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「感情転移」

相談の過程で、来談した人が、過去に出会った人物(養育者である場合が多い)に対する感情や態度を、話を聞いてくれる人に向けることを、心理療法で「転移(感情転移)」と言います。
感情転移には、2種類があって、一つ(陽性転移)は、聞き手に、信頼・尊敬・感謝などの感情を持つことを言います。他の一つ(陰性転移)は、聞き手に、不信感・猜疑心・攻撃心・恨みなどを持つことを言います。どちらも、本来、向き合うべき対象に向けるべき感情を、今出会っている対象に抱く感情のことです。その時(幼児期)に出せなかった感情を、話を聞いてくれる対象に向けるのです。上の2種類の感情は、正反対のように見えますが、根は同じです。どちらも話をよく聞いてくれる人に依存的で、幼児のように、まとわりつくといった特徴があります。
教会では、お互いが人間として向き合っていこう(よく話を聞こう)とします。すると、そこで起こりやすいのが、感情転移なのです。今まで経験できなかった人間らしい関係の中で、まず、信頼感、尊敬心が強くなり、全面的に信頼したいと思うようになります。しかし、反対に、ちょっとしたことで「つまずき」、急に熱が冷めて、もう教会に行きたくなくなります。その根は同じなのです。なぜそういうことが起こるのかというと、その信頼や尊敬を、本来、向けていなければならない対象に対して向けていなかったり、または、その怒りを本来、向けなければならない対象に向けていなかったりしているからです。一方、そういう宿題を持つ人が安らぎを求めて教会においでになるとすれば、いよいよ感情転移は起こりやすくなります。
教会は、主イエス・キリストに出会うと同時に、自分自身と出会う場所です。たとえば、何かの拍子に、仲間の誰かに対してや牧師に対して不満や怒りを感じたとき、その不満や怒りは、今まで向き合ってこなかった誰か、に向けるべき怒りであったりしないでしょうか。私たちは、受け入れられて、初めて、自分の感情と出会います。そこに出てきた感情は、自分が「宿題」としてきた、大事な感情なのかもしれません。「陽性」「陰性」問わず、正しくその感情と向き合うことができたら良いと思います。
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by rev_ushioda | 2011-12-04 09:47 | Comments(2)

「聴く」

牧師を30年以上していて何度、「最近、説教が変わりましたね」と言われたことかと思います。牧師も色々勉強をしますから、確かに変わらないことはないのですが、しかし、「説教が変わりましたね」と言われるタイミングが、自分が動いた時と明らかに違うのです。
そういう「評価」を聞いて、私は、思い出したことがあります。ある時「パウロの伝道」という講座を開いたことがありましたが、その講座のあと、一人の方が「聖書の文字が大きくなりました!」と目を輝かせて言われたのです。今まで、ぼーと、と言っては失礼ですが、自分なりの基準で聞いていた聖書の言葉が、その講座によって自分の中に受け皿ができて、聖書そのものが言っていることとして聞けるようになった時、文字が大きくなったのです。自分の受け止め方が変わった瞬間、文字が大きくなったのです。
聞き方が変わる、ということがあるのです。今まで何度も聞いたのに、ある日、初めて聞いたように思えることはないでしょうか。つまり、それまでは上の空で聞いていた、ということはないでしょうか。まさか聖書や説教を上の空で聞くことはないにしても、自分とのひっかかりが得られず、ついに聞くことができずにいるということがあるのです。しかし、聞くための器ができると、たとえば自分が苦しんでいるときとか、その時に、語られていることがしっかりと受け止められるようになるのです。同じ聖書の言葉でも、今までは何も響かなかったのに、次に読んだときには大きく響いてくることがあるのです。説教が変わったのではなく、聞き方が変わった、・・・のではないでしょうか。
同じ「聞く」でも、「聴く」という字を使うことがあります。これは、「聴診器」「傾聴」のように使います。自分の先入観、思い込み、価値観を一旦なくして、向き合う対象からそのままに聞くときに使う字です。そのように、私(こちら)が自分を前面に出すのをやめて、語られた言葉の行間を読もうとするほどに聞き取ろう、・・・そうです「聴く」ことができたら、同じ説教は、変わるのです。

