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おなかの痛みや熱は、結局、まる1日くらいで収まったことを総合的に考えると、今回は風邪ではなく、やはりカキの食あたりだったのではないか。そうとしか思えない。そういうわけだったので、健康も回復した月曜日、そして1月7日、誕生日でもある。「その」 ための時間は、たぶん夏までず~っととれそうもない…というわけで、例によって例のごとく今回は、芦ノ湖畔、元箱根から三島への旧東海道を辿ることにした。
日曜日の礼拝、恒例行事の「餅つき」も終わったあと、体調をみて、よし、いけそうだ。体調にはすっかり自信をなくしているので恐ろしくて前もって宿への予約を入れられなかったから、午後になってようやく予約の電話を入れ、夕方から出かけることになった。暗くなる中、箱根山中に出かけるのは初めてだ。電車に乗っていて、もう暗い。湯元に着いたら、6時過ぎだというのに、もうシャッターを締め始めている。目的地があるというのに、暗闇に対して不安を感じるというのは不思議なものだ。人間は、闇に対して不安感があるのだ。宿は、芦の湖畔の宿「レークサイドイン シャーロット」。このプチホテル(ペンション)は、庭が国定公園、湖畔に通じている!急な予約だったので、夕食なし。朝食付6200円。しかし、満足できる宿だった。月曜日の朝、湖畔をながめながらのゆったりとした朝食を楽しむことができた。次の写真は、元箱根、ホテルのベランダからの風景。
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さて、宿を朝8時半出発。箱根峠まで上り坂である。芦ノ湖がくぼ地にあることがカルデラの特徴だ。芦ノ湖までの登りの道も、登りつめると、湖に着く直前で下りになる。これがカルデラの形状なのだ。こうして峠に出たら、あとは三島まで一気に下る。山中を下る。国道を下る。村の中を下る。とにかく下る。下る。下る。下る。下る…  かくして足は、がくがくとなる。箱根の上り、神奈川側は温泉街であったが、三島側は市街地まで、すべて山の中、田舎の風景が続く、温泉も何もない下り坂であった。三島駅2時40分到着。
さて、帰りは沼津から小田急線本厚木まで一本の特急「あさぎり」。JRと小田急線乗り入れで、こういう旅ができる。これから先、電車賃は別にして、経路を選んだりして旅が楽しくなる。今回は、念願の御殿場線だ。ちょっと贅沢な、1時間15分の特急の旅。この非日常性が、たまらなく、いい。
私の頭の中は、日本橋から小田原までが東海道第1章。小田原から三島までが第2章。これから先が第3章に入ることになる。

全体を見ると、5分の1の地点にいる。今いるのは、三島である。振り返ってみると、それぞれの区間にはその時の夫婦の会話がある。景色がある。思い出がある。ドラマがある。この東海道は、私たちにとって何らかの「スケール」になりつつあるような気がする。

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(上)日本橋から25里(100キロ)の地点。京都まで100里(400キロ)。(下)擁壁を破る杉の根。擁壁は、左右に押し動かされていた。すごい!

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帰りは、三島から沼津に行き、そこで特急「あさぎり」に乗車、御殿場線経由で本厚木に帰着。運賃、特急券で2890円なり。
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by rev_ushioda | 2008-01-07 23:03 | Comments(2)

