タグ:結婚・家庭 ( 92 ) タグの人気記事

「久しぶりの箱根」

中会会議が終わり、ちょっと開放的になろうと、また娘のお付き合いも兼ねて、ずいぶん前から予約しておいた箱根に出かけた。
この写真は泊まった塔ノ沢温泉「一の湯」の裏山、塔ノ沢駅に行く途中である。塔ノ沢温泉はちょっと階段を登っただけでこの絶景ポイントがあるので(下の方に温泉街の屋根が見え隠れする)、箱根の中でも大好きな場所。紅葉見ごろで、娘と写真を撮りまくり? これじゃ撮影会だね、と。
夜は前線通過で大荒れだったようだが、早川の渓流沿いの宿では大きな流れの音でかき消され、雨の音はまったく分からなかった。朝はすっかり晴れ渡り、気分転換の一泊二日。忙しかった自分へのプレゼントだった。

予約する時はここが空いている週のはずだったが、あとからどんどん入って来る予定で、結局、お休みを取ると自分の首を絞めることに・・パソコン持ち込みながらの箱根であった。
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by rev_ushioda | 2013-11-27 17:33 | Comments(0)

「枝おろし」

気分転換には効果てきめんだった。枝おろし作業のことである。
我が家には2階の屋根に届く大きな木、樫、タイサンボク、ヒマラヤスギ、ヒバなどが8、9本ある。この枝下ろしが毎年、問題である。植木屋さんに頼むと、年間13~4万円もかかる。今まではそうするしかなかった。
少し前に工具を購入したことを書いたが、この調子がすこぶる良い。電気ノコギリで枝おろしする。非常に具合がいい。木の上で、片手を伸ばした先の細い枝、太い枝、とにかく片手で切り落とせる。そして、落とした枝はシュレッダーで粉砕していく。結構太めの枝でも、この機械は、葉が付いたままの枝をばきばきとチップにしていく、この気分の良さ。そうだ、気分転換だ。最近、月曜日の午前中は、木に上り、枝をおろしては粉砕して、スカッとしている。最初体全体が痛かったのが、2週目からは痛くなくなった。体を動かすので、運動不足にも効果がありそうだ。
持つべきは、工具だった。ノコギリでギ~コギ~コとやっていたら日が暮れる。枝の処理をもたもたやっていたら、夜になる。翌朝はごみ置き場は枝の山。紙を貼られて置いて行かれ、あたふたするのが関の山。しかし、今は一瞬の処理でチップになり、庭にばらまかれている。

before / after
手前は枝おろし前、奥が枝おろし後の木。
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(後の写真は、後日掲載)
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by rev_ushioda | 2013-11-12 18:00 | Comments(0)

「成長感謝礼拝」

礼拝堂の後ろの一本の柱に、すばらしい記録が残されていることを、皆さんは御存じでしょうか。I さんが付けている子どもたちの成長の記録(背丈)です。
そして、2階の子どもの部屋には「主の祈り」が手書きで書かれていますが、子どもたちが自分で書いたその一番下に、教会に来た子どもたちの名前が書かれているのです。子どもたちが、教会で出会った子どもたちの名前を書いたのです。これは、子どもたちの、仲間に対する祈りではないでしょうか。

さて、私たちの教会では、毎年、「七五三」に近い日曜日に「成長感謝礼拝」を行います。世の中では、この時期、3歳になれば男女の子どものお祝いをし、5歳は男子、7歳は女子のお祝いが続きます(いずれも数え歳のようですから実際は1歳早まります)。「七五三」ともなれば、男の子も女の子も正装して神社に「お参り」するという光景が見られます。しかし教会では、7、5、3歳に限らず、どの年齢の子どもも日々イエスさまの祝福をいただいていることを感謝して、毎年、成長感謝礼拝をささげているのです。
普通の生活において、親たちが、子どもを祝福の場に連れて来ることは大事なことです。主イエスも「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10:14)と言われました。
子どもの成長を、何よりも主イエス・キリストが祝福してくださるのです。そして、そこにいる大人たちが子どもを喜び、祝福する場所に、親たちが自分の子どもを連れて来るということは、とても大事なことです。いつもは教会に来ていない家庭であれば、1年ごとでもいい、そういう時を大事にしてほしいのです。子どもの祝福を人任せにしないで、親自身が教会に来て、祝福の言葉を聞いてほしいのです。教会では、子どもを連れてきた家族だけでなく、大人たちが周りにいて、柱に記したりもして、皆で、子どもの成長を感謝しますが、そのような大人たちの祈りの中で、子どもたちは成長して行きます。
「サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。」(サムエル記上 2:26)