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by rev_ushioda | 2011-09-09 17:49 | Comments(2)

「つながりに生きる」

娘の学校の山荘が、清里にあります。
行ってみると自然観察指導員の方がいて、ネイチャー・プログラムというのをやってくれました。ゲーム感覚で自然を見つめるプログラムなのですが、これが楽しかった。その一つに「ミクロ探検隊」というのがあります。虫眼鏡を持って、クモの巣を探しましょう、ジャングルのような苔の森を探しましょう、次は妖精の現れそうな場所を・・とグループごとで探していくのです。虫眼鏡で見る森の中は、肉眼で見るのとはまるで違った世界になります。なぜ、そこが妖精の現れそうな場所なのか、あとで他のグループに説明しますから、それなりの理由を考えるのです。私たちは、こうして、「森」と出会った。
そこで改めて気づいたことがあります。森の中は、小さな苔や、虫たちでいっぱいだということ。そしてその小さな苔や虫たちは、倒れた大きな木を分解して、時間をかけて、やがて大地に返しているのです。小さな生物によって、しかし、大きなすごいドラマがそこには展開されていました。そこで体験したことを漢字一文字で表しましょう、という時間が最後にありました。私は「繋」、つなぐ、つながりという字を書きました。どんなに小さな苔も、虫も、ここでは大事な主役を演じている。脇役などない。そしてその小さな主役たちによって、繋りが生まれている。虫と苔と木と森と、そして大地と、空気とさえも繋がりがある。もっと言えば、過去と今と未来が繋がっている。すばらしいことだと思いました。
私たちは分断化された社会に住み、いつのまにか細切れにして、ものを考えています。国と国、人と人が対立して、お互いの繋がりを考えません。今の時だけは大事にしますが将来に繋がる発想ができません。あのネイチャープログラムを通し、私は次の聖書の言葉を心に留めました。「ユダヤ人もギリシャ人もなく・・あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つ」。私が「繋がり」ということを森の中で気づいたように、キリストの眼差しの中で、私たちは繋がりのある関係を発見し大事にすることができるのです。

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by rev_ushioda | 2011-08-13 21:30 | Comments(0)

「講演会」

「雨のイメージから人の心を考える」という講演会を、心を聴く市民ネットワーク主催で行なった。講師は、聖学院大学大学院准教授である藤掛明先生。
「…あなたの雨にまつわる思い出には、どんなものがあるだろか。大切な日ほど、そして、かけがえのない場面ほど、そのときに雨がふっていたということはないだろうか。…雨のイメージを辿り、味わい直すことで、その人の心の動きが見えてくる。あなたは雨のなか、歯を食いしばって進む人だろうか、雨足を眺めながら雨宿りをする人だろうか。」 なかなかユニークな内容で、ワークを含め、特に雨の中を突破するイメージから、頑張ることについての指摘は、興味深かった。

キリスト者でもある先生の講演は、雨をテーマにしていることや、語り口調が平易で、とても良い講演会であったと思う。近隣の教会の牧師、教会員も、参加してくださった。また、このテーマへの関心か、心を聴くということへの関心か、横浜ケーブルビジョンの取材が入った講演会は、参加者55名。通常30人であるので、今までになく盛況であった。

なお裏話であるが、私は先生との面識がないので講演依頼の連絡先がわからず、苦肉の策、ブログのコメント欄から入って、大変失礼であったにもかかわらず、快くお引き受けいただいて、先生には心から感謝。