11月から夫婦二人とも風邪で不調が続いてひどい目にあったが、その二人の体調も、2ヶ月ぶりようやく回復した。今日は、お天気も良い。調子も良い。正月2日で、時間もある。さあ行こう、というわけで、いよいよ箱根越えにかかることにした。と言っても、一気に三島までという一泊の計画は取りやめ、分相応で、とりあえず芦ノ湖まで、とした。
9時30分、湯元から出発。歩き始めて、すぐに思った。この2ヶ月間、ずっとうっとおしい気分であったから、健康に不安を感じないというのは、本当にすばらしいことだと。
コート、襟巻き、毛糸の帽子、軍手、マスクと万全の備えで歩き始めたが (写真を見ると、何とも怪しげな格好である・疲れているなあ・途中で木の枝を見つけて杖にしたが、皆が使いまわしている感じの木だった)、しばらくすると体中がぽかぽかと暑くなってきた。
他の人のブログを見たら、次のように書いてあった。「繰り返し登る階段と石畳に中々足が上がらない。休む回数も多くなり。苦しみながらも見晴し茶屋や、甘酒橋を越えたのに、甘酒茶屋まで最後の 歩道橋の階段を上がりきった後、下り道で足がツッテしまった。こんなことは初めてだ。今まで東海道を歩いた自信が吹き飛んだ。そのままの姿勢で動けなくなり、…」。この人の写真を拝借しておく。f0086426_14285291.jpgf0086426_14291499.jpg
畑宿の手前辺りからは、この写真ような石畳の連続、これがまた歩きにくい。大名行列は、ここをどのように通ったのだろうかと、好奇心が湧いてくる。と、苔むした石に乗ってしまった、思わずツルッ、スッテーン! 他の人のブログに書いてあった。「なんじゃこりゃー!!!本当にここを駕篭かきもあがったんかい!?中の殿様はどんな状態だったんだ!?…とにかく足元の不安から身の危険を感じます」。畑宿を過ぎたあたりの橿木(かしのき)坂について、「東海道名所日記」には、険しきこと、道中一番の難所なり、おとこ 、かくぞよみける。橿の木の/さかを/こゆれば/くるしくて/どんぐり程の/涙こぼる」とある。
駅伝があるからだろう、横を走る車道は、裏道だというのに、いやに車の数が多い。箱根駅伝がナマで観れるかも知れない、考えながら歩く(坂道を登る)。いよいよ湖が近づいたあたりで、どーん、どーんと花火の音。駅伝の1位がゴールしたらしい。上空は数機のヘリコプター。遠くで声援の歓声が聞こえてきた、急ごう。しかし、ずっと続く石畳の上は、危なくて急ぐもできない。それでも最後の数人の走者を観ることができた。初めてのナマ駅伝だった。ささやかな感動であった。が、すぐ救急車が混雑する車列を縫って通り抜けて行った。今回の駅伝でのリタイアは、史上稀な3校。あのような道を歩いてきたあとでは、あの坂道を駆け上がったら倒れるのも無理はないと納得。
石畳の、急な登り坂が続くところで、すべって転んだのが1回。6組の人たちには追い抜かれた。しかし、もとよりそれは私の「東海道論」そのままである。これでよい。こうして、ついに日本橋から25里、100キロ到達。年初めにあたり、ここからスタートである。
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by rev_ushioda | 2008-01-02 20:45 | Comments(5)

「東海道を歩く思い」

東海道を歩いて京都まで行くんだと言ってきた1年だった。まだ行ったこともない、はるか彼方を地図で見て、少しずつ歩いて、今は箱根湯元。東京からここまで、よく歩いたものだと思う。電車に乗っていると、とても歩けないだろうと思ってしまう距離も、時間さえあれば歩けるのだ!
さて、しかし11月に風邪をひき、例年、冬場はおなかの調子も良くない。この分だと、このまま2月頃までずっと風邪を引きずっていくはず?なので、年内に箱根越えは絶望的になった。
現実は、こんなものだ。さあやろうと思っても、足元でずっこける。風邪だとか、しなければならないことが山積。夫婦二人の調子が合わなければ、そこでまた延期。しかし、私はずっと京都を見つめ続けている。生きているうちには行けるだろう。それでいい。先を見ていると、毎日の景色は、心なしか華やかだ。違った景色に見えてくる。
先を見て生きるというのは、私の牧師としての仕事に重なってくる。水平線に向かって投げる石が、しかしそんなところまで届くはずがなくそのあたりにポチャンと落ちる。それでも水平線に向かって石を投げ続ける。牧師は永遠に向かうカタパルト(石投げ)だ。そのように神の国の希望を語る。すると、いつしか隣の人も、その方向に向かって、石を投げ始める。一人が、どこを見ているかが大事なのだ。東海道は、それと重なる。私は、京都に向かって歩いている。神の国に向かって、顔を上げている。永遠に向かうカタパルトでありたい。
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by rev_ushioda | 2007-12-05 23:13 | Comments(0)

