「いいもの見つけた」

パソコンの活字は何となく味気ない。
それで、できるだけ手書きに近いフォントを使ってきたが、満足いくものではなかった。

インターネット(SOURCENEXT)で面白いものを見つけた。
自分の文字をフォントにできるという。その名も「まるで手書き」1800円。遊び感覚でいける値段だ。

200文字を手書きし、スキャナで読み取らせる。それをこのソフトで処理し、名前をつける(健治フォントとした)。
こうしてワードの画面でフォントをプルダウンすると、何と、MS明朝とかの下に「健治フォント」が出てくる。
文字を打ってみると、完璧に自分の字ではないにしても、ナルホド、自分の手書き文字に近い。
うまい字ではないのに、パソコンの中に自分の字があるとうことで、かなり満足している。
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# by rev_ushioda | 2005-10-30 23:30 | Comments(0)

「腰痛だって」

夕べ、急に、腰が痛くなって、立てなくなった。
何だ? 何が起こったの?とにかく何とかベッドに。
明日、病院に行かなければ・・
どうしたのだろう?悪い病気かも知れない。不安が広がる。
公開勉強会キャンセルの電話を入れる。

今日になって病院に行ってみると、先生は、少し触診して、血液検査もせずに、「腰痛ですね。筋肉を柔らかくする薬を出しておきましょう」
「内臓の病気ではないですか?」
「いえ、大丈夫です。長引くようでしたら、整形に行ってください」
なお痛みはあるものの、内臓ではないと聞いて、ほっとした。
腰痛ならばと、休みついでにそのまま大船の「十字式」に。
「そんなところ」と言って「ばかにして」いたところに、ついに、行くはめになった。
それにしても、腰が痛いから病院に行ったのに「腰痛です」と。
腰痛は、わかっているのだ・・

最近、体の変調が多いこともあるが、そういう体の変調に敏感になっている自分がいることも確か。55才を迎えようとする節目。人は、簡単に不安になるものだ。
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# by rev_ushioda | 2005-10-18 23:32 | Comments(0)

「一人芝居」

教会設立の2週間後の10月8日、教会設立記念行事として一人芝居「マリー・マグダレーン」を上演した。
350人のホールに、280人が来てくれた。1階席は、満席だった。
泉教会は、この節目を内側だけの祝いとせず、地域を巻き込んで、今、教会になった。

しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
数日前、横浜著作権協会というところから音楽は使いますか、という電話が入った。
「使いません」。一年前に観ていたから、すぐに答えた。
一応、確認したほうがよいと思って出演者に電話した。「使います」という答え。実際、公演中、ホールは大きな効果音で響き渡っていたのだった。
それにしても、なぜ、あの大きな音が聞こえなかったのだろう。
それほどに劇の内容に引き込まれたのだと思った。
印象を何人かの人に聞いた。良かったと言う人もいたけれど、「衝撃的だった」という声を多く聞いた。
今まで多くのことを企画してきたが、そんな言葉は、あまり聞かない。確かに、衝撃的だった。十字架の場面も、復活の場面も。

「どんな絶望の淵に立たされても、どんな残酷の中にあっても、人間の尊厳を奪われても、復活のゆえに、私たちには希望があり、耐えることができ、誇りがあるのです」
音楽ではなく、この言葉が響いている。
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# by rev_ushioda | 2005-10-12 23:35 | Comments(0)

「教会組織自立」

9月25日。

110人弱の方が、泉教会の「伝道教会設立式」のために、会場となった中和田カトリック教会に集まった。
今まで伝道所だったが、ここで会員は教会の契約を結び、長老を選び、続いて長老の任職をした。ここに小会という教会運営の主体(役員会)ができ、私たちの群れは、開拓8年目にして組織自立を果たした。
その長老たちの最初の仕事が、牧師を招聘することだった。牧師の就任式が引き続いて行われた。

本当に、本当に内容の濃い式だったと思う。
そして、本当に、良い式をすることができたと思う。
今日(26日)は、昨日の式典を思いながら、心地よい疲れを味わっている。
教会の皆さん、朝から一日、ずっとおつきあいくださり、よくその責任を果たされ、きっとお疲れではないかと思う。
この節目を一生懸命に、いや、喜びをもって共にしてくださり、心から有難いと思った。
賛美の会の皆さんの賛美、すばらしかった。心を聴く市民ネットワークの有志の皆さんがベースになり、色々な教会から、地域から色々な関わりで参加して、すばらしい賛美だった。
会場として使わせてくださった中和田カトリック教会。特に最初から最後までおつきあいくださった、竹内さん、岩崎さんには、本当にお世話になった。
ここまで公私ともに多くの人の御好意を戴いたと思う。
それゆえにここからの責任が大きいが、
主のため、共に、である。
大事なひと節をつけ、「教会」となり、一歩を踏み出した。
ここから出発だ。
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# by rev_ushioda | 2005-09-26 23:39 | Comments(0)