もう一つ、これは後日談。
翌週のこと。教会に車椅子を利用される方がおいでになり、帰りは40分ほどの道をご一緒することにした。雲行きが怪しく、夕立が来そうな嫌な気配だったが、案の定、途中で突然ものすごい土砂降りとなってしまった。逃げるまもなく、とはこういうこと。そのまま、そこに立ち尽くすしかない、ものすごい降り方であった。電動車椅子なので、濡れてショートでもしたらいけないと気がかりで、傘はその方の上に、、、となると、いきおい濡れるしかないわけで、あのような「ずぶ濡れ」の経験は、私にとって記憶がある限り、初めてであったかも知れない。目の前が川になった。土が流され、茶色の水が勢いよく流れていく。下水マンホールから水が吹き出る。仕様もなく、その場に立ち尽くし、ひたすら豪雨が去ってくれるのを待つしかなかった。
さて、講演会のチラシには、こう書いてあった。「…あなたの雨にまつわる思い出には、どんなものがあるだろか。大切な日ほど、そして、かけがえのない場面ほど、そのときに雨がふっていたということはないだろうか。…」

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by rev_ushioda | 2011-06-25 10:00 | Comments(0)

クリスマスには、もう一つの物語がある。ヘロデが、ベツレヘムの幼児を殺したという話だ。
ヘロデは「人を送り、…ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」。
王の命令を受けたのは、ヘロデの使者であった。王の命令といえ、よくこのような無惨なことを同胞に対して行えるものだと思う。しかし、一定の状況下では、人間から人間性が奪われるようである。この虐殺事件もそうであるし、軍隊では上官の命令が最優先されるが、そこに異常な事態を引き起こす。いわゆる、「集団ヒステリー」である。

『戦争と罪責』 (野田正彰著、岩波書店) という本がある。精神科医である著者は、戦争における虐殺行為は洋の東西を問わず起こっているが(第二次世界大戦やベトナム戦争など)、欧米ではそれに関わった兵隊たちの10%が精神的なダメージを受けているのに対して、日本軍においてはそのようなことはほとんど起きていないということに注目、聞き取り調査をした。その結果、日本の軍隊には悲しむ心、「共感力」といったものの欠如があったのではないかという結論を得る。だから、殺されてゆく者たちへの感覚が乏しかったのだと。
そして、日本人に感情鈍麻あるいは感情麻痺の傾向を引き起こすのは感情を抑圧しようとする日本の社会構造自体に問題があるのではないかと鋭く分析をしてゆくのである。そして過去を知り、豊かな感情表現を交えて語り合い交流するの中に、感じる心を取り戻してゆくように、と提言している。

ヘロデの使者の中にあったものは、そのまま、私たちのものでもあるということ。そうだとすれば、共感力の欠乏、感情の欠落が、やがて神の子イエス・キリストを、(信仰を!) 簡単に不要としてしまうのである。
私は、共感力の訓練? 気持ちの聴き方に重きを置いた「コイノニア会」を教会で、また、13年間、そのテーマの公開勉強会を、地域の公的施設で行なっている。何かのお役に立てばと願いつつ。

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by rev_ushioda | 2010-12-04 11:34 | Comments(0)

「勉強会の感想」

私は、13年間、「気持ちの聴き方」という公開勉強会を続けてきたが、今回、参加者の感想を載せてみたいと思う。

Aさん:
毎回、温かいお茶を頂き、少しほっと一息ついた後の講座開始。静かな雰囲気の中でニーバーの祈りを皆で賛唱し、私にとっては初めての経験ばかりでした。
未熟ながら子育て支援で色々な相談を受けながら自分自身のもやもやした気持ちや同僚との考え方の違いに気づき、この講座の参加を勧めてもらいました。話す側も聞く側もいろいろな考え方や感情があって当然だということに10回を通して強く感じました。また、会話記録やロールプレイといった実践においては日常の自分の会話、話の聴き方の特徴また性格的なものまでが手に取るように気がつくことばかりでした。聞き手はついつい良い言葉や助言を言うことに力をそそぎがちになりますが、相手はそれを求めているのではないなあ。と勉強させられました。
「気づき」。これは聞き手側がいかに必要なものか。まずは相手の話を聴きながら、自分の心の揺れ、感情に素直に耳を傾けることが必要なのではないかと漠然としていますが、この講座で感じました。

