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「権力の道」

街道の旅も、今度は中山道に移ることになるが、前々から、こういった街道は何のために作られ、そして使われたのかと思っていた。伊勢参りとか、商業用にとか、もちろんそういうことのためにも使われたが、しかしよく考えると、幕府の権力行使の道具だった。
道路の代表的なものとしてのローマの街道も、「全ての道はローマに通ず」と言うが、これも紛争鎮圧のための軍用道路だったとか。その結果の「ローマの平和」である。江戸時代の五街道も、参勤交代など権力維持のために整備されたものなのだ。その結果、江戸時代の「天下泰平」の世の中が実現した。たとえばすでに歩いてきた東海道など、川に橋をかけないところが何個所もあり、それは首都防衛のためであった。街道に立つと、権力維持の執念を感じる。

そういう、権力の臭いがする道を歩いてみることも、歴史から学び、先を見るためにはまた大事かと思うこのごろ。

写真は、ローマ、アッピア街道。やはり石畳で、両脇には何と松(日本の松とはどうも違うようだが)が植えられていて、1里塚ならぬ1000歩ごとの里程標「マイルストーン」もある。日本の街道とそっくりではないか。
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by rev_ushioda | 2012-02-04 13:25 | Comments(0)

草津宿

ホテルの11階の部屋から、下を見るとJR草津駅である。いよいよ旧東海道、最終ステージに立った。
今日は、草津から出発。草津と言えば中山道の分岐がある。5年前に「江戸」日本橋から正反対に延びた二つの街道を、あのとき私たちは東海道を南下したが、そこから逆方向の北に向っていた中山道とここで合流した。なぜか、感無量・・・。来年は、ここから中山道を「江戸」に向けて再び出発予定。新しい街道の旅が始まる。
次の写真、正面のトンネルが、中山道の始まりである (昔は、上の草津川に上ってそこを渡っていたたと言う)。写真では見えないが、右手に東海道が合流している、まさに東海道と中山道の合流点(分岐点)である。
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さて、今回は琵琶湖東岸を南下、途中、「江戸」から120里の一里塚を越えた。残り6里、いよいよ瀬田の唐橋を渡った。これで琵琶湖を越えた。明日には、京都にと思うと、何やら、不思議な感動を覚える。
ところで、東から京へ上るには、東海道を離れ、湖に出て、矢橋(やばせ)の港から大津への船を使うとが早いが、しかし比叡おろしの強風に悩まされた。そこで、さらに足を伸ばして南方にある瀬田の橋を渡れば安全である、として、瀬田までの遠回りの道を選ぶことになった。「もののふの矢橋の舟は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」。これが、東海道である。急がば回れの語源になったうたであり、まさにその場所である。遠回りして、学ぶことがある。

ゴールイン

さて、二日目は、瀬田の唐橋を過ぎた琵琶湖西岸の石山から出発。一日目は自宅を5時に出て東名を飛ばしたら午前中に草津に着いた。一日目にもかかわらず思わず歩行距離を延ばすことができたため(14キロくらいか)、ついに、京都への射程圏内に入った!!(残り16~7キロ)
琵琶湖西岸を大津に進み、そして、あの「逢坂」である。蝉丸が「これやこの行くやかへるも別れては知るも知らぬも逢阪の関」と詠った「逢坂」に来れば、その先は、もう、山科である。
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食事に店に入れば「おおきに」。心なしか、紅葉さえも京都らしく(?)見えてくるから不思議だ。国道1号とも山科辺りで別れ、、いつしか「三条通り」となる。いよいよだと思うと、疲れた足も速くなる。
ところでいよいよゴールというところで、道を見失った(と思った)。通りがかりの人に訊くと、国道を教えてくれた。地元の人でも旧道はしらない。今までもそうだったが、ここ京都でも同じだった。結局、GPS(携帯しているナビ「ゴリラ」)で確認したら、歩いていた道が旧道であったのだが。
さて、南禅寺がある山を右に見ながら都ホテルを左折、あとは直進(西に進み)、京都の碁盤の目の中に入る。そして、ついに、加茂川にかかる三条大橋に到着。5年にわたる東海道旧道を歩く夫婦の旅は、ここにゴールインした。
三条大橋はたくさんの人で、ごった返していた。当然だが祝ってくれる人もなく、自分たちで感動をかみしめた。ああ、これが京都だ。電車で京都に入ったことはあったが、歩いて京都に至り、あの坂を、この坂を越えてついにここに立ってみて、京都を実感した。京都は、誰も皆、歩いて上洛すべし。
通りがかりの人に頼んで写真を撮ってもらった。こうして、ひとしきり感動を味わい、気づいたらすでに5時、暗くなってきたので、買い物もせず、今夜の宿がある大津に戻ることに。(次の写真は、加工して明るくしてあるが、実際はかなり暗いです)
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草津から京都三条大橋までのルートは ⇒ こちら



