「会議」

定期中会会議があった。
4時開会。9時に終るという観測もあった。主事さんは11時だと言っていた。結局、終ったのは12時だった。深夜である。議長として、どっと疲れてしまった。そんな非常識な時間に終わらせてしまった、という疲れである。代議員の皆さん、特に女性代議員に申し訳ない、という「罪責感」が残った。
他の議長だったらもっとうまくやっただろうと、ふともらすと、誰であっても同じだと言われた。でも、そんな時間まで終らせられなかったという疲れが、残っている。ただでさえ、議長席に座っているだけで、何もしなくても、疲れる。
会議がない時は、14教会の代表者。宗教法人の代表役員でもある。
そういえば、30歳の頃、初めて選出された時、十二指腸潰瘍になった。
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# by rev_ushioda | 2006-03-06 21:12 | Comments(0)

娘の婚約者が入院、しばらく職場を休んだ。
退院して、しばらくしてから登校した(彼は教員をしている)。
ところが、門が閉まっていた。
お休みの日だった。
間が抜けている、と言って、皆で笑った。
一番、笑ったのは私だった。
2日後の今日、私は、東京で開催されている週一回の講演会に行った。
会場に着いて、何やら変な雰囲気を感じた。
予定表を見た。
今日は、お休みだった。
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# by rev_ushioda | 2006-02-10 22:18 | Comments(0)

「子どもたちの居場所」

昨年、泉教会に中学校の生活指導の先生が訪ねて来た。
教会に出入りしている中学生のことで、話に来られたのだ。
そうこうするうち、修学旅行のお土産までいただいた。
また、小学校のPTAのお母さんたちが来られた。放課後、遊ぶ場所に「教会」と答えた子どもがいたので、広報紙の取材だった。
「居場所」が問われている時代だ。
夫婦の問題で、あるいは生活力がなく、あるいは叱る(子どもと向き合う)ことができない親のために家に居場所がないのだ。
中学生は、オール(夜、家に帰らず友だちと遊び歩く)をする。補導される。それをまた繰り返す。
教会に真夜中、電話がかかってくる。「泊めてくれ」と。教会は宿泊所ではない、ダメだと叱る。
教会は礼拝をするところだ、日曜日来なさい、と言った。次の日曜日、男の子と一緒に来た。何を考えているのか、男の子にしては何とも覇気がない。そういう男の子と一緒に来たのだ。そして次の日曜日は、その子の友だちも来た。こちらもまた、男の子を連れて。
礼拝中もいちゃいちゃしているが、最後まで礼拝に出ていた。どう接したらいいのか、とまどう。しかし、教会に来る。
教会で厳しく怒られて、涙を流しながらも、また来る。家が真正面から向き合わないのなら、
教会がそうするしかない。キリストも、そうされただろう。
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# by rev_ushioda | 2006-02-05 23:14 | Comments(0)

「オペラを観た」

先日、機会があってオペラ「フィガロの結婚」を観た。
オペラを生で見たのは初めてのことで、色々と面白いと感じたことがあったが、その一つは、休憩時間にワインを飲んでいる。へー、オペラとはそういうものか、田舎者の私は、知らなかった!
もう一つは(こちらが書きたかった方だが)、オペラなので、せりふを歌いあうわけだが、言葉は忘れてしまったが、たとえば男性が、「お茶でもいかが?」と言うと、女性が「ええ喜んで」こう言う(歌う)。ところが、「ええ喜んで」と言った女性がそのあとで(困った、どうしよう)と思う。たとえばであるが、そういう遣り取りをする。言葉と内面が違う。よくあることだ。ところが、そう思うだけでなく、それを口にして言ってしまう(歌う)。そのようなことを交互に、本人を前にして歌っている。言葉と内面は違う。そして、普通は、思ってることは声に出さないのだ。それを、二人が本人を前にして声に出して歌っているので、それがとても面白いと思ったわけ。
別にオペラに限らない。私たちは、いつも言葉で言うことと、思ってることとは別なのだ。普通は、思ってることは言わないから、問題にならない。しかし、問題が問題になるのは、言葉にして言わない内面にある。内側に、どういう言葉があるか、それが実態であって、それによって結果が、ずいぶん違ってくるのだ。
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# by rev_ushioda | 2006-01-25 23:19 | Comments(2)

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。

私は、主と共に、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人の足あとが残されていた。
一つは私の足あと、もう一つは主の足あとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は、砂の上の足あとに目を留めた。
そこには一つの足あとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつも私の心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ、私があなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、私と共に歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生のいちばんつらい時、
一人の足あとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
私にはわかりません」

主は、ささやかれた。

「私の大切な子よ、
私は、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない
ましてや、苦しみや試みの時に。
足あとがひとつだったとき、
私はあなたを背負って歩いていた」

マーガレット・F・パワーズ
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# by rev_ushioda | 2005-12-31 00:51 | Comments(0)

「0.1秒遅れで」

23日、泉区民クリスマスが行われる。
泉教会、ホーリネス教会、心を聴く市民ネットワーク有志が賛美歌を2曲歌うことになっている。
練習を重ねているが、ベースの私には、どうしても出せない音がある。
困った(>_<)
歌える人の音を頼りに0.1秒遅れて歌うしかない。
それとも、音を出さないほうが、人のためになるのか。
重大な選択の時が来た。
そう言えば、初めて教会に行ったとき(高校生のとき)、しばらくして、言われた
「潮田君は作曲して歌っているね」

