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今回の3日間のコース(愛知川宿~柏原宿)の地図を、下に添付する。他の人と同一コースがあったので、サイトから拝借した。3日間で、約23キロであった。思ったより距離が延びなかった(笑)

今回のコース

醒ヶ井宿

上の地図(今回のコース)で分かるように、今回は、近江の国(滋賀県)の最後の宿場まで行ったことになる。一つ手前の醒ヶ井宿は、町の中を水量豊かな地蔵川が流れている。川の中にバイカモという植物が自生し、ハリヨという魚が住む。この川の水源は加茂神社の石垣からであり、すぐ隣は名神高速が走っている。その擁壁が迫っているのに、よく水源が断たれなかったと思う。とにかく、この町はこの豊かな川を中心に、今までになく、たくさんの人を目にする、珍しい宿場町だった。他の宿場はと言うと、観光地や駅に近い草津を除き、ほとんど人がいない閑散とした状態だった。
ここの郵便局は、これもまた、ヴォ―リス建築。滋賀県下にこれだけ建築物を残し、キリスト教を知らしめたことは、本当にたいしたものだと思った。このように伝道した人もいるのだ。見どころいっぱいの醒ヶ井宿であったが、私たちは観光地目当てではない旅人なので、長居せずに通過。

醒ヶ井からの道は、特記することはない名阪高速や国道と並走する田舎道だが、その何もない田舎道、田んぼを前にして、1軒、喫茶店があったことに、驚いた。趣味でしているのですと言われていたが、次の宿となる柏原から、わざわざ車で来ている夫婦がいた。こういう人が集まる場所って、いいな、と思う。

柏原宿は、1.4キロにわたる大きな宿場であり、保全が行き届いていると感じたが、電車の時間があったため駅に直行。記事は次回に回そう。駅に向かう正面には、この地方では名の知れた伊吹山。この辺り(米原周辺)が豪雪になるのも、この山の吹きおろしだとか。そういえば、道路の真ん中にずっと溝のようなものがあり何だろうと思ったが、雪を解かす設備が設けられていた。この伊吹山が見えるかどうかでお天気がわかると、ずっと手前の番場で話しかけてきた、土地の人が言っていた。

写真は柏原宿 (道路の中央に融雪設備)
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by rev_ushioda | 2013-05-01 23:34 | Comments(0)

今回の旅の二日目は、高宮~鳥居本~番場~醒ヶ井という4つの宿を通る。途中、中山道最初の峠「摺針(すりはり)峠」がある。

高宮宿

高宮宿は中山道第二の宿と言うが、あっという間に通り過ぎた感じだ。確かに街道にそびえる高さ11メートルの石作りの大鳥居(1634年築)や、提灯を売る店など、多賀大社のおひざ元らしさは感じたが、あっという間だった。やがて新幹線が右手に迫ってきてガードをくぐると、名神高速道路が目に飛び込んでくる。その隙間の道が中山道だ。現代の高速の2本の道と、昔の徒歩の道との不釣り合いがまた何とも妙な感じである。小野小町の出生地というのが、ここにあった。ここからの鳥居本宿の町並みはすばらしかった。約1.1キロ、直線でずっと続く。ここの名産の一つが、合羽であった。今でも、軒先に合羽形の看板を見かけたが、言うまでもなく合羽は、ビニールに押されて今は製造していない。この直線の宿の突き当りに、「赤玉神教丸」(おなかの薬)を売るおおきな店があった。今も営業している。買って帰ろうと思ったが、富山の薬箱にあったことを思いだして、買わずに通過した。
やがて北国街道との分岐に差し掛かる。中山道はここから右に折れ、摺針峠に向かう。番場宿までの1時間半は、道路は舗装されてはいても、家が何もない。途中から、名神高速と並行する。これから先ずっと、関が原辺りまで、この高速道路の横を歩き続ける。ということは、昔も今もそこしか道を通せない「山間」ということを意味するわけで、夕べから今朝まで降っていた雨に濡れた新緑が美しい。

