「状況から学ぶ」

私たちは、今、自分に起こっている状況から、何かを学ぶ者でありたいと思います。思いがけないこと、驚きや、痛みや、悲しみや、怒りをこらえきれないこともしばしばあるかも知れないのです。それをそのままで終わらせることも出来ます。しかし、それで終わらせることなく、ぜひ自分を振り返り、周りを見つめて、そこから語りかけている何かを、学び取る者でありたいと思います。その「気づき」がずっと後であっても、状況が語りかける声、聞こえてくる声に、耳を傾けたいと思います。どういう声が聞こえるでしょうか。それはきっと、聖書の言葉、神の声に重なるものであることでしょう。

たとえば、私たちの教会の現状を言えば、これを書くのはまだ早いのですが、今年は、これ以上ない最悪の一年だった、と言うことが出来ます。召天者があり、高齢のため礼拝に出席できない人がおり、転居者が数人あり、その上にこの時期、転出や他教会出席者が数人、さらに病気療養の数人が重なり、それが息つく暇もないほど、次から次に起こったのです。28人平均の礼拝から18人平均の礼拝に一気に下がりました。小さな教会でこんなことが起こったら、教会はつぶれるほど、どこの教会を見ても滅多にないことです。
そこで中会の伝道委員会に相談したら、「今の家を貸して、駅前に部屋を借りたらいいじゃない!」夢を語ってくれました。実際は家賃がまったく釣り合わないのですが、可能性の話だというところがいいのです。私たちは、すぐに「それは無理だ」と言いますが、そこには希望は生まれません。また、希望〇〇教会小会から、最近バザーをしたばかりだというのに、「泉教会のバザーの品物を預かり、献品を足して小さなバザーをします。収入を期待するよりも、祈るために。」「泉教会でバザーを開く時は、応援に人を送ります。」という提案を戴きました。祈りを実行に移してくれる教会がある。正直、涙が出るほどうれしかった。

私たちは、確かに最大限に行き詰っています。しかし、状況から学ぶ者でありたいのです。そこには、普段なら見えない宝が隠されているに違いありません。今だからこそという思いで礼拝を大事にする仲間と共に、宝探しを続けましょう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-31 10:44 | Comments(0)

「教会の形」

「アンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒言行録11章26節)

キリスト者(クリスチャン)とは、アンティオキアという町で初めて使われるようになった呼び方です。アンティオキアは、迫害で逃れた町でした。行きたくて行った先ではありません。状況の変化、と言えば恰好がつくのですが、迫害で逃れた先で、「呼ばれるようになった」。教会の計画ではなく、教会の外から、そのような「あだ名」で呼ばれるようになったのです。
「キリスト者(クリスチャン)」とは、「キリストに属するもの」という意味です。これだけを聞くと、非常に信仰的な言葉のように思われますが、これは「自民党」とか「民主党」という「何々党」という言葉とそれほど変わりません。さらに言えば、これは侮辱的な呼び方のようで、「キリスト馬鹿」と訳すのが一番良いかもしれません。状況の変化の中で、自分たちの計画が崩れる中で、しかし彼らは新しい生活の中でも、キリスト、キリストと言った。教会を作った。「キリスト馬鹿」と呼ばれる生活を作ったのです。

あさひ伝道所が展開している「フレンドシップあさひ」は、通所介護事業(デイサービス)と介護支援事業(ケアマネージメント)を展開していますが、この度、デイサービスの拡張として「機能訓練型デイサービス」を始めました。フィットネスクラブにあるようなマシンを何台も設置して、介護保険の適用を受けて運用する事業です。その開所式で、鈴木牧師は言われました。「皆さん、とても忙しい。この開所式がなければ、皆さんはもっと仕事も出来たでしょう。仕事をこなして、成功をおさめるでしょう。しかし、そこで疑問が残る。何のため?という疑問です。」この、「何のため」のところで私たちは神に仕えるのだ、と話を切り出されたのです。ここにも、この世の中の価値観に支配されない「キリスト馬鹿」がいる。この6年間で、教会が作った「フレンドシップあさひ」は、旭区において信頼される事業所となっています。
私たち一人ひとりは、「何のため?」「神とキリストのためだ」と、日々の歩みを作る者になりたい。
そして教会も、キリストのために、今日的な状況の中で様々な形をとるべきことを学ばなければならないのです。泉教会が「NPO法人 心を聴く市民ネットワーク」と併存していることもその一つです。ひょっとしたら、もっと斬新な教会の形が、今、泉教会に求められているのかも知れません。「キリスト馬鹿」であり続けるために。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-24 21:55 | Comments(0)

