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by rev_ushioda | 2016-01-01 16:24 | Comments(0)

「介護の日々」

つらい言葉三つ。いや、四つ。

97歳になって体が急速に衰え、「要介護4」になったわたしの母に、時々来るひ孫が言って帰る。
「早く、良くなってね。」
良くなる、なんていうことはない。何ともいえず、つらくなる。

最近、体が痛いと毎日のように言う。
往診に来た、かかりつけの医師にかすれ声で母が言った。
「先生、ずいぶん前ですが、先生に言ったこと、覚えてますか?」
「痛い、痛いと言うようになったら、そのまま・・・ という話です。」
「よろしくお願いします。」
・・と。

今日、呼び出しベルが鳴ったので、妹が行ってみると、母いわく、
「鍋の火をつけっぱなしで部屋に来ちゃった、消してもらおうと思って。」
「と思ったけど、夢だったみたい(笑)」
それを聞いて、ぐぐっと、来た。涙が溢れた。

おむつを替えていると、時々、母が言う。
「いつまで、こうしていなければいけないんだろうかね。」
一瞬、言葉が詰まる。
お前、牧師じゃないか、カウンセリングもしているのに・・ 聞こえてくる声に、母の前では、無力な自分しかいない。― 「ずいぶんお世話になったんだから、今、しっかりお礼させてよ。」


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by rev_ushioda | 2015-12-28 23:29 | Comments(1)

「介護の大変さ」

娘がわたしの母のベッドのそばに立ち、車いすに移動させようとしていた時のこと。
ちょっと動かせば、痛い、痛いと言う母の前で、一瞬、動きが止まった。「もう、いや・・」と涙を流している。その娘の姿を見て、ああ、もうこれ以上、わたしの母の介護のために娘に頼ることはやめようと思った。わたしの母である。わたしが最後まで面倒看よう。
日曜日の朝だった。休暇で家にいるという娘に母を頼んで、夫婦で教会に行く直前のことであったが、妻に、あなたは今日は家にいてほしい。そう言って、一人、教会に向かった。妻は、礼拝に来る教会の仲間を迎えられない。わたしはオルガンを弾かなければならない・・ まさか、ね。教会に行き、急ぎ、ヒムプレイヤーをセットした。とにかく、こんな日曜日がこれからも続くのだと思った。ダメ押しするかのように、この日の礼拝は、12人、最少人数だった。
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by rev_ushioda | 2015-11-30 23:55 | Comments(0)

「ついに腰を痛め」

ちょっと手を伸ばして物を取ろうとしたとき、腰が痛い、と感じた。そのあと、痛くて歩けなくなった。それが、夕べ。今朝になってみたら、ベッドから起き上がれない。出かけなければならなかったので、ようやく立ち上がって今、一日を終えようとしているが、座った姿勢から立ち上がるまで、時間がかかる。
母の介護が原因ではなく、直接の原因は変な姿勢で物を取ろうとしたからであるが、今日、いつものように介護態勢に入っても、腰に力が入らないところを見ると、腰にそれほど負荷がかかっていたのだと分かった。

う~ん、今後の長期戦にどう備えたらいいのか・・ あの家庭、この家庭と、介護家庭の大変さを、改めて感じる。

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by rev_ushioda | 2015-11-25 21:05 | Comments(4)

「介護で初めてのこと」

9月以降、介護を必要とするようになった母のことは、事業所(ケアマネージャー)への相談から始まって、役所への介護申請、1か月でさらに介護度が進行したので、再申請をした。その間、介護機器の契約、搬入、不要になったものの撤去、ヘルパー契約、訪問入浴契約、訪問看護契約、かかりつけの医師との連絡、往診、さらには日常的な下の世話、今日は誰が来る日だなど、私自身はフレンドシップあさひの運営委員をしていたが、実際はこんなに大変なのだと初めてのように介護の大変さを認識している。そういうわけで、なかなか自分のペースが確保できないまま、推移している状況である。
先週からヘルパーに入っていただき、きのうは、初めての訪問入浴であった。介護度だけでなく、認知度も若干進んでいるような感じで、母自身もたぶん何が起こっているか、認識するのが難しくなりつつある。入浴の感想を聞いたが、「頭が…」 言葉が続かない。1か月半ぶりのお風呂だったので、気持ちよかっただろうと家族は思ってはいたが、何か、気になることがあったのだろう。言葉もまた、急に衰えているようだ。

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by rev_ushioda | 2015-10-21 06:31 | Comments(0)

「97歳の母のこと」

先週の水曜日、救急車を呼んだ。医師から言われたのは、過呼吸。原因は不安ということで、安定剤投与の結果、1時間で落ち着きを取り戻し、深夜1時に帰宅。
その時、医師が言われた。「これも認知です。」 「自分でできると思っていることが、体のほうではできなくなっている。そのできるということと、できないことのギャップが不安を引き起こし、過呼吸になった。」
ナルホド、自分でできる、やりたいという思いは人一倍強い母である。今年前半は、庭の草むしりなど、こなしていた。6月には、立ったまま草が刈れる鋏を通販で買った。一度はその鋏で庭の草刈りをしたのである。もうできないのだから無理をすることはないと言っていたのだが、その後、外に出ることができなくなった。家の中でも杖をついてでないと歩けなくなった。最近では、杖もだめで、シルバー用ショッピングカートという、両手をそこにゆだねられる手押しカートで、ゆっくり移動している。トイレ、お風呂も介助が必要になった。それが当たり前と言えば当たり前なのに、できる、したいという意識がある。そういうギャップが不安となり、過呼吸になったというのだ。
年齢相応に自分の手から放していくものがある。しかし、人にゆだねることができないことも認知の状態ですよ、過呼吸になるのですよと聞き、何か信仰に通じる話だと思った。握りしめていたものを、徐々に開放していく。そして、できなくなったことをうらめしく思わず、自分でやろうとせず、人に指示もせず、すべて主にゆだねていく。それが成熟した信仰者だ。
その時が来ているのに、あれをやりたいとか、あなたはこうすべきだと指示、判断するとか、何とかしようとせず、そこで過呼吸を起こさず(苛立たず)、むしろ、自分自身の次の段階の方にこそ目を向ける作業が、私たちには必要になるのだ。
「あなたたちの息子、娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録2章17節)
夢は、若者の特権ではなく、老人の特権である。言ってみれば、天の国を夢見て「はしゃぎまわる」。夢見る高齢者、これが聖霊の働きなのである。そして預言、福音宣教は、次の世代によって力強くなされ、教会を通して神の支配する領域(天の国)が拡大して行く。預言は次の世代に委ね、老人には老人の、夢を語る特権と使命があるのだ。私も含め、70代、80代あたりからこの特権と使命にシフトし、信仰において過呼吸になりませんようにと祈りつつ。

母の体力の落ち方は、この数か月で大きい。この1週間で、さらに顕著になった。先日も、そして今日も、教会の仲間たちが来てくれた。とてもうれしいと、言っていた。

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by rev_ushioda | 2015-09-08 20:21 | Comments(0)