番場宿

番場宿は、蓮花寺が心に残る。1333年、680年前、鎌倉幕府が滅んだ年、京都出張所(六波羅探題)の役人とその家族が京都を脱出した後、敵に包囲され、ついにこの寺で北条仲時以下430人もの人が自刃した。鎌倉幕府は150年続き、権勢を誇り、各地に「かまくらみち」という権力の道が敷設されたが、人の支配のむなしさを物語っている。

「天地は亡びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイ24章35節
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。」コリントの信徒への手紙第一 13章13節

写真は 「3本の道」。名神高速道路【左)と東海道新幹線(右)に挟まれた中山道(小野小町塚にて)
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by rev_ushioda | 2013-04-30 22:31 | Comments(0)

再び、中山道、愛知川。
前回は雪が残っていた愛知川も、4月も終わりともなれば、新緑の季節。まずは、多賀大社のおひざ元、高宮を目指すことにする。
この辺りは、水を張り、田植えを待つ水田が多い。そのためか、農業用の水路の水がどこも濁っている。水田からの帰りのトラクタ―が、わたしたちの横を、大きな音を立てながら、ゆっくりと追い抜いて行った。のどかな田園風景だ。水田の彼方を「東海道新幹線」が走っている。
豊郷という土地に来ると、「又十屋敷」という建物があった。北海道開拓で財を築いた藤野家の屋敷跡で、実は、この家は天保の飢饉のとき、二代目が窮民救済のために(地域経済活性化のために)建築したもの。いわゆる「お助け普請」と言うのだとか。近江商人の多くは、こうした目的のために普請(自宅や寺などの建築)を行ったのだと。
伊藤忠兵衛(伊藤忠商事の創始者)の生家が、また、この土地にあった。この人もまた、近江商人として近江麻布を売り歩き、成功をおさめた人であった。村で顕彰しているのだろうか、屋敷跡の公園に、堂々たる記念碑があった。それはともかく、兄弟会社「丸紅」社長、伊藤長兵衛は、1925年に私財と自宅敷地の大部分を寄付し、この土地に「豊郷病院」を、専務の古川鉄次郎は、彼の私財の3分の2の巨費を投じて豊郷小学校(ヴォ―リス設計)を建設している。街道沿いにあったので見ることが出来たが、立派な建物群であった。
こうしたことが出来たのは、ただ豊かであったから、だけでもないだろう。「お助け普請」という言葉が残った。

写真は、中山道を、「東海道」新幹線が走る田園地帯
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by rev_ushioda | 2013-04-29 21:44 | Comments(0)

旧街道を歩く旅も、東海道を「江戸」から「京」まで行ったので、今度は中山道を西から東に向けて歩き始めた。前回1月は、東海道との分岐「草津」から「愛知川」までだった。さて、次回をいつにしようか、ホテルの予約をどこにとろうか、一日の歩行時間や鉄道との接続を考えながら3日間のコースを考える。こういう行程作りから何とも楽しく、リフレッシュする時になる。

前回のコースを振り返りながら、そういえばと思ったことがある。

中山道を歩いているのに、その道の横を、東海道線や東海道新幹線が通っている。その時は(私は東海道線に慣れているので)何とも思わなかったが、今思うと、歩いているのは中山道なのに、なぜ、東海道線が通っているのか?
そういえば、東海道を歩いた時も、宮宿(名古屋)で東海道線と分かれ、旧東海道(と国道1号線)は伊勢国(三重県)桑名に向かい、一方、東海道線と東海道新幹線はと言えば、岐阜、米原方面に向かっていた。私たちは東海道を歩いているのに、再び「東海道線」を見たのは、はるか先の草津であった。
神奈川に住んでいる人間は、東海道線が途中どこを通ろうが関係ないのだ。「わが道」すべて東海道だと思っていたが、中山道に立ってそこから見ると、なぜここを「東海道線」が通るのか、と文句を言いたくなる・・かどうかはわからないが、不思議なことではないだろうか。改めて、自分中心に物事を考えていて何の不思議も感じなかったが、その場、その土地に立ってみて、初めて、不思議と感じることがあるのだと思った。そういう意味では私たちは気づかないところで、人が何を思おうがお構いなし、中山道を東海道にしてしまっても疑問も感じず、わが道を当然として、いかに横柄にふるまっていることだろうか。

