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「淡々と」

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
難しい話は分からないと言う。しかし、礼拝が大事なことだけは分かっている。周りがどんなに騒ごうとも、「この道に生きることは自分で決めたのだから、決めた事はやめてはならないでしょう」と言う。日曜日が来れば、「今日は日曜日、さあ礼拝に行きましょう」と、礼拝への道に立つ。大事なことは大事なんだと、文字通り理屈抜きで、問題があろうとなかろうと、今も、これからも、キリスト者を生きていく。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
教会の暦がアドベントになれば、礼拝堂の4本のローソクに1本、1本、火がともるのを見つめてクリスマスを待ち、受難節になれば1円、5円、10円の節約献金をして主の受難をしのびつつイースターを待ち、ペンテコステには、礼拝堂に子どもたちがまくバラの花を見て、聖霊が私にもくだったと言って喜ぶ。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
今日は雨/雪だから礼拝に行く人がきっと少ないだろう、寂しい人がいるといけないからと言って、いつもより少し早く家を出て、礼拝への祈りの道を作る。風邪でお休みされた方のためにお手紙書きましょうと、牧師に住所を尋ねる。初めて礼拝に来られた方のそばに歩み寄り、よくいらっしゃいましたと多くを語らずに控えめなひと声をかける。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
誰にも気づかれないところで、今日も良い日だと言って、次の礼拝に向けて祈りの道を作っている。

その人を、この世の悪、この世の艱難であっても、押しつぶすことは出来ない。その人は、すでに世に勝っているからだ。

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by rev_ushioda | 2016-11-27 22:37 | Comments(0)

世界各地で民族的、思想的、宗教的、経済的、その他さまざまな原因で対立が深刻化しています。テロは頻発し、クーデターが起こり、日常的発砲事件はアメリカで後を絶ちません。そういうアメリカで、白人警官が無抵抗のアフリカ系アメリカ人を容赦なく殺害するという事件が波紋を呼んでいます。「壁」は、私たちが思う以上に厚いのです。
そのような中、カンバーランド長老教会の総会がアメリカ南部(すなわち、かつて奴隷制を支持した地域)テネシー州ナッシュビルで開かれ、重要な決議がされました。「アフリカ系米国人の兄弟姉妹への謝罪」(仮題)です。
カンバーランド長老教会では50年にもわたって、同じカンバーランドでありながら別組織になっている(させられた)アフリカ系アメリカ人教会との「合同」を推進しようという試みがされて来ましたが、まだ、実現していません。しかし、今回、次のような謝罪がなされたのです。
…私たちは、過去、アメリカの奴隷制を糾弾することにおいて、曖昧であり、かえってアフリカ系アメリカ人の会員を分離、隔離してきた。奴隷制度が廃止された後でさえ、教会員として受け入れることを拒み、分離を推進してきた。それゆえ今、私たちは、自分たちのあらゆる残虐な行為について神の赦しを求め、悔い改めることを決意した。また、アフリカ系アメリカ人の兄弟姉妹に謝罪し、赦しを求め、私たちの罪が原因となった壊れた関係の修復に向けて、働いていくことを決意した。…
この決議の場に代議員として居合わせた饒平名長老は、帰国後、この時のことを深い感動をもって証しされました。
教会は、間違ったなら、その事実を悔い改め、謝罪し、新しい歩みを作る決意をします。「宗教とは、この世の理屈を超えた『物語』を信じる営みだ」(2016年7月17日朝日新聞「ローマ法王の挑戦」)。この世の理屈を越えた物語とは、たとえ負の事実であろうともそれに向き合い、悔い改め、謝罪し、決意の歩みをするときに、始まるものです。この世の理屈でものを言っているうちは、何も始まりません。その理屈を超えるためにこそ、私たちは礼拝者であり、キリスト者であるのです。


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by rev_ushioda | 2016-07-21 16:52 | Comments(0)

