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「東海道五十三次」

東海道五十三次。

海や川原に行くと、どういうわけか石を拾い上げ、
思いっきり遠くに投げたくなる。
東海道を歩きたいと思ったのは、それと似た気持ちである。

ところが、その石は、はるか手前に落ちるのだ。
最初の日、歩いた距離は、たった2キロだった。
しかし、遠い目標を期待と喜びをもって語っている自分がいた。
牧師の仕事と重なるような気がした。
だから、期待と喜びをもって、遠い目標を語り続けたい。
わたしたちは、いつか、そこに行き着くのだから。
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by rev_ushioda | 2007-05-10 22:32 | Comments(0)

今日は、川崎から神奈川(横浜)まで歩いた。歩いてみると、こんなものかと思う。こんなものかという意味は、意外と、歩けるものだということ。いずれにしても、ここまで歩いてみて、東京から横浜までの距離感覚が初めてわかったような気がした。そして、一日3時間半歩いても、疲れ方が違ってきた。さしあたって、健康であることの証拠かも知れない。
さて、川崎は、品川のように東海道を「売り込んで」いない。だから、それらしい(?)写真を撮るところがない。売り込まなくても、駅前ということで独自に発展してきたからだろう。しかし、そこを歩く人がいるのだ。勝手と分かっていても、旧東海道という「誇り」(?)を、もう少し持ってもいいのではないか。勝手に、そんなことを思った。
子安駅近辺に来ると、そこは秀子さんの地元になる。ここまで海があったとか、ここの漁師町は向うの漁師町と仲が悪かったとか、友だちがいる家がなくなってしまったとか、まだあるとか、あそこが教会学校の先生の家だとか。東海道の歴史に、秀子さんの歴史、人生が重なっている。

写真1 初めて見る一里塚
どういうわけか日本橋や箱根を描いた広重の絵があった。その他、色々な説明板や標柱が建っている。そばにいたおじいさんが、「この町の人はどうしょうもないよ。この神社だって、ほかから持ってきたもんだよ」と言っていた。確かに、何でも持ってくればいいというわけでもないだろう。
写真2 生麦事件現場
街道沿いの住宅の塀に掛けられていた案内板。
写真3 当時の生麦
写真4 ヘボンが開業した宗興寺境内にて
当時、外国人の居住に寺などが充てられていたが、それを快く思わない住職もいて、良泉寺の住職などは本堂の屋根をはがし、修理中であるとの理由で、幕府の命令を断ったとか。そういうことや生麦事件が起ったりする中で、ヘボンは成仏寺という寺に住み、また病院を開業できたのである。

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by rev_ushioda | 2007-05-07 23:49 | Comments(0)

「縦の線」

日本橋から川崎まで歩いてくると、
高層ビル街から、いかにも庶民的な町に一変する。
建物を取り壊したり、開発行為がかかっているらしい町並みをを見ると、ここにも色々な意味で地域格差があることを実感する。
これからも、歩けば歩くほど、そういった変化に気づくことになるのだろう。
しかし、そのどこでも、歴史的な背景があるのを見る。
その地点でなければ出会えない、「歴史」があるのだ。
それらは、風景や建物、あるいは碑や、案内標識によって、知ることになる。
歩けば変化するのが横の線とすれば、歴史は、そういう意味では、縦の線である。
その場ごとに、歴史が縦の線として「突入」しているのだ。
そして、これは、どう歩いても出会うことができない。
その、努力しても出会うことが出来ないものと、努力すれば見ることが出来る現実とが重なって、その場の風景を作っている。

考えてみれば、私たちの現実も、そうだ。
仕事や勉強といった、私たちの生活の営みが広げられていくと同時に、そのどこにも、私たちのものではない神の言葉の突入がある。

両方に動かされているのが、私たちなのである。
片方がなくなった時、人間らしさがなくなって、動物的に堕してしまうのだ。
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by rev_ushioda | 2007-05-03 15:28 | Comments(0)

「江戸小話」

東海道も神奈川県に入ったが、
ここまで来る途中、鮫州(さめず)という地名があった。
江戸小話に次のようなものがある。

親方が江の島鎌倉へ行くことになったので、
みんなで品川まで送っていった。
きっと、お別れに街道筋の茶店で1杯おごってくれるのだろうと当てにしていたが、どの茶店の前も素通りしてしまった。
そして鮫州まで来ると、「それじゃみんな元気でいろよ」とだけ言って、すたすた行ってしまった。
みんな腹を立てて、
「畜生、元気でなんかいてやるものか!」

品川から鮫州まで、だいたい1時間。
品川宿を抜けたあたりが、鮫州である。
江戸の人はこんな感じで見送りに来たのかなと、実感した。
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by rev_ushioda | 2007-05-01 17:14 | Comments(0)

