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「説教批評」

牧師会では説教の研さんが行われる。今回は私の説教の当番であった。「潮田先生らしい」という感想が何人かから述べられた。以前からそういう評価が与えられることが気になっていた。
実は、牧師会での説教は、直前になされた説教となっている。使徒言行録を講解しているのでこの日はどこになるかと思っていたが、いよいよ近づいてきて、ここか!と思った。困ったなあという意味である。使徒言行録19章11~20節、開かないでもいいが、こういう個所だと困ったなあ、と率直に言って、そう思ったのである。その前の説教(成瀬教会から招かれておこなった説教)にしてしまおうか、という誘惑があった。そういう誘惑と戦いながら(笑)、準備した。そして、先の評価である。
私は思った。困ったなあというところをうまくすり抜けてしまったんだな、と。そしていつものように、自分で納得できる、分かる説教になった。牧師会では、「牧会的」「教会形成的」と言われ、おおむね良い評価であったかもしれない。しかし、私にしてみれば、それは、すり抜けた、というのが当たっている。そこのところを、ズバリ、おひとりA先生が指摘されたのであった。カウンセリングだと思った、と。実のところ、今日になって、説教をその場で聞いていた一人の姉妹から、ご主人とちょっとしたすれ違いがあり、怒らせてしまった重い心をもって説教を聴いていたが、説教を聴いて「泣きそうになった(慰めを受けた)」と。カウンセリングだと思った、という評価は、まさに的中であった。良くも悪くも、説教とは何か。いつになっても突きつけられてくるテーマである。



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by rev_ushioda | 2017-10-04 17:03 | Comments(0)