「名目上のキリスト者」

少しショッキングな言葉ですが、この標題は、ある冊子の題名です(ローザンヌ宣教シリーズ№23)。そこに、「名目上のキリスト者」について、入船尊氏はこう書いています。
「洗礼を受けてキリスト者とはなったけれども、その後、それにふさわしい信仰の成長をすることが出来ず、信仰の本質を見失い、あるいは教会から離れている人たちのことである。」
なぜ、そのような人が出て来るのか。入船氏は、理由の第一に、キリスト者が旧約聖書を読まないからだ、と言っています。
旧約聖書には、創造者にして歴史の支配者なる神、歴史を通し生活を通して働かれる神が、生き生きと描き出されています。イスラエルの民は、信仰の危機に遭う時はいつも、その歴史、神が働かれた歴史を振り返ったのです。
しかし、キリスト者は旧約聖書を読まず、創造者にして歴史を支配なさる神を知らない。自分の生活にこそ生きた神の支配が行われている事を知らない。だから、その証が出来ない。いつまでも「入信」の証から出ず、証が「きのう―今日―明日」とつながらない。キリストによって明らかにされた神を、ただ情緒的、精神的にしか受け止めず、歴史、人生、日々の生活の中で見ようとしない。これでは、ついに名目上のキリスト者になる日は近いだろうと、その冊子は述べています。

さて、これを読んで、皆さんはどのように思うでしょうか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-19 07:22 | Comments(0)

「宮崎に招かれて」

声をかけてくださる先生があって、11月に宮崎に行くことになった。
飛行機のチケットは自分で買ったことがない。多少考えないわけでもなかったが、その日、何とかすれば、、、そんなふうに思っていた。今、買ってください、と電話をいただき、あわててネットで購入手続きをしたが、簡単に航空券が買えることに感動。そんな世間知らずを招いてくださる先輩牧師もいることに、また感動している。
良い二日間になればと思っていたら、こんなチラシが届いた。(^^)
f0086426_13204737.jpg


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-18 13:18 | Comments(0)


「神に呼ばれて:召命から献身へ」という本があります。なぜ牧師になったのかという内容で、なるほどなあ、と思う理由が書いてあります。よし、では私も今日、ここで何かかっこいい理由を話してみようかと思って探したのですが、結局私には、そういう意味での理由は、何もありませんでした。(笑)
「なぜ牧師に?」 自分にはどうも理由が見つからず、理由があるとしたら、召してくださった主に理由はある、ということしか考えつきません。そういうわけで、今日は、なぜ私を牧師にしたか、主なる神さまの方の理由を探ってみたことをお話することになると思いますが、自分のことを語るというのはあまりしたことがない。期待に沿えなかったら、ごめんなさい。

1.教会に導かれる
お手元に印刷されているチラシは、私が初めて教会(希望ヶ丘教会)に行った時に手にしたチラシです。ガリ版での多色刷りです。その下のグラフは、希望ヶ丘教会がスタートした時=礼拝堂が建った時から10年間の礼拝人数ですが、長い家庭集会時代がありましたから、最初から30人いました。そして5年目、43年(1968年)に教会設立、めぐみ幼児園開園とあります。その年の9月に、教会は特別伝道集会を開催したのですが、その時、駅前で配布したチラシが、このチラシです。私はこれを手にして、初めて、教会の門をくぐったのです。
f0086426_1528191.jpg