さて、上の問いに答えているサイトを見つけた。(→ 「岐阜の東海道線あれこれ」)。なぜ、こうなったのか、このサイトに詳細が記述されている。東海道は名古屋から急に東海道を離れ、岐阜から西は、もう「中山道瀬」である。それは、まだ東海道線がなかった時、すでに各地で鉄道敷設が進んでいて、東海道線を全線をつなげようというときになって、すでに出来上がった線路を使うために名古屋から北上、岐阜に向かったのだ、という説明に、目からうろこ、である。

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by rev_ushioda | 2013-03-18 14:40 | Comments(2)

今回の3日間のコース(草津宿~愛知川宿)の地図を、下に添付する。他の人と同一コースがあったので、サイトから拝借した。3日間で、約30キロであった。

今回のコース

武佐宿

今回は近江八幡のホテルに連泊し、JRと近江鉄道を使って、行ったり来たりした。旧街道の歩行距離をどのように決めるかというと、近くに駅があるところまで、ということだ。旧街道はバスも通っていないところが多いので、駅を通り過ぎると、ホテルに戻れなくなるわけである。1日目は現地まで行くのに時間がかかり、歩行時間は3~4時間くらい、2日目は時間はあるが、6時間(18キロ)が限界。そこで、駅に到着する距離とすり合わせなければならないわけで、パズルのような行程作りとなる。これがまた、楽しいのだ。(妻はそのあたりは無関心なのだが)
さて、写真は武佐の郵便局にあるポストである。愛知川でも同じものを見かけたが、「書状受箱」と書いてある。こういうアイデア(ユーモア)は歴史ロマンを感じさせて、さすがだ。そういえば、この宿の案内板は、地元小学校の「卒業生」と書かれたものであった。歴史を学ぶことで、自分の町へのアイデンティティがおのずと育つのだろう。
さて、中山道は象が通った道である。武佐宿には、昔、象が泊まったという看板があった。8代将軍吉宗が1728年にベトナムから輸入、長崎から江戸を目指したのである。初めて象を見た人々の驚きも分かるが、そんな距離を歩かされた象もかわいそうなあ話だ。

愛知川宿

今回の目的地、愛知川手前に五箇荘という町があった。街道から少し逸れなければ行けないが、そこに近江商人の町がある。しかしこの五箇荘も「てんびんの里」と書かれてあった。ここは、てんびんを担いで物を売り歩く近江商人の発祥の地のひとつである。
4日に降ったという雪が、この辺りまで来ると溶けずに残っているのが目につくようになった。彦根に近づくと、草津辺りとは気候がずいぶん違うのだと感じていると、そうこうするうちに愛知川に着く。商人の町を意識してか、駅までロマンチックな駅舎であった。
電車は1時間に1本しかない、いきおいこの駅も無人駅である。電車が到着したら、運転士が客車内に出てきて、「バスの乗り方と同じです。そこから整理券を取ってくださ~い。あ、お客さん、取りましたかあ。そこ、ですよお」と、後ろのほうに走って行った‥ 私たちは「え!?」という感じで、何とも、のどかな風景であった。

今日の歩行時間:4時間(推定12キロ)
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by rev_ushioda | 2013-01-09 23:32 | Comments(0)

きのう、守山宿の先、近江鉄道の野洲駅まで歩いた。きょうは、その野洲駅から街道の続きに進む。はたしてこの区間は、時間が古墳時代までさかのぼる、まさに「歴史街道」であった。

