「うしおだ発電所稼働」

我が家も、ついに太陽光発電にした。
稼働して1年は見ないと確かなことは言えないが、設備費のためにこれから15年間は電気代に換算すると月々1万円アップすると思われる。しかしその後は電気代がはるかに安くなるのは間違いない。それよりも何よりも、自家発電により、原発を推進する東電から電気を買わなくて済むというだけでも、気分は晴れやかである。
「うしおだ発電所」の稼働である。
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この二つの写真は、8月8日(曇り)朝8時頃撮ったものである。
上は、左側の太陽光発電量0.8キロワットに対して、家の使用量は0.1キロワット。差引き0.7キロワットを東電に売りつけている(笑)ということを示している。
しかしなぜ家の使用料が(朝8時頃だというのに)0.1キロワットとこんなに低いのかと言うと、下の写真のように、実際は家では1キロワット使っているが、「電池」から、0.9キロワット供給されているからだ。そう、蓄電池併用システムなのである。夜間、安い電気を蓄電池に溜めておいて、昼間にそれを使っているのだ。結果、太陽光発電から0.1キロワットもらうだけで、家の電気は賄えている。曇りの日、太陽光発電が0.8キロワットと低い時でも、東電に0.7キロワット売ることが出来る、というわけだ。
まあ、冬場、太陽光が不足するとこんないうまくは行かないし、蓄電池の能力も半日分くらいだろうから、年間を見ないと、何とも言えないわけであるが。さしあたって、「得」することは、何も考えていない。設備費での支出の方が大きいだろう。しかし、東電から買いたくない、という一点を目的にしている。

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by rev_ushioda | 2014-08-08 10:15 | Comments(0)

「大川小学校を訪問」

今年もまた、私は、被災地に行きましたが、その一つ石巻、そしてあの大川小学校にも行きました。津波で児童がたくさん亡くなった、あの学校です。津波で壊れたコンクリーチの壁に、卒業生が贈ったと思われる作品が描かれていました。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。コンクリーチの壁がねじ曲がっている、そこに「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」と書いてありましたので、特に辛く思った場所です。そして、帰ってからこの言葉を改めて調べてみました。

雨にも負けず/風にも負けず/・・そういうものに/わたしはなりたい

「そういう者」って誰のことかと思っていましたが、何と、この詩のモデルがいたというのです。当時の花巻では知らない人がいない、大変な有名人であった斉藤宗次郎だと、宗教学者、山折哲雄さんは述べています(2011年1月 NHK「こだわり人物伝」)。

斉藤宗次郎は1877年に岩手県花巻市に生まれました。彼は小学校の教師となり、ふとしたきっかけで内村鑑三の本に出会い、やがて内村鑑三の薫陶を得て、1900年の冬、23歳のときに洗礼を受け、花巻で初めてのキリスト者になりました。宗次郎は「耶蘇」(やそ)と呼ばれ迫害されました。特に彼が日露戦争に反対したことから、教育会から追放され、小学校教師の職を追われます。それだけでなく、長女の愛子ちゃんは耶蘇の子供と呼ばれ、腹をけられ、腹膜炎を起こした数日後、わずか9歳で亡くなっています。

教師を辞めた宗次郎は、新聞配達店を始めます。しかし彼のやり方は変わっていて、新聞を配達する一軒一軒の前で立ち止まり、その家のために祈るのです。祈るだけでなく、地域の人々のために彼は自分を捨てて働きました。やがて、宗次郎を耶蘇と迫害していた地域の人々も、徐々に宗次郎に心を開いていきます。そして、ついに花巻では「名物買うなら花巻おこし、新聞を取るなら斉藤先生」と言われるようにまでなるのです。やがて、宗次郎は内村鑑三の弟子として、東京に行きますが、かつてはキリスト教徒として迫害され、教師の職を追われた宗次郎ですが、何と花巻駅のホームは町長をはじめとする町の有力者、学校の教師など多くの人々で埋め尽くされたということです。新聞配達をするこの宗次郎と知り合ったのが、宮沢賢治で、斉藤宗次郎より20歳も年下でしたが、宋次郎の人柄にひかれていきます。斉藤宗次郎はクリスチャンとしては無名でした。しかし、内村の薫陶を受け、キリストに生涯を捧げた斉藤宗次郎は、はからずも宮沢賢治の詩のモデルとなり、その詩は80年以上たっても語り継がれていくことになりました。