「秀子さん、中国に」

秀子さんが今回、9人の仲間と中国に行くことができて本当によかったと思う。私が行った時よりもさらに奥地に入ったようだ。貧しい農村にあって、そこで教会に通う人々の純粋な信仰の姿に接し、大変、励まされたようだ。
中国の教会は「三自愛国教会」と言う、政府管理下に置かれた教会だ。礼拝に公安が紛れ込んでいるかも知れない。
神さまが第一なんて言ったら危ないと、香港から同行した人が教えてくれた。「神の国と、その義を、まず第一とする時・・・」と歌ったあとだった。政府(共産主義)が第一なのだ。
そんなところに真実の信仰はないと、福音派の人たちは言う。そうだろうか。確かに制約はある。が、そこで芽生えた信仰に真実はないなどと、誰が言うことができるだろう。何時間も歩いて教会に通う人。いくつも伝道所を生み出す教会。私たちよりはるかに生き生きと信仰に生きる人。

言えないのだったら、言わなければいい。しかし信徒の生活そのものが、その前に、もう、語り始めているのだ。共産主義の土地に、信徒は増えつづける。教会は増えつづける。私たちの比ではない。信仰は、迫害と逆境に強いことを、中国では如実に物語っているのだ。
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# by rev_ushioda | 2005-09-09 23:44 | Comments(0)

「とほほ」

秀子さんが中国旅行に行った。
見送りに成田に行った帰り、もちろん高速であるが、横浜ベイブリッジを渡ったところで道を間違えて、本牧~金沢まで、行ってしまった。横浜は広い。とんでもない大回りをして帰宅。
秀子さんは「あそこ」を、いつも事も無げに通っているのに、私だって秀子さんと一緒に何度も何度も通っている道のはずなのに、しかし私は、なぜこうなるのか?情けない。

帰りは迎えには行かないはずだったが、香港で預かった荷物があるというので、仕方なく迎えに行くことに。
二俣川で高速に乗った。横浜に行くのに、何と、八王子方面に入ってしまった!それこそ、100回は通ったはずの入り口である。次の出口でユーターンしたものの、地元でさえも間違えてしまう。

何で、こうなるのか?私の方向音痴は、正真正銘、本物である。情けない。
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# by rev_ushioda | 2005-09-01 23:50 | Comments(0)

「吉崎牧師を送る」

吉崎先生が亡くなった。
葬礼拝のための祈りを思い巡らしていたら、ひとつのことに気付いた。
私が牧師になる決意を固めたのは、去年の10月に亡くなった瀬底先生の牧会を間近に見たからであった。
私が初めて教会に行くきっかけになったのは、吉崎先生が講師として招かれていた希望が丘教会の特別伝道集会だった。
キリスト教と出会うきっかけとなった先生と牧師になるきっかけとなった先生と、私はそのお二人の葬儀の司式をすることになった。

そのことに思い至った。

そうしたら、何やら無性に寂しくなった。私の原点には、この二人の先生方がおられたから、先達を失う寂しさが込み上げてきたのである。信仰の「ふた親」を亡くしたような感じであろうか、何とも言えず、寂しい。

そういう意味で、今回の葬儀は、私が牧師として精神的にひとりだちする時なのだ、そのように思った。
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# by rev_ushioda | 2005-04-29 22:51 | Comments(0)

主のよき力に、確かに、静かに、取り囲まれ、
不思議にも守られて、慰められて、
私はここでの日々を君たちと共に生き、
君たちと共に新年を迎えようとしています。

過ぎ去ろうとしている時は、私たちの心をなおも悩まし、
悪夢のような日々の重荷は、
私たちをなおも圧し続けています。

ああ、主よ、どうかこのおびえおののく魂に、
あなたが備えている救いを与えてください。

あなたが、もし私たちに苦い杯を、苦汁にあふれる杯を
なみなみとついで、差し出すなら、
私たちはそれを恐れず、感謝して、
いつくしみと愛に満ちたあなたの手から受け取りましょう。
・・・・・
・・・・・
あなたがこの闇の中にもたらしたろうそくを、
どうか今暖かかく、明るく燃やしてください。
そして、できるなら、引き裂かれた私たちをもう一度、
結び合わせてください。
あなたの光が夜の闇の中でこそ輝くことを、
私たちは知っています。
・・・・・
・・・・
主のよき力に、不思議にも守られて、
私たちは、来るべきものを安らかに待ち受けます。
神は、朝に、夕に、私たちのそばにいるでしょう。
そして、私たちが迎える新しい日々にも、
神は必ず、私たちと共にいるでしょう。

ボンヘッファー【抵抗と信従:V291-293】より
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# by rev_ushioda | 2004-01-03 00:23 | Comments(0)