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少年サムエルは、エリ先生から呼ばれたと思って、行って、言いました。「お呼びになったので参りました。」すると「わたしは呼んでいない。」そういうことが3回繰り返されました。そしてついにエリ先生は、サムエルを呼んだのは神であると悟り、戻って神の言葉に聞くようにと、サムエルに言うのです。

神が呼んでいてくださるのに、どこかに行って、あるいは誰かのところに行って、そこで「呼ばれた」と思う子どもが出て来ないでしょうか。
そこで「わたしは呼んでいない。」と親切に言ってくれるならいいのです。しかし、現実は果たしてどうかと言えば、子どもの魂を支配して無気力、無責任、怠惰に陥れようと誘惑する者がいるのです。親が、神に呼ばれる声がどういう声かを「幼い日から」知らせていないと、子どもは、どこか、とんでもない所に行って、言うのです。「お呼びになったので参りました。」そこに行ったばかりに、神ならぬものに支配され、現代社会においてはくやしい思いに打ちのめされ、涙することになるだけでなく、人生を台なしにしてしまうことも起こるのではありませんか。
その人の人生を召命する(招く)方の前にしっかり立たなければいけない時に、違う場所に立ってはいけないのです。だから、親は、神に呼ばれる声がどういう声かを「幼い日から」知らせる責任があります。それは、毎週、親子で礼拝に一緒に行く以外にありません。親の都合で行ったり行かなかったりするうちに、子どもは、すでにいろいろな声を聞いているのです。すでに、そこに呼ばれていると思っているのです。そのように成長しているのです。
来週は、成長感謝礼拝です。思い直して、ここから始めましょう。親子で神の言葉を聞くという、礼拝生活を。

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
コヘレトの言葉12章1節

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by rev_ushioda | 2014-11-07 20:48 | Comments(0)

「また救急車」

今夜、私が2階にいると、下でドンという音。すぐ、母が台所で倒れた!の声。かかりつけの病院に対応を聞き、さらには提携の病院に対応を聞き、最終的に119番で救急車を要請して、病院に行った。途中でも、病院でも嘔吐していたが、しかし、一番心配だった心不全ではなく、あちこちの検査の結果も重篤な個所は見当たらず、原因が分からないまま、処置もせず、帰宅した。
とにかく2年前に心不全で2度入院しているので、また来たかと思ったが、今回は、心不全ではないとのことで、まずは安心。しかし、心臓が弱っているのは事実で、ニトロを頻繁に使用している。倒れてすぐ、苦しそうだったからニトロを服用させたが、それで改善する程度の一時的な発作だったのかもしれない。すでに96歳。何があってもおかしくない、かな・・

母もであるが、あちらの方(かた)も、こちらの方(かた)も、みこころがなりますように、と祈りつつ今日を閉じよう。

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by rev_ushioda | 2014-09-10 23:59 | Comments(0)

「うしおだ発電所稼働」

我が家も、ついに太陽光発電にした。
稼働して1年は見ないと確かなことは言えないが、設備費のためにこれから15年間は電気代に換算すると月々1万円アップすると思われる。しかしその後は電気代がはるかに安くなるのは間違いない。それよりも何よりも、自家発電により、原発を推進する東電から電気を買わなくて済むというだけでも、気分は晴れやかである。
「うしおだ発電所」の稼働である。
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この二つの写真は、8月8日(曇り)朝8時頃撮ったものである。
上は、左側の太陽光発電量0.8キロワットに対して、家の使用量は0.1キロワット。差引き0.7キロワットを東電に売りつけている(笑)ということを示している。
しかしなぜ家の使用料が(朝8時頃だというのに)0.1キロワットとこんなに低いのかと言うと、下の写真のように、実際は家では1キロワット使っているが、「電池」から、0.9キロワット供給されているからだ。そう、蓄電池併用システムなのである。夜間、安い電気を蓄電池に溜めておいて、昼間にそれを使っているのだ。結果、太陽光発電から0.1キロワットもらうだけで、家の電気は賄えている。曇りの日、太陽光発電が0.8キロワットと低い時でも、東電に0.7キロワット売ることが出来る、というわけだ。
まあ、冬場、太陽光が不足するとこんないうまくは行かないし、蓄電池の能力も半日分くらいだろうから、年間を見ないと、何とも言えないわけであるが。さしあたって、「得」することは、何も考えていない。設備費での支出の方が大きいだろう。しかし、東電から買いたくない、という一点を目的にしている。

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by rev_ushioda | 2014-08-08 10:15 | Comments(0)

