしよう」と言うことができる親は、また、そう言ってもらえる子どもは、何と幸いかと思わされました。祈りは、このように確かに人を現実に引き戻すのです。親もまた、途方に暮れず、つまらぬ迷信にも走らず、冷静に看病し、医師に信頼して、正しく治療を受けることができるのです。
子どもが入院すると、牧師に来てもらい、祈ってもらいたくても、場合によっては親だけしか入れないということもあります。家であっても、夜中とかとっさの場合は、そこでは親がしっかりしなければなりません。その時に「さあ、神さまに祈ろうね」と言うことができる親は幸いです。その時、親は子どもの牧師になるのです。親のもっとも光栄あるつとめではありませんか。

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by rev_ushioda | 2012-11-15 21:58 | Comments(0)

「健闘を祈る」

娘の連れ合いが抗がん剤治療を始めることになった。心配していたことが、現実になった。最初のときは(結婚以前)放射線治療だった。今度の辛さは、その比ではないだろう。2週間の入院、その後20日間の間をおいてまた同じように繰り返す、ということを3回・・・

主が、検査によってこのことを知らせてくださった。主が手を延べて、病と向き合わせてくださると信じていこう。健闘を祈る。

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by rev_ushioda | 2012-08-24 16:27 | Comments(1)

「母、退院」

先週金曜日、無事、母は退院した。
3週間の入院だった。緊急外来で診断を受けたとき、そういえば、医師からは最悪のことを言われたが、よく考えれば、こうして感謝して退院の日を迎えるわけだ。逆だったら、大丈夫と言ったのに…とうらまれることになる。最悪から立ち上がって、良い日を迎え、感謝されるにこしたことはない。
それにしても94歳を考えれば、心臓が若返るわけでもない。後の日々を上手に生きていくように、送り出されたときでもあった。子どもたちはもとより、孫が来る、ひ孫たちを連れてくる。一緒に写真を撮っている。考えてみれば、賑やかな日々であった。母は、新たな人生のひとふしをこうして作った。私は、自分の歳を改めて思った。この3週間、病院通いで疲れはしたが、まずは、いい日々であった。

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by rev_ushioda | 2012-08-06 17:07 | Comments(2)

「母入院」

土曜日(7月14日)の朝、母が苦しそうに、病院に連れて行ってほしいと。

朝3時頃から胸が苦しかったと言うので、すぐ、かかりつけの病院に電話。案の定、大きな病院に行って欲しいということで、もう一つの病院に電話。車で連れて行った結果、即、集中治療室に入院となった。「心不全」の発作であった。医師は、最悪のパターンをいくつか話した。そう言わなければいけないのだろうと思いながら、事態は楽観的でないことは察しがついた。

翌、日曜日。礼拝が終わったあと、病院から電話があった。ひやっとしたが、状態が安定しているので、一般病室に移します、とのこと。

今日、火曜日(17日)医師による病状説明があった。兄弟3人で説明を聞く。心臓の血管の複数個所に血管壁の詰まりがあると見られる。レントゲン写真は、発作のときと平常時のものであったが、写真を比較してみると明らかに違うことが分かった。検査をして、詰まっている個所を特定し、手術が出来ないわけではない。しかし、年齢からして、負担が大きいでしょう。本人からも、手術を望んでいないと聞いていますとのこと。それは、私も母から聞いていた。いずれにしても、一般病室に移ったのは、ICUは後がつかえているから、差しあたって安定したら一般病室に移るという、いわゆる押し出し。決して良くなったわけではない。医師からは、いつ次の発作が起ってもおかしくないと言われている。

この後どうなりますかと問うと、改善はないこと、むしろ、いつ最悪の発作が起るか分からないので、その覚悟を持っておいたほうがよいこと、1週間も入院していると、年齢からして立てなくなること、そういう意味で、1ヵ月後に移る施設を探し始めたほうがよいことなど、説明をしていただいた。その後、兄弟で、葬儀の話もせざるを得なくなった。思いがけない展開である。

その日まで普通の生活をしていた母である。発作で入院したら、もう家に帰れないでしょうという説明に、いつかこういう日は来ると思ってはいたが、そして病状はとてもよく理解できても、しかし、気持ちがついて行かない。複雑な思いである。家に戻れば、部屋は、そのままである。昨日まで庭の草取りもしていた。もう、ここに戻れないのか。そんな…という気持ちが巡る。 
手術はしないでと言いながら、本人は1週間も入院したら家に帰れるつもりでいる。母には何と言ったらよいのか…
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(妹たちと一緒に病室で撮った写真。携帯のカメラで撮ったら、写真加工したわけでもないのに画質がひどく悪い。夢の中みたいに…)


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by rev_ushioda | 2012-07-17 22:19 | Comments(2)

食事の時に、娘夫婦や孫たちも一緒に食べることが多い。いきおい、最近の体調不良のことが話題になる。なる、というより、自分から言い出してしまう。神経痛がどうのこうの、用意した教会のチラシが思うように配れない、云々。
突然、5歳の孫が言い出した。「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」「わたしの目にはあなたは値高く、貴く わたしはあなたを愛している」。聖書の言葉だ。教会で、子どもたちは聖書の言葉を覚えるように指導されている。それにしても、このタイミングの良さ。4歳の子どもだって、聖書の言葉がどういう意味をもっているか、分かるのだ。

「おじいちゃん、言える?」「言えないの? 牧師さんでしょ?」

^^;

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by rev_ushioda | 2012-06-30 20:26 | Comments(4)