Bさん:
「心を聴く」の講座では、相手の心に寄り添い話を聴くことの大切さをいろいろな角度から指摘があり、話し合い、ロールプレイの活動では、問いかけに対して自分の問題として受け止めながら自己反省できました。
話を聴く時は、相手の土俵の中に入って聴くことと度々話がありましたが、私の場合は相手から発せられる10パーセントの言葉のみ聞き取り、いかに自分が相手の身になって聴いていないかということに気付かされました。
「あなた、それは、どうなった。それからどうした。」と話の事柄を分析し、診断をし、「それは、こうでしょう。こうしたら。」と自分の考えで提案、説教、解決、尋問を繰り返し自己満足していたように思います。友人に「あなたは、人の話を聞かないよ。」と言われたことがありましたが、学んだ今はその意味が少し理解できたように思います。
自分が話す場合も「どんなことがあり、どうしたか。そしてどう実行したいか。」と自分の思いや感じ方を自分の言葉で表現する事を省くことが多かったように思います。
講座で先生から「今は、どんな感じですか。」と聞かれたとき私は、開始時刻に遅れた理由と途中で出会った知人のことを順序良く報告していました。再度、「今は、どんな気持ちですか。」と聴かれた時も「話したのになぜ。」と疑問が残り、聴かれたことは起きた出来事ではないとうことに気づいていませんでした。この両サイドからのコミュニケーションの仕方を今後意識して心がけてみたいと思います。そのことにより、相手の言葉の裏に流れる思いや感じ方が話の言葉だけでなく表情や話しぶりや態度と合わせて少しずつ聴き取れるのではないかと信じています。
この講座では、毎回楽しい雰囲気の中、たくさんの収穫を得ることができ、嬉しく思っています。そして、この学んだことを毎日の生活の中で生かせるようになりたいと願っています。長い期間にわたっていろいろと示唆をいただきましてありがとうございました。

次回、2011年5月16日開講。1回2時間、全10回(全5,000円)

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by rev_ushioda | 2010-12-01 17:43 | Comments(0)

「ブラジルに無事到着」

今、妻から電話があった。

ブラジルのバイア州ジョタカ村、マッタ・デ・サン・ジョアンからである。5時間ほど前に無事に着いたとのこと。

水曜日午後3時に成田を発って、5時間前というと、金曜日の早朝4時・・・日本からブラジルまで、一日半の行程だ!う~ん、遠い。というか、今、妻がいるところはこの地面の下だなんて、今までの海外旅行とは違う、不思議な感覚である。一行4人はといえば、時差のために数日、かなり眠いことだろう。そのまま、夢心地のブラジル滞在にならないようにと、思う。来週の土曜日に帰宅するが、石塚先生ご夫妻、そして教会の皆さんとも、良い交わりができるといい。
電話は、いつも使っている携帯電話からだ。すごいな、便利だな、でも、通信費は高いだろうな。なんて。

今居るところ → グーグル地図 (左上のマイナス記号を押していくと、ブラジル全体が見えてきます。写真モードにするとイメージがわかります)

このブログも参照 → ブラジル・バイア・ジョタカ村からボンジーヤ

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by rev_ushioda | 2010-11-26 09:25 | Comments(2)

「老人会のお誘いを…」

教会周辺の老人会の方が、訪ねて来られた。

「老人会に関心があると近所の方からききましたので…」
「え~と、お誘いになっているのは、誰のことでしょうか」
「おたくです」
「えっ、わたしですか」

もう60歳、老人会の話が出る、そういう歳なのか、と思いを新たにした。年齢は関係ないのです、という説明ではあったが、老人会からの誘いを受けるとは、これはいささかショックな話であった。
しかし、まあ、教会と地域との関係を深めるには、いい話かも知れない。話をきいたら、実際は活動時間が礼拝と重なっているので、難しそうではあるが。