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by rev_ushioda | 2011-11-30 23:52 | Comments(9)

「街道を歩く」

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(聖書)

地図を見ると、いくつかの「直線」が引かれています。新幹線、在来線、高速道路、そして国道だ。そういう「直線」が延びているのがわかるでしょう。出来るだけ早く、目的地に行かれるようにすると、直線になるのです。
その陰に隠れて、旧街道が国道を入ったり出たりしています。
いや、もともとは、そういう街道しか、なかったのです。人が歩く道は、山を避け、谷を避け、くねくねと延びていましたが、しかしトンネルを掘り、橋を架け、まっすぐな国道が出来、高速道路となりました。鉄道もどんどん直線化して、新幹線になりました。
今、私は年に1、2度、旧東海道を歩いているのですが、最初の道を見付けるのに、苦労する所が多いです。歴史、人の動きは、「真直ぐ」な方に動く。少しでも速い方に、動いてきたのです。そして、最初の道は、忘れ去られます。廃道になります。くねくね曲がったもの、遅い道(もの)は、忘れ去られていくのです。
しかし、旧東海道を歩きながら発見するのは、そこに生きた何千、何万人の人々であり、そこに生み出された何百年の歴史です。直線と、速さの中では、決して見ることのない、生活の営みが、見えてくるのです。
旅でお世話になっている『歩いて見て楽しむ 平成東海道五十三次』の最後に、著者は、次のように書いています。

「東海道が敷設されて400年。人は文明を発展させ、便利な世の中にすることで多くのものを手に入れた。しかし、私はこの旅を終えて気がついた。多くのものを得るということは、同時に多くのものを失うということではあるまいか。旧東海道を歩いていると、実に多くのものが目に飛び込んでくる。古い家並み、一里塚、道端の石仏、道祖神。しかし新幹線に乗る、または自動車で走りすぎると、これらのものは一切視界の外である。さらには、これらの鉄道を通す、自動車用の道路を敷くのは、これら多くのものを押し潰すことによってしか、なしえないのだ。新たなものを得るために、人は便利さを追及した。しかしこれは、多くのものを失った上に成り立っているのである。・・・私たちは、この便利さによって多くのものを得たとき、同時に多くのものを失っているかも知れない・・・」

多くのものを得るために、人間は、まっすぐな道を建設し、「広い門」「広々とした道」を作ってきた。しかし、その結果が、たとえば、原子力発電所ではなかったでしょうか。原発事故という人災につながったのではなかったでしょうか。原発もまた「広々とした道」ではなかったかと思うのです。原発は、便利だ、安全だと言われてきました。しかし、一旦、事故が起きれば、人間のコントロールが効かないところで100年単位で、勝手に放射能を出し続けるのです。止められない。放射能で、町に人が住めなくなる。いくつもの町が無人化する。・・・便利さを追求するあまり、こうした「広々とした道」は、人間の生活を奪い、命を脅かすものだと、ようやく気づいたのです。
「新たなものを得るために、人は便利さを追及した。しかしこれは、多くのものを失った上に成り立っている。」 街道を歩くというのは、色々なことに気づきますが、結構、「哲学的」なことなのです。

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by rev_ushioda | 2011-08-24 10:29 | Comments(0)

去年の11月から動きが取れなかったが、やっと出発することができた。今回は、いよいよ鈴鹿峠を越えて、近江の国に入る。琵琶湖の国、滋賀県である。すると、目的地「京都」は、もうすぐそこだ。
今回の記事には、いろいろ見所がありますよ! まず、このビデオから (ビデオでは 「さかした宿」と言っているが、正しくは「さかのした宿」)。
 


(拝借した地図なので、「現在地」は消せなかった・・・私たちの現在地は、草津手前である。京まであと30キロ!)