「生まれる前から」

私たち夫婦には、2人の娘がいます。けれども、上の子が産まれる前に、私たちは2人の子を流産で失っています。そして下の子が産まれるまでにさらに1人。こうして、3人を流産で亡くしました。ですから、上の子の時も下の子の時も、大事をとって妻は10か月間、完全に寝たままの状態でした。流産を繰り返す中で、病院も、普通では産むことが出来ないけれど、どうしても子どもがほしいという人が全国から集まってくるという、鎌倉の病院を紹介されました。それでも、上の子の時はいよいよ危なくなって、出産前の4か月間は、入院ということになりました。一生懸命でした。命と向き合う日々でした。幸い産まれてからは健康で、成人式を迎えた時、親ばかですが、イルカの「なごり雪」をプレゼントしました。「今、春が来て、きみは、きれいになった・・」鎌倉に通った日々を思うと、とてもうれしかったのです。人が産まれるというのは、当たり前ではない。あの時に読んだ聖書の次の言葉を、今でも宝物のように思っています。
「あなたは私の内臓を造り、母の体内に私を組み立ててくださった。…胎児であった私をあなたの目は見ておられた。私の日々はあなたの書(書物)にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから」
私たちは見ることがありませんでしたが、造り主である神は、私たちの胎児を見ておられたのです。まだ一日も造られないうちから、もう、知っていてくださったのです。私たち夫婦は流産の子をこの手に抱くことは出来ませんでしたが、その理由もわかりませんが、神はその子も、一人の命ある人として天に迎えてくださったのです。何という慰めになったことでしょうか。
しかしこれは、流産の子どものことだけではありません。私たち一人一人のことでもあります。神さまは私たちを、実に産まれる前から、目の瞳のように慈しんで愛していていてくださったのです。そしてこの世に生を与えてくださった。人が産まれるというのは、創造主のわざです。命を創造する方に、あなたにも出会っていただきたいのです。

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by rev_ushioda | 2011-09-05 17:40 | Comments(0)

「何とか家族旅行」

下の娘が家族旅行したいと言うので、動けるのは月曜日しかない。日曜日の午後からということで、河口湖に行くことに。まずK家族と先に行ってもらい、私は日曜日の午後は委員会があり、夕礼拝もあるので、夕礼拝が終わってから合流とした。私たちが着いたのは夜の10時半。忙しい1日だったが、まあ、それでも家族旅行には、なったか。河口湖畔、根場いやしの里などで散策し、それでも結構、気分転換にはなる。
宿は、この時期、あいているところを急に申し込んだので、大人にはイマイチ感が残ったが、孫はと言えば、和洋室の広さに大喜び。お風呂も、これがかなり広く、ぜいたくに出来ていて、そうとう気に入ったらしく、私たちもお風呂には満足したが、孫などは4回も入って大満足。私たちには忙しさの中で掴み取ったようなせわしい旅行だったが、こんなでも喜んでもらえれば・・・
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by rev_ushioda | 2011-08-22 23:00 | Comments(2)

「神学校クラス会2011」

今年は、全員揃わないかもしれないと思った。なぜなら、去年12月、癌の手術をした友がいた。その回復が大変そうだと聞いていたからである。直前に、転倒により、膝蓋骨骨折のために入院した友もいたことが分かった。しかし、神学校で教授を勤める1人を除き、ほか全員が参加した。毎年しているクラス会であるが、いつになく、うれしい思いがした今回のクラス会であった。
皆、還暦を越えた。これから色々なことが起こってくるだろう。そんなことを思うと、1回1回の集いが大事に思えてくる。すでに何年も前にお連れ合いを亡くされている姉妹もいる。今回、癌の手術をされた I 兄が言われた。「術後の苦しみの中で、思わず娘に言った。何でこんなに苦しいんだろう・・・」。娘さんは、即座に言い返したそうである。「お父さん1人が苦しいんじゃない、家族皆が苦しいんだよ」。家族皆が苦しんでいると聞いて、はっとしたそうです。そして、その話を聞きながら、私は心に迫るものを感じた。ああ、本当に愛されているとは、そういうことだと。自分が苦しいとき、辛いとき、家族は皆、同じように苦しみ、辛さを味わっている。愛し、愛される家族がそこにあるのだと。その家族の祈りに支えられて、I 兄は、今日、クラス会に参加できるほどに、駅まで仲間を迎えに出られるまでに回復された。
家族の祈りが満ちているその教会が、会場持ち回りでたまたま彼の教会であったのだが、今回の会場教会であったことは、幸いだった。今までにも増して、幸いな時であった。
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by rev_ushioda | 2011-07-04 21:07 | Comments(4)

「M夫妻」

癌の末期のために教会においでになれなくなったM姉宅で、過日、家庭集会を開いた。
M姉は、自宅で緩和ケアを受けながら、ご主人、ご兄弟、ご家族に囲まれて最期の日々を過ごされているが、この日も、家庭集会を心待ちにされていた。
お連れ合いが、讃美歌のコピーを見せておられる。彼女が洗礼を受けると言われたとき、「じゃあ、俺も」と言われた方である。1年半前、ふたり一緒に、洗礼をお受けになられた。それまでも、それ以後も、しっかり彼女に寄り添い、歩んで来られた。
彼女は、4度も入院、手術しているが、直近3回の入院の時、何と、まったく違う理由であるが、彼もまた、3回とも、時をまったく同じくして入院したという、嘘のような本当の話である。1度は、彼女は看護師なので病院はよく知った場所、さっさと入院してしまった。そこに彼が入院することになり、病院で出会ったお互いは、「あら、あなた何で入院しているの?」 これもまた、本当の話。
4度目の時は、彼女の苦しみを替わってあげたいと祈っていたそうだ。そして、何と、またまた同時入院となったのである。
こんなにも愛によって結ばれているお二人に、地上で残された時間は、もうほとんどなくなっている。
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by rev_ushioda | 2011-07-02 20:12 | Comments(0)