「3人目の孫」

娘の3人目の子である。
昨年8月、出血があり自宅で安静にしていたが、結局3か月くらい入院することになった。本人も家族もあと一日、あと一日とおなかにいてくれることを願い、祈り続けたのち、12月に、800グラム、未熟児として産まれてきた。病院の医療技術の進歩によって、今は命は助かる。娘は先に退院したが、病院にお乳を運ぶ毎日を過ごし、そしてこの子は産まれてから3か月後、本来の出産予定日あたりになって、体重も2000グラムを越えて、ようやく退院してきた。
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by rev_ushioda | 2014-03-18 20:04 | Comments(2)

「久しぶりの箱根」

中会会議が終わり、ちょっと開放的になろうと、また娘のお付き合いも兼ねて、ずいぶん前から予約しておいた箱根に出かけた。
この写真は泊まった塔ノ沢温泉「一の湯」の裏山、塔ノ沢駅に行く途中である。塔ノ沢温泉はちょっと階段を登っただけでこの絶景ポイントがあるので(下の方に温泉街の屋根が見え隠れする)、箱根の中でも大好きな場所。紅葉見ごろで、娘と写真を撮りまくり? これじゃ撮影会だね、と。
夜は前線通過で大荒れだったようだが、早川の渓流沿いの宿では大きな流れの音でかき消され、雨の音はまったく分からなかった。朝はすっかり晴れ渡り、気分転換の一泊二日。忙しかった自分へのプレゼントだった。

予約する時はここが空いている週のはずだったが、あとからどんどん入って来る予定で、結局、お休みを取ると自分の首を絞めることに・・パソコン持ち込みながらの箱根であった。
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by rev_ushioda | 2013-11-27 17:33 | Comments(0)

「枝おろし」

気分転換には効果てきめんだった。枝おろし作業のことである。
我が家には2階の屋根に届く大きな木、樫、タイサンボク、ヒマラヤスギ、ヒバなどが8、9本ある。この枝下ろしが毎年、問題である。植木屋さんに頼むと、年間13~4万円もかかる。今まではそうするしかなかった。
少し前に工具を購入したことを書いたが、この調子がすこぶる良い。電気ノコギリで枝おろしする。非常に具合がいい。木の上で、片手を伸ばした先の細い枝、太い枝、とにかく片手で切り落とせる。そして、落とした枝はシュレッダーで粉砕していく。結構太めの枝でも、この機械は、葉が付いたままの枝をばきばきとチップにしていく、この気分の良さ。そうだ、気分転換だ。最近、月曜日の午前中は、木に上り、枝をおろしては粉砕して、スカッとしている。最初体全体が痛かったのが、2週目からは痛くなくなった。体を動かすので、運動不足にも効果がありそうだ。
持つべきは、工具だった。ノコギリでギ~コギ~コとやっていたら日が暮れる。枝の処理をもたもたやっていたら、夜になる。翌朝はごみ置き場は枝の山。紙を貼られて置いて行かれ、あたふたするのが関の山。しかし、今は一瞬の処理でチップになり、庭にばらまかれている。

before / after
手前は枝おろし前、奥が枝おろし後の木。
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(後の写真は、後日掲載)
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by rev_ushioda | 2013-11-12 18:00 | Comments(0)

「成長感謝礼拝」

礼拝堂の後ろの一本の柱に、すばらしい記録が残されていることを、皆さんは御存じでしょうか。I さんが付けている子どもたちの成長の記録(背丈)です。
そして、2階の子どもの部屋には「主の祈り」が手書きで書かれていますが、子どもたちが自分で書いたその一番下に、教会に来た子どもたちの名前が書かれているのです。子どもたちが、教会で出会った子どもたちの名前を書いたのです。これは、子どもたちの、仲間に対する祈りではないでしょうか。

さて、私たちの教会では、毎年、「七五三」に近い日曜日に「成長感謝礼拝」を行います。世の中では、この時期、3歳になれば男女の子どものお祝いをし、5歳は男子、7歳は女子のお祝いが続きます(いずれも数え歳のようですから実際は1歳早まります)。「七五三」ともなれば、男の子も女の子も正装して神社に「お参り」するという光景が見られます。しかし教会では、7、5、3歳に限らず、どの年齢の子どもも日々イエスさまの祝福をいただいていることを感謝して、毎年、成長感謝礼拝をささげているのです。
普通の生活において、親たちが、子どもを祝福の場に連れて来ることは大事なことです。主イエスも「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10:14)と言われました。
子どもの成長を、何よりも主イエス・キリストが祝福してくださるのです。そして、そこにいる大人たちが子どもを喜び、祝福する場所に、親たちが自分の子どもを連れて来るということは、とても大事なことです。いつもは教会に来ていない家庭であれば、1年ごとでもいい、そういう時を大事にしてほしいのです。子どもの祝福を人任せにしないで、親自身が教会に来て、祝福の言葉を聞いてほしいのです。教会では、子どもを連れてきた家族だけでなく、大人たちが周りにいて、柱に記したりもして、皆で、子どもの成長を感謝しますが、そのような大人たちの祈りの中で、子どもたちは成長して行きます。
「サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。」(サムエル記上 2:26)