(>_<)
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# by rev_ushioda | 2005-12-21 23:25 | Comments(0)

「いいもの見つけた」

パソコンの活字は何となく味気ない。
それで、できるだけ手書きに近いフォントを使ってきたが、満足いくものではなかった。

インターネット(SOURCENEXT)で面白いものを見つけた。
自分の文字をフォントにできるという。その名も「まるで手書き」1800円。遊び感覚でいける値段だ。

200文字を手書きし、スキャナで読み取らせる。それをこのソフトで処理し、名前をつける(健治フォントとした)。
こうしてワードの画面でフォントをプルダウンすると、何と、MS明朝とかの下に「健治フォント」が出てくる。
文字を打ってみると、完璧に自分の字ではないにしても、ナルホド、自分の手書き文字に近い。
うまい字ではないのに、パソコンの中に自分の字があるとうことで、かなり満足している。
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# by rev_ushioda | 2005-10-30 23:30 | Comments(0)

「腰痛だって」

夕べ、急に、腰が痛くなって、立てなくなった。
何だ? 何が起こったの?とにかく何とかベッドに。
明日、病院に行かなければ・・
どうしたのだろう?悪い病気かも知れない。不安が広がる。
公開勉強会キャンセルの電話を入れる。

今日になって病院に行ってみると、先生は、少し触診して、血液検査もせずに、「腰痛ですね。筋肉を柔らかくする薬を出しておきましょう」
「内臓の病気ではないですか?」
「いえ、大丈夫です。長引くようでしたら、整形に行ってください」
なお痛みはあるものの、内臓ではないと聞いて、ほっとした。
腰痛ならばと、休みついでにそのまま大船の「十字式」に。
「そんなところ」と言って「ばかにして」いたところに、ついに、行くはめになった。
それにしても、腰が痛いから病院に行ったのに「腰痛です」と。
腰痛は、わかっているのだ・・

最近、体の変調が多いこともあるが、そういう体の変調に敏感になっている自分がいることも確か。55才を迎えようとする節目。人は、簡単に不安になるものだ。
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# by rev_ushioda | 2005-10-18 23:32 | Comments(0)

「一人芝居」

教会設立の2週間後の10月8日、教会設立記念行事として一人芝居「マリー・マグダレーン」を上演した。
350人のホールに、280人が来てくれた。1階席は、満席だった。
泉教会は、この節目を内側だけの祝いとせず、地域を巻き込んで、今、教会になった。

しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
数日前、横浜著作権協会というところから音楽は使いますか、という電話が入った。
「使いません」。一年前に観ていたから、すぐに答えた。
一応、確認したほうがよいと思って出演者に電話した。「使います」という答え。実際、公演中、ホールは大きな効果音で響き渡っていたのだった。
それにしても、なぜ、あの大きな音が聞こえなかったのだろう。
それほどに劇の内容に引き込まれたのだと思った。
印象を何人かの人に聞いた。良かったと言う人もいたけれど、「衝撃的だった」という声を多く聞いた。
今まで多くのことを企画してきたが、そんな言葉は、あまり聞かない。確かに、衝撃的だった。十字架の場面も、復活の場面も。

「どんな絶望の淵に立たされても、どんな残酷の中にあっても、人間の尊厳を奪われても、復活のゆえに、私たちには希望があり、耐えることができ、誇りがあるのです」
音楽ではなく、この言葉が響いている。
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# by rev_ushioda | 2005-10-12 23:35 | Comments(0)

「教会組織自立」

9月25日。

110人弱の方が、泉教会の「伝道教会設立式」のために、会場となった中和田カトリック教会に集まった。
今まで伝道所だったが、ここで会員は教会の契約を結び、長老を選び、続いて長老の任職をした。ここに小会という教会運営の主体(役員会)ができ、私たちの群れは、開拓8年目にして組織自立を果たした。
その長老たちの最初の仕事が、牧師を招聘することだった。牧師の就任式が引き続いて行われた。

本当に、本当に内容の濃い式だったと思う。
そして、本当に、良い式をすることができたと思う。
今日(26日)は、昨日の式典を思いながら、心地よい疲れを味わっている。
教会の皆さん、朝から一日、ずっとおつきあいくださり、よくその責任を果たされ、きっとお疲れではないかと思う。
この節目を一生懸命に、いや、喜びをもって共にしてくださり、心から有難いと思った。
賛美の会の皆さんの賛美、すばらしかった。心を聴く市民ネットワークの有志の皆さんがベースになり、色々な教会から、地域から色々な関わりで参加して、すばらしい賛美だった。
会場として使わせてくださった中和田カトリック教会。特に最初から最後までおつきあいくださった、竹内さん、岩崎さんには、本当にお世話になった。
ここまで公私ともに多くの人の御好意を戴いたと思う。
それゆえにここからの責任が大きいが、
主のため、共に、である。
大事なひと節をつけ、「教会」となり、一歩を踏み出した。
ここから出発だ。
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# by rev_ushioda | 2005-09-26 23:39 | Comments(0)