「美術館で思ったこと」

某大学後援会の親睦旅行で、箱根に行った。参加者8人で小回りが利く、というわけで、小田原城、地球博物館、「えれんなごっそ」で昼食、石垣山城(車中見学)、ポーラ美術館、ラリック美術館という豪華コースとなった。
ポーラ美術館、ラリック美術館は、よく夫婦で箱根に行くが、気になりつつも、それぞれ1800円、1500円と高いので、毎回、「まあ、いいか」と横目で見るばかりだった。今回、親睦旅行の勢いで入館。いい機会だった。
ポーラ美術館は、まず、建物が山間の斜面に建てられていて、だから緑に包まれており、その透明感あふれるエントランスは、建築的にも実にすばらしい。さっそく一回り見学して出てきたら、それは第一展示室で、まだ第5展示室まであるという。その広さに驚いた。建物周辺には林の中に散策コースがある。美術作品で飽和状態になった頭を休めるのにいいと思ったが、さすがにその時間がなく、残念だった。行かれなかったところに後ろ髪をひかれるようだ。
次のラリック美術館はガラス工芸品の展示で、二つの美美術館だけで、見慣れないものを観た私のあたまは、あふれかえった。
さて、ゴッホの絵を観た後の車中で、「子どもってなぜ、すぐに絵を描けるんだろうね」という話になった。一人の人が言った。「大人は結果から考えるからで、子どもは結果を考えず、直感で描くんじゃない?」  なるほど、娘が昔、描いた絵はゴッホの絵と似ていて、結果から描いたとは思えない。今も、額に入れてとってあるが、既成概念を壊すゴッホの絵には、結果ではなく、その「直感」があるのだろうと思った。。
ところで、絵には皆、立派な額縁がつけられている。美術館は額縁ごと購入したそうだ。しかしその絵の作者は、その絵がその額縁に収められることに、果たして納得しているのだろうかという疑問がわいた。もしかしたら、絵の作者の意図に反した額に入れていないだろうか。それによって絵の価値を下げていることはないだろうか。絵を観ながら、絵そのものの値打ちが分からない者だから、そんなことばかり思っていた。

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# by rev_ushioda | 2016-09-11 23:20 | Comments(0)

「お祈りください」

入院、手術の日が決まったとメールくださったK先生。
「転移はないけれど、気になるのは腎臓の機能低下があり、再検査の結果、手術日が変動するかもしれない」ということ。

以下、返信。

先日、教会員の姉妹と同じ職場で働いているという、これから腎臓の手術をする方が、教会を訪ねて来られました。不安で、その友人の前で大泣きしてしまったと言っていました。
しかし、この人は昔、何かの時に聖書が当って、今も取ってある、と聞いた教会員の姉妹は、あなた大丈夫、と言ったそうです。聖書を持っているだけで、あなた大丈夫と。そしてその人は、教会を訪ねてみたい、と言ったのだそうです。
教会を訪ねて来られた日の夜から、食べれていなかった食事ができるようになった。以後、食事がのどを通るようになったと、後日のメール。
先生も、聖書を持っておられると思います(^O^)  先生、大丈夫。
小噺でした。
潮田



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# by rev_ushioda | 2016-08-31 21:04 | Comments(0)

サムエルナイト

教会で一泊する子ども行事は、今回、初めてだった。名づけて「サムエルナイト」。サムエルのように、神の声を聞き分ける子どもになろう、神の言葉をもって悪と戦う騎士になろう、という意味をかけ合わせた命名である。
礼拝の後、さっそく宮沢親水公園に行ったが、和泉川に沿った広大な公園である。本流のそばに写真のような支流があって、きれいな水が流れている。そこでザリガニがたくさん採れる。エサで岩の下からおびき出すのだが、その加減が子どもは分からない。じっと忍耐するのが、小さな子どもにはなかなか出来ない。夢中になったのは、大人だったかも。

