「順調に問題だらけ」

『「べてるの家」から吹く風』という本がある。
衝撃的な内容だ。
その冒頭にある言葉。

「今日も、明日も、順調に問題だらけ」

問題を、不必要に、そして早急に解決することはない。
(もちろん、問題を早急に解決する必要があるなら別だが)
闇の中に「光あれ」と、声があったのだ。
闇は、そこから、声が響くところなのだ。
闇や問題は、けっこう、いいものだったりするのだ。
いい付き合い方が、大事なのだ。

無理に光を照らして、見えなくなるものがある。

「今日も、明日も、順調に問題だらけ」
問題だらけを順調に受け止めていこう。
主にあって。
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# by rev_ushioda | 2006-10-13 22:37 | Comments(1)

オウム真理教の松本被告の死刑が確定した翌日の新聞に、朝日新聞の記者が、納得できないものがあると書いていた。死刑によって、稀に見る、特異な「極悪人」「異端者」を社会から葬ることになったのだが、しかし、

「人の命をもて遊んだ集団が私たちの社会の中に生まれ、
育っていたことを、私たちはどれだけ真剣に受け止めようとしただろうか」。

自分にとって不都合なものを闇に葬って、自分は何も変わろうとしない私たち自身の本質を指摘していた。
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# by rev_ushioda | 2006-10-12 08:38 | Comments(0)

「上」

「花が上を向いて/咲いている/私は上を向いてねている/あたりまえのことだけれど/神さまの深い愛を感じる」
「ひとは空に向かって寝る/寂しくて空に向かい/疲れきって空に向かい/勝利して空に向かう/病気の時も/一日を終えて床につくときも/あなたがひとを無限の空に向けるのは/永遠を見つめよと/いっているのでしょうか/ひとは/空に向かって寝る」
星野富弘
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# by rev_ushioda | 2006-10-12 08:30 | Comments(0)

「結婚式説教」

結婚式説教
2006.10.9

 結婚式に際して、今、読みました聖書の個所に基づいて、ひとこと、お勧めします。聖書の言葉は、こうでした。
 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」
 ここに、「愛する」とはどういうことか、書かれていると思います。結婚に際して大事なことなので、しっかり聞いて戴きたいのですが、一言で申し上げると、相手のために自分を変える、ということです。自分の考えはこうだ、と言って、「自分の考え」を持つのは良いのですが、だから自分のやり方を変えない。変わるのはあなただ、と言う・・それは、愛ではないのです。
 愛するとは、自分を変えることです。もっと具体的には、相手のために自分の計画を変更する、ことです。自分の考えが、あってもよい。しかし、相手のために自分の計画・行動を、変更するのです。
 結婚とは、「結婚式」で終わるのではありません。言うまでもなく、ここからが、始まり、なのです。どういう始まりかと言うと、愛することの始まり、自分の計画を相手のために変更することの始まりなのです。今日、ここから、自分の計画を相手のために変更することが、二人の仕事になります。
 人は、多様性を持っています。今、知っているお互いが、これから先もずっとそうかというと、そういうことはない。きっと、I さんも、H さんも、結婚生活の中で、お互いが知らない面が、当然出て来るだろうと思う。状況によって考え方が変わり、行動も変わっていきます。ここに多様性が生まれる、その多様性を、どのように受け止めていくのか。そこに、愛するということ、愛というテーマが出て来る。
 今は、「愛すること」、相手のために計画を変更することは、好きな人のためだから、喜んでできる。したいと思っているでしょう。しかし、受け入れることができる時(好きな時)に受け入れること位は、幼児、子どもでもできる。長い結婚生活では、やがて、どうしても受け入れることができない時が来るでしょう。意見が対立する時が来る/考え方も、話し方も、行動も、好きではなくなる時が来る。好きでなくなった時/相手のために計画を変えたくなくなった時/相手を受け入れるのに感情が反発する時/どうするか。そこで、愛というテーマが出てくる。愛が力を発揮するのです。
 結婚で一番大事なのは、好きという感情ではない。愛です。愛するということです。自分の計画を、多様性を持つ相手のために変更することです。

 考えてみれば、神が愛を示してくださったのです。私たちは、神さまを、悲しませてばかりいると思う。神さまをそっちのけで、好き勝手なことをしていると思う。しかし聖書を読むと、神さまはその私たち一人一人を愛してくださった、と。十字架が、その証しだと言っている。
 神は、聖なる方。天の上におられればよかった。しかし、全然清くない人間、神さまに向かって悪態をつくような人間のために、ひとり子を十字架にかけてまで、人間を受け入れてくださった、つまり、計画を変更したのだと聖書は書いています。私たちを、神さまはキリストによって包み込んでしまった。だから聖書は、ここに愛がある、と言っています。
 今日、二人は十字架のもとで結婚式を挙げています。十字架のもと、ここに愛があります。このキリストの愛のもとからスタートし、ふたりでキリストを見上げていれば、(神さまの愛を見上げていれば)、ふたりは愛によって結婚をつくることができる。この二人の結婚に、必ず愛が宿ると信じます。
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# by rev_ushioda | 2006-10-11 10:06 | Comments(0)

「嵐」

夕べ、美しい月を見た。
嵐のあとの冴え渡る空に、何とその輝きが美しかったことか。
そういえば、おとといの嵐の日が、満月だったとか。
そうか、あの嵐の日も、空にはこんなに美しい月があったのだ。
美しい月の輝きの中で、嵐はほんの一瞬なのだ。
必ず過ぎ去るのだ。

にもかかわらず、人生に嵐が襲うと、
人は言う。「なぜ神さまは・・こんなことを・・」
自分を主語にしてきた人が、
苦しみの日になると、いきなり神を主語にして、神のせいにする。

