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「星の王子さま」の冒頭に、こう書かれている。

「おとなというものは、数字が好きです。新しくできた友だちの話をするとき、おとなの人は、かんじんかなめのことはききません。
(どんな声の人?)とか、(どんな遊びが好き?)とか、(チョウの採集をする人?)とかいうようなことは、てんできかずに、(その人、いくつ?)とか、(きょうだいは、なん人いますか?)とか、(目方はどのくらい?)とか、(おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか?)とかいうようなことを、きくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。
おとなの人たちに(桃色のレンガでできていて、窓にジェラニウムの鉢が置いてあって、屋根の上にハトのいる、きれいな家を見たよ)といったところで、どうもピンとこないでしょう。
おとなたちには(10万フランの家を見た)といわなくてはいけないのです。すると、おとなたちは、とんきょうな声を出して、(なんてりっぱな家だろう)というのです。」
(内藤濯訳、岩波少年文庫、昭和44年)

数字の世界で生きている人には、どんな声の人か、どんな遊びが好きか、チョウの採集をする人かどうか、など、どうでもいいのだ。また、その家が桃色のレンガでできていて、窓にジェラニウムの鉢が置いてあって、屋根の上にハトがいるかどうかなど、どうでもいいのだ。
しかし、人や物を立体的、豊かに見たり、感じたりするためには、それこそが大事なのだと、「星の王子さま」の著者、サン・テグジュペリは言っている。
子どもは、同じ世界、また人間を、大人では味わえない豊かさをもって見ている。ところが、私たちは、いつの間にか数字に関心が移ってしまい、それで事柄を理解しようとしている。
「大人」の見方、つまり平板な二次元の世界で見ようとしているうちは、人が、どうしても理解できないのだ。
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by rev_ushioda | 2006-03-09 00:25 | Comments(2)

「一人芝居」

教会設立の2週間後の10月8日、教会設立記念行事として一人芝居「マリー・マグダレーン」を上演した。
350人のホールに、280人が来てくれた。1階席は、満席だった。
泉教会は、この節目を内側だけの祝いとせず、地域を巻き込んで、今、教会になった。

しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
数日前、横浜著作権協会というところから音楽は使いますか、という電話が入った。
「使いません」。一年前に観ていたから、すぐに答えた。
一応、確認したほうがよいと思って出演者に電話した。「使います」という答え。実際、公演中、ホールは大きな効果音で響き渡っていたのだった。
それにしても、なぜ、あの大きな音が聞こえなかったのだろう。
それほどに劇の内容に引き込まれたのだと思った。
印象を何人かの人に聞いた。良かったと言う人もいたけれど、「衝撃的だった」という声を多く聞いた。
今まで多くのことを企画してきたが、そんな言葉は、あまり聞かない。確かに、衝撃的だった。十字架の場面も、復活の場面も。

「どんな絶望の淵に立たされても、どんな残酷の中にあっても、人間の尊厳を奪われても、復活のゆえに、私たちには希望があり、耐えることができ、誇りがあるのです」
音楽ではなく、この言葉が響いている。
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by rev_ushioda | 2005-10-12 23:35 | Comments(0)

「秀子さん、中国に」

秀子さんが今回、9人の仲間と中国に行くことができて本当によかったと思う。私が行った時よりもさらに奥地に入ったようだ。貧しい農村にあって、そこで教会に通う人々の純粋な信仰の姿に接し、大変、励まされたようだ。
中国の教会は「三自愛国教会」と言う、政府管理下に置かれた教会だ。礼拝に公安が紛れ込んでいるかも知れない。
神さまが第一なんて言ったら危ないと、香港から同行した人が教えてくれた。「神の国と、その義を、まず第一とする時・・・」と歌ったあとだった。政府(共産主義)が第一なのだ。
そんなところに真実の信仰はないと、福音派の人たちは言う。そうだろうか。確かに制約はある。が、そこで芽生えた信仰に真実はないなどと、誰が言うことができるだろう。何時間も歩いて教会に通う人。いくつも伝道所を生み出す教会。私たちよりはるかに生き生きと信仰に生きる人。

言えないのだったら、言わなければいい。しかし信徒の生活そのものが、その前に、もう、語り始めているのだ。共産主義の土地に、信徒は増えつづける。教会は増えつづける。私たちの比ではない。信仰は、迫害と逆境に強いことを、中国では如実に物語っているのだ。
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by rev_ushioda | 2005-09-09 23:44 | Comments(0)