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# by rev_ushioda | 2016-01-01 16:24 | Comments(0)

「今年最後の書き込み」

9月以降、投稿が少なくなってしまった。

振り返ってみると、母の介護が影響したようだ。投稿をバロメータとして、やはりあちこち余裕がなかったということだろうか。
そういう中でも、果物は季節になれば実をみのらせる。梅、夏みかん、ゆず等、我が家の庭になる。最近は、下処理をして冷凍し、時間をみつけては解凍してジャム作りをしたことで、少しは気分転換になっただろうか。趣味の旧街道にも立てない毎日だから、何も考えないでジャムを作ることが、一番いいリフレッシュになる。
問題は買ってくれる人がいることだが、年末、年始は人と出会うチャンスがなくなるので、作っても買ってくれる人がいない。しばらくストックが増えるだろう。

今年は安保法案が通過した歴史に負の節目を作ってしまった年で、私自身も相当力んだ1年であったが、最後の1週間は、力を抜いて過ごしている。しかも、2016年は元旦礼拝がない。かつ、希望としては週の前半、― 妹がいる間に ― 思い切って街道に行こうと思ったから(実現はできなかったが)、説教も目星をつけていたため、今年最後の週は比較的余裕をもって過ごしている。会計処理、その他、事務処理の合間に月曜日にはジャムをつくり、今日も普段できなかった家の周りの木の枝の処理をした。

来る2016年は、私の規定上の定年の年である。さらに延長はするが、ついにそういう年を迎えるかという、あれこれの思いを巡らせながら、今年はこの書き込みを今年最後にする。

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# by rev_ushioda | 2015-12-30 18:10 | Comments(0)

「介護の日々」

つらい言葉三つ。いや、四つ。

97歳になって体が急速に衰え、「要介護4」になったわたしの母に、時々来るひ孫が言って帰る。
「早く、良くなってね。」
良くなる、なんていうことはない。何ともいえず、つらくなる。

最近、体が痛いと毎日のように言う。
往診に来た、かかりつけの医師にかすれ声で母が言った。
「先生、ずいぶん前ですが、先生に言ったこと、覚えてますか?」
「痛い、痛いと言うようになったら、そのまま・・・ という話です。」
「よろしくお願いします。」
・・と。

今日、呼び出しベルが鳴ったので、妹が行ってみると、母いわく、
「鍋の火をつけっぱなしで部屋に来ちゃった、消してもらおうと思って。」
「と思ったけど、夢だったみたい(笑)」
それを聞いて、ぐぐっと、来た。涙が溢れた。

おむつを替えていると、時々、母が言う。
「いつまで、こうしていなければいけないんだろうかね。」
一瞬、言葉が詰まる。
お前、牧師じゃないか、カウンセリングもしているのに・・ 聞こえてくる声に、母の前では、無力な自分しかいない。― 「ずいぶんお世話になったんだから、今、しっかりお礼させてよ。」


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# by rev_ushioda | 2015-12-28 23:29 | Comments(1)

「神の言葉は動く」

私は、希望が丘教会の礼拝人数が激減し、最低を記録した年に教会に導かれました。その時のチラシには「あなたの悩みは解決できたか」と書かれていましたが、この言葉は、礼拝人数が下がり続ける教会が、自分に向かって言うような状況だったと思います。
当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声もあったのです。しかし、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、口語訳)。この言葉に励まされて、チラシを準備して出て行った、と聞きました。そこで配ったチラシの一枚が、私を捕えたのです。
教会に行って初めて聞く言葉は、高校生の私にはほとんど分かりませんでした。しかしそれでも教会に行き続けた理由は、いろいろあるにしても、やはり最終的には聖書の言葉だったと思います。私は聖書の言葉と対話していたのだと、振り返ってみて今、思うのです。確かに教会はいろいろな試みをします。しかし、そのすること(しないことも含めて)それが、人を動かすことはないのです。聖書の言葉が人を動かすのです。そうであるなら、テアトルフォンテに出て行って聖書会をしたように、あるいは家庭集会でもいいのです。聖書の言葉を読む場を、紹介する場を、多く設ければいいのです。その場があれば、聖書の言葉、神の言葉は、みずから動き出すでしょう。

「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ書55章11節)

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# by rev_ushioda | 2015-12-01 21:55 | Comments(0)

