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今日は、市川グレース伝道所開設式。

泉教会から、工藤夫妻、野村さん、池永姉、井上姉、仁科姉、宮入姉、加奈姉、岩城姉、潮田夫妻、以上11人が出席。(今日の礼拝は20人という寂しさであったが、その半分以上が、市川に行くことになった。これは、うれしいことであった)

気づけば、泉教会の開拓は9年前である。今日、こうして新しい開拓伝道が開始されると、私たちは9年間、何をしてきたかな…と振り返るのは、自然な感情か…

行き帰りの1時間ほどの電車の中で、信仰のこと、仲間のこと、いろいろ話が行き交っていた。こういう交わりもいいものだと、半分疲れた頭で聞いていた。

そういえば、泉教会を通って行った人というテーマで、文集『ぱんくず』を作ろう、と加奈さんに頼んだ。快諾してもらい、さっそく宇佐美の井上明子さんのところに取材に行くことになった。そうだ、そのうち市川の木曜聖書会に飛び込みもいい。そして、高座教会の大井先生、国立のぞみ教会の唐澤先生、かおりも?だろうか。
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by rev_ushioda | 2006-05-01 00:24 | Comments(0)

きのうのイースターは、さがみ野教会に招かれて、出かけた。
泉教会がイースターにもかかわらず牧師を送り出したのは、やはり、私の前任教会30周年を祝う思いがある。
さがみ野教会は、今、国際礼拝をしている。今回、合同ということでもあり、彼らの賛美があった。正面には賛美の文字が投射されている。何よりも、この8年で知らない人が増えた。きのうは、人数も多かった。そういうわけで、19年、牧会した群れという感覚がわかない…
しかし、礼拝が終ると、当時からの会員の方々となつかしい挨拶を交わすことができ、うれしかった。
教会は、人である。人は、動く。離れて行き、加わって来る。しかし、それが教会である。多くの人が通って行ったさがみ野教会は、今日も、教会のつとめを果たしている。

「公同の教会を信ず」。

心から告白した。
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by rev_ushioda | 2006-04-17 15:03 | Comments(0)

「うれしい一日」

4月。
増田先生一家が市川開拓へ、伊佐山鷲君が沖縄の中学校に転校、娘は結婚で相手先の教会へと送り出し、泉教会の礼拝を、色々な意味で心配していた。
そして今日。
朝10時からの中学生分級と、礼拝後の小学生分級は、加奈姉(以後、工藤兄、仁科姉を加えた3人でローテーション)。礼拝の中の子どもメッセージは、仁科姉(以後、工藤兄、秀子姉、牧師を加えた4人+あと1人?でローテーション)。礼拝の2曲のピアノ伴奏は、由佳姉(以後、毎週担当)。そして今日の礼拝に、新来者2人(共にネットワークの関係者)。

うれしい一日だった。

教会は不思議なところだ。人は確実に備えられる。いや、時が熟したということか。
神さまのことだ。私たちは心配無用なのだ。
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by rev_ushioda | 2006-04-09 20:02 | Comments(0)

「気付いたら」

礼拝の平均30人を、と祈ってきた。
2月の統計をとっていて、気付いた。平均30.5人であった。
平均30人の目標のために何かしなければ、と思ってはいたが、だから、何かしたわけではない…そういうものかと改めて思った。
9年前、開拓を始めたとき、公開勉強会も始めた。
公開勉強会から礼拝に出る人が起こされればと期待していた。
しかし、そこからは礼拝に結びつく人はいなかった。
気付いたら、礼拝に人がいた。
まったく別のルートで来られた方々であった。
頑張っているところからは、人は来ない、あの時、学んだことだった。
2月の平均30.5人。
しかし、4月からは増田先生ご一家、鷲君、そして娘がいなくなる。
だから、頑張らないようにしよう。
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by rev_ushioda | 2006-03-16 21:03 | Comments(1)

「会議」

定期中会会議があった。
4時開会。9時に終るという観測もあった。主事さんは11時だと言っていた。結局、終ったのは12時だった。深夜である。議長として、どっと疲れてしまった。そんな非常識な時間に終わらせてしまった、という疲れである。代議員の皆さん、特に女性代議員に申し訳ない、という「罪責感」が残った。
他の議長だったらもっとうまくやっただろうと、ふともらすと、誰であっても同じだと言われた。でも、そんな時間まで終らせられなかったという疲れが、残っている。ただでさえ、議長席に座っているだけで、何もしなくても、疲れる。
会議がない時は、14教会の代表者。宗教法人の代表役員でもある。
そういえば、30歳の頃、初めて選出された時、十二指腸潰瘍になった。
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by rev_ushioda | 2006-03-06 21:12 | Comments(0)

「子どもたちの居場所」

昨年、泉教会に中学校の生活指導の先生が訪ねて来た。
教会に出入りしている中学生のことで、話に来られたのだ。
そうこうするうち、修学旅行のお土産までいただいた。
また、小学校のPTAのお母さんたちが来られた。放課後、遊ぶ場所に「教会」と答えた子どもがいたので、広報紙の取材だった。
「居場所」が問われている時代だ。
夫婦の問題で、あるいは生活力がなく、あるいは叱る(子どもと向き合う)ことができない親のために家に居場所がないのだ。
中学生は、オール(夜、家に帰らず友だちと遊び歩く)をする。補導される。それをまた繰り返す。
教会に真夜中、電話がかかってくる。「泊めてくれ」と。教会は宿泊所ではない、ダメだと叱る。
教会は礼拝をするところだ、日曜日来なさい、と言った。次の日曜日、男の子と一緒に来た。何を考えているのか、男の子にしては何とも覇気がない。そういう男の子と一緒に来たのだ。そして次の日曜日は、その子の友だちも来た。こちらもまた、男の子を連れて。
礼拝中もいちゃいちゃしているが、最後まで礼拝に出ていた。どう接したらいいのか、とまどう。しかし、教会に来る。
教会で厳しく怒られて、涙を流しながらも、また来る。家が真正面から向き合わないのなら、
教会がそうするしかない。キリストも、そうされただろう。
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by rev_ushioda | 2006-02-05 23:14 | Comments(0)