今回のトピックは、
1.ついに近江の国(滋賀県)に
ついに、鈴鹿峠を越えた。すなわち、伊勢の国から、琵琶湖がある近江の国に入った。9ヶ国目である。食事をした店で「おおきに」といわれた。初めて、自分に向かって言われた「関西弁」であった。
私たちの歩いたコースは上の通りであるが、 坂下宿~土山宿~水口宿~石部宿~草津宿手前まで、42キロくらいか。もう、琵琶湖の下である。石部は、「京発ち石部泊まり」と言われ、京を朝早くに発てば、その日の最初の宿となる。ついに我々は、京に手が届く地点に立ったということだ。
コース →ルートラボ
(ここを開き、大きくした上で、「写真」モードに切り替えると、家並みまでわかり、旧道の雰囲気がよく見えてきて、私たちが歩いているのも見えますか? 嘘です、見えません。)

2.交通の難所、鈴鹿峠をクリア
鈴鹿峠は、「東の箱根、西の鈴鹿」と言われるくらいの難所である、と言われてきたが、峠自体はまったくたいしたことはない。ネットで事前にどの程度の難所かときいたら、「裏山をちょっと登るくらいですよ」。本当にそんな感じで、「坂道は顔中から汗が出るね」とか言っていたら、峠に出てしまった。難所の意味は、昔、山賊が出たことらしい。現代は、本当にたいした峠ではない。しかし、鈴鹿峠は、現代は交通の難所である。鉄道も大きく迂回しているし、バスも通ってない。通常、車を置いて歩き出し、10~20キロ先から、電車やバスで元の場所に戻ってくるが、しかしここは鉄道もバスもないのである。今回、この交通の難所をどのように越えようかと頭を悩ましていたら、妻が、娘夫婦が夏休みだったこともあり、さっさと「一緒に行こう」と誘って、結局、そうなった。車があって、どこでも自在に迎えに来てもらえることで、交通の難所は難なく越えることができた。

3.孫と一緒に街道歩き。
そういうわけで、一緒に行った娘家族は、甲賀忍者の里に行ったり、近くの牧場で遊んで、私たちは街道を行く。適当なところで車を回してもらい、ホテルにと、今回は交通の難所でありながらも、今までになく楽な行程を組むことができた。車は、有難い。いや、家族は、であった。
おまけがついた。時間が少しあまったので、前回、取り残した亀山から関宿の間を、孫と娘と一緒に歩くことができたことである。距離も1時間半の距離、途中の景色も良い。いろいろ好都合が重なって、思わぬ街道歩きが実現した。
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その他の写真は アルバム → http://animoto.com/play/1IS0YFnpQWmLFkI9wSV0nA
(英語のページになるけれど、びっくりしないでね。写真は、日本語です ん?)

孫と歩いたコースルートラボ 
(これも「写真」モードで。位置としては、上の1.のコースに入る手前になります)

4.いよいよ、草津(4キロ手前)
今回は、上に書いたように交通の便が良かったため、思いのほか、距離を延ばした。もう、琵琶湖の下である。
いよいよ草津。ここは中山道への分岐があり、何よりも、ここは京都に届く距離だ(残り30キロ)。まる5年かかったが、あと1回ここにくれば、いよいよ京都にゴールする。感動的ではないか。(が、私の思いは早くも草津から延びる中山道に・・・)
その他の写真は アルバム → http://animoto.com/play/g4IuvAtPOidqJO0A2aobjQ

5.ノルディックポール
今回、大きな助っ人を手に入れた。妻が手にしている「ノルディック・ポール」である。被災地でこれを普及させている人がいるとテレビで紹介されていたが、これはいい。軽快なリズムが維持できる。全身運動になる。長く歩くと、手が重くなるが、それがない。試しに1本だけ購入してみたが、帰宅後、さっそくもう一本購入した。

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→ http://item.rakuten.co.jp/hatalabo/wh5024/#wh5024

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by rev_ushioda | 2011-08-08 11:51 | Comments(5)