雨にも負けず/風にも負けず/雪にも夏の暑さにも負けぬ/丈夫なからだをもち/慾はなく/決して怒らず/いつも静かに笑っている/一日に玄米四合と/味噌と少しの野菜を食べ/あらゆることを/自分を勘定に入れずに/よく見聞きし分かり/そして忘れず/野原の松の林の陰の/小さな萱ぶきの小屋にいて/東に病気の子供あれば/行って看病してやり/西に疲れた母あれば/行ってその稲の束を負い/南に死にそうな人あれば/行ってこわがらなくてもいいといい/北に喧嘩や訴訟があれば/つまらないからやめろといい/日照りの時は涙を流し/寒さの夏はおろおろ歩き/みんなにでくのぼーと呼ばれ/褒められもせず/苦にもされず/そういうものに/わたしはなりたい (原文はカナ表記)

この中に、「南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、」とあります。死を怖がる。でも怖がらなくてもいいと言う。イエス・キリストを知る者の言葉ではないか。
津波に巻き込まれた子どもたちの中に、イエス・キリストはおられたのです。子どもたちを抱きかかえて、「こわがらなくてもいい」と主イエス・キリストこそ、そう言われたのではなかったかと、私は、そのように思いました。
人間にはあらゆる恐れがあります。何を恐れているのだろうか。心の中に、津波を防ぐような堤防を高く築き上げるのでしょうか。そんな安心は、地震によってもろくも崩れ去るのです。心が崩れるのです。そうではない。怖がらなくてもいいと言う。ここにいたらいい、と言う。主イエス・キリストにこそ、私たちの心を載せていたい、と思うのです。

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by rev_ushioda | 2013-09-20 16:53 | Comments(0)

『その日のために」

今回、機会があって再び、被災地を訪問しました。塩釜、東松島、石巻と巡り、最後が、津波で74人の児童、10人の教職員の犠牲者を出した大川小学校でした。北上川河口から約4キロの川沿いに位置するその場所に立ってみて、学校自体がかなり低い場所だという印象でした。どうして、大人たちがいつまでも校庭で避難先の議論をしていたのか、また、山に逃げず、川方向に避難したのかという、単純な疑問が湧きました。小さな子どもや、小学校に避難してきていたお年寄りもいましたから、確かにその斜面は登るには急でした。それにしても、です。そこに立ち、ここで多くの児童の命が失われたという思いと重なって、何とも切ない思いが溢れてきました。
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そこに立ってみて、日頃の危機管理の問題だと、すぐにわかりました。ここまでは津波は来ないとか、避難場所にもなっているから安全だと言われていても、何が起こるか分からないのです。どうしたらいいのか、日頃から訓練しておく(体に覚え込ませておく)ことがいかに大事かと思います。

私たちが1週ごと共に集まる礼拝にはいろいろな意味を見ることができますが、ここで一つ言えることは、人生の危機においてきちんと対応できる、ということだと思います。準備というのは、その時に始めたのでは、遅いのです。体が覚えていることが大事なのです。一回一回の礼拝を大事にするということ、そこで聞いていることは、「その日」にも神を礼拝する者として失われない、自暴自棄にならない、それだけでなく、そこでも使命を果たし、希望を失わずに共に歩み続けるために、どんなに大事なことでしょうか。

妻の母は、認知が進んでも、しばらく教会に通っていました。希望ヶ丘の駅まで電車で来てもらって、そこから車で一緒に教会に行きました。その朝、どういうわけだったか、多分、来る予定がなかったからだったと思いますが、迎えに出ませんでした。泉教会で研修されていた唐澤先生が教会に向かって車を走らせていたら、たまたま、希望ヶ丘の駅から少しのところを教会に向かって歩いている義母を見つけ、連れてきてくれたことがあります。健康な体であっても、そこからは歩いて1時間半以上はかかります。その道を、いつもの礼拝への道を、義母は認知が進んでも歩いていたのです。体の中にその道は組み込まれていたのです。私たちに、やがてどういう危機がやって来るか分かりません。その日、希望への道を歩くために、一回一回の礼拝の道を大事にしていきたいと思うのです。

