10日前(10月30日)に大山道を歩いた。(忙しかったり、風邪をひいたりで、なかなか書くことができなかった)。
今回は、母の病気のために屋久島から帰っている妹も連れて、3人で出かけた。
大山もいよいよ目前にした石倉(前回、終点)からの出発。こんなところでバスを降りるのは、二度とないだろう。コスモス、菊などが咲き、柿、カラスウリが生る田舎の景色を堪能しながら、今回はバスの終点まで歩く。この道を車では何度も通ったが、歩くのは初めてで、風景といい、老舗の店や旅館といい、へえ~という連続、とにかく忘れ去られた景色が歩いてみると飛び込んでくる。戸塚から歩いてきてさえ感動するからには、「江戸」から来た昔の人々は、ここに来て、一気に感慨を新たにしたに違いない。ここは、ぜひ、仲間の皆さんと歩きたいコースであった。

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これが前回と今回の「2回分」のコース。ネットから借用。私たちが歩いた2回分を合わせた行程にほぼ一致している。私たちの始点は国道246号、終点は「大山ケーブル(バス終点)」なので、全体を右に移動させれば一致する。

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by rev_ushioda | 2012-11-08 18:40 | Comments(0)

昨日、教会では15周年記念礼拝をささげた。妻は昼食の準備で奮闘し、今日はずいぶん疲れていたようだが、大山でお昼にそばでも食べようと誘ったら、めずらしく行く気になってくれた。そういうわけで、きょうは妻と二人で下粕屋から出発となった。

言うまでもなく、神経痛後のリハビリ継続である。実は、多少ぎこちなさが残っているので、この「リハビリ」は、忙しくても最優先しているテーマである。
さて、結果は、1時間ほど歩いてリタイア、伊勢原駅前の食道での昼食となった。台風一過、久しぶりの暑さの中でもあったが、カメラを忘れて、では携帯のカメラで撮ろうとなったが妻の携帯は使い方が分からず、私のはメモリ不足とか何とか・・・そんなことをやりながら歩いていたので昼になり、時間は「食って」、そばは「食いそびれ」た。(写真は、結局、妻の携帯に2枚は撮れていたが)。

下粕屋からすぐ東海大学病院の巨大な建物の脇を通り、正門前を通過する。果樹園の中を歩く。まだ団地などはあるが、そこを過ぎ、東名高速の下をくぐると、用水路の流れが急で、ゆるやかな上り坂になっていることに気づいた。正面は大山の山容が迫ってきたのを見ると、この辺りから山間に入っているのだ。例によって至るところに石の道標があるが、石とはいえ、どの道標も次第に欠けて来て文字は読み辛い。やがて伊勢原から上ってくるバス道に出る。あとはこのバス道を歩く。
大山は目の前だが、きょうの目標であるバスの終点までは、まだ1時間は歩くだろう。一人だったら、行ってしまったかも知れない。あなかがすいた、疲れたという声が聞こえたので、ここは無理せず、途中までとした。

地元の人たちが大山道を意識して機関紙を発行、張り出していた。この掲示板の後ろには「休憩所」のような手作り施設もあったが、地元の人が数人、話の花を咲かせていたので、立ち寄らず、通過。また、次の写真のような案内が、この近辺から随所に張り出されていて、分かりにくい分岐も、間違いが避けられて有難かった。
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by rev_ushioda | 2012-10-01 22:48 | Comments(0)

9月24日なのに、まだセミが鳴いていた大山道であった。

昨日の中会会議の疲れを吹っ飛ばそうと、仕事山積中ではあるが、とにかく飛び出した。大山道は、神経痛後の体調の具合をはかるバロメータであり、神経痛で萎えてしまった体のリハビリのためでもある。近辺(県内)の「街道/旧道」は、いい。思いついたら、いつでも道に立つことができる。