チラシには「あなたの悩みは解決できたか」と書いてありました。講師は吉崎忠雄先生でした。「あなたの悩みは解決できたか」私には、悩みなど何もありませんでした。しかし、私はそのチラシで導かれたのです。普通に持つ興味しかなかったと思います。悩みがあればそこで「なぜ牧師に?」という問いへの答が見つかるのですが、悩みがなかった。教会に導かれた、私のほうの理由はなかったのです。
私が教会に初めて行った年は、そこにある統計を見ると、教会設立礼拝が行なわれ、めぐみ幼児園が開園した華々しさに反して、希望が丘教会の礼拝人数が激減し、23人、翌年は最低を記録した年です。礼拝を開始して5年、教会設立礼拝や、めぐみ幼児園開園という華々しさの影に、何か、課題があったようです。「あなたの悩みは解決できたか」とは、教会が自分に向かって言うような状況だったと思います。
当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声もあったのです。しかし、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、口語訳)。この言葉に励まされて、チラシを準備して出て行った、と聞きました。そこで配ったチラシの1枚が、私を捕えたのです。翌年、洗礼を受け、私はそれから神学校に入学するまで、大学生時代、希望が丘教会の礼拝に出席いたしました。

マルコ1・35~39に、弟子たちは「イエスの後を追い、見つけると」言ったのです。「みんなが捜しています」。
その町は、カファルナウムと言いましたが、主イエスがいやしの業をされたカファルナウムでは、朝早くから皆で、主イエスを捜していたのでしょう。本当は、弟子たちが、町に戻ってくださいと言って、主イエスを捜していたのではないかとも思います。「ここが教会です。ここで、せっかくうまくいったのだから、この際、ここで成功をおさめましょう、いい教会成長プログラムを作りましょう。」そういう気持ちが起ってきても、不思議はないと思うのです。逆に、「今は外に出て行く時ではない。教会を固めましょう。」と言ってもおかしくない時も、また、ある。
主イエスは、しかし、「近くのほかの町や村へ行こう」と言われ、「そのために出てきた」と、すでに、別の方向を見ておられたのです。近くのほかの町や村に、教会の「場所」を見ておられた。
教会の仲間は、主イエスが、「そのために」と言われる町や村を見るため、そこでお仕えするために、半ば強引に引き出された者であろうと思います。希望ヶ丘教会の仲間たちも、そういう声に押し出されて、人間を獲る漁師として網を投げました。そこで、私がすなどられたのです。
なぜ教会に行ったのか。従って、その理由は、「近くのほかの町や村へ行こう」と言われた主にあります。それに忠実な教会に、理由があります。私はその主に見つけられ、そして、教会のわざに見つけられたにすぎません。