今日は、品川から出発。
品川宿は、今は商店街になっている。宿場町を意識した町づくりをしていることが随所に見られる。標柱はもとより、小学校の名前も工夫を凝らしたものになっていた(写真1)。店のシャッターに浮世絵、自販機も蔵風のものがあった。
やがて、大森海岸駅を過ぎたあたりに、鈴が森刑場跡があった。ここでショッキングな江戸時代の遺物を見た。火しゃ台(写真2) ― 真ん中の穴に鉄柱を立て、罪人を縛り付け、その足元に積んだ薪に火をつけ、生きたまま焼き殺すという処刑台。そして、磔台(写真3) ― 真ん中の穴に柱を立て、罪人を磔にし、槍で刺し殺すという処刑台。残酷である。受刑者の恐怖感、苦しみは、いかばかりであろうか。もしかしたら、キリスト者もここで殉教した人がいたのではないだろうか。何よりも、主の十字架を見た思いがして、言い知れぬ思いがした。

さて、単調な道行であったが、急に自転車が増えたのが雑色駅近辺。今までとはうって変わって、前から後ろから自転車、自転車・・・ボーっと歩いていると、危ない。自転車が「わいて」くるのだ。そういえば東京のはずれということもあって、日本橋からここまで来ると、町並みも高層住宅がめっきり減り、下町の雰囲気というか、朽ちていく建物さえ目に付く。壊された建物の土台が随所にそのままになっている。開発計画があるのか、バブルがはじけて中断されたのか。

雑色駅を過ぎると、すぐに六郷橋だ(写真4)。橋の中央で、自転車で警ら中の巡査がくるりと向きを変えた。ここで、東京都から神奈川県に管轄が移るのだ。こうして、ついに多摩川を渡り、神奈川県に入った。今日の行程は、3時間半。日本橋から川崎までは、17.6キロということらしい。

写真は上から
1.小学校前
2.鈴が森刑場 火しゃ台座
3.同 磔台座
4.六郷橋から見た多摩川

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by rev_ushioda | 2007-04-30 21:16 | Comments(0)

1ヶ月ぶりに、東海道2日目を歩くことができた。前回同様、2時間。今回は前回の続きで、国道15号(第一京浜国道)を新橋から品川まで。妻と私の健康状態、気力を掛け合わせて歩くので、距離、時間とも、まあ、こんなものか。

写真は、上から
1.勝、西郷会見の地の碑
(薩摩藩田町邸跡、現田町駅近く)
この会談により、江戸城無血開城が決定したという場所だ。

2.高輪の大木戸跡
(田町-品川間)
歩道の真ん中に、堂々出現する石垣は、江戸の南の玄関口だったそうだ。

3.泉岳寺、四十七士の墓地
大石内蔵之助の墓地(屋根がある場所)に一番近い墓石には「潮田又之丞高教」とあった。
私の姓との関係は、知らない。

残念だったのは、1623年のキリスト者大殉教の場所を発見できなかったこと。時は、徳川家光が将軍に任じられる祝いムードの中、江戸に集まった全国の大名への見せしめとして、神父、信徒50数人もの人々が処刑された場所である。その前年には長崎で55人が処刑されている。故事を記した小さなプレートがあるはずであったが、新しいビルが建ち、工事中の場所もあり、それで撤去されたのか。

カトリック高輪教会ホームページ参照。
http://www.catakanawa.com/body/body02.html

ひっきりなしに車が行き交う第一京浜国道の喧騒の中に、タイムスリップした「江戸」があった。

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by rev_ushioda | 2007-04-11 14:16 | Comments(0)

「あとが続かない」

東海道 ぶらぶら旅、、、しかし、あとがなかなか続かない。
肝心の、日程が取れない。ようやく行ける、と思った今週は、朝から調子が悪く、断念した。
こんなことでは、一生かかっても歩き通せない。
これはゆとりと健康のバロメーターだと思った。
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by rev_ushioda | 2007-04-05 00:59 | Comments(0)

この1ヶ月、首筋が凝る、最近になって頭が痛い・・・
というわけで、病院に行ったら、
首筋の筋肉が張る「緊張型頭痛」ということだった。

そこで、

以前から始めようと思っていながら延び延びになっていた
「東海道を歩く」計画の実行のときが来たと思った。

早速、妻を説得して、一緒に日本橋へ。
ところが、ここが田舎者。東京は見るものが皆、めずらしい。
銀座の歩行者天国のパフォーマンス・・・
途中に教文館もある・・・寄らないわけがない。
ずいぶん時間がかかって、そこにあった道標を見ると

日本橋から2キロ。

これでは、いつになったら京都まで行けるのか。
生きているうちに完成できたらいい、思っている。

写真は、
1.今は高速道路に覆われた日本橋
2.道路元標

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by rev_ushioda | 2007-03-21 17:41 | Comments(0)