「風邪でついにダウン」

11月初めからずっと風邪が治らず、引きずっていたが、ようやくつぶれた声が治ったと思ったら、木曜日、熱に変質。一気にダウンとなった。
今週は、結婚した長女が、ウイルス性の病気でひどい下痢を起こし、点滴のため火曜日に戻って来ていたが、どうやらそれが母に移ったらしく(?) 母も、同じひどい下痢の症状に。娘も母も、ひょっとしてノロウイルスだったかも…(;´д`) ノロの場合もそうらしいが、2日くらいでおさまった。
ところが母に症状が出た同じ日の夜は、妻も一晩中、嘔吐。妻は咳が止まらなかったので、こちらは風邪。そして木曜日からは、今度は私が熱で、ついにダウン…という事態になった。娘は、回復したのに家に帰れず、面倒みることになった。何か、大変な1週間であった。
実際は、「あった」ではなく、まだ進行形で、明日の礼拝は、鈴木先生にピンチヒッターをお願いした。妻も、咳が止まらず、不調をずっと引きずっている。私は、今まで、熱があろうが説教は休まなかったが(風邪を引きやすい私としては少しの自負でもあった)、30年の牧師生活で、今回初めて、風邪で説教を休むことになった。これが加齢というものか… それにしても、一向によくならない私の風邪には、ほとほと閉口している。私にとっては、本当にこわい「11月」である。いや、「こわい」のは、私にキャンセルされる周りの人のほうであった。私のために迷惑を被ることになるのだ。私自身は、月、火曜日の休暇をとり、宿の予約も入れていた「箱根越え」も、二人の風邪のため、キャンセル。悲しいね…

ふとんの中で。
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by rev_ushioda | 2007-11-17 20:24 | Comments(0)

今週は超多忙なので、せめてちょっと空いたこの日に、と思い、「続き」を。ほぼ2ヶ月ぶりになったのは、月曜日がまったく空かなかったこともある。また小田原から先になると、交通費にかかる経済的な事情もいよいよ考えなければならなくなったので、ペーストしてはこんなものにならざるを得ない。
箱根越えは「箱根八里」と言われる。ここからいよいよ、第2章の幕開けだ。前回までは連日、猛暑が続いていたことを思うと、すっかり季節が移っていることが、妙であった。
まずは、私にとってはじめての小田原城。妻は小学生のときに来たことがあると言うが、パンフレットを見たら、現在の天守閣の築城前(中)で、天守閣には登っていなかった。来たのは、小田原城の「動物園」だったそうだ。二人ともはじめての天守閣に登った。最上階で、一夜城をはじめ八方を見渡し、豊臣軍に攻められてまさに八方ふさがりになったなった北条氏の心中は如何と思いを馳せた。妻が還暦を迎えたが、小田原城に行ったら何と、ヒデ子さんのお祝いをしてくれていた。いや、今、写真をよくよく見たら「ウメ子」さんだった。
箱根八里は、小田原から関所までが四里、関所から三島までが四里、計八里である。しかし登りとなる四里はきつい。そこで、事前にセットアップしなければならないということで、まずは今日、小田原~三枚橋(箱根湯元)間の一里となった。さすが、今までとは打って変わって、最初から風景が違う。一回一回の風景、風情、歴史を楽しみながら、目指すははるか彼方である。

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by rev_ushioda | 2007-10-22 17:28 | Comments(0)

今年は7月の最初に2日、そして今日、ようやく取れた1日が、今年の夏季休暇である。今回の休暇は、「東海道9日目」とした。前回の続き大磯から、小田原までの16キロのコース。帰宅して、今日は暑い日であったと聞いたが、コースが海岸沿いであったためか、体感的には比較的すごしやすかったと感じてはいたが、実はペットボトルの飲料を今までになく、たくさん、飲んでいた。
今日のコースはずっと海岸沿いでもあり、そしてまた、ひなびた町の趣から、早くこの道を歩きたかった、そういう期待があった道であった。その道を、「目的」があって小田原まで頑張って完歩した。目的とは、ヒルトンホテルで温泉に入ること。ぜひ、実現したかったので、9時半に大磯を出発して16キロ先の小田原に着いたのは、3時。少し歩きすぎた…。しかし、小田原駅からホテルの送迎バスに乗り、根府川の山の上、ホテルの温泉は、気持ちが良かった!汗を洗い流し、さわやかな気分で帰宅した。
小田原は東海道最初に出会う城下町であり、さすがに大きい。古い格式ありそうな家が残る。昔の旅人は緊張感と感動をもってこの町を見たに違いない。町に入ったあと、駅までがさらに2キロ、疲れた足には駅は遠かった。
小田原から三島まで、登り4里、下り4里を、「箱根8里」と言う。そういうわけで、東京日本橋から歩いて、この小田原まで来たことで、自分的には、まずは第一章が終了、ということである。ここまで80キロ。
人間、便利さに慣れてしまい、無理と思うようなことも、時間さえあれば、けっこうできるものである。地図を、しみじみ見る。
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by rev_ushioda | 2007-08-29 00:14 | Comments(0)