2.教職者への道
それにしても、なぜ、牧師になったか?という問いが残ります。
私が初めて教会というところに行ったとき、高校3年生の時でしたが、高校生にとって、何もかも珍しい、世界が広がるような、体験でした。教会に行き続けたのは、お話が分かったからというより、新しい世界が面白かったし、また、教会のおばさんたちが毎回、玄関まで見送ってくれる。「潮田君、また来てね」と言ってくれるのがうれしかったからです。礼拝には休まずに出席しました。小さな集まりにも大きな集まりにも、出席しました。そして、1年後のクリスマスに洗礼を受けました。
しかし今、思うと、それは始まりに過ぎなかったのだと思います。やがて、教職者への道に進むのですが、その単純な理由は、すばらしい先輩がいたことです。
私とは違う大学に通う大学生がいました。後にインマヌエという教団の宣教師としてジャマイカに行き、そこの神学校の校長として教え、帰国してからも日本の神学校の校長先生になったという人が、その時、希望ヶ丘教会にいて、私は彼の信仰の姿勢にものすごい影響を受けました。
また、洗礼を授けてくれたのは竹入牧師でしたが、その頃、牧師交替があって、まだ伝道師であった瀬底先生が着任されました。瀬底先生は、牧師館を開放し、特に青年たちと夜遅くまで語り合い、聖書の言葉を語り、体ごと聖書の言葉に生きていた。その姿に、非常な魅力を感じたことで、影響を与えられていたと思います。その二人の、神の言葉に仕える伝道の姿勢を私は見ていたのですが、しかし、それは自分のことではないと、ずっと「向こう」に見ていました。
ところがある年の中高生キャンプのメッセージを語っている時でした。対象は中高生でしたが、その時、自分が語る言葉が自分に跳ね返って来るのを強く感じました。「あなたが語るこの言葉は、いったい誰に向かっているのか。まず、あなたが信実に受け止めなくてよいのか」と、聖書の言葉が迫ってきたのを感じました。
その時、これはもう、御言葉に捕まえられた、と言うしかないと思いました。なぜ牧師に?という問いに答えるとしたら、直接のきっかけは、その時の体験だと言うしかないと思います。誰かと出会ったとか、どこかに行ったとかいうことではないのです。み言葉が迫ってきた、ということなのです。
ウイクリフという聖書翻訳の団体があって、フィリピンで長く宣教した福田崇という先生をお招きしたときのことですが、冗談で言われました。危険な祈りがある、と。「牧師が足りません、誰か牧師を送ってください」とお祈りを要請されることがあります。それで、そうかと思ってお祈りする。誰かを牧師にお立てください。そのうちに、はっきり聞こえてくるのです。聞こえてきてしまうのです。「あなたはどうなのか?」と。だから、誰か牧師を立ててください。これは、危険な祈りだと。しかし、この祈りが必要なんだ、と。
御言葉を聞き、祈る。これは、聖なる危険の領域なのだと今、私は思います。私は、その危険な祈りの中で、御言葉に捕まえられました。これは、私の計画ではまったくありませんでした。
私たちは、いろいろな経緯で教会と出会ったのです。しかし、それは自分が教会に行こうと思って行ったのだから、そこまではある程度、説明がつく仕方、個人的な体験であったと思います。私も、その1人でした。
しかし、その後のことを考えると、説明が出来なくなります。自分の計画にはない、御言葉が迫って来たからです。
「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」。
人間をとる漁師。わたしと一緒に働く者になりなさい。一緒に働く者が必要だ、と言われたのです。
そのために選ばれ、声をかけられたのは、名もない漁師たちだった。有名な祭司たち、学者たちではなかった。ガリラヤの漁師だったのです。「私」だったのです。
呼ばれる理由は、人間の側(こちら側)には、なかったのです。理由はすべて主イエスにある。私たちの納得とか決断とか、そうした人間的なものが理由とはなっていない。主イエスの一方的な招きが、そこにあるのです。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」。その矛先が、ある日、いきなり私に向いた、としか思えません。
それにしても、サムエル記にありますね、サムエルが何度も神さまから呼ばれる。先生に呼ばれたと思ってエリのところに飛んでいくと、「わたしは呼んでない。戻っておやすみ。」と言われる。(サムエル上3:5)私は、今からちょうど40年前です。「神学校に行って牧師になる」と。しかし、そうは言ったけれど、御言葉に確かに応答したと思ったけれど、しかし、「もし勝手な思い込みだったら・・そんなふうに『私は呼んでない。戻っておやすみ。』なんて言われたらどうしよう」と、非常に心配でした。牧師になる、とは言ったものの、もしかして、自分が勝手にそう思っているだけではないか、とても不安だったのです。神からの「召命」だと、どうしてそれを確認できるのだろうか、と思っていました。
しかし、教会の推薦を受け、神学校の入学試験に合格、中会会議の承認を受けて中会神学生になりました。そして何とか神学校を卒業でき、中会会議で伝道師への任職が承認されました。最初の教会に派遣され、やがて三たび、中会会議で牧師の任職の承認を受けたのです。この、中会での承認という節目節目を越えて初めて、ああ、本当に神から呼ばれたのだ、「召命」だったのだ、と思ったものです。
私は、自分がはたしてふさわしくなければ、どこかで神さまが強制介入してやめさせるに違いないと思っていましたが、中会会議で牧師への任職が決まり、そしていよいよ牧師任職式(按手礼)の日を迎えた時のことです。何と、説教者が、来ないのです。定刻になっても説教者が到着しない! ああ、神さまは、ついにここでストップをかけられたのか…と半分冗談に、半分は本気に思いました。30分以上遅れて説教者が到着し、無事、式は行われたのですが、最後の最後まで、召命(神が呼んでおられること)を確認するため、緊張の連続でした。
そういうわけで、牧師になるのは、本人がなると言えばなれるものではありません。いくつもの手続き、面接、また神学校での訓練、能力の承認(卒業)があり、会議での何回もの承認を経て、任職式にちゃんと説教者が来て(笑)、本当に主イエスが招いているのだと確認できたとき、牧師のつとめに任じられていくのです。教会の手続きと、本人の緊張というのは、神さまに呼ばれているということを、自分も、教会も確認するためのもので、人間的な思いが入らないために必要なのです。そうしているうちに、もう、こちらの理由なんて、吹き飛んでしまうものなのです。
それは、洗礼を受けるとか、私たちがキリスト者になる場合もまったく同じだと思います。こちらが決心したとか、そう頑張るとかが大事なのではないのです。こちらがどんなに決心し、「頑張ります」と言ってみても、キリスト者は生まれないのです。洗礼準備会というのは、言い換えれば「わたしは呼ばれている」という確認の作業なのです。あちら(神さま)の理由を問う作業なのです。主イエスに呼ばれる以外に、キリスト者も、牧師も生まれない、それが、教会です。だから教会の元の言葉(ギリシャ語)は、エクレシア。呼ばれた者たちです。なぜ牧師になったのか。理由は、主にあります。

