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「子どもたちの居場所」

昨年、泉教会に中学校の生活指導の先生が訪ねて来た。
教会に出入りしている中学生のことで、話に来られたのだ。
そうこうするうち、修学旅行のお土産までいただいた。
また、小学校のPTAのお母さんたちが来られた。放課後、遊ぶ場所に「教会」と答えた子どもがいたので、広報紙の取材だった。
「居場所」が問われている時代だ。
夫婦の問題で、あるいは生活力がなく、あるいは叱る(子どもと向き合う)ことができない親のために家に居場所がないのだ。
中学生は、オール(夜、家に帰らず友だちと遊び歩く)をする。補導される。それをまた繰り返す。
教会に真夜中、電話がかかってくる。「泊めてくれ」と。教会は宿泊所ではない、ダメだと叱る。
教会は礼拝をするところだ、日曜日来なさい、と言った。次の日曜日、男の子と一緒に来た。何を考えているのか、男の子にしては何とも覇気がない。そういう男の子と一緒に来たのだ。そして次の日曜日は、その子の友だちも来た。こちらもまた、男の子を連れて。
礼拝中もいちゃいちゃしているが、最後まで礼拝に出ていた。どう接したらいいのか、とまどう。しかし、教会に来る。
教会で厳しく怒られて、涙を流しながらも、また来る。家が真正面から向き合わないのなら、
教会がそうするしかない。キリストも、そうされただろう。
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by rev_ushioda | 2006-02-05 23:14 | Comments(0)

「0.1秒遅れで」

23日、泉区民クリスマスが行われる。
泉教会、ホーリネス教会、心を聴く市民ネットワーク有志が賛美歌を2曲歌うことになっている。
練習を重ねているが、ベースの私には、どうしても出せない音がある。
困った(>_<)
歌える人の音を頼りに0.1秒遅れて歌うしかない。
それとも、音を出さないほうが、人のためになるのか。
重大な選択の時が来た。
そう言えば、初めて教会に行ったとき(高校生のとき)、しばらくして、言われた
「潮田君は作曲して歌っているね」

(>_<)
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by rev_ushioda | 2005-12-21 23:25 | Comments(0)

「一人芝居」

教会設立の2週間後の10月8日、教会設立記念行事として一人芝居「マリー・マグダレーン」を上演した。
350人のホールに、280人が来てくれた。1階席は、満席だった。
泉教会は、この節目を内側だけの祝いとせず、地域を巻き込んで、今、教会になった。

しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
数日前、横浜著作権協会というところから音楽は使いますか、という電話が入った。
「使いません」。一年前に観ていたから、すぐに答えた。
一応、確認したほうがよいと思って出演者に電話した。「使います」という答え。実際、公演中、ホールは大きな効果音で響き渡っていたのだった。
それにしても、なぜ、あの大きな音が聞こえなかったのだろう。
それほどに劇の内容に引き込まれたのだと思った。
印象を何人かの人に聞いた。良かったと言う人もいたけれど、「衝撃的だった」という声を多く聞いた。
今まで多くのことを企画してきたが、そんな言葉は、あまり聞かない。確かに、衝撃的だった。十字架の場面も、復活の場面も。

「どんな絶望の淵に立たされても、どんな残酷の中にあっても、人間の尊厳を奪われても、復活のゆえに、私たちには希望があり、耐えることができ、誇りがあるのです」
音楽ではなく、この言葉が響いている。
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by rev_ushioda | 2005-10-12 23:35 | Comments(0)

「教会組織自立」

9月25日。

110人弱の方が、泉教会の「伝道教会設立式」のために、会場となった中和田カトリック教会に集まった。
今まで伝道所だったが、ここで会員は教会の契約を結び、長老を選び、続いて長老の任職をした。ここに小会という教会運営の主体(役員会)ができ、私たちの群れは、開拓8年目にして組織自立を果たした。
その長老たちの最初の仕事が、牧師を招聘することだった。牧師の就任式が引き続いて行われた。

本当に、本当に内容の濃い式だったと思う。
そして、本当に、良い式をすることができたと思う。
今日(26日)は、昨日の式典を思いながら、心地よい疲れを味わっている。
教会の皆さん、朝から一日、ずっとおつきあいくださり、よくその責任を果たされ、きっとお疲れではないかと思う。
この節目を一生懸命に、いや、喜びをもって共にしてくださり、心から有難いと思った。
賛美の会の皆さんの賛美、すばらしかった。心を聴く市民ネットワークの有志の皆さんがベースになり、色々な教会から、地域から色々な関わりで参加して、すばらしい賛美だった。
会場として使わせてくださった中和田カトリック教会。特に最初から最後までおつきあいくださった、竹内さん、岩崎さんには、本当にお世話になった。
ここまで公私ともに多くの人の御好意を戴いたと思う。
それゆえにここからの責任が大きいが、
主のため、共に、である。
大事なひと節をつけ、「教会」となり、一歩を踏み出した。
ここから出発だ。
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by rev_ushioda | 2005-09-26 23:39 | Comments(0)

「秀子さん、中国に」

秀子さんが今回、9人の仲間と中国に行くことができて本当によかったと思う。私が行った時よりもさらに奥地に入ったようだ。貧しい農村にあって、そこで教会に通う人々の純粋な信仰の姿に接し、大変、励まされたようだ。
中国の教会は「三自愛国教会」と言う、政府管理下に置かれた教会だ。礼拝に公安が紛れ込んでいるかも知れない。
神さまが第一なんて言ったら危ないと、香港から同行した人が教えてくれた。「神の国と、その義を、まず第一とする時・・・」と歌ったあとだった。政府(共産主義)が第一なのだ。
そんなところに真実の信仰はないと、福音派の人たちは言う。そうだろうか。確かに制約はある。が、そこで芽生えた信仰に真実はないなどと、誰が言うことができるだろう。何時間も歩いて教会に通う人。いくつも伝道所を生み出す教会。私たちよりはるかに生き生きと信仰に生きる人。

言えないのだったら、言わなければいい。しかし信徒の生活そのものが、その前に、もう、語り始めているのだ。共産主義の土地に、信徒は増えつづける。教会は増えつづける。私たちの比ではない。信仰は、迫害と逆境に強いことを、中国では如実に物語っているのだ。
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by rev_ushioda | 2005-09-09 23:44 | Comments(0)