「復活の朝と茶色の朝」

イースターの朝、主イエスは「おはよう」と言われ、希望の朝を指し示されました。では、主イエスが声を響かせている「この世の朝」は、いったいどういうものでしょうか。
「だれかがドアをたたいている。こんな朝早くなんて初めてだ。…外は茶色。」 遂にその朝がやって来た、ゾクゾクっとするところで、その本は終わっています。そこまでたった29ページの『茶色の朝』という小さな本です。この本には、どこにでもありそうな街の淡々とした日常が、制度や法律によって少しずつ茶色に染まっていくという話が書かれています。茶色に染まるというのは、他の色は認めないという法律によって国民が支配されていくことです。
最初の頃、茶色じゃない猫をすべて始末するという「ペット特別措置法」が出された時、主人公の「俺」は違和感を感じ、胸を痛めながらも、何もしなかったのです。「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思ったのです。しかし、そのうち気づくと犬、新聞、ラジオ、本… 次々と茶色以外のものは認められなくなり、とうとう昔、茶色ではない犬を飼っていたという理由で友人が逮捕されてしまう。どうして最初の頃に感じた違和感にきちんと向き合って抵抗しなかったのか、と後悔するのですが、すでに遅かった。ついに自分も、その朝を迎えたのです。

この本は、1998年、フランスの統一地方選挙で、排他主義的極右政党が躍進するに至り、危機感を抱いた著者が、出版したものです。そして2002年の大統領選挙で、なんと決戦投票にこの極右政党の党首が最終候補に残るに至り、危機感を持った人々が読んだのがこの本だったのです。
よその国の出来事ではありません。本の中だけの話でもありません。私たちの国で、たとえば「国旗国歌法」で信教の自由の侵害が起こっています。「秘密法」で、知る権利が奪われています。「戦争法」で他国と一緒に戦争が出来る国になりました。さらに、政府は改憲によって緊急事態条項を導入、基本的人権に制限をかけようとしています。…今、日本で、この本の通りの事実が着実に起こっているのです。
「だれかがドアをたたいている。こんな朝早くなんて初めてだ。…外は茶色。」キリスト者としての信仰の自由、そして私たちの持っている人間性が奪われる、その「茶色の朝」が来た時では遅いのです。主イエスが「おはよう」と言われ、新しい希望の朝を創造されたのは、どのような状況であったかをよく知っておきたいと思うのです。

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by rev_ushioda | 2016-04-01 12:04 | Comments(0)

「岐路に立ち」

「一同は死刑にすべきだと決議した。」(マルコによる福音書14章64節)。

先週の国会、参議院特別委員会の様子を見たと思います。毎日新聞によると、委員長の説明では採決したというが、どの時点で何の採決が行われたのか、議場にいた議員すら分からなかった。ある人は「委員長が何を言ったか、誰が何をどうしたのかさっぱり分からない。あんな暴力的な採決が認められるなら、この国の民主主義は死ぬ」と言いました。生中継するNHKすら、「何らかの採決が行われたものとみられます。」と言って、実況したそうです。散会するまで「可決」を伝えられなかったと。
つまり、誰にも分からないのですが、ある人たち(与党側)は、裏を合わせていて、声が聞こえなくても皆、次にどうするか分かっていた。聞こえなくても合図で皆、立ち上がって、「はい、賛成の人多数、可決」ということになったのです。そのように、裏で動いていた。

そういう決議が行われた先週の国会を目の当たりにし、聖書を読めば、「祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めた」(上掲書55節)「一同は死刑にすべきだと決議した。」(64節)とあります。(正式の死刑判決はまだ先であり、ここでは予備裁判のような場面ですが)ここで起こったことと、この日本で先週、実際起こったことと、何か重なるような思いが致します。裏があって、もう筋書き、結論は決まっている中で、表向きは形式だけの審議が行われた、ということなのです。
しかも、主イエスの逮捕は真夜中、裁判も夜中となったのですが、こういったスピードもまた、今の国会の仕方と重なります。結論が先にあると、疑問を持つ人がどんなにいても、期限までに突っ走るしかない。時間内に決めてしまわなければならない。
人間は、一度、こうだと決めていることがあると、人の話を聞くようには見せますが、しかし自分で思っていること、決めた事を、ただ通そうとするだけになる。そういうことを繰り返していくのです。こうなると、人間を大切に、人の心や平和を大事にしよう、というかけらも見ることは出来ないのです。

先週の国会で「死刑」の「判決」を受けたのは、憲法であり、民主主義であり、平和国家のブランドであり、そして平和を願う私たちでありました。

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by rev_ushioda | 2015-09-24 09:58 | Comments(0)