毎年、成長感謝礼拝では、お菓子の詰め合わせと、子どもたちの写真を入れた2か月カレンダーをプレゼントしている。
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by rev_ushioda | 2013-11-11 13:05 | Comments(0)

「植木の処理」

母親が電動のこぎりを買ってくれと言ってきた。家の周りのことが気になって仕方ないらしい。
母親は、95歳である。昨年、心不全で2度入院したが、その後は元気である。ただ、耳が聞こえないからと、それまで休まなかった教会の礼拝には行かなくなった。病院通いはするが、体は動く。家絵の周りの低木の手入れを盛んにしている。もちろん、電動のこぎりはとうてい無理で、危ないからダメだと言った。

ところで、我が家には屋根まで届く大きな木が何本かある。処理に困っていたが、もっと早く買っておけばよかったという優れ物に出合った。一つは、落としたその枝を軽々と粉砕してチップ状にしてくれるシュレッダー(粉砕機)。取り扱いが簡単で、音も静かというところがいい。25ミリは問題なくクリア。こんな太い枝でもいいの?という感覚。今までは枝を束ねてごみに出していたが、チップにしたものは、土の上にばらまいておけばよい。
もう一つは、先ほどの電動のこぎり。自分用に買ってみた。上のシュレッダーと同じく、ネットでは評価(口コミ)が出ているから、失敗しないためにまずそれを見て、この手のものでは一番高かったが購入。他社にはないAフレーム付。ザリガニみたいな形だが、これもまた、非常に使い勝手がいい。

問題は、木の枝を落とすには登らなければならない木があるわけで、今日は久しぶりに時間が空いたので一日その作業をしたが、しかし2本目までで体が動かなくなり、リタイア。足腰手足全部が、くたくたになった。例年、植木屋さんに頼んでいるが、日頃、運動不足の私には、やはり全部 自分でするには限界がある。それでもたまにこうした作業をするのは、健康的に(精神的に?)良いものだ。

(後日談 : 数日間、筋肉痛に悩まされる結果になった。)

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by rev_ushioda | 2013-10-28 21:10 | Comments(0)

「義兄逝く」

昨日14日、富士霊園で行われる召天者記念礼拝に出かけようとして早目に起きたとき、義兄危篤の電話。

すぐに病院に駆けつけ、様子をみていたが、大丈夫だろうと昼過ぎにいったん帰宅したが、その間に亡くなった。前にもこういうパターンがあったな、誰の時だったかと思いながら、遺体が運ばれる自宅に直行した。義姉とその従妹、そして私たち夫婦だけしかいない家に、義兄の無言の帰宅であった。

妻は高校生の時に父親と死別、8年前に長兄、今年になって母親と死別。今回は次兄である。長兄をなくしたあと兄嫁が実家を手放しているので、家族と過ごした家も、今はない。6人いた家族は、弟と二人だけになった。ずいぶん寂しい思いであるに違いない。

一時帰宅する直前、ベッド横に家族(義姉、息子)がいたとき、一緒に感謝の祈りをした。義姉の話では、看護婦さんが「どうですか。」と問うと、義兄はいつも「快適。」としか言わなかった。調子が良くない時は無言だった。話すといつも「快適。」と言っていたと聞いたからである。過ぎ越し方の感謝、家族を戴いたことの感謝、そしてこれからのことを神に委ねる祈りをした数時間後に、逝った。

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by rev_ushioda | 2013-10-15 22:34 | Comments(0)