ところで、

広場でボール蹴りをしていて、蹴ったつもりが、ひっくり返った。教会に戻って、今度は階段から踏み外した。かくして今回、二度、倒れた。65歳の年齢を強く意識せざるをえなかった。そもそも、そういうことを感じ始めていたので「一泊」というのも「気遅れ」していて、私の提案ではなかった。共に動いてくれる人があってこそ、出来上がるというものだ。それこそ音楽プログラムは無理ということで、早々に他教会の人に応援を求めたのが功を奏し、大盛り上がりとなった。出来ないことが多くなる。その分、人に頼むことが多くなる。それが、良い結果を生む。ということだろう。
階段から落ちた痛みは、当初の打撲痛から、4日経ってみると今度は筋肉痛のような形でその痛みが増してきた。母の介護もあるし、体の弱いところをかばっている結果、筋肉痛になっているのかもしれない。立ったり座ったりがきつい。整形を受診。骨に異常なしということで安心。やはり落ちたときに体をかばった動きをしたための筋肉痛のようだ。
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# by rev_ushioda | 2016-08-16 17:18 | キリスト教 | Comments(0)

「半世紀の感覚」

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」 ゴシック">48年前の遠方、である。私が初めて教会行った時に、その教会付属幼児園の教師として、その方は仕事をされていた。1年間、教会学校教師会でご一緒した。と言っても、こちらは大学生。教会に初めて行って半年目のことだ。当然、洗礼を受ける前である。信仰を知らない者に教師になってほしいと言われた、当時、T牧師の、良くも悪しくもその度胸はたいしたものである。私はと言えば、いいんですか?とは言ったものの、若気の至り。キリスト者でもないのに教会学校の教師面していた、にきびだらけの大学生であった.
その友は、今も、当時出会ったなつかしい方々の一人として記憶に留めていたのであるが、ある日、友人が自分の教会に、昔、その教会で幼児園教師をしていた人がいる。会いたいと言っている、会いますか? と言うのだ。不思議な巡り合わせと言うが、そういうわけで、48年という遠方から、その方が現れた。当時のことで話は盛り上がるが、目の前には、私よりも10歳年上の、初老のご婦人がいた(昔のままの「お姉さん」というはずは、…ないよね)。当j時、大学生だった私も、今年は牧師定年(規定上の定年)の年である。半世紀という時間の隔たりに、不思議な感覚をおぼえた。




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# by rev_ushioda | 2016-08-08 18:31 | Comments(0)

教会の子どもたちのために、初めて一泊のお泊り会が開かれます。これは、一般に夏期学校と言われていますが、初めてのことなので、今年は仮に、このような言い方にしています。
ところで、泉教会は、大きな教会のように子どもたちのための教会学校も、教師会も、ありません。小会(長老たち)が直接、子どもの育成、信仰教育に関わっています。小会では、いつも子どもたち一人一人のことを話しています。大きな教会ほど、一人の奉仕者に任せますが、それが出来ない泉教会は、小会の全員が子どものために祈り、子どもの信仰育成に関わっているのです。子どもにとって、こんなすばらしい教会はないと思っています。長老たちの目は常に子どもたちに注がれ、必要な言葉かけをしているという意味で、他の教会とは違う良さがあります。
そもそも、礼拝を大人と一緒にするというところから始まって、食事も大人と一緒にするのが私たちの教会の特徴です。子どもたちは、大人の目配せの中で成長します。規模が小さいゆえに、また、専任の奉仕者が立てられないゆえに、逆に皆が協力して、すばらしい教会を作っていると思います。足りないところよりも、むしろ良い面に溢れるようになりました。
親である皆さんは、ぜひ、「教会」に信頼して、「教会」に子どもたちの魂を預けきってください。―心配しないで。―中途半端ではなく。すでに過去20年間に皆さんが見てきた通り、子どもを「教会」に預けきるところから、子どもの信仰は芽生え、育ち、飛躍してきました。その飛躍は、今度は、あなたの子どもに起こる番です。

サムエル上2章21、26節「幼子は祭司エリのもとにとどまって、主に仕えた。…すくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。」



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# by rev_ushioda | 2016-08-07 22:24 | Comments(0)