ゆきなれた路の/なつかしくて耐えられぬように/わたしの祈りのみちをつくりたい
八木重吉

YouTubeの映像を転載します

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by rev_ushioda | 2013-09-19 18:03 | Comments(0)

「伝道と宣教」

俳優の松田美由紀さんが言っていました。「…私は俳優である前に母だと強く感じた。未来に子どもたちのために、生きて行く場所を残さないといけない。それが、今生きている大人の役割だと思う。」(朝日新聞6月8日夕刊)。また、歌手の沢田研二さんが「我が窮状」を歌っていますが、これは「憲法9条」に重ねた歌です。いま憲法は、改憲の動きの前でまさに『窮状』にある、と。「我が窮状/守りきれたら/残す未来/輝くよ」

生きていく場所の危機が現実のものとなったのは、原発事故によってです。今までもそのような事故があったことは聞いていました。しかし、ずいぶん呑気だったことに、ようやく2年前に皆が気づいたのです。福島から故郷を追われて来た人が、その悔しさ、怒りを涙ながらに話すのを聞き、「生きて行く場所」がなくなるという危機感を感じました。
たとえば、元気がない池の鯉を治療して、健康を回復させ、池に戻します。しかし、元気がなかった理由は、池の水が汚れて酸素が不足していたからだとしたら、どうでしょうか。「伝道」によって、一人の人が神を信じるキリスト者として、世に送り出されます。しかし、そこが汚れて酸欠状態であったら、どうなのでしょうか… 放射能で汚染されて住むことができなかったとしたら… 原発は、人間の生きる世界を奪い、いったん事故が起こったら、もともと人間のコントロールが効かないものですから、事と次第では巨大な化け物と変わり、もう、一部の地域の問題ではなくなることをはっきりと示しています。
また、今の憲法を変えようという動きがありますが、新憲法草案では基本的人権がなくなり、国民主権もなくなり、国防軍さえ謳われています。基本的人権が奪われ信仰の自由がなかった時代、私の恩師の父君は、その酸欠の社会で、殉教し、京都のどの教会でも葬式をしてもらえなかったのです。国防軍ができて徴兵制が布かれ、平和が破壊された酸欠状態の世界に、私たちの孫たちを、さあ、元気に行きなさいと、教会は祝福をもって送り出せるでしょうか。

だから、生きていく場所をしっかりと残すことを、「伝道」に対して、「宣教」(説教をはじめ、教会の働きのすべて)と言っておきたいと思います。教会は、「伝道」と「宣教」と、この両方が必要なのです。鯉が元気になること、その鯉が生きる池の水をきれいにすること、この両方が大事なように、です。私たちは、その両方に使命を与えられて、世に送り出されているのです。
ただ、一人一人、賜物や使命が違いますから、何もかも出来ません。しかし、少なくともキリスト教信仰からはこの世のことへの無関心、宣教への無関心は、生まれてこないでしょう。神は、人間に世界を正しく管理するように、言われたのですから。「産めよ、増えよ、地を従わせよ。」(創世記1:28)。

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by rev_ushioda | 2013-06-11 15:19 | Comments(0)

「記憶を呼び覚ます」

私の部屋に置いてあるラジカセのアンテナは、くにゃっと曲がっています。「3月11日」テレビの上から床に転落して、壊れはしませんでしたが、アンテナだけ曲がった。そのままにしてあるのです。それを見て、記憶を消さないためです。何の記憶かと言えば、地震とか津波の記憶ではなく、その災害の後ろにある、災害に襲われた人々の茫然自失、家族を亡くした悲しみ、故郷を失った痛み、職を失った不安、原発事故への怒り。被災地から遠く離れた横浜に住んでいて、もし、現地に行かなかったとしたら、もし、関係者がいなかったとしたら、テレビの画面だけの情報だったら、果たして何事もなかったかのようにその後の日を過ごしたかも知れません。曲がったアンテナを見て、鈍感な自分に、人々の記憶を呼び覚ますのです。
また、主イエスはあの時も、今も、どこに立たれているかという記憶も呼び覚まします。飼葉桶に生まれた主イエスは、野にいた羊飼いたちと共に、横暴な支配者の恐怖政治のもとで叫ぶ人々と共に、難民の列と共に、差別偏見の対象とされ周縁化された人々と共に、愛する者の死に直面した人々と共に、罪を犯す人/罪を悔いる人と共に、そして、正義を曲げるさばきを行う王の前に、立っておられました。