連日35度を越える異常気温の中、昼間には歩けないので、夕方から夜にかけて歩くことにした。夏休みをとっていないので、というわけで、月曜日に続いて今日、木曜日の夕方になって、出かけることにした。しかし、日差しはないものの、蒸し暑い。すぐに汗だくになってしまった。
平塚あたりは、雨だったが、大磯の入り口あたりのイタリアン・レストランで食事を終えて外に出ると、雨はやんでいたが、大磯の雨ということで、広重の「虎ヶ雨」(下に添付)を思い出した。ちょうど食事をしたあたりの絵である。虎ヶ雨というのは、曽我十郎と虎御前の悲恋物語から、そぼ降る雨を御前の涙雨に見立てている。大磯の場合、ただの雨景色とは違うのだ。ただし、旧暦5月28日の雨のことを言うそうであるが…。食事前までは「平塚で帰ろう」と言って、うしろのほうをタラタラ歩いていた妻も、休んだあとは元気が出る。そういえば、今までもそうだったかと思った。これからは、初めの1時間くらいで、早く喫茶店でもレストランでも入っておこうと思った。 σ(^◇^;
雨はあがっていたが、すっかり暗くなっていたために、非常に残念だったのは、化粧坂(けわいざか)の松並木のすばらしさをよく見れなかったことである。ここは、宿場の中心で、旧東海道らしい、歴史を感じる、実にすばらしい松の木ばかりだった。ネットから拝借した写真を添付しておこう。こういうところに住める住人はいいなあ、とネットの写真を探していたら、海水浴客の車で埋め尽くされた写真ばかりだった。車がいなくなった夜で、よかったのかも…
今日は、初めての夜間歩行で、大磯までの3時間であった。先日の藤沢~茅ヶ崎を補った感じであった。帰りは大磯から横浜35分、大磯から希望が丘までは、ちょうど1時間であった。私たちのささやかな夏休みである。

写真1(画).広重の「虎ヶ雨」。東海道を歩いて来て初めて、この辺りで雨になったのも、偶然といえば偶然。写真2.化粧坂の松並木。ここを通った時は夜であったが、すばらしい松の枝ぶりは印象深かった。
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by rev_ushioda | 2007-08-17 00:38 | Comments(0)

猛暑日が続いている今日、勢いで出発したのはいいが、妻の調子が良くなくて、結局、歩いたのは7、8キロだった。藤沢までの景色とは一変、淡々とした国道沿いの道をひたすら歩き続けたが、以後、こうした国道沿いの道行きは小田原まで続くことになるのだろう。茅ヶ崎に近づいたら、東海道らしい松並木が続くようになった。松の木はなぜ、まっすぐのものや、斜めのものや、くねくね曲がったのものがあるのだろうね、と話しながら歩く。人間と同じだよ、と妻。いずれにしても、どの松の木もその個性でもって、「旅人」にはありがたい日陰を、要所要所に作ってくれていた。
今日の起点となる藤沢までは、大和から小田急線を使った。帰りは茅ヶ崎から相模線で海老名に出た。往復のコースをどう選ぶかも、楽しみのひとつだ。相模線は、電車に乗るときは自分でボタンを押してドアを開け、乗ったら、冷房が効くように、また閉めておく。もし、閉めないと、周りのひんしゅくを買う。そして、駅に着いたら、自分でボタンを押してドアを開けるのだ。

暑さのため調子が上がらないので、早めに帰宅したら、犬が死んだばかりのところだった。覚悟はしていたが…  (8月4日の記事参照)