用田から、下粕屋(伊勢原)までの3時間。用田辻を出発、目久尻川を渡り、相模線を越え、相模川を戸沢橋で渡る。渡ると戸田、手前が門沢だから、明治以降、橋を架けた時に付けた名であろう。昔、ここは舟渡しで「戸田の渡し」と言った。しばらく大きな道を行き、渋田川にぶつかる。川に沿っていく道が粕屋と言う。宿場だったのか「粕屋下宿」のバス停があった。旧街道らしい趣のあるこの道は、今回の終点、国道246号の「下粕屋」まで続いていた。
ネットで借用した次の地図には始点の「用田」は書いてないが、新幹線の手前(右側)。クリックすると分かる。この地図ではゴールは法眼寺となっているが、私の場合は246まで(下粕屋)である。




出発点に着いて、地図を持って来るのを忘れたことに気づいたが、アトノマツリ。何とかなると思って、出発。帰宅して地図を見たら、何とかなって・・・いなかった。東海道の旧道を京都まで行った自負は大山道で打ち砕かれた。思いがけないところを進んでいるのだ。
旧道と言っても、東海道はさすがに権力が作った道。庶民の道である大山道と比べたら、あれでもまっすぐだったということに気づいた。というわけで、わき道がないので(ないと思って)ずっと車が行き交う大きな道を進んでしまったが、実は、旧道はとんでもなく大回りをしていたのだ(用田を出てしばらく行った辺りから、相模川までの区間)。それに気づかず味気ない道を進んでしまったわけで、旧道を辿るという主旨からは非常に逸脱するが、そこはFCを働かせて今日はそれで良しとした。

国道246号に出たところが「下粕屋」。大山は真正面のはずだが、東海大学病院が立ちふさいでいた。バス停は「粟窪入口」。伊勢原駅発、愛甲石田駅行きのバスに乗った。

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大山への道しるべとなる不動明王も、さすがに現代は車が行き交う道路沿いにひっそりと佇み、そこにあることさえ気づく人もいない。周りを看板やら電柱やらで囲まれて、今、何を思うか。
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by rev_ushioda | 2012-09-24 18:11 | Comments(0)

神経痛は、結局、鍼灸治療によって(あるいは「痛散湯」によって)すっかり良くなった。少なくとも、7月後半に鍼灸治療を受け始めた翌日から、この1ヵ月半は痛みがまったくない。普通に歩けることのうれしさを、実感している。というわけで、本当に治ったのだろうか、歩いても大丈夫なのだろうか、ためしに前回も試しに歩いた「柏尾通り大山道」の続き(2回目)となった。前回はためし歩きの後が大変だったが、今回はどうだろうか。
さて、行程としては前回の終点、教会のある和泉町から「用田」までの2時間40分。結果は、疲れはしたが、とりあえず痛みはなく、良好である。中山道への出発も、当初の期待が回復してきた。

以下、何枚か写真を添付しておこう。

まず、これは和泉町の大山道。教会のすぐ近くを通る、いずみ中央駅に向かう道である。この道が教会のそばを通っていたので、大山道を歩こうと思い至った、その道である。
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旧道は、最近拡幅工事で片道2車線の大きな通りに変身した長後街道とぶつかった後、いずみ中央駅を過ぎて、再び、このような風景となる(上飯田町)。
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境川にて。
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一般道から右手に入る道が旧道。まっすぐに伸びる新しい道路が、くねくねと延びる旧道を至る所で寸断している。あるいは、旧道のその細い道を飲み込んで、昔の面影をなくしている。実は、長後に向う左手の一般道自体も、今は旧道となって、街中を避けるように作られたもう一つの道(バイパス)を、ひっきりなしに車が走り抜けている。
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旧道に入って振り返ると、藤沢湘南台病院が見える。
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小田急線長後駅の踏切を渡り、果樹園の中を抜け、引地川を渡る。写真は、両脇に新しい道が出来て車が頻繁に行き交い、今は取り残された橋。生活圏ともつながっておらず、ほとんど不要になったように見える。
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上土棚南。旧道を歩いて行くと、だいたい道幅は同じである。
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久しぶりに歩いて疲れたが、大山に詣でる人々は疲れもものともせず、この道を歩いたのだと思う。私たちの信仰の道はどうなのか。勝手気ままに歩いていたのでは、このような道を作ることはできないだろう。

ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい
(八木重吉)

自分が
この着物さえも脱(ぬ)いで
乞食(こじき)のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここへくる
(同)

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by rev_ushioda | 2012-09-17 20:50 | Comments(0)

「投稿停滞」

記事を投稿した最近の日付を見て、すっかり投稿の回数が減った、ということは、創造性を失っていることに改めて気づいた。いうまでもなく、神経痛のためである。もう3か月になる。あちらの病院、こちらの病院と、すっかり病院通いが日課ともいえないが、週に一度は病院である。痛み止めの薬を飲んで、しばらく調子がいいかとみえた昨日、今までのような走る痛みとは違った、ズーンというような痛みで、足を動かせなくなった。

楽しみにしている「街道」には、しばらく立てそうもない。健康に自信をもてず、記事も停滞気味である。

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by rev_ushioda | 2012-06-22 06:07 | Comments(0)

「またまた脚に痛み」

1ヶ月前に脚の神経が痛み、病院でもらってきた痛み止めの薬を飲んだり湿布をしたりしたが、秀子さんが旅行から帰ってきたらピタッとおさまってしまった。それみたことかと言われたが、1ヶ月ぶりに、また、痛み出した。時々、脚に痛みが「走る」。
秀子さんが原因ではないことが証明された! なんて、喜んで?いられない。飲みかけの薬を持ち出し、湿布薬を貼り、十字式に連れて行けと何だかんだと大騒ぎしている理由は、来週、楽しみにしていた中山道にいよいよ出発する予定があるからである。1月は、風邪で中止した。今度こそはと思っていたら、この痛みである… それに加えて、またまた、のどが痛い。熱っぽい感じで、今日は不調な一日を過ごした  ┐(´~`)┌
明日、どうするか判断する。


一日過ぎ、以下、加筆。

脚に痛みが走る。観念して、1月に続いて再び、中山道、近江八幡に連泊で予約したホテルをキャンセルした。007.gif

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by rev_ushioda | 2012-04-24 21:19 | Comments(0)

「戸塚から大山道に」

脚の痛みは、本当に治ったのだろうか。試しに、少し歩いてみよう。
というわけで、「柏尾通り大山道」に。
(YouTube では、タイトルが「大山通り柏尾道」になっているが、これは不覚にも間違い)
大山道はたとえば国道246号線も、「大山道」と重なっている。何本かあるので、大山道の頭に「柏尾通り」とつけ、「柏尾通り大山道」と言われるのである。今日のコースは、戸塚から教会のある泉区和泉町まで、試しにはちょうど良い5.5キロである。



江戸を出た人は、戸塚で東海道を離れ、この道に分岐し、大山を目指した。これは東海道(権力によって出来た道)と違い、信仰の道、庶民の道である。

今回は、戸塚(柏尾)から、教会のある泉区和泉町までのほんのわずかの行程である。まず瀬谷方向に向うが、そこは阿久和川に沿って歩く気分の良い散歩コースになっている。途中、この方向、真正面に、チラッと大山が見えた。
永明禅寺別院の門前で左折し丘陵地帯に入る。この辺りから少しの間、旧道の面影が残る道となるが、すぐに開発された西が岡の町となる。今回のコースで旧道らしい雰囲気が残っていたのは、この1ヵ所のみであった。
国際親善病院の横の急坂を登ったら、そこからは丘陵地帯となって、大山道では多分、最高地。箱根までの山並みと共に、大山がどーんと見渡せるのだ。残念ながら、ガスでうまく写真には撮れなかったのと、何本もの電線が、ちょうど山の稜線に重なり、どっちみちいい写真にはならず、残念であった。

さて、この道を歩き始めたということは、当然であるが、「その1」ということだ。続きがあるということで、やがて、大山に至る。
なぜ、こうした街道に関心があるかと言えば、古来より人が通った道には、時間軸を越えて人の息遣いがあるから。しかも、大山道は、信仰の道。キリスト者の礼拝の道と重ねながら歩くことができるのがよい。
今回は、一人でゆっくり、きょろきょろ景色を見ながら、5.5キロ、2時間半の行程であった。