私(たち)は、人の痛みにも、主イエスの恵みと憐れみにも、あまりにも鈍感な者なのです。一番いけないのは、すべて「心の問題」にしてしまうことです。信仰は内側から始まるのは確かです。しかし、その結実は、外に現れるのです。キリスト者が「外」のことに関して無関心でいる時、あいまいな態度をとり続けている間に、信仰など関係ないという人々の、被災地に対する行動や、平和に対する行動には、目を見張るものがあります。私たちの祈りの道は、いったい、どこに作られていくのでしょうか。

自分の計画を変更することを「愛」と言うのだ、そう聞いたことがあります。

「礼拝は終わった、そのみのりは/信じるものに/授けられる。心の中にまかれたその種/行動の花を/ひらかせる。神は招き、愛は結び、み国のため/働こう。」讃美歌21 91番

「それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。」ヘブライ人への手紙13章12節

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by rev_ushioda | 2013-03-06 12:48 | Comments(0)

キリスト新聞3月2日号の「論壇」に、木村利人さんが、東日本大震災と東京大空襲を重ねて、書いています。自然災害だろうが人為的な戦争だろうが、そこに人間の深い悲嘆、苦難の耐え難さがある、と。
そう言って、ご自身の体験を書いています。アメリカで出会った人のことです。その人は、木村さんが日本人だと知って近寄ってきて、こう言ったのです。1945年3月10日、自分は少年兵として焼夷弾を満載し、東京上空に到達した飛行機に乗っていた、と。その日とは、100万人以上の一般市民が家を焼かれ、10万人以上が燃える炎の中で逃げ場を失い、命を落とした、東京大空襲でした。そしてこう言った。「上から見た東京の全域には、様々な色の、今まで眺めたこともないようなものすごく大きな花火が地上で舞っているようで、本当に綺麗で美しかったですよ。」得々として語った。多くの人を死なせたことへの遺憾の意の表明も、反省も全くなかったことに唖然とした。まさにその日、多くの人の命が失われたのだ、自分の家も焼かれたのだ、とその人に語る木村さんの顔つきの険しさに、その人は気まずさを覚えてか、すぐにその場を離れて行ったというのです。
他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。他者の心への想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせるのだ、東日本大震災の被災地に対してもそうだ、と「論壇」は、述べていました。
被災地のあの防災センターを訪れると、外階段の鉄製の手すりは波の力でひん曲り、建物の中は流されて、何もない、廃墟となったその建物の前には祭壇が作られ、たくさんのお花が手向けられていました。しかしそこで、ピースをして写真を撮る若者がいたとか。ましてや、遠く離れた横浜にいる私たちは、現地で苦しみ、悲しみの日々を送っている方々にいったいどれだけ共感できるのだろうかと思います。はたしてペルシャ湾に赴いた自衛隊員の42人が亡くなっていると聞きました。そのうち20人が、自死であると。まったく正反対のようですが、根は一つです。苦しみや悲嘆と確かに向き合い、それを共有できる他者の心への想像力は、いったいどこで養われるのでしょうか。
時は今、受難節。主イエスの十字架の意味に沿い続ける一回一回の礼拝で、私たちは人間らしく生きるため、極めて大切な祈りの作業を重ねているのです。

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by rev_ushioda | 2013-03-03 23:20 | Comments(0)