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by rev_ushioda | 2007-08-13 21:27 | Comments(0)

ついに保土ヶ谷出発。時間がとれないまま、保土ヶ谷に2ヶ月以上滞在してしまった。これが現実ということであるが、思いは、いつも京都である。そう言ったら、思いはいつも天にある、と妻は言っていた…。天王町に向かう電車が、途中の駅で停止信号でしばらく止まったが、あとから「新潟中越沖地震」だったと知った。
今日のトピックは、まず、このコースは、日本橋出発以来初めて、坂道の多い「難所」であったことである。「権太坂」(国道とは違って、住宅地の中)、戸塚駅を過ぎたところの「大坂」、そのほか、住宅地の中だけでなく果樹園の中を巡るような細い曲がりくねった道だったり、途中、道がわからなくなるようなところばかりであった。そういえば、果樹園の一つに「柴田農園」があった。泉教会に土地を売ってくれた方のご実家であろうか。確か、このあたりのはずだ。それにしても、同じ東海道でもずいぶん様子が変わるものである。地図を見ると、海岸沿いから離れたためとわかる。このような難所が、これから先、もう一個所ある。箱根である。
二つ目は、思いがけず戸塚で I さんが応援に駆けつけてくれたこと。うれしいなあ。東京を出て初めて、路上応援を受けた。しばらく同行してくれた I さんとツーショット。(実は、「今、家が見えますよ」と電話してしまったため、気を利かせて先回りで待っていてくれたのだった)
三つ目は、保土ヶ谷から藤沢まで16.6キロ、6時間弱の長距離となったこと。戸塚までにしようか、と言いかけていたところ、 I さんの応援を受けて、勢い先まで行く決意が固まったのだが、それから2時間半。棒になった足を引きつりながら、ゴールイン。それにしても初めは私のずっと後ろをタラタラ歩いていた妻であったが、ゴールが近くなると、「休もうよ」と言う私の前をどんどん歩いていく。バス停の椅子にやっと座ったと思ったら、「さあ、行こう」。女性は、危機的状況に強いのかも知れない。
日本橋から藤沢までは、48.8キロになる。ということは、ちょうどここで東海道500キロ弱の10分の一になったのだ。けっこう歩けるものだという実感が出てきた。ちなみに、NTTドコモの携帯広告によると、日本橋から「96,800歩」だそうである。これだけ歩ける私たちは、結構、健康なのだ。この夏、箱根を越えられそうだという希望が出てきた。

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by rev_ushioda | 2007-07-16 21:34 | Comments(0)

上野からの帰り、神奈川~保土ヶ谷を歩いた。保土ヶ谷は、その入り口に当たる天王町駅までの5キロである。宿場間では非常に短いコースであるが、しかし、ここはまさに私たちの「地元」だ。と言っても、この道を歩くのは、今回が初めてであったが。
期待していた場所、神奈川の台坂がこのコースにあった。(写真1、2)
写真1は、広重の絵であるが、京浜急行神奈川駅を過ぎたところにある坂道の当時の様子。横浜駅の北側にあたり、神奈川の台と言われた。驚くことに、この絵に描かれている、まさに海の中に、今、交通の要衝、横浜駅があるのだ。海の向こうに見えるのが、野毛山。この坂道は観光名所になって、茶店が建ち並んでいたらしい。弥次さん、喜多さんも「いらっしゃいやァせ」という掛け声で一休みしたことが「東海道中膝栗毛」に書かれている。今は昔と言うが、とにかくその景観の変貌ぶりに驚くしかない。何軒かの料理屋があって、当時の名残をとどめていた。周りが変化しても、こうしてあり続ける姿を心に刻む。私たちも(教会も)、そのようでありたい。
写真2は、台坂を前にして。
写真3は、天王町駅に至る「松原商店街」。そういえばここまででは、品川、川崎も、今は商店街になっていた。松原商店街は買い物客でごった返しており、このような庶民的な商店街の光景は、東海道、ここまでの30キロで初めて見た。
写真4 商店街を抜けたところに、当時、架かっていた橋。私たちは、昔であればこの橋を渡ったことになる。創造するだけで、何とも、愉快な気がする。広重の世界に自分が重なるのだから。

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by rev_ushioda | 2007-05-14 19:18 | Comments(0)