毎年、成長感謝礼拝では、お菓子の詰め合わせと、子どもたちの写真を入れた2か月カレンダーをプレゼントしている。
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by rev_ushioda | 2013-11-11 13:05 | Comments(0)

「植木の処理」

母親が電動のこぎりを買ってくれと言ってきた。家の周りのことが気になって仕方ないらしい。
母親は、95歳である。昨年、心不全で2度入院したが、その後は元気である。ただ、耳が聞こえないからと、それまで休まなかった教会の礼拝には行かなくなった。病院通いはするが、体は動く。家絵の周りの低木の手入れを盛んにしている。もちろん、電動のこぎりはとうてい無理で、危ないからダメだと言った。

ところで、我が家には屋根まで届く大きな木が何本かある。処理に困っていたが、もっと早く買っておけばよかったという優れ物に出合った。一つは、落としたその枝を軽々と粉砕してチップ状にしてくれるシュレッダー(粉砕機)。取り扱いが簡単で、音も静かというところがいい。25ミリは問題なくクリア。こんな太い枝でもいいの?という感覚。今までは枝を束ねてごみに出していたが、チップにしたものは、土の上にばらまいておけばよい。
もう一つは、先ほどの電動のこぎり。自分用に買ってみた。上のシュレッダーと同じく、ネットでは評価(口コミ)が出ているから、失敗しないためにまずそれを見て、この手のものでは一番高かったが購入。他社にはないAフレーム付。ザリガニみたいな形だが、これもまた、非常に使い勝手がいい。

問題は、木の枝を落とすには登らなければならない木があるわけで、今日は久しぶりに時間が空いたので一日その作業をしたが、しかし2本目までで体が動かなくなり、リタイア。足腰手足全部が、くたくたになった。例年、植木屋さんに頼んでいるが、日頃、運動不足の私には、やはり全部 自分でするには限界がある。それでもたまにこうした作業をするのは、健康的に(精神的に?)良いものだ。

(後日談 : 数日間、筋肉痛に悩まされる結果になった。)

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by rev_ushioda | 2013-10-28 21:10 | Comments(0)

「義兄逝く」

昨日14日、富士霊園で行われる召天者記念礼拝に出かけようとして早目に起きたとき、義兄危篤の電話。

すぐに病院に駆けつけ、様子をみていたが、大丈夫だろうと昼過ぎにいったん帰宅したが、その間に亡くなった。前にもこういうパターンがあったな、誰の時だったかと思いながら、遺体が運ばれる自宅に直行した。義姉とその従妹、そして私たち夫婦だけしかいない家に、義兄の無言の帰宅であった。

妻は高校生の時に父親と死別、8年前に長兄、今年になって母親と死別。今回は次兄である。長兄をなくしたあと兄嫁が実家を手放しているので、家族と過ごした家も、今はない。6人いた家族は、弟と二人だけになった。ずいぶん寂しい思いであるに違いない。

一時帰宅する直前、ベッド横に家族(義姉、息子)がいたとき、一緒に感謝の祈りをした。義姉の話では、看護婦さんが「どうですか。」と問うと、義兄はいつも「快適。」としか言わなかった。調子が良くない時は無言だった。話すといつも「快適。」と言っていたと聞いたからである。過ぎ越し方の感謝、家族を戴いたことの感謝、そしてこれからのことを神に委ねる祈りをした数時間後に、逝った。

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by rev_ushioda | 2013-10-15 22:34 | Comments(0)

そろそろ年金の手続きを開始しなければと思い、窓口に行って相談した。もう、こんなことをするようになったんだなあという、不思議な感覚だ。
いろいろ話をするうちに、当然、今の収入の話に及ぶ。担当者いわく、「ああ、ボランティアね。」 15年間、何も変わらない数字を見て、さらりと言われた言葉であった。
何か、勲章でももらったような気がした。家のほうの事業が大変で、毎日駆け回っている妻にはつくづくと申し訳ないが、しかし年金の担当者にそう言われた時には、わたしの心にその言葉が残ったのである。
妻は今年、母親をなくした。最近、ようやく手続きが終わり、「遺産」を手にした。高齢の義母は自分のたくわえで自分の老後の費用をすべてまかない、子どもたちに残したものはと言えば、一人、百何十万かであった。しかし、その大切な母の遺産さえ、家の事業を維持するために注ぎ込ませてしまった。申し訳ないと思いつつ、二人で背負うことになったこのような経済生活に、「ボランティアね。」のひとことは、主のためという思いと重なり、主は一切御存じなのだと聞こえ、私には不思議にほっとする言葉であった。

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by rev_ushioda | 2013-07-16 12:30 | Comments(0)