どこで読んだか。「池の鯉が病気になったので、すくい上げて別の場所に移し手当した。元気になったので、元の池に戻した。しかしその池が汚れていたことが病気の原因だったら、どうするのか。」だから、教会はこの世とかかわるのです。信仰の仲間が、出て行った先で倒れないように、私たちは教会の外にも目を向け、そこにも神の御心が現されるようにと祈り、行動する。

私は、国会の動きを見ていて居ても立っていられず、出来ることは、と考えて意志表明のポスターを自宅前に掲げました。ところが、その日も次の日もそのポスターが続けて壊されました。二度目の時にたまたま現場を目にしました。それは下校する高校生でした。国会では総理大臣が盛んに平和のためと言っていましたが、そのことによって世の中は、高校生までもが破壊行動をするのです。どんなに「平和」を口にしたところで、いみじくも、意見が違えば暴力で封じ込めて平和だという社会が、現に今、作られようとしているのです。

過日、「日本はどこへ向かうのか?~戦争と平和の岐路に立つ今を考える~」という平和講演会が行われました。講師の高橋哲哉さんは、分かりやすく、今進められている安保法案の問題点を話された。
問題点
1.憲法改正手続きを取らずに、解釈改憲という方法を取る。これは、憲法よりも法律を上にしてしまうことで、かつて、ナチスのしたやり方と同じ。
2.集団的自衛権の行使を、時の政府が判断できること。今までは攻撃を受けているかいないかという客観性があったが、今度の法律によれば、政府が攻撃を受けたと判断すれば、という、判断の仕方が主観的であることの問題。
3.「戦死者」が出ない、という安倍総理大臣の言葉は大きな嘘。安倍総理は安保条約は以前から「血の同盟」と言ってきた。また「(靖国神社で)英霊を顕彰することを国家が放棄したら誰が血を流すか」とも言っている。
4.思想的背景は、隣国侵略を唱えた吉田松陰である。明治政府以来、国家がしてきた隣国侵略の歴史はこの人の思想と一致しているが、その思想を「誠実」として学校教科書「道徳」として教えようとしている。

聖書は言います。「彼らは、おとめなるわが民の破滅を/手軽に治療して/平和がないのに『平和、平和』と言う。…彼らの舌は人を殺す矢/その口は欺いて語る。隣人に平和を約束していても/その心の中では、陥れようとたくらんでいる。」(エレミヤ書8章11節、9章7節)
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「アベ政治を許さない」の文字を書いたのは、俳人の金子兜太(とうた)さん(95)だ。
いわく、「許さない、と書きつつも、米国に夏までに成立すると約束し、法案成立へとひた走る日本の首相の言動をみると、気の毒にも思える…でっち小僧が旦那になだめられたり引っぱたかれたり、時々菓子をもらったりして、いいようにされている姿を想像してしまう。」

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by rev_ushioda | 2015-07-17 10:33 | Comments(2)

「いかに危険な内閣か」

「日本はどこへ向かうのか?~戦争と平和の岐路に立つ今を考える~」という平和講演会が行われた。講師は、東京大学大学院教授・哲学者である高橋哲哉さん。
分かりやすく、今進められている安保法案の問題点をお話いただいた。

1.憲法改正手続きを取らずに、解釈改憲という方法を取ること。憲法よりも法律を上にしてしまうこと。これはナチスのやり方と同じであることが強く印象に残った。

2.集団的自衛権の行使を、時の政府が判断できるとすること。今までは攻撃を受けているかいないかで線引きがされていたが、今度の法律によれば政府判断という主観が入ってくること。

3.「戦死者」が出ない、という安倍首相の言葉は大きな嘘。安倍首相は安保条約は「血の同盟」と言ってきたこと、また靖国神社に関して「英霊を顕彰することを国家が放棄したら誰が血を流すか」とも言っている。

4.思想的背景は、吉田松陰である。明治政府以来、国家がしてきた隣国侵略の歴史はこの思想と一致している。その思想を「誠実」として学校教科書「道徳」として教えようとしている。

今の内閣がいかに危険な内閣かと再度認識した講演会であった。

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by rev_ushioda | 2015-06-30 12:32 | Comments(0)

