映画「小さき声のカノン」を観た。
監督は言っている。
「2011年3.11以後の世界を生きている私たちはかつてない放射能汚染を受けることとなりました。時の経過と共に大きな声に流される人々が多数を占めていく中でこのような母親たちの小さな声がかき消されていこうとしています。今、子どもたちを守ろうとする母親たちの声に耳を傾けていただきたい、とこの映画をつくることにしました。」

映画の中で女性が言っていた。「(親戚を頼って)逃げることはできるのです。でも、逃げることができないのです。」生活の場とは、そういうものだ。生活の場に生きようとする人の言葉が胸に突き刺さる。
また、そこで生きることを決断した人たちは、自分で除染をおこなわなければ、子どもたちの将来を守れないという、国の無能、無策。放射能の安全基準を引き上げて安全だと言うが、その数字は3.11以前は放射線管理区域内レベルとされてきたものだ。また、安全も確保できないのに、学校教育をスタートさせる。避難先の人たちは少数派になりたくないから、安全ではないと知りながら帰郷せざるを得ない。人々にこうした行動をとらせる国の欺瞞に、いまさらながら、腹が立つ。
今回、放射線に特に弱い子どもたちを、「保養させる」という、息の長い活動のあることを知った。志を持って助ける手を差し伸べる民間の力を知って、救われる思いがした。5年がたち、今、何ができるだろうか考えさせられる良い映画(ドキュメンタリー)だった。



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# by rev_ushioda | 2016-03-08 19:00 | Comments(0)

「和泉ジャム」

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# by rev_ushioda | 2016-03-06 22:28 | Comments(0)

「不安の時の祈り」

MRI検査を前にして、不安で、どう祈ったらよいでしょうか、というメールがあり、次のように返信させていただいた。

わたしの体は、髪の毛一本、毛細血管の先端、細胞の一つまで、主がお造りになったものです。あなたがわたしの体のすべての支配者であって、他の何者も手を触れることは出来ません。

わたしの感情もまた、あなたが支配してくださる。今、恐ろしい思いがありますが、それさえも私を支配することは出来ないのです。
わたしを支配しようとする、いっときの支配者よ、行け!
わたしは、わたしのすべてを知り、わたしのすべての支配者である、あなたのみ手に今、すべてを委ねます。

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# by rev_ushioda | 2016-03-05 10:43 | Comments(0)

「霊的ということ」

霊的という言葉が、教会では使われます。広辞苑をひくと「精神に関するさま。神聖で清らかなさま。」とあります。」新明解国語辞典は「霊に関すること。⇔肉的」と書いてあります。何か信仰深そうな、敬虔そうな、あるいは神秘的ともいえそうなニュアンスを受けます。
そうなると、霊的の反対は、世俗、肉的ということになり、私なんか世俗的で…、という言葉が聞かれることになるのです。聖書を良く知り、良く祈る、そういう人が霊的だと理解されていて、私なんかとても、という気持ちになるかも知れません。
しかし、霊的とは、主イエスの目で物事を見つめることが出来る力を持つこと、なのです。しかも、それは与えられる(受ける)ものであって、自分の清さとか信仰の深さによるものではないのです。

「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、「霊」が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章2~4節)

ですから、霊的というのは、何者かにならなければいけないとか、こちらに何か備わっていなければならないとか、何かしなければならないとか、そんなことではないのです。政治の世界に生きる人も、科学の世界に生きる人も、サラリーマン、技術者、教育者、自営業の人であっても、そして子育てに追われる人であっても、そういうどんな「世俗」に生きていたとしても、主イエスの目で世界を見つめ、人間を見つめることが出来れば、その人が、霊的な人なのです。私たちは主イエスの目で世界を見つめ、人間を見つめて、霊的に生きて行きたいと思うのです。

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# by rev_ushioda | 2016-03-04 10:21 | Comments(0)