歩き始めてしばらくすると、その古墳群が見えてきた。「桜生(さくらばさま)史跡公園」というのだそうだ。せっかくだから見学、トイレ休憩。一つの古墳の中をのぞいたが、説明によると、この辺りはいくつもの古墳があるそうである。ここは、豪族が住んでいた一帯だったようである。

さらにその先に、「平家終焉の地」の看板。平清盛の子、宗盛とその子が源義経に殺され、こうして平家が滅亡した場所だそうである。街道から100メートルくらい入ったやぶの中である。隣は工場の塀が巡らしてある。栄華をきわめた平家の末路がこんなところかと、「おごる平家、久しからず」を噛みしめた。
この辺りは「鏡宿」というのだそうだ。鎌倉時代に使われた宿駅で、江戸時代は宿場にはならなかったとはいえ、間の宿のような機能を果たしていたとか。案内板に「江戸時代の宿場」と書いてあるのを見ると、この土地には宿場であった自負があるのかもしれない。

やがて、「住蓮坊首洗い塚」というのがあった。浄土宗の開祖、法然は伝道に熱心で、後鳥羽上皇の女官2名を尼にしてしまったために、怒りをかって島流し、その弟子の住蓮坊は、ここで処刑されたそうである。当時の興福寺など既成教団から浄土宗は弾圧を受けた。なるほど、主イエスも既成教団のユダヤ教から弾圧を受け、十字架に殺されたのであった。

旧道は、国道を出たり入ったりしながら続き、やがて武佐駅に到着。この駅の先が武佐宿であるが、先に進むと次の駅がないので、きょうは、この駅まで。

残りの時間は、せっかくだからというわけで近江八幡の市内観光とした。近江商人の街並み、そしてそういう古い町で伝道した宣教師ボーリスの業績(教会をはじめ、学校、近江兄弟社という事業)がそこかしこにある様子に感動。このように、町に入り込む伝道がしたいと、つくづく思わされた。

今日の歩行時間:4時間(推定12キロ)
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by rev_ushioda | 2013-01-08 22:28 | Comments(0)

ついに、この日を迎えた。
‥‥と言うほど、そんな大げさなものではないが、思わぬ神経痛に悩まされた昨年を思えば、奇跡の感がする。そんな気分を味わうのも、たまにはいいことではないか。というわけで、1月7日、お誕生日祝いも兼ねて(兼ねていようがいまいが、この日しか調整がつかなかったが)、ついに、中山道初日を迎えることになった。一昨年11月に東海道(旧道)で京都に到着して以来、13か月、再び「街道人」になった。東名高速の米原から、琵琶湖東岸を南下、しばらくは雪景色だったが、琵琶湖南部は、雪はない。同じ滋賀県でも北と南ではずいぶん気候は違うようだ。空気こそ冷たいが風はなく時折、陽も差す3日間、快適な道行きであった。

草津宿

朝6時前に家を出て、草津に12時に立った。東海道と中山道の分岐点「追分」だ。1年前、東海道で「京」に向かっていたとき、ここを通ったのであった。何かしら感無量という言葉が頭をよぎった。
写真は、草津の道標脇にて撮ったもの。上が草津川。天井川だ。トンネル手前方向が「京」、右から、東海道が合流している。トンネルを抜けて、向こう側に中山道は始まる。草津川のトンネルを抜けると、まずは商店街のアーケードに迎えられた。
さて、このトンネルが掘られたのは1886年(明治19年)というから、江戸時代は、土手を上って、この上にある草津川を(水量が少ないため)歩いて渡ったのである。ところで、いくら説明を聞いても、どうして川が町の上を流れるようになったのか理解できない。