通信販売会社から出ている『通販生活』という雑誌が手元にあります。欲しい生活用品を探していると、次の見出しがありました。
「安倍総理がめざしているのは、いつでも/どこへでも/自衛隊を送り出す ことです。」
―そんなことは絶対にあってはならないことだ、という記事で、元「防衛庁防衛研究所」所長の言葉でした。何気ない生活の中に、重大な危険が迫っていることを感じさせます。
安倍総理は、5月には戦争法案10本近くの審議を始めるそうです。「戦争法案」など、いつの間に準備したのでしょうか。私たちが大型連休だと言っている間に、信じられない速さで、平和と人間性を守る砦である「憲法」が瀕死の状態になっています。憲法を無視し、憲法そっちのけで、解釈次第で、戦争でも何でも出来るようにする、という状況なのです。「戦争のできる国」、すなわち「戦争に巻き込まれる国」になる日が、私たちに急速に迫っています。ここが大事ですが、法律の名のもと、人を殺し、殺される国になる日が近づいているのです。戦争なんて…と言い、選挙にも無関心でいる間に、安倍総理は「いつでも/どこへでも/自衛隊を送り出す」日を作らせているのです。
今「平和」を口にすると、平和のためにこれをするのだ、積極的平和主義だと言われてしまい、だから「戦争法案」が必要だ、と言うのです。平和という言葉がクサビにならない。私たちの中でさえ、「平和? 政治の話はどうも…」と勘違いするくらい、平和という言葉が政治利用されているのです。
その日が来たら、自衛隊員に志願する人は今より減ります。自衛官を辞める人も、出て来るでしょう。そうすると、「徴兵制」です。今の子どもたちが徴兵される日は、そう遠からずやって来ます。これを書いたのは、あの年からこうなったという日が来るからです。その時、子どもたち、孫たちから「父母よ、祖父母よ、その年に何をしたの?」ときかれた時、答を持つためです。

聖書は言います。
エレミヤ書8章11節「彼らは、おとめなるわが民の破滅を/手軽に治療して/平和がないのに『平和、平和』と言う。」
マタイによる福音書5章9節「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」

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by rev_ushioda | 2015-05-01 15:50 | Comments(0)

「選挙も信仰の行為」

きょうは、衆議院議員選挙の日です。一人一人が、祈りつつ、判断と選択をしていきたいと思います。
私たちは、信仰告白で次のように言い表しています。「人々は、与えられている機会を用いてこの世の政治に参加し、特に、選挙権を行使する義務がある。」(『カンバーランド長老教会信仰告白』6:28)
政治の目的は「被造物が正義と秩序の原理のもとに生きることができるようにする」(同6:27)ことですが、そのことを為す為政者を選ぶ義務を、私たちは大事にしなければならない、と考えているのです。神は、キリスト者ではない者をも用いて、この世の秩序を維持して(治められて)いるのです。世俗のことだと言って、この世のことに無関心になることは、神の意図を受け止めない、大きな間違いです。棄権することは、信仰のありかたではないので、そういうことのないようにしたいと思います。

それにしても、倦怠感がただよう時代に威勢のいいことを言う個性的な人が現れると、人はいきおい、そこに惹かれていくわけです。また、自分の家の前の道路が良くなれば、という発想で為政者を選ぶ人がいます。選ばれる側も、自分の願いを実現するために憲法の改正を「謀る」ようなことをする。
どうか私たちは短絡的、また、貧しい発想で、国政選挙にかかわることがありませんように。私たちが選挙に際してとりわけ大事にしたい、そして見極めたい基準は、信教の自由、平和、生存権です。共に聖書がこの世との関係で大事に語っていて、信仰に関わる事柄です。
第一に、「信教の自由」の原則を守ることに注意深く対応できる人かどうか、ということです。たとえば、個人の感じ方にまで入り込む余地を残す「国旗国歌法」「秘密法」等々を作る人は、受け入れがたいものです。
第二は、平和を実現する人かどうかです。憲法で言えば、9条を、自分がしようとすることの歯止めと考えているか、です。これに照らせば、集団的自衛権などはあり得ないことです。
第三は、生存権を守る人かどうか。これから言えば、原発推進は、あり得ないことです。
以上三点は、国政選挙で為政者を選ぶバロメータになります。信仰告白が言っている「正義と秩序の原理」を追い求めてやまない人を、きょう、私たちは選びたいのです。

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by rev_ushioda | 2014-12-16 22:06 | Comments(0)

残念!