そろそろ年金の手続きを開始しなければと思い、窓口に行って相談した。もう、こんなことをするようになったんだなあという、不思議な感覚だ。
いろいろ話をするうちに、当然、今の収入の話に及ぶ。担当者いわく、「ああ、ボランティアね。」 15年間、何も変わらない数字を見て、さらりと言われた言葉であった。
何か、勲章でももらったような気がした。家のほうの事業が大変で、毎日駆け回っている妻にはつくづくと申し訳ないが、しかし年金の担当者にそう言われた時には、わたしの心にその言葉が残ったのである。
妻は今年、母親をなくした。最近、ようやく手続きが終わり、「遺産」を手にした。高齢の義母は自分のたくわえで自分の老後の費用をすべてまかない、子どもたちに残したものはと言えば、一人、百何十万かであった。しかし、その大切な母の遺産さえ、家の事業を維持するために注ぎ込ませてしまった。申し訳ないと思いつつ、二人で背負うことになったこのような経済生活に、「ボランティアね。」のひとことは、主のためという思いと重なり、主は一切御存じなのだと聞こえ、私には不思議にほっとする言葉であった。

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by rev_ushioda | 2013-07-16 12:30 | Comments(0)

昨日、日本基督神学校の同級会が、千葉にいる仲間の牧する教会を会場に開かれた。「全員」がそろって、本当によい時を共にした。
でも、実際は一人を欠いていた。この日は、3か月前に仲間の一人が天に移されてから、最初の同級会であった。T姉のそばにいつも一緒にいる、相思相愛の先生がいない姿を私は初めて見て、何とも、寂しい思いがこみ上げてきた。そして、セラ.G.ストック(Sara Geraldine Stock)の詩を思った。

 家には一人を減じたり、
 楽しき団欒(まどい)は破れたり。
 愛する顔平常(いつも)の席に見えぬぞ悲しき。
 さばれ(さはあれ)天に一人を増しぬ、
 清めら救われ全(まつと)うせられしもの一人を。

 家には一人を減じたり、
 帰るを迎うる声一つ見えずなりぬ。
 行くを送る言(ことば)一つ消え失せぬ。
 分かるることの絶えてなき浜辺に、
 一つの霊魂は上陸せり。
 天に一人を増しぬ。

 家には一人を減じたり、
 門を入るにも死別の哀れに堪えず、
 内に入れば空しき席を見るも涙なり。
 さばれ(さはあれ)はるか彼方に、我らの行くを待ちつつ、
 天に一人を増しぬ。

 家には一人を減じたり、
 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽(おお)いて、
 歩みも四度路(しどろ)に眼もくらし。
 さばれ(さはあれ)みくらより日の輝き出でぬ、
 天に一人を増しぬ。

 実(げ)に天に一人を増しぬ。
 土の型にねじ込まれて、
 キリストを見る眼も暗く、
 愛の冷ややかなる此所(ここ)、
 いかで我らの家なるべき。

 顔を合わせてわが君を見奉(みたてまつ)らん、
 彼所(かしこ)こそ家なれまた天なれ。
 
 地には一人を減じたり、
 その苦痛、悲哀、労働を分かつべき一人を減じたり、
 旅人の日毎の十字架を担うべき一人を減じたり。
 さばれ(さはあれ)贖(あがな)われたまいし冠を戴(いただ)くべきもの、
 一人を天の家に増しぬ。

 天に一人を増しぬ、
 曇りし日もこの一念に輝かん。
 感謝讃美の題目更に加われり、
 われらの霊魂を天の故郷に引き揚ぐる鏈(くさり)の環
 更に一つの輪を加えられしなり。
 家には一人を増しぬ、
 分かるることの断えてなき家に、
 一人も失わるることなかるべき家に。
 主イエスよ、天の家庭に君とともに坐すべき席を、
 我らすべてにもあたえたまえ。
 
 (S.G.ストック作詩 植村正久訳。『信徒の友』2007年4月号)
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by rev_ushioda | 2013-07-02 13:30 | Comments(3)

明日、礼拝の中で「結婚の祈り」をする。
明日は通常の礼拝であるが、最後の「派遣の言葉、祝福」の直前にそのプログラムを入れ、結婚の祈りが終わったら結婚式で歌われる讃美歌を歌い、一同、派遣されていく、という流れである。