守山宿

守山宿に薬屋があって「京都まくり」と書いてある、と街道案内書に書いてあった。ちょうど、ほしい漢方薬があるかもしれないと思って立ち寄ったが、今は漢方はおいていないというところから、「まくり」とは何か(海藻のことで虫下し薬)、そのほか、店の歴史など、話し込むことになった。
また、かつて宇野という総理大臣がいたが、守山に生家があると言う。行ってみると、そこは今、地域や旅人に開放されていて、中には歴史的な遺物が展示されており、見ることができた。
ところで、その宇野家は、今は市の管理下になっていると言う。隣に、「街道歴史文化交流館」があって、町の人たちが運営している。なるほど、ここが違うんだと(勝手に)思った。我らが宇野元総理大臣となれば、それがどんなに短命内閣であろうが)NPOとかに渡さず市が乗り出し、こうして管理、運営する。権威という話をきのうの礼拝でしたばかりで、思い過ごしだろうか。

今日は野洲駅まで。駅に行くには、中山道から、「朝鮮人街道」に入る。
江戸時代、将軍が上洛するときには、中山道を外れて、鳥居本からこの野洲までは琵琶湖岸に近いルートを取ったという。家康が勝利して上洛するときに通った縁起の良い道で、野洲から見れば近江八幡、安土、彦根を経て、鳥居本に抜ける。参勤交代の大名には通らせなかったらしいが、将軍が交替したときに派遣されてきた朝鮮通信使一行だけは、このルートを通したそうだ。だから、この琵琶湖沿いのルートは、「朝鮮人街道」と呼ばれている。

写真は、中山道起点「草津道標」前にて。手前方向が「京」、中山道は、トンネルの向こうに続く。右に折れれば東海道である。
中山道の起点は京であるもの(約534キロ、69次)と、草津を起点とする考え方のもの(507キロ、67次)がある。

今日の歩行時間:4時間(推定8キロ)
1年ぶりということもあり、そして話し込んだり見学したりで、距離はたいしたことがないのに、予想外の時間がかかってしまった。
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by rev_ushioda | 2013-01-07 23:48 | Comments(0)

「思索に欠けた1年」

今年は、思いがけない神経痛に5か月間悩まされ、その後、中会のことでも大きなことがあって4か月間対応に追われ、気がつけばブログも更新が滞り、決まった内容(電話メッセージ、牧会のはなし)しか、書くことができなかった。いや、書いたのではなく、ただ、転載しただけであった。
ブログを書けないということは、それだけ思索ができなかったということにも通じる。ブログは、たとえつまらないことを書くにしても、そのような「余裕」は、思索のバロメータである。それがなかったという1年であった。1月7日で62歳。少なくとも70歳まで、あと、まる9年は頑張りたい。しかし、このようなブログも書けないようでは、(そして趣味の旧街道をこの1年、1回も旅することができなかったが、そんなことでは)先が知れている。ここにきて枯渇しないよう、1月7~9日、自分への誕生日プレゼントとして、ここは中山道の歩きはじめを「宣言」しておこう。その週の祈祷会、聖書会をお休みしてでも(ミナサン、ゴメンナサイ)、確保しなければならない大事な意味があると思っている。


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by rev_ushioda | 2012-12-25 23:18 | Comments(3)

「投稿停滞」

記事を投稿した最近の日付を見て、すっかり投稿の回数が減った、ということは、創造性を失っていることに改めて気づいた。いうまでもなく、神経痛のためである。もう3か月になる。あちらの病院、こちらの病院と、すっかり病院通いが日課ともいえないが、週に一度は病院である。痛み止めの薬を飲んで、しばらく調子がいいかとみえた昨日、今までのような走る痛みとは違った、ズーンというような痛みで、足を動かせなくなった。

楽しみにしている「街道」には、しばらく立てそうもない。健康に自信をもてず、記事も停滞気味である。

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by rev_ushioda | 2012-06-22 06:07 | Comments(0)

「中山道は命がけの道」

中山道、起点となる近江の国「草津」を出発するのは、いつにしようか、考えている。
ところで、街道全体をガイドブックでぱらぱらと見ていて、相当な区間が山の中である。隣接する鉄道がない区間も相当ある。車と鉄道をどのように使おうか、これは東海道にはないパズルのようなおもしろさがあるなあ、と思った。そして、ある文に釘付けになった。
「いよいよ峠越えである。・・・登山靴をはき、飲料水は必ず持参したい。また熊や猿が出没することもあるので、熊除けの鈴を携行しよう」。
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エ~!!!と思った。軽井沢宿から坂本宿に至る道のことである。そんな大事なことをさらっと書いてもらっては困る。楽しみにしていた気持ちが、急に萎える思いがした。以下の文章のように、熊のことでは、私にはトラウマがある。