この時期、試験の話が多いが、今日、一つの合格の知らせを受け取った。
「この度、所定の手続きを経て、正教師試験に合格なさいました。第67回教団総会において 3月16日に正教師按手式が行われます…」
日本同盟基督教団理事会からとある。娘婿の牧師試験合格通知である。
思えば、結婚のとき、娘の将来が案じられ、「君は牧師にはならないよね」と訊いた。それから10年目のことになった。はからずも私の規定上の定年退職の年だ。(実際は定年延長していくのだが)
娘が牧師夫人の立場になることを、その喜び以上に苦労と涙を知ればこそ、何よりも案じていたが、すべてがみこころなのだろう。人には断定的に言える言葉も、こういう場合は、「だろう」になってしまう。「アバ、父よ」である。

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# by rev_ushioda | 2016-02-26 20:05 | Comments(0)

「眼鏡がない」

20年来の愛用の眼鏡を、去年12月に無くしてしまった。大騒ぎして探したが、見つからなかった。(T_T)
とほほ…

間に合わせに百均の眼鏡を使ってみたら、6、7個のうち、一つが今までとほぼ同じ感じで使うことができたので、眼鏡なんて100円でいいんだよとかうそぶいていたら、数日前に、それも、また無くしてしまった。またまた、大騒ぎして探したが、見つからなかった。(++)
とほほ…

たまらず、眼鏡屋さんに行って、1万円の眼鏡をゲット。

翌日、

それがどうしても見つからない。(-"-)
とほほ… 再び眼鏡屋さんに行ったら、1,000円値引いてくれた。(2個目だから?お見舞い?)

数週間後の後日談。
何と、それがまたまた、見つからない… (-"-) (+o+)

何? 認知の始まり?? いつ頃から?と訊かれる日のために、メモっておこう。^^;
今、65歳1か月。

後日談の後日談。
100円の眼鏡と、二つ目に作った眼鏡は、何とかみつかった。前者はコートの内ポケットに、後者は玄関先の泥除けの隙間に落ちていた。

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# by rev_ushioda | 2016-02-09 14:28 | Comments(0)

「関東学院大学と私」

私は47年前の1969年、学生運動まっただ中、関東学院大学に入学しました。その年の1月には東京大学では世に言う「安田講堂事件」があり、関東学院大学も例外ではなく、大荒れの中、入試も他の学校を借りて行われましたがデモ隊乱入によって試験が中止になり、書類選考に替わったのです。入学してみれば校内は立て看板の乱立、旧1号館(事務棟)はバリケード封鎖されており、7号館前の中庭では、連日ヘルメットをかぶった学生が集会を開き、ジグザグデモを行っていました。関東学院大学は、共産同赤軍派の拠点校とか聞いていました。とにかく色々なセクトが活動していましたから、大学前を流れる侍従川の川向うに機動隊が待機、また火炎瓶が飛び交う様も、見たことがあります。当然のことながら一年次は、毎日が、討論会。授業など、まともにできませんでした。
そういう中で、私を誘う友があり、出会った仲間数人と共に祈り会(聖書研究会)を始めることになりました。校章のオリーブにちなんで自分たちの活動を「かんらん聖書研究会」と名付けました。こうして学生運動で殺伐としたキャンパスの中庭で、数人の小さな祈りの集会が始まりました。時には、当時はまだあった木造校舎の教室を借りたこともありました。また、当時の神学部チャペルで伝道集会を開催したこともあります。チラシを配っていたら、どこかのセクトと間違われました。小さな集まりに終始しましたが、短大のYWCAとも交わりが生まれ、卒業時にYWCAの友が佐渡に帰郷する際、一緒に行って佐渡伝道を試みたことは、今は遠い記憶です。結局、「かんらん聖書研究会」には後継者を残すことが出来なかったと悔やんでいましたが、どういう次第か分かりませんが、何と、この活動はその後45年間、現在も続いており、現在は大学宗教センターに所属しているサークル活動となっているのです。
最近分かったのは、その同じ年、実は教職員の中にも、学校の実情を憂えて、教職員の聖書研究会が発足していたのです。そして、学院長の坂田祐(たすく)先生が亡くなったのも、その年だったということを、今回、宗教センターで伺いました。一つの祈りが二つの活動に引き継がれたのだと語る言葉は、喜びに溢れています。はからずも初代院長の祈りが、それぞれに何の脈絡はないものの、こうして今も二つの小さな枝に受け継がれて今日に至っていることは、不思議と言うほかありません。
私は1年次に洗礼を受けキリスト者になり、大学を卒業して2年後に神学校に進み、牧師になって今日に至っていますが、思えば関東学院大学では学生運動の嵐の中、友を得て、まだ誰にも認知されていない聖書の学び会を共にしたことは大学時代の熱い思い出です。