以下、カンバーランド長老教会『礼拝指針』の要約である。

結婚は、役所に届け出る「法的」契約以上のものであると、教会は考えています。聖書によると、結婚は神と人間との関係になぞらえられています。つまり結婚は、神がそうされたように、自分を相手に与えることです。また、非利己的な愛をもって相手を愛することです。そのような意味を知るために、結婚しようとする二人は、結婚準備会を大事にするように、教会は勧めています。準備会では、次のようなことが話されます。二人が、結婚をどのように考えているか、結婚へ臨む姿勢、イエス・キリストおよび教会との関係、結婚への情緒的、経済的適性などです。
カンバ-ランド長老教会は、結婚式を礼拝と考えています。つまり、礼拝で行われる要素(聖書朗読、説教、賛美、祈りなど)はすべて結婚式にも当てはまるのです。結婚式において出席者は皆、礼拝に参加するのです。実際、結婚式が通常の主日礼拝の中で、または直後に行われるのは、事柄にふさわしいことです。

誓約の言葉は、以下のようになります。二人はこれに、聖霊の助けによって、「はい」と答えるのです。

夫となる者へ
(    )、あなたは(    )と結婚し、その夫になろうとしています。あなたは(    )が、あなたの妻になることを信実に願い、この結婚が神さまの導きであると信じています。
そこで、わたしはあなたに、誠実に言い表すことを勧めます。あなたは、聖書から教えられることを心にとめ、常にキリストに対する畏れをもって、夫としての道を尽くし、主にあるパートナーに仕え、健やかなときも、病むときも、(    )を自分自身のように愛しますか。

妻となる者へ
(    )、あなたは(    )と結婚し、その妻になろうとしています。あなたは(    )が、あなたの夫になることを信実に願い、この結婚が神さまの導きであると信じています。
そこで、わたしはあなたに、誠実に言い表すことを勧めます。あなたは、聖書から教えられることを心にとめ、常にキリストに対する畏れをもって、妻としての道を尽くし、主にあるパートナーに仕え、健やかなときも、病むときも、(    )を自分自身のように愛しますか。

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by rev_ushioda | 2013-06-15 16:50 | Comments(0)

「良い朝を迎えて」

今朝、賛美の「めぐみ幼児園」卒園式を迎えた。寒い朝だったが、予報では、暖かくなると言っていた。
パパも長い休職期間だったが順調に回復し、4月復帰に万全の態勢である。いい朝を迎えることができた。

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by rev_ushioda | 2013-03-15 09:47 | Comments(2)

「義母の死」

義母は、いわゆる「天寿をまっとうした」という言い方があるが、そのような最期を迎えた。何の苦痛もなく、すうっと息が止まったのだった。その瞬間は、家族の誰もその場にいなかったが、すでに先週、何度かベッドのそばに集まった家族は、何の苦痛もないことを見届けていたことや、ずっとそばにいて看ていてくださったスタッフの方の話から、誰もみな、天寿の全うの瞬間を思った。先週金曜日(15日)午後11時少し前だった。

義母は、早くに連れ合いを亡くしたから、91年の生涯の後半、今日までの50年近くは、一人で過ごしてきた。当然、子どもたちの養育のためには、ずいぶん苦労したことは、言うまでもない。しかし勤めを転々としたわけではなく、連れ合いが健在だった時から続けていた仕事を最後までやりぬいた。ずっと変わらず、一つの職場であった。そこでよい仲間をいただきながら、海外旅行にも行くことができ、絵の趣味はなかなかのスキルの持ち主であった。「サロン・デ・ボザール展」という、上野で開催する展覧会に出品するごとに、何度も賞をもらうという、腕の持ち主であった。ちなみにこのボザール展は、文化庁、東京都、NHKなどが後援するもので、そこでの受賞だから、それなりの名誉が伴うものである。

たまたま認知症をわずらうことになり、最後の10年は特養ホームでの生活になったが、実はそれまでの5~6年、時間があれば、泉教会に通っていた。義母は、キリスト教の信仰があったわけではないが、教会に来ることを楽しみにしていた。そうこうするうちに認知症になったので、そういう意味では泉教会の場所とか、日曜日ごとの礼拝と交わりは、義母の「社会生活」最期の日々となった、と言ってよいと思う。

その場所で、21日、葬礼拝が営まれていることに意味を感じないわけにはいかない。義母が最期の日々、聞いた聖書の言葉を、私たちもそれを聞いて、お別れの時、また、この日まで守り導いてくださった主を賛美するときにしたいと思う。
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by rev_ushioda | 2013-02-18 22:19 | Comments(3)