ちょうど今頃のことでした。子どもたちのために計画した夏のハイキングの下見のために、私は、西丹沢の山を歩いたことがあります。雨が降っていたのですが、3時間位の山道を、私はその入口から歩き始めることにし、一方、妻にはひと山越えたコースの出口に車をまわして、そこで待つようにと打合せして、一人で歩き始めたのです。
雨の丹沢は、さすがに歩く人は誰もいません。1時間くらい歩くと、一つの看板が目に留まりました。正直言って、あの時ほど背筋が寒く感じたことはありません。その看板には、こう書かれていたのです。「熊に注意」。
注意と言われても、どのようにしたらいいのでしょうか。山で熊に鉢合わせし、格闘の末、大怪我をした、死んだ、という人のニュースが頭をよぎります。恐怖のため、まったく途方に暮れてしまい、引き返そうにも妻が先で待っていますから、戻るわけにもいきません。途方に暮れながら、おそるおそる歩いて行くと、行く手で「ガサッ」と音がしたのです。「出たっ」と思った瞬間、私はすぐ近くの木に登っていました。様子をうかがうこと数分、やっと、それは笹の葉に落ちた雨垂れの音だとわかったのです。

さて、熊と聞いて気持ちは相当萎えたわけだが、そうは言っても止めるわけにもいかない。これは「冒険」なのだ。東海道のようなわけにはいかないぞと、気持ちを入れ替え、草津発ちは4月30日と決めた。

後日:

念のため、他の人のブログを見たら、次のように書いてあった。信濃路は鳥居峠のこと。
「中の茶屋跡の先も草道や沢に架かる木橋を渡り、つづら折りの道を登っていくのだが、ちょっと気になることが。動物の糞があちこちに見られるのである。犬の散歩などあるわけが無い。とすると、イノシシ? 鹿? それとも熊? 熊除け鈴をガンガン鳴らしながらの登坂でした。・・・明治の道に入ると、恐れていたことがついに現実に。熊です熊。『熊除けの鐘』と大書されたカンバンと小型の鐘が。『熊も人が怖いので、鐘で知らせてあげよう』と書かれている。熊さん、鳴らすから聞いてね。この先にも何箇所も『熊除けの鐘』がある。」
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この時点で、相当、ビビリが入ってきた私である。で、調査開始・・・

2006年 岐阜県恵那市
「現在、恵那市では10月5日の新聞折り込みにおいてクマに会わないための対策などをお願いしています。」

2007年 ブログ記事
「塩尻峠に向けての旧中山道ルートを、店先で話し込んでいる男2人に確認する。すると『つい先日も熊が出没したと有線放送があった』と言う。以前の新聞記事も塩尻峠だったのかと背筋が寒くなる。」

2011年 長野県・長和町観光協会
「5月上旬に和田峠を越えて中山道を歩かれた方から、下諏訪町側の西餅屋下、垂木坂(53番目の一里塚跡下)付近で、熊に遭遇したとの情報が長和町役場産業振興課に寄せられました。中山道を歩かれる際は、鈴やラジオなどの鳴り物を携帯し、熊と遭遇しないよう注意してください。」
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う~ん、熊の生息地を通るのは間違いなさそう。気持ちを引き締めるだけでは、対応できそうもない。恐怖心で山中を歩くのは不本意である。これはもう、根本的に見直す必要がある。雪だけが問題だと思っていたが、思わぬ「敵」が現われたものだ。

ん?

熊の生息地に幕府は街道を作ったのか?

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by rev_ushioda | 2012-02-16 16:15 | Comments(2)