「信仰街道」

私たち夫婦は、「旧東海道」を少しづつ、京都に向かって歩き始めて、4年になります。こうして歩きながら思うことは、先に目標があるということは楽しいという、その実感です。街道の全体を見て、今いる自分の位置を確認するのですが、後ろを見ると、そこにいろいろな足跡が残されている。そして先を見ると、未知の世界が広がっている。この街道に立つと、後ろも楽しい。前も楽しいのです。
さて、私たちは信仰において「神の都」を目指す旅人です。この信仰の街道に立ち、そこで過去を、現在を、未来を語ることができたら、何と楽しいことかと思います。時々は、後ろ(過去/歴史)振り返ります。そして自分の位置を確認し、また前を見て、先に進みます。信仰の街道のガイドブックは、聖書ですが、この場合はあえて「信仰告白」としてみましょう。ガイドブックを大事にしないと、同じところに立ち止まってしまいます。人と話すとき、いつも同じ関心で、いつも同じ話しか、しなくなります。この信仰の街道は豊かな発見を伴う、わくわくしたものなのに、ガイドブックを持たないと、信仰の街道の全体が見えず、いつも同じ関心で、同じ話しかできなくなります。
自分を振り返って、どうも同じ関心が脳裏から離れず、また、同じ話を繰り返していると思うなら、要注意です。聖書全体は、創造、人間の罪と希望、社会のあり方、恵みの契約、教会、聖霊、終末など、あらゆることを語っていて、全体のバランスがとれていて、信仰という豊かな、わくわくした街道を作っているのです。しかし、そこでいつも同じ景色になっていたとしたら、つまり、いつも同じことを言っているとか、聖書を読むとき、読みたくない個所が(読みたい個所が)いつも同じであったとしたら、そこがあなたの関心のありどころです。時には、それは良いものであるかも知れません。しかし、1年経っても、まだ同じところに留まるとしたら、何かの偏りがあるかも知れません。「信仰告白」は、信仰街道のガイドブックです。「信仰告白」を手にしながら、神の都を目指す信仰街道の全体を見て、わくわくしたこの街道を、神の都を目指して、ぜひ一緒に歩きましょう。(できたら、東海道も一緒に!)

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by rev_ushioda | 2011-05-30 13:27 | Comments(0)

4年前から、夫婦で東海道を歩いて京都まで行くんだと言って、休暇の度に少しづつ、距離を延ばしてきました。まだ行ったこともない、はるか彼方に向かって地図を見ながら、少しずつ歩いて、今は、三重県から滋賀県に入ろうとする鈴鹿峠手前まで行きました。電車に乗ったり高速道路で走り抜けると、とても歩けないだろうと思ってしまう距離も、時間さえあれば、歩けるのです。
さて、しかし、風邪をひいたり、腰を痛め、足をひきずったりと、現実は、こんなものです。さあやろうと思っても、足元でずっこける。夫婦二人の調子が合わなければ、そこで、また延期。これが現実ですが、しかし、思いはずっと目的地である京都を見つめ続けているのです。生きているうちには行けるだろう。それでいい。
先を見ていると、不思議に毎日の景色は、心なしか華やかになる。思いがけず、違った景色にも見えてくるのです。苦しいことも、越えられない苦しみではない、なんて思えたりするから、先を見ているということは、なかなか不思議なものです。
話は変わりますが、教会は、そういうところではないでしょうか。キリスト者は、そういう人ではないでしょうか。先を見て生きるという意味で。もちろん、先というのは、神の国。現実は、ずっと手前でなにやら苦労しているのですが、しかし、先を見ているのです。
水平線に向かって投げる石が、しかしそんなところまで届くはずがなく、そのあたりにポチャンと落ちる。それでも水平線に向かって石を投げ続ける。教会は、永遠に向かうカタパルト(石投げ機)なのです。そのように神の国の希望を語り、生きていると、いつしか隣の人も、その方向に向かって、石を投げ始める。どこを見て、何をしているかが大事なのです。
教会は、神の国に向かって歩き続け、共に歩き始める仲間を求める、永遠に向かうカタパルトでありたいと思います。

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by rev_ushioda | 2011-01-02 06:00 | Comments(0)

11月1~3日、再び、東海道に立つことができた。秋に3日間の休暇は、初めてである。秋は健康の問題がついてまわるから、直前まで宿の予約はとらなかったが、幸いに風邪もひかず、実現した秋の休暇。

四日市宿

今回は、四日市宿から坂下宿までの約35キロとなった。伊勢湾を渡って、桑名から四日市まではほとんど旧道の雰囲気はなかったが、四日市を過ぎると、連子格子の家が多く見られ、街道を歩いているという情緒がある。



関宿

今回の旅で最高の収穫は、関宿の町並みであった。ここは、国指定の「重要伝統的建造物群保存地域」である。今まで、町並み保存がされているところはあったが(静岡県蒲原など)、これほどのところはなかった。ここは、東海道随一の宿場の景観を今に保存しており、電柱はすべて撤去され、江戸時代さながらの景観である。70%以上が戦前の建物で、中に入って観ることができる建物も多い。まるでタイムスリップしたかのような雰囲気だ。すごかった・・・ 次の写真は、朝早かったので人や車が写っていないが、日中ともなればかなりの観光客が来る。しかも、地元の人にとっては、ここが生活の場である。実際、ここに人が住んでいる。今まで街道を歩いてきて古い建物がいくつもあったが、あと10年もすれば崩れるのではないかというように手入れをしない家も多い中、町の意気込みでここまで保存できるのだと思った。東海道一の景観である。
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坂下宿