月は、その日にも、空に輝いていたのだ。
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# by rev_ushioda | 2006-10-08 07:42 | Comments(0)

「大人」

前の教会のことを何も言わず、淡々と礼拝をまもる人に、大人を感じる。
あの教会、この教会と、足場がつかめないようだと、子ども。
子どもは、いつも目の前のことに一生懸命だから。
遣わされた教会で、淡々と、礼拝をささげるような、大人になりたい。
そこに遣わされた意味を汲み取れるのも、また、大人。
弱さがあっても、いや、弱さを通して、私たちは大人になりたい。

淡々と礼拝をまもる者。
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# by rev_ushioda | 2006-10-01 23:24 | Comments(2)

「9周年」

教会が満9周年を迎えた。

次が10周年ということでもあり、今回は特別なことをしなかった。
いつものように、いつもの礼拝を守った。
しかし、いつものように、いつもの場所で礼拝を捧げるということ、これほど大きな恵みはない。恵みの中を淡々と歩んで来た9年だと思う。

さてこの日に合わせて教会の機関紙「ぱんくず」を発行した。泉教会が送り出し、それぞれのところで活躍している人たちが、今回のテーマであった。泉教会はこんなにも多くの人たちを送り出したのかと、改めて思った。まさに泉のように、送り出したのであった。それだけでも大きな恵みである。

振り返れば、「クリスチャン新聞」で取り上げられたことが2回、テレビ放送番組「ライフライン」で取り上げられたことがやはり2回、開拓伝道の恵みを十分に味わわせていただいた。

30年近く前も、私は、開拓伝道の現場にいた。その時はまだ若かったこともあり、右も左もわからなかった。
今回の開拓伝道9年の歩みを振り返ると、恵みしか思い出すことができない。恵みにあふれた9年の歩みであった。
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# by rev_ushioda | 2006-09-28 21:42 | Comments(0)

「娘の近況」

「なかなか更新しませんね」と言われている。
ブログを公表している以上、期待させておいて肩透かしもいけないので、そろそろ書いておこうとページを開いた次第。

3月に嫁いだ娘に子どもが宿された。
私たち夫婦が3人もの子を流産しているので(その時の私たち自身のショック、周りの方々のショックなどを考えると)やはり、公表はいきおい慎重にならざるを得なかったが、無事に4ヶ月を過ぎた時点で、教会でお知らせし、今後の生育のために、皆さんに祈っていただいている。

つわりの激しい期間も過ぎ、安定期に入ったようで、一時期、アパートの部屋の匂いがたまらないと戻ってきていたがこのところ、すっかり家にも戻ってこない。ブログも書き込みしているようだし、大丈夫そうな感じ。
帰って来て居座られても困るが、帰って来ないというのも、寂しい。親の心境、夫婦して複雑である。

娘のブログを読んでいたら、娘のつわりのひどい時期に、夫氏が書き込みをしていた。
「サイゼリアに行ってミネストローネを注文。妻がおいしそうに食べるのを見て幸せを感じる」

娘のことを、これほど思ってくれる人がいるかと思うと、親は心から幸せを感じる。うれしい一言であった。
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# by rev_ushioda | 2006-09-26 17:03 | Comments(0)

瀬の底小舎に着いたら、一本の木にかぶと虫が群がっていた。
かぶと虫と言えば、早朝、起き出して捕まえるという、わくわくする物語がある。それが、午後だというのに木の枝という枝に群がっている。見上げていると、何と、落ちてくるほどだ。当然、子どもたちは歓声を上げる。川遊びどころではない。
ひとしきり、大騒ぎしたあと、ようやく思い出したように川に。
見ると、遠くの陸橋の橋桁を猿が2、3匹、渡っていた。「わあ~、猿だ、見て、見て」。
そんな風にして、歓迎されて瀬の底キャンプが始まった。
今回は、沖縄から伊佐山大智兄、鷲君、宇佐美から明子姉、純君が、参加。英会話クラスから山口さん親子が参加。
去年は中高生で大変だったが、そして増田先生夫妻が居てくれたのであったが、(そうだ、去年のことだった)今年はまた、いつもの泉教会キャンプに戻っていた。
違っていたのは、鷲君が大人になっていたことだ。沖縄は、鷲君を大きく成長させてくれた。とりわけ私たちの喜びとなったのは、洗礼を受けたいという彼の言葉だった。

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# by rev_ushioda | 2006-08-15 22:10 | Comments(0)

先週水曜日から土曜日までの「アジ宣」が終った。
過ぎてみればあっという間というのは、こういうことなのだろう。
今、私の手元に5枚のカードがある。開会礼拝の時に、5人の人と交換したカードだ。
1枚は、San Fransisco とある。サンフランシスコにある中国人教会だ。
1枚は、Colombia とある。南米コロンビアから来た2人のうちの1人。
1枚は、TN(アメリカ)とある。
1枚は、Korea とある。
1枚は、日本。
日本人と韓国人、中国人の区別がつかないため、日本人と交換してしまった。しかも私の通訳者の娘さん…だった。またそれもよかったと思う。
なかったのは、ブラジル、これは1人しかいないので、カード交換できる可能性は120分の一。仕方ない。その他に、香港の人が29人いたが、カード交換では、出会えなかった。
さて、これらのカードが、今回の「アジ宣」を象徴しているように思う。こんなに多数の国々から来た人が一堂に会して、よくもこんな大会ができたものだ。
いや、もうずいぶん前、まず発想があり、次に、その内容をよく知らないまま会議で承認したのは、決して、偶然とか、うっかりであったわけではない。
そこに、ヴィジョンがあったのだと思う。内容の詰めが物語を作るのではない。ヴィジョンが物語を作るのだ。

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# by rev_ushioda | 2006-08-06 17:46 | Comments(1)