「被災地訪問」

気後れする旅行だった。和泉短大講演会の被災地一日訪問旅行。
以前、多賀城の友人を訪ねたが、今回は尋ねる人はなく、被災地を巡るだけである。そんなふうに通り抜けていいのか、という思いが抜けないまま17日の朝、東京駅から新幹線で一関に向った。一関から気仙沼に行き、そこからタクシーで気仙沼~陸前高田~南三陸の被災地を巡り、石巻線、東北線を乗り継ぎ、仙台から新幹線で東京へ。
私たちは、何かしなければいけないのではないかと思うが、現地の人は、今ではそんなふうに思っていないことが分かった。「今は慣れました」その上で、とにかく見て欲しいと、自分も仮設住宅に住むという運転手の方が言うのを聞いて、やや、ほっとしたのが正直なところである。
被災地は、2年近くになろうとするのに復興がまったく進んでいないことにショックを受けた。いや、気仙沼にしろ、陸前高田にしろ、南三陸にしろ、復興は難しいのではないかという印象をもった。陸前高田の「廃墟」となった町の跡地に立った時、私のようなまったくのよそ者でさえ、呆然とした。写真のような建物があるのはまだいいほうで、この建物だって4階まで津波でぶち抜かれている。津波が、町をさらって行ったという光景である。その一つの土地に、家族であろうか、数人が集まって潮干狩りのようにして何かをほじくり返していた。ああ、あそこに自分たちの家が、そして日常の生活があったのだと思ったら、目頭が熱くなった。
「防災センター」に立ち寄り、帰ろうとしたとき、水が道路に流れ込んできたのをみた。満潮であろうか、川の水が溢れている。地盤沈下を起こしたため、町のあちこちで道路が冠水している。たったそれだけを見て、私には恐怖心がよぎった。地盤沈下した町に、人は戻れないだろうと思った。
気仙沼線に沿った道路を南下したが、橋桁は、いたるところで崩壊、寸断されている。国道で山間を抜けるたびに平地に出るが、ことごとく、そこにあった町はすべてなくなっている。
自分も被災したというタクシーの運転手さんが言った。「あのときは、自衛隊の人、ボランティアの皆さんが来てくれて、本当に、助かりましたね。」
「そうですか・・・ それは、うれしかったでしょうね」
「・・・」
運転しながら目をぬぐっているのが見えた。
横浜にいたら、ニュースの話。やはり、ここに来て、見えるものがある。どういうふうにしてでもいい、現場なしには語れないと、去年の多賀城訪問以来、再び、強く思った。

帰宅して、グーグルの地図で見たら、航空写真は被災後の写真になっていた。訪問して見た光景が、上空からの写真で、見える。

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by rev_ushioda | 2012-11-17 23:59 | Comments(0)

「花は咲く」

被災地復興のために祈っているが、このような歌もきっと励みになるのだろうと思う。
被災地に、そして被災された方々一人ひとりに、明日を生きるという、よい花が咲いてほしい。
改めて、祈りをもってここに載せておこう。


作曲:菅野よう子
作詞︰岩井俊二

真白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい/あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった/変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい/あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる/誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える/悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く/いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く/わたしは何を残しただろう


夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい/あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて/報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい/あの人を 思い出す

誰かの想いが見える/誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える/悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く/いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く/わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く/いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く/わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く/いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く/いつか恋する君のために



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by rev_ushioda | 2012-11-02 17:54 | Comments(0)