「0.1秒遅れで」

23日、泉区民クリスマスが行われる。
泉教会、ホーリネス教会、心を聴く市民ネットワーク有志が賛美歌を2曲歌うことになっている。
練習を重ねているが、ベースの私には、どうしても出せない音がある。
困った(>_<)
歌える人の音を頼りに0.1秒遅れて歌うしかない。
それとも、音を出さないほうが、人のためになるのか。
重大な選択の時が来た。
そう言えば、初めて教会に行ったとき(高校生のとき)、しばらくして、言われた
「潮田君は作曲して歌っているね」

(>_<)
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by rev_ushioda | 2005-12-21 23:25 | Comments(0)

「一人芝居」

教会設立の2週間後の10月8日、教会設立記念行事として一人芝居「マリー・マグダレーン」を上演した。
350人のホールに、280人が来てくれた。1階席は、満席だった。
泉教会は、この節目を内側だけの祝いとせず、地域を巻き込んで、今、教会になった。

しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
数日前、横浜著作権協会というところから音楽は使いますか、という電話が入った。
「使いません」。一年前に観ていたから、すぐに答えた。
一応、確認したほうがよいと思って出演者に電話した。「使います」という答え。実際、公演中、ホールは大きな効果音で響き渡っていたのだった。
それにしても、なぜ、あの大きな音が聞こえなかったのだろう。
それほどに劇の内容に引き込まれたのだと思った。
印象を何人かの人に聞いた。良かったと言う人もいたけれど、「衝撃的だった」という声を多く聞いた。
今まで多くのことを企画してきたが、そんな言葉は、あまり聞かない。確かに、衝撃的だった。十字架の場面も、復活の場面も。

「どんな絶望の淵に立たされても、どんな残酷の中にあっても、人間の尊厳を奪われても、復活のゆえに、私たちには希望があり、耐えることができ、誇りがあるのです」
音楽ではなく、この言葉が響いている。
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by rev_ushioda | 2005-10-12 23:35 | Comments(0)

「教会組織自立」

9月25日。

110人弱の方が、泉教会の「伝道教会設立式」のために、会場となった中和田カトリック教会に集まった。
今まで伝道所だったが、ここで会員は教会の契約を結び、長老を選び、続いて長老の任職をした。ここに小会という教会運営の主体(役員会)ができ、私たちの群れは、開拓8年目にして組織自立を果たした。
その長老たちの最初の仕事が、牧師を招聘することだった。牧師の就任式が引き続いて行われた。

本当に、本当に内容の濃い式だったと思う。
そして、本当に、良い式をすることができたと思う。
今日(26日)は、昨日の式典を思いながら、心地よい疲れを味わっている。
教会の皆さん、朝から一日、ずっとおつきあいくださり、よくその責任を果たされ、きっとお疲れではないかと思う。
この節目を一生懸命に、いや、喜びをもって共にしてくださり、心から有難いと思った。
賛美の会の皆さんの賛美、すばらしかった。心を聴く市民ネットワークの有志の皆さんがベースになり、色々な教会から、地域から色々な関わりで参加して、すばらしい賛美だった。
会場として使わせてくださった中和田カトリック教会。特に最初から最後までおつきあいくださった、竹内さん、岩崎さんには、本当にお世話になった。
ここまで公私ともに多くの人の御好意を戴いたと思う。
それゆえにここからの責任が大きいが、
主のため、共に、である。
大事なひと節をつけ、「教会」となり、一歩を踏み出した。
ここから出発だ。
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by rev_ushioda | 2005-09-26 23:39 | Comments(0)

「秀子さん、中国に」

秀子さんが今回、9人の仲間と中国に行くことができて本当によかったと思う。私が行った時よりもさらに奥地に入ったようだ。貧しい農村にあって、そこで教会に通う人々の純粋な信仰の姿に接し、大変、励まされたようだ。
中国の教会は「三自愛国教会」と言う、政府管理下に置かれた教会だ。礼拝に公安が紛れ込んでいるかも知れない。
神さまが第一なんて言ったら危ないと、香港から同行した人が教えてくれた。「神の国と、その義を、まず第一とする時・・・」と歌ったあとだった。政府(共産主義)が第一なのだ。
そんなところに真実の信仰はないと、福音派の人たちは言う。そうだろうか。確かに制約はある。が、そこで芽生えた信仰に真実はないなどと、誰が言うことができるだろう。何時間も歩いて教会に通う人。いくつも伝道所を生み出す教会。私たちよりはるかに生き生きと信仰に生きる人。

言えないのだったら、言わなければいい。しかし信徒の生活そのものが、その前に、もう、語り始めているのだ。共産主義の土地に、信徒は増えつづける。教会は増えつづける。私たちの比ではない。信仰は、迫害と逆境に強いことを、中国では如実に物語っているのだ。
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by rev_ushioda | 2005-09-09 23:44 | Comments(0)