「再び休養」

母をショートに預け、今回も日曜日午後から月曜日にかけての休養の箱根一泊である。

ホテルは箱根宮の下交差点から小涌園に向かってすぐの所にあり、この道は、昔から、よく通っている。そのたびに右手の蛇骨渓谷が気になっていた。今回、ホテルの写真にある緑あふれる風情に惹かれて、ここに泊まることにした。まさにその通り、渓谷にあるホテル(旅館? 民宿?)であった。目の前に迫る対岸の緑に目を奪われた。下には渓流の音。これぞ箱根! そして、お風呂の広いこと。5部屋しかないホテルなのによく、こんな広いお風呂を作ったと感心した。なみなみとしたお湯につかり、他の人との合い湯にもならず、何ともぜいたくな時間を過ごした。露天の方に行くのに、いったん着替えなければならないのが、残念であったが、そちらは貸し切りになるので、あとから夫婦で利用すればいいだけのこと。
渓谷の片方にへばりつくように建っているので、国道から入った駐車場からはホテルが何も見えず…… (゜o゜) 実は、その下がホテルになっている。駐車場から下に降りていく階段は少し長く(下にはエレベーターが待っているが)足腰の悪い方には、いきなりちょっとつらいかなと思う。また、建物も古い造りだ。お風呂は掃除が行き届いていて清潔だが、脱衣場の造りや、ちょっとした隙間からみえる隅々…は、近代的な高級ホテルのそれに慣れている人には、ついていけないだろう。しかし、これが箱根だと思えば、いわゆる秘湯的な趣があり、ゆっくりお湯を楽しむことが出来た。あとから聞いたところ、脱衣場など、このホテルのオーナーの手作りだという(笑)。 チェックアウト後、渓谷添いの散歩道を歩き(箱根に見つけたもう一つの散歩道だ)、近所で出会ったアンティークの店に立ちよって、まるで博物館みたいだと話し、周辺の散歩も、楽しむことが出来た。
その後、早雲山からロープウエイで大涌谷に立寄ったが、噴火の影響で周辺一帯の樹木は枯れていた。いつもここには来ているので慣れていたが、改めて、ここは火山だと思った。
今回は疲れもあまり感じないで、よい休養の時となった。 以下、ホテル紹介ページ → http://onsen.surugabank.co.jp/hakone/5198.html

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# by rev_ushioda | 2016-08-01 22:09 | Comments(0)

「出て行く教会」

教会に人が来ないのなら、こちらから出て行こうと祈りの中で思いたち、テアトルフォンテで隔月開催として1年間、「古典としての聖書 おもしろ読み」と題して、初心者向けの聖書会(伝道聖書会)を続けてきました。礼拝においでにならない方でも、このような場所だと5、6人が来てくださいます。その多くは、心を聴く市民ネットワークで受講された方々ですが、家庭集会の関係者、教会のコンサートに来られた方も、おられます。信仰にはなじみのない方が多いですが、聖書を通して、そして教会員の方の証しを交えながら、いろいろ会話が弾みます。楽しい時間です。
こうしてこの1年間、隔月で開催してきましたが、9月からは毎月一回の開催とします。いつか礼拝に来てくださることを祈りつつ、泉教会の大切な伝道の働きになりました。
来年はさらに、日曜日の午後、月に一度、テアトルフォンテ会議室で礼拝しようと、計画しています。教会で朝の礼拝をし、午後、テアトルフォンテで伝道礼拝をするのです。聖書に触れて戴くためには教会という建物に来なければならないとか、また、礼拝のために教会という建物に来なくてはならないということはありません。こちらから出て行って多くの人に出会えるなら、教会が出て行くまでです。
泉教会は、伝道のために聖書をたずさえ、出て行く形を具体化しています。このようにして仲間と一緒に出て行く先も、また、泉教会なのです。私たちは今、挑戦的に、新しい伝道の形を試みています。



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# by rev_ushioda | 2016-07-31 21:40 | Comments(0)