「震災1年の祈り」

1.
あの震災から1年目の日を迎えました。私たちは、この1年をどう過ごしてきたでしょうか。
衝撃的だったひと言があります。「<死も来た>半島」。核燃サイクル基地を持つ青森県六ヶ所村のある「下北半島」をもじって言う言葉です(『原発とキリスト教』14ページ以降)。企業は大きなお金を過疎地に落とし、引き換えに迷惑施設を受け入れてもらう。しかし、一度、そういうお金を受け取った過疎地にある自治体は、もう元には戻れない枷をはめられる。「死も来た」と言いながら、死と向き合わざるを得ないのです。そして、そういう過疎地から送られてくる電気を、都会が、都会に生きる私たちが、消費しているのです。私たちが使う電気は、過疎地に生きる人々の命の犠牲によって送られてきたものだったのです。そういうことを今まで何も考えずに来たことに愕然としたのです。果たして今回、原発周辺の多くの人々が自分の住みなれた町を追われているのです。私たちが電気を使うために、彼らは故郷を追われる。「死も来た」と言う。キリスト者として、こういう事実を見過ごしにしてきたことが大いに悔やまれます。
また、津波は自然災害といわれますが、結局、その危険性を知らせなかった人々、組織による人災である、という見方もあります。「地震の発生とツナミの高い蓋然性について・・・認識しながら、自国の観光業を壊滅させないために、わざと警報を発しなかった」(『ツナミの小形而上学』46ページ)。これはタイの話ですが、日本でも同じであったといえます。原発事故は、政府と原発関連企業がいろいろな思惑で作り上げた安全神話で「わざと警報を発しなかった」結果、日本全体にもたらした「災害」だったのです。
余りにも知らなかったことが、顕わになったのです。そして、これだけ大事なことにキリスト者として余りに無頓着であったことを恥じます。私は、まずは一市民として「9条の会」に加わり、駅前で少しづつですが原発反対のチラシを配っています。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4・16) 都会の私たちが「光」を享受している間に、「闇」が生まれていたのです。私たちは今、何をすべきでしょうか。

2.
震災1年を迎えた日曜日はまさにその日でしたが、中会では祈りのプログラムがもちました。礼拝のあと、それぞれの関係者が、この1年間の活動を報告、その後、近くの2~3人で祈りました。このために200人くらい集まったでしょうか。
その前日でしたが、泉区でも、区内の全教会とYMCAの皆さんが一堂に会して、礼拝と、祈りの会がもたれました。そこには30人が参加しましたが、参加できなかった多くの方も、それぞれの場で祈りをされたであろうと思います。この世の痛みにどう向き合うかは、信仰に生きる者の中心的なことと言って良いと思います。そこから、このような祈りの集会が生まれたのです。
時間的、体力的な賜物を持つ人は、この1年間、奉仕の手を必要としている人々のところに、そして悲しみや痛みに寄り添うため、ボランティアに出かけました。
さらに、今回の災害では原発事故が誘引され、様々な問題が露呈されたのですが、それを放置してきたキリスト者の悔い改めが生まれて、たとえば原発再稼動反対などの行動をする人も出てきました。私も駅前で40分ほどですがチラシを配布しましたが、聖クリストファー教会の姉妹もおられました。これらはすべて、地を治めるように主から命じられた責任を果たす、きわめて信仰的な事柄だからです。キリスト者の祈りなのです。3.11以降、そういう関心なくしてキリスト者であるということが出来なくなったのです。一人の人を救うため、あのゲラサの地にイエス・キリストは上陸されましたが、弟子たちはどうしたのか、聖書には書かれていません。おそらく、舟を降りることができなかったのではないか、従いきれなかったのではないかとも想像します。主イエスは今も、主のなさることに関心を持つように、私たちキリスト者を引き出すのです。私たちが自分の問題の中だけで信仰を完結させてしまっているからです。

「モーセは・・・言った。『同胞が戦いに出ようとするのに、あなたたちは、ここにとどまるつもりなのか。なぜ、・・・人々の心を挫くのか』」(民数記32章1~7節)。

3.
K先生のブログに本の紹介があります。
キリスト者として“原発”をどう考えるか

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by rev_ushioda | 2012-03-14 13:10 | Comments(2)

「3.11泉区祈祷会」

昨年の3月11日を覚える祈祷会が、泉区においても行なわれた。
泉区民クリスマス実行委員会の主催で、祈りを目的に集まった初めての集会である。クリスマスの実行目的で集まるのではなく、常設のキリスト教協議会のようなものがほしいと思っていたが、震災を機にはからずも単発ではあっても、こうして祈りの集まりが実現した。
今回は、泉中央キリスト教会がプログラムを準備してくださった。次のビデオにはその一部が収録されている。特に、賛美ダンスというものだろうか、すばらしい映像が収録されているので、ぜひ、見て欲しい。



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by rev_ushioda | 2012-03-10 23:57 | Comments(0)