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by rev_ushioda | 2012-04-03 00:20 | Comments(0)

教会のすぐ横を「大山道」が通っていることから、興味が出て、「ホントに歩く大山街道」という本を買った。残念ながら、これは「赤坂御門」からスタートするほぼ国道246を行くルートであった。私が期待したのは、もちろん和泉町を通る、東海道から戸塚で分岐する「柏尾大山道」である。
しかし、欲しかった本ではなかったが、思いがけない発見をした。この本にある「大山街道」は、246号線と重なっているということは・・・ 私が前にいたさがみ野教会の横を通っていた旧道となった246号線。まさにそれが「大山街道」だった。ああ、あの道がそうだったのか、今さらながら、驚いた。座間にいても、和泉町に来ても、横を大山道が通っている。大山道は、そんなに何本もあるのかと言えば、確かに、あることはある。しかし、そんなに、どこに行ってもあるかと言えば、そうでもない。それがたまたま両方にある、というのは、なかなか面白いではないか。

ところで、

私がなぜ大山道とか、大山街道に関心を持ったかと言えば、それが信仰の道、庶民の道だからである。県内に何本もルートができたくらい、それは、庶民の信仰の道であった。私は牧師として一つの町にとどまり、そこで伝道する者であるが、こうして信仰の道を作る生き方があったことに、いろいろと考えさせられるものがあるのだ。「点」を「線」にする生き方、さらには「面」にもしていく生き方があり、しかも信徒がそういう道を作る。これはいったい何か。もちろん、礼拝への道を作っていることは事実である。彼らの言葉で言えば、それは「お参りの道」「巡礼の道」というのだろう。そういう道作りがある。大山道は、なにやら大事なことを訴えている気がする。

『いずみ いまむかし(泉区小史)』という本の中に「暮らしと信仰の道・大山道」という記述がある。

大山道や大山街道と呼ばれている道が、神奈川県内には幾筋かある。その中で泉区を通っているのは「柏尾通り大山道」と呼ばれ、東海道の柏尾を起点とすることからこう名付けられた。
この道は横浜や東京東南部の人たち以外に、千葉方面からの人たちが舟で海を渡って神奈川の港や杉田あたりにあがり、武相国境を越えて柏尾から利用した人たちが多かったようである。
大山は丹沢山塊の東端に聳える1,246mの山で、円錐形の端正な山体は山岳信仰の対象になるに相応しい美しさを持っている。また相模湾から上がってすぐの山岳であるため、海からの気象的影響を受けやすく、雲が巻き起こって雨を降らすことに由来して、雨降山(あめふりやま)や阿夫利山の別名があるように、農耕を営む人たちには、水を司る水分(みくまり)の神としての信仰があり、また伊豆から湘南一帯、千葉方面の漁労民には、船からの方向を確認する山であり、また山林にかかる雲の様子で、気象の変化を知るなど、航海安全の守護神としての信仰もあつかった。
この道が使われた時代の庶民の信仰は、物見遊山の言葉を生んだ時代にふさわしく、現代のように複雑ではなく明るくおおらかであった。大山信仰は歴史も古く、関東の名山として庶民の厚い崇敬を集めてきたが、江戸期には山頂にあった巨岩を男根に見立てて子授けの祈願をしたり、遊女はこれに商売繁盛を祈ったり、また任侠の徒は刀に見立てて一家の守護神として崇めたりもした。
「商売繁盛」「家内安全」「大願成就」「豊漁祈願」「航海安全」「病気平癒」「武運長久」と、余りこだわりもなく賑やかであった。

以下、さがみ野駅/さがみ野教会(S)~ 厚木(G)
戸塚(S)~ 泉教会(「中田町」左)~ 長後(G)
クリックすると拡大可





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by rev_ushioda | 2012-03-26 23:11 | Comments(0)