(1973年3月 工学部機械工学科卒業)

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# by rev_ushioda | 2016-02-02 23:20 | Comments(2)

「祝 伝道教会設立」

あさひ伝道所は、2016年1月31日、伝道教会設立式を迎えます。伝道教会設立というのは、手続き的には種別変更というもので、意味は、組織自立です。ここで自分たちの中に長老(役員)を立て、その長老が牧師を招聘し、一人前の教会になる、というものです。
伝道教会は、通常、経済的な課題を残すことが多く、その課題をクリアすべく、次の種別変更を目指します。その課題が満たされたら、そこで初めて種別が「教会」になるのです。実は、ここに設立されるあさひ伝道教会は、すでに援助金を受けず、経済的には自立していますので、ここで一気に「教会」となることも出来ましたが、丁寧にステップを踏んで行きたいという牧師の思いがあって、今回のように段階を踏みました。
ところで組織自立(伝道教会設立)とか一人前の教会になる、と言いましたが、その場合「伝道所規定」から考えると、伝道教会は20人の活動会員がいなければならないことになっています。そこで「一人前の教会」の意味は、次のようになります。
第一に、その20人に、責任を持って教会の経済的な課題を考える力があると期待されている、ということです。
第二に、その20人に、責任をもって包括的な組織である「中会」に関わる力があると期待されている、ということです。あさひ伝道教会は次の中会会議に、代議員を送ることになります。
第三に、以上のことを言い換えると、その20人に社会的な責任を果たす力があると期待されている、ということです。教会内だけにとどまらず、教会の外に向かって、「大人」としての言葉と行動を求められます。
20人いれば、いろいろ考える力がある、関わりを持つ力がある、社会的な責任を果たす力がある。まさに成人式を迎えるということです。そして何よりも、設立された小会は、ふさわしい者に洗礼を授けることを承認するという、この上なく厳粛な、しかし、この上なく喜ばしい、神の国の国境を拡げる働きに遣わされることになるのです。
あさひ伝道教会の皆さんの上に、これからの教会の歩みの上に、主イエスさまの祝福をお祈りいたします。

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# by rev_ushioda | 2016-01-28 22:31 | Comments(0)

「ピンポーン」

ピンポーン うんち
ピンポーン カイロが冷たくなったから替えてほしい
ピンポーン 脚が痛いから薬を
ピンポーン また、うんちみたい
ピンポーン ・〇〇取ってほしい
ピンポーン

  ハハ ^^; 今日は呼び出しが多いみたい。1時間おきじゃない?

悪いねえ。

  そんなことないけど。
  朝4時は、ちょっと眠たいかな…

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# by rev_ushioda | 2016-01-27 22:32 | Comments(0)

今日、母校 関東学院大学のチャペル説教に招かれた。
昨年、かんらん聖書研究会の初期メンバーとして話を聞きたいということで、卒業以来42年ぶりに母校を訪れたが、その関係で今日のチャペルでのご奉仕となった。
下の写真、キャンパス中央の大きなビルの右手にあるのが礼拝堂である。これで見ると小さいが、非常に大きな礼拝堂である。

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# by rev_ushioda | 2016-01-12 20:54 | Comments(0)