「介護の大変さ」

娘がわたしの母のベッドのそばに立ち、車いすに移動させようとしていた時のこと。
ちょっと動かせば、痛い、痛いと言う母の前で、一瞬、動きが止まった。「もう、いや・・」と涙を流している。その娘の姿を見て、ああ、もうこれ以上、わたしの母の介護のために娘に頼ることはやめようと思った。わたしの母である。わたしが最後まで面倒看よう。
日曜日の朝だった。休暇で家にいるという娘に母を頼んで、夫婦で教会に行く直前のことであったが、妻に、あなたは今日は家にいてほしい。そう言って、一人、教会に向かった。妻は、礼拝に来る教会の仲間を迎えられない。わたしはオルガンを弾かなければならない・・ まさか、ね。教会に行き、急ぎ、ヒムプレイヤーをセットした。とにかく、こんな日曜日がこれからも続くのだと思った。ダメ押しするかのように、この日の礼拝は、12人、最少人数だった。
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# by rev_ushioda | 2015-11-30 23:55 | Comments(0)

「ついに腰を痛め」

ちょっと手を伸ばして物を取ろうとしたとき、腰が痛い、と感じた。そのあと、痛くて歩けなくなった。それが、夕べ。今朝になってみたら、ベッドから起き上がれない。出かけなければならなかったので、ようやく立ち上がって今、一日を終えようとしているが、座った姿勢から立ち上がるまで、時間がかかる。
母の介護が原因ではなく、直接の原因は変な姿勢で物を取ろうとしたからであるが、今日、いつものように介護態勢に入っても、腰に力が入らないところを見ると、腰にそれほど負荷がかかっていたのだと分かった。

う~ん、今後の長期戦にどう備えたらいいのか・・ あの家庭、この家庭と、介護家庭の大変さを、改めて感じる。

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# by rev_ushioda | 2015-11-25 21:05 | Comments(4)

少年サムエルは、エリ先生から呼ばれたと思って、行って、言いました。「お呼びになったので参りました。」すると「わたしは呼んでいない。」そういうことが3回繰り返されました。そしてついにエリ先生は、サムエルを呼んだのは神であると悟り、戻って神の言葉に聞くようにと、サムエルに言うのです。

神が呼んでいてくださるのに、どこかほかのところに行って、あるいは誰かのところに行って、そこで「呼ばれた」と思う子どもが出て来ないでしょうか。
そこで「わたしは呼んでいない。」と親切に言ってくれるならいいのです。しかし、現実は果たしてどうかと言えば、子どもの魂を支配して無気力、無責任、怠惰に陥れようと誘惑する者がいるのです。親が、神に呼ばれる声がどういう声かを「幼い日から」知らせていないと、子どもは、どこか、とんでもない所に行って、言うのです。
「お呼びになったので参りました。」
そこに行ったばかりに神ならぬものに支配され、現代社会においては、くやしい思いに打ちのめされ、涙することになるだけでなく、人生を台なしにしてしまうことも起こるのではありませんか。その人の人生を召命する(招く)方の前にしっかり立たなければいけない時に、違う場所に立ってはいけないのです。
だから、親は、神に呼ばれる声がどういう声かを「幼い日から」知らせる責任があります。それは、毎週、親子で礼拝に一緒に行く以外にありません。親の都合で行ったり行かなかったりするうちに、子どもは、すでにいろいろな声を聞いているのです。すでに、そこに呼ばれていると思っているのです。そのように成長しているのです。

親子で神の言葉を聞くという、礼拝生活を始めましょう。

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
旧約聖書 コヘレトの言葉12章1節

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# by rev_ushioda | 2015-11-12 17:22 | Comments(0)