関宿から、鈴鹿峠下の、坂下宿まで足を延ばした。帰りは1日3本しかないバスに合わせて、その時間までに峠下の坂下宿に着き、バスで帰って来るつもりでいた。行きは良い良い、しかし、何と帰りのバスは、休日は走ってないことが分かった! バスで戻るはずだった5キロの道を、再びテクテク、1時間半をかけて、(車を停めた)関駅まで戻ることになった。
そういえば、関からのJR関西本線のディーゼル車は、1時間に1本しかない。乗り換え駅では、待ち時間も1時間もある。なるほど、鈴鹿峠は東の箱根に対して西の箱根と言われるが、峠自体はまったくたいしたことはなさそうであるが、バスの時間のやりくりは、たいそう難しく、現地に行ってみれば、「交通の」難所、陸の孤島であった。

関宿は歴史的建造物郡保存地域ということで、20年前から保存の取り組みがされて、今は観光名所となっているが、他方、坂下宿は往時、街道有数のにぎわいを見せたと言うが、明治時代に鉄道からはずれ、人通りが絶えたのをきっかけとして建物はすべて取り壊され、今は、茶畑になっている。写真は、大竹屋本陣跡。宿場であったことをしのぶものは、何もない。歴史とは、そんなものか。
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坂下宿を過ぎると、もう鈴鹿峠で、そこが伊勢国(三重県)と近江の国(滋賀県)の境である。今回は、伊勢国のはずれまでとなった。写真は、坂下宿少し手前、小学校跡地にて。
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今回のルート → 今回のルート(地図表示)

この地図を拡大、写真モードにすると、「関」の家並みがよくわかる。そして、その先のゴール地点の山間の様子も手に取るようだ… 次に来たときは、鈴鹿峠を越えて、いよいよ近江の国(滋賀県)に入る。すでに周りの人たちが話す言葉は関西弁であるが、鈴鹿峠を越えたら、そこは関東の人間には、別世界である。

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by rev_ushioda | 2010-11-04 16:33 | Comments(0)

「歩く旅」

聖書には、「歩く」ことが、信仰と同じように書かれている。
私はブログランキングに登録しているが、そのカテゴリーは、「歩く旅」である。旧街道を歩いているからなのだが、しかし、それができるのは年に数回。ランキングから期待してやってくる人には申しわけないくらい、カテゴリー名にはふさわしくない内容ばかりではないか、と思うこともある。
しかし、日々の生活こそ、まさに歩く旅なのである。信仰によって歩く。光の中を歩く。キリストが歩かれた道を歩く。「歩く旅」には、そういうことが暗示されているのだが、さて、分かる人はどのくらいだろうか。


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by rev_ushioda | 2010-10-25 09:50 | Comments(0)

「街道の難所」

「東京から下関・門司まで歩いたよ―夫婦で1200キロ」
という本を、知人からいただいた。知人と同じ団地(私の家からも近い)にお住まいの方が、出された本であった。へ~、東海道のあとは中山道(なかせんどう)に移る人が多いらしいけど、京都を越えて、向こうまで行っちゃう人もいるんだと思った。
それにしても、交通費がかかっただろうなと、そちらの方ばかり気になって仕方ない。私はようやく四日市まで行っただけで、交通費(車で東名高速往復2万円)と、そこまで行く時間(7時間)を考えただけで、腰が重くなっているのに… 私の場合は現地(前回の終点)までは新幹線ではなく車で行くので、交通費はともかく、時間がかかる。しかしこの方は新幹線利用なので、交通費がかかる。交通費を浮かせようとすると、車を使うから時間がかかり、時間をかせごうとすると新幹線を使うので、お金がかかる。いずれにしても、街道ウォークのためには、このために賭ける日ごろの節制と、踏み出す「勇気」がないと、できない。
東海道にはいくつかの難所があるが、私には、7時間も車で移動しなければならない閉鎖的車中が、一番の難所である。

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by rev_ushioda | 2010-09-02 09:19 | Comments(0)

東海道、今回は全行程約30キロ、知鯉鮒宿(知立)~鳴海宿~宮宿(名古屋)~桑名宿~四日市宿の3日間のコースであった。私が参考にしているガイドブックの著者は、これを1日で踏破している「つわもの」である。