追記:私が 「老人会に関心がある」とは、近所の誰が言ったのだろうか?? 言った覚えはない。まあ、いいか。主が、そうされたのだろう。活動は無理でも、まずは名前だけでもということで、前向きに考えることにしようか…

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by rev_ushioda | 2010-09-29 18:45 | Comments(2)

「自分本位の挨拶言葉」

 ほらせい春のたび立ち!
 まっかな太陽
 のぼる太陽
 でっかい太陽
 ほらせい春のたび立ち!
 でっかいあお空
 高いあお空
 まっさおな空
 ほらせい春のたび立ち!
 かなしい気がする
 うれしい気がする
 不安な気がする
 ほらせい春のたび立ち!
            (「ぼくは12歳」より)

「ほらせい春のたび立ち! 」と言いながら、 「かなしい気がする 」と続く。旅立ちに伴う不安は分かるが、悲しい気がするというのは、どういうことだろう。これはもう、本人にきくしかない。しかし、私たちは、自分の分かる範囲できこうとしているのではないか。わかる範囲には、「悲しみ」はないのである。だから、一瞬驚くか、えっと思うが、そのまま無視して通り過ぎようとする。
そういえば、私に孫が生まれたとき、皆さんは「うれしいでしょう?」と言われるのに、私の心のどこかを「寂しさ」「悲しさ」が通り過ぎていった。思いがけない感情であった。自分なりに思い返してみると、それは世代交代、つまり私の世代の終わりを見た瞬間であった。何とも悲しい、寂しい気持ちであった。

私たちは相手の気持ちを大事にするというより、聞き手の立場で他人を見ているのである。最近、新聞の取材を受けた。原稿を事前にチェックさせてもらったが、文章の中に「燃え尽き」という言葉があった。「途方に暮れた」とは言ったが、「燃え尽きた」とは言わなかった。なるほど、記者はそういう流行の言葉でまとめたいのかなあと思った。これもまた、聞き手本意である。

「お元気ですか」「ご健勝のことと存じます」「頑張ってね」「いいお天気ですね」もみな、聞き手の立場でものを言っている。元気と言われれば、その枠で答えなければならない。十分頑張っている人に頑張ってと言ったところで、どう頑張ったらいいのか。気持ちが沈んでいる人に、「いいお天気」はない。気持ちは、曇っているか、嵐か、なのである。

このように私たちの挨拶の言葉は、聞き手の立場でしか、ものを言っていない。
相手の立場に立ったら、どういう言葉になるのだろうか。青春の旅立ちに、「悲しみ」があるのである。それを聴かなければならない。

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by rev_ushioda | 2010-09-22 20:00 | Comments(0)

「講演会レジメ」

今日、地元の電話相談主催の講演に招かれて、若葉台地域ケアプラザというところに行ってきた。事前打合せでは30人来てくれれば、という話であったので35部の資料をお持ちしたが、51名の参加者であった。主催者側も大慌てで机を運び込んだり増刷したり、大変そうだった。
講演題だけでこれだけ集まるということは、下の題に関心のある人は、意外と多いのだ。以下、2時間のおはなしのレジメ

“聴く”という尊い奉仕
「若葉台何でも相談」研修 ・ 一般講演会
2010年9月7日 13:30-15:30

序.いい話には「裏」がある
  ・電車の高校生

1.受容・共感(確認)

  ・うなずき/あいづち
  ・内容の繰り返し   

(1)立場、環境、事実を受け止める
  ・林郁夫被告
  ・べテルの家
  
(2)感情を受け止める
  ・感情の反射     
  ・感情を開く質問   
  ・感情の明確化    
   
  ・外側・内側の理解  
  ・会話事例      


2.コミュニケーションを阻む障害
  ・ワーク
  ・百万円の値打ち


3. 会話事例


まとめ
  ・境界線争いと大岡裁き
   さしもの大岡裁きでも落着しない人の気持ち

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by rev_ushioda | 2010-09-07 17:40 | Comments(2)