「何が偶像か」

イスラム教過激組織IS(イスラミック・ステート)によって、ベル遺跡が破壊されたらしいというニュースが伝わってきました。ベルとは、旧約聖書に何度も出て来る「バアル」のことです。バアル神殿が栄えていた時代があったのですが、それは今、遺跡でしか見ることが出来ません。偶像だ、ということで破壊されたのは、明らかに遺跡です。遺跡さえ偶像と言って破壊するISには、他宗教を信じる人はもとより、他の生き方を受け入れる余地など、微塵もありません。支配地域では、人間らしく生きる権利が踏みにじられているようです。
ISに限らず、「こうあるべきだ」「こうすべきだ」「ねばならない」「いけない」「ダメだ」と、この世は、人を支配する言葉、人間的原理で溢れかえっています。自分を基準にして、相手を量っているのです。それはまさにこの世の原理なのであって、それこそが偶像であり、信仰者であっても落ち込む罠であることは、律法学者たちとファリサイ派の人々をみれば分かります。
それはまた、私たちが自分自身の経験や考え方を基準にするなら、教会にも簡単に持ち込まれるのです。うかうかすると、私たちもまたIS同様、何でもないものを、それは偶像であると口にしてしまうのです。そして、他者を破壊します。そのように言う言葉じたいが、また「言葉の偶像」(自分の言葉を信仰の言葉のように言うこと)となっていくのです。…
この世の中で普通であった、人を支配する「言葉の偶像」を捨てなければ(出エジプトしなければ!)福音に生きることは出来ません。『十戒』は、何よりもあなたの偶像を捨てるようにと、自分自身に向かって言う言葉です。この言葉を人に向かわせさえしなければ、出エジプトした“私”が福音に生きる大事な指針になるでしょう。

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# by rev_ushioda | 2015-10-30 06:31 | Comments(0)

「介護で初めてのこと」

9月以降、介護を必要とするようになった母のことは、事業所(ケアマネージャー)への相談から始まって、役所への介護申請、1か月でさらに介護度が進行したので、再申請をした。その間、介護機器の契約、搬入、不要になったものの撤去、ヘルパー契約、訪問入浴契約、訪問看護契約、かかりつけの医師との連絡、往診、さらには日常的な下の世話、今日は誰が来る日だなど、私自身はフレンドシップあさひの運営委員をしていたが、実際はこんなに大変なのだと初めてのように介護の大変さを認識している。そういうわけで、なかなか自分のペースが確保できないまま、推移している状況である。
先週からヘルパーに入っていただき、きのうは、初めての訪問入浴であった。介護度だけでなく、認知度も若干進んでいるような感じで、母自身もたぶん何が起こっているか、認識するのが難しくなりつつある。入浴の感想を聞いたが、「頭が…」 言葉が続かない。1か月半ぶりのお風呂だったので、気持ちよかっただろうと家族は思ってはいたが、何か、気になることがあったのだろう。言葉もまた、急に衰えているようだ。

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# by rev_ushioda | 2015-10-21 06:31 | Comments(0)

「かんらん聖書研究会」

きょう、母校である関東学院大学に行った。駅から歩いて母校に向かったのは卒業以来で、42年ぶりであった。宗教センターから呼び出されたのだ。

関東学院大学に入学したとき、いわゆる「学園紛争」まっただ中であった。前年、東大安田講堂が学生によってバリケード封鎖された。翌年の関東学院大学の入試はキャンパスで実施できず他校で行ったが、そこに全共闘の学生が乱入、試験は実施できず書類選考となった。そういう中で入学しても、毎日が討論集会で授業はほとんど行われなかった、大衆団交というのもあった。学長相手に堂々と渡り合う学生リーダーには、そこまでいくと、もう感心するしかなかった。建ったばかりの事務棟の1号館はバリケード封鎖され、ヘルメット姿の学生が機動隊とにらみあっていた。

そういう紛争の嵐のまっただ中の1969年に、私は大学に入学した。きょう知ったのだが、その年、初代学長であった坂田祐先生がなくなった。そしてその年、小さな二つの動きがあった。一つは、大学の状況を憂いた教職員による聖書研究会がスタートしたこと。もう一つは、それとはまったく脈略なく、一人の学生が同じ教会に属する教員に呼びかけ、学内で祈祷会を始めたこと。翌年、私がそこに参加し、ほかにさらに一人が参加して聖書研究会がスタートした。皆で、名称を「かんらん聖書研究会」とした。

きょう母校に行ったのは、この「かんらん聖書研究会」初期のメンバーと現在のメンバー代表と一緒に写真を撮りたいという宗教センター職員の要請によるものであった。

わたしたちは大学を卒業したとき、実は、後継者を残すことに失敗した(と思っていた)。しかし、この名称で今日まで40年を越えて続いていたのである。どうして続いたのか、分からない。しかし、キリスト者として立派であった坂田初代学長がなくなった年に、はからずも聖書を読む二つの小さな芽が出て、それが共に今日まで続いているのだ。不思議なことだなあと思いつつ、帰路に着いた。
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# by rev_ushioda | 2015-10-19 22:03 | Comments(0)