「戦争しない憲法9条を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください。」このメッセージに私たちも応え、署名に加わりましたが、今回は惜しくも受賞を逃しました。本当に残念でした。仕切り直しです。
しかし、この運動は、平和賞にノミネートされた後も勢いは衰えず、国内外から41万人もの著名が集まったそうです。座間市に住む一人のキリスト者が始めた小さな祈りの道造りが、大きなうねりになりました。ニュースでも再三にわたって受賞の有力候補であると紹介され、首相すら、このことを話題にするほどになっていました。
発表の前日(9日)の朝日新聞には、39面ではありましたが、「9条にノーベル賞なるかー平和賞予測トップに/市民団体、慌てて受賞準備」と大きな活字が躍っていました。

憲法9条は、信仰の言葉を現代というこの世に向かって「翻訳」した言葉だと思います。すなわち、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

そうは言っても、実際は、時々の政権による勝手な解釈によって9条は骨抜きにされ、今では自衛隊は立派な武力を保持する軍隊ではないかとあきらめ、平和な社会なんて、それは政治の話だと思った人もいます。そのは、国会の議論を指をくわえて見守るしかなかったのです。しかし、それは私の家庭の問題、子どもの将来の問題、信仰の問題だと受け止めた一人の主婦は、私たちの中にあった憲法9条に目を向け、それを手にしました。モーセが日常手にしていた杖を手にして出エジプトの偉大な物語の端緒を切り開いたように、また、ダビデが川から小石を拾い上げ、巨人ゴリアテに立ち向かったように、です。そこに、憲法9条にノーベル賞を、という思いがけない発想の転換が起こりました。その結果、1年余りで41万人の書名を集めたのです。
祈りは、当然、信仰を産み出すことに向かいますが、しかしまた、祈りは産み出された信仰者が現実に生きる社会にも向かう、という面も持っているのです。この両面に目を向けた祈りの道を、私たちは歩んでいくのです。
「あなたがたも賞を得るように走りなさい。」(コリントの信徒への手紙一 9章24節)

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by rev_ushioda | 2014-10-10 21:31 | Comments(0)

「アイヌ民族へのヘイトスピーチを撤回しない札幌市議会議員に対する議員辞職勧告決議を求めます」というキャンペーンに、今、署名した。少数の人々への一方的、独善的、無理解な発言が多いが、これもその一つである。心を痛めて、ここに紹介しておく。

キャンペーン本文

今年8月11日に札幌市議会議員 金子やすゆきがツイッターで以下の発言をしました。

「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」

この発言はアイヌ民族に対する「ヘイトスピーチ」であり、許されるべきものではありません。

ヘイトスピーチとは人種的、民族的あるいは性的なマイノリティに対するその属性に基づいた侮辱的な発言を意味します。これはマイノリティに対する言葉の暴力であり、差別を煽動してさらなる被害をつくりだす恐れがあります。残念ながらこの国では、ネット上で人種的、民族的あるいは性的マイノリティに対する差別的な言説が蔓延しており、さらに一部は街頭にまでデモや街宣として溢れ出しています。それはこの札幌市も同様です。そのなかでいまヘイトスピーチをなくす取り組みが市民や議員、報道などさまざまなレベルで試み、すすめられています。

しかしそのような社会的状況で、この金子市議の「アイヌ民族なんて、いまはもういない」という発言は、人が人として存在するということすら、その民族的属性ごと否定しています。それだけにとどまらずに、「利権を行使しまくっている」とアイヌ民族であれば不正を働くものであると解釈できるような文章で中傷しています。そして、それが発言者の中にある偏見から生み出されたものであるにもかかわらず、その責任を「納税者」に押し付けています。このような卑劣な文章を、ツイッターのような不特定多数が読むことができる、いわば「公共の場所」で書くことは決して許されることではありません。

この金子市議の発言に対して多くの市民から疑問の声があがり、また専門家も厳しく批判しています。例えば、北海道大学の丹菊逸治准教授は、「例え固有の言語や伝統文化が失われたとしても、過去との連続性を保ち、同じ民族に属するという意識を持った人々の集まりである以上、アイヌは民族として存在する」(どうしんウェブ 8/21付)と断じています。

以下、署名サイト
http://www.change.org/p/高橋-克朋-アイヌ民族へのヘイトスピーチを撤回しない札幌市議会議員-金子やすゆきに対する議員辞職勧告決議を求めます?recruiter=77323032&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition

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by rev_ushioda | 2014-08-26 18:09 | Comments(0)