今回のコースには特徴がある。
第一に、三河の国から尾張の国を通って、伊勢の国という、何と、3国をまたいだこと。ついに伊勢の国(三重県)である。
第二に、途中、伊勢湾を渡ったことである。東海道は伊勢湾でたくさんの大河を回避するために海上7里の海を渡るのである。昔は一日がかりであったらしい。今は、伊勢湾岸道路ができているが、この道路がまた、巨大な橋の連続で、実に壮観であった。(標題をここで章分けしたのは、上の二つの理由による)
第三に、四日市、その先の津は、明治時代、私たちカンバーランド長老教会のヘール宣教師が活躍した地域であるということである。今回は四日市教会と、津に近い阿漕教会の二つを訪ねてみた。
第四に、出産のために郷里、津に帰っているY姉を訪ねたこと。

1日目(7月26日) 知鯉鮒(知立)宿~鳴海宿

知鯉鮒(知立)から鳴海まで。家を6時に出て、知立11時20分出発。鳴海に4時30分着。休憩を入れて約5時間。
途中、境川の境橋を渡る。ここから豊明市で、ついに7ヶ国目の尾張の国である。その先の有松は、絞りで有名な町。東海道の両側は、時代を感じる立派な家々が建ち並んでいた。到着した笠寺のホテルは、「湯~とぴあ」という施設を併設、いろいろなお風呂を楽しむことができた。ホテルは、最近はすべて素泊まりにして、宿泊代をかせいでいる。

この写真は三河の国から尾張の国に入ったところ、境川にて。
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2日目(7月27日) 鳴海宿~宮宿(名古屋)~桑名宿~四日市手前

前回から、始発電車を利用しスタート地点まで移動、午前中を有効利用するようにしている。
鳴海を朝6時スタート、名古屋の熱田神宮まで。そこが宮宿で、そこから海上7里、東海道は海を渡ることになる。我々は伊勢湾岸道路を使ったが、巨大な橋の連続で、壮観であった。なるほど、昔は舟で一日かかったというのも、納得する伊勢湾である。
三重に渡って桑名から四日市を目指すも、暑さのために3時、富田でリタイア。しかし今日の9時間は、たくさんの休憩を入れたとしても、あの暑さの中、なかなか立派な記録である。というか、限界である。
途中、休憩で立ち寄った喫茶店での会話は、大阪弁であった。伊勢湾を渡れば、いよいよ大阪、そして京都に近いことを実感。



3日目(7月28日) 四日市手前~四日市宿

ホテルから早朝の「外出」で、6時 富田をスタート、四日市には7時30分に到着。ここでホテルに戻り、シャワーを浴びる。余裕の3日目と言いたいが、脚はもう限界かも。
さて、この日は津に居るY姉を訪ねることになっていて、途中、四日市教会、阿漕教会に立ち寄ってみた。四日市教会は1890年(明治23年)、ヘール宣教師兄弟によって誕生した。阿漕教会もヘール宣教師によって、1909年(明治42)誕生している。残念ながら、両教会とも集会中で、牧師に会うことはできなかった。しかし、この地域を私たちのカンバーランド長老教会から派遣されたヘール宣教師たちが歩き、語り、教会を生み出したかと思うと、感慨ひとしおである。阿漕教会の墓地には、ジョン・ユージン・ヘール夫妻が眠っている。その場所が分からず、今回、ようやくのこと近くまで来ながら、行くことができなかったのが、一番の心残りだ。
その後、津にいるY姉を訪問。田園地帯であるのにカーナビはありがたい。迷わず、一発で畑の中の1軒家まで案内してくれた。ご両親とも親しいお交わりをいただきつつ、ご家庭の祝福と、臨月に入った姉のため、無事の出産をお祈りした。

さて、一路、帰宅の道中。さすがに高速でも7時間の車中は、なかなか辛いものがある。四日市から先、「京」を目指す旅はいよいよ楽しみであるが、ここまでの行き帰りの車中を思うと、途端に気が重くなる。

今回の行程は以下の通り。知鯉鮒(知立)から、鳴海、宮の二つの宿を経て伊勢湾を渡り、桑名を経て四日市までの30キロ(海上部分は伊勢湾岸道路)。こうして地図を見ると、ものすごく距離を延ばした感じがする。

鳴海宿から宮宿(名古屋) http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=bad3fde4e70c90110dfcbc14c18264b0
桑名宿から四日市宿 http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=b3907b69809e71bcd4b44f03f4e6f665

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by rev_ushioda | 2010-07-29 15:27 | 生き方 | Comments(0)