食事なので、母を起こした。
そうしたら母が言った。「今、夢を見ていてね、大池公園でお祭があって、楽しかったなあ。」
えも言えない、うれしい気持ちになった。

最近、「もう」という言葉には、つらい気持ちになることに、ふと、気づいた。
うんちが、どうも、うまく出ないのです。
 ―「もう、おなかがうまく機能しなくなっているのね。」
寝ていることが多くなりました。
 ―「もう、これからはそういうことになるでしょう。」
もう起き上がれないだろうとよく分かっているが、しかし、それは触れたくないない気持ちがある。
もう起き上がれないにしても、「まだ」と、希望につなげる言葉がほしいのが、子どもの気持ちである。



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# by rev_ushioda | 2016-07-22 23:09 | Comments(0)

世界各地で民族的、思想的、宗教的、経済的、その他さまざまな原因で対立が深刻化しています。テロは頻発し、クーデターが起こり、日常的発砲事件はアメリカで後を絶ちません。そういうアメリカで、白人警官が無抵抗のアフリカ系アメリカ人を容赦なく殺害するという事件が波紋を呼んでいます。「壁」は、私たちが思う以上に厚いのです。
そのような中、カンバーランド長老教会の総会がアメリカ南部(すなわち、かつて奴隷制を支持した地域)テネシー州ナッシュビルで開かれ、重要な決議がされました。「アフリカ系米国人の兄弟姉妹への謝罪」(仮題)です。
カンバーランド長老教会では50年にもわたって、同じカンバーランドでありながら別組織になっている(させられた)アフリカ系アメリカ人教会との「合同」を推進しようという試みがされて来ましたが、まだ、実現していません。しかし、今回、次のような謝罪がなされたのです。
…私たちは、過去、アメリカの奴隷制を糾弾することにおいて、曖昧であり、かえってアフリカ系アメリカ人の会員を分離、隔離してきた。奴隷制度が廃止された後でさえ、教会員として受け入れることを拒み、分離を推進してきた。それゆえ今、私たちは、自分たちのあらゆる残虐な行為について神の赦しを求め、悔い改めることを決意した。また、アフリカ系アメリカ人の兄弟姉妹に謝罪し、赦しを求め、私たちの罪が原因となった壊れた関係の修復に向けて、働いていくことを決意した。…
この決議の場に代議員として居合わせた饒平名長老は、帰国後、この時のことを深い感動をもって証しされました。
教会は、間違ったなら、その事実を悔い改め、謝罪し、新しい歩みを作る決意をします。「宗教とは、この世の理屈を超えた『物語』を信じる営みだ」(2016年7月17日朝日新聞「ローマ法王の挑戦」)。この世の理屈を越えた物語とは、たとえ負の事実であろうともそれに向き合い、悔い改め、謝罪し、決意の歩みをするときに、始まるものです。この世の理屈でものを言っているうちは、何も始まりません。その理屈を超えるためにこそ、私たちは礼拝者であり、キリスト者であるのです。


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# by rev_ushioda | 2016-07-21 16:52 | Comments(0)

「Aさんへの手紙」

その後、いかがお過ごしでしょうか。
一度お目にかかったことでもあり、
日々、Bくんのことは心に留めさせて戴いています。
Bくんが、Bくんらしい、そう言える日々の生活を作ることができますように、
(御苦労も知らずにこんなことは言えないのですが…)
何のお力にもなれないので、せめて、お祈りしています。
過日、相鉄ムービルで「天国からの奇跡」という映画が上映されていました。
難病を持つ子どものために必死になるお母さん。
しかし、そこで奇跡が起こった。
奇跡とは、いかにもそれらしい宗教的なものではなく、
人々の協力、人々の好意の連鎖であった、というオチでした。
そして、それは実際あった話、実話であった、と。
Aさんの周りには、そのような、きっと力になってくれている、
たくさんの人がいてくださるのだろうなと、思いました。
そうしたら、そこに「奇跡」が起こるのだろうと。
希望をもって、歩まれますように、ぜひ祈りをつづけさせてください。

「今日は、私の残りの人生の最初の日」

有名な言葉です。

泉教会
潮田健治


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# by rev_ushioda | 2016-07-18 17:37 | Comments(0)