3.殉教

なぜ牧師に?ということで、もう一つ、どうしても話さなければならないことがあります。私が初めて行った希望ヶ丘教会を牧会されていたのは、竹入悦夫牧師で、私は、この先生から洗礼を受けました。
ところで、その父君である竹入 高(たかし)という人は、やはり牧師で、京都で牧会されていました。日本ホーリネス教会の牧師でありました。
折しも戦時中ということで、「ホーリネス教会弾圧事件」というのが起こります。この竹入牧師も特高(特別高等警察)に検挙されました。京都西陣署に連行され、そして京都拘置所に移送される同時に、教会は解散を命ぜられたのです。
特高とは、各県に配置されている、警察とは別組織で、内務省に直属の、拷問を日常茶飯事のように繰り返していた、まさに秘密警察でした。ある牧師が書いています。「留置場は3畳ほどの広さで鉄格子があり一番奥が便所で、新参者は便所の蓋の上に正座させられた。食事は茶碗一杯。寝具は綿が片方によって透けて見える、薄い人絹の布団、寒くて眠れず、凍傷のため足の爪が抜けてしまった」と。
同じように検挙された他の牧師の家庭では、生活に困り、子どもが、教会でかわいがってくれた役員の家にかぼちゃを分けてもらいに行った。「お宅にわけてあげるかぼちゃはないね」と言われた。
竹入家の家族もまた、同じような状況に置かれ、路頭に迷いました。そして竹入 高牧師自身は(1年3カ月に及ぶ)獄中で拷問を受け、体力が弱ったところで、なるべくして結核を患い、悪化し、獄死すると面倒だという理由でしょう、突然保釈されます。案の定、保釈後、すぐに命を落としました。竹入牧師が亡くなった時も、かかわりを恐れてでしょう、その頃、京都では葬儀を引き受けてくれる牧師は一人もいなかったそうです。
当時、検挙された牧師は134名、その内10名が1年~4年の懲役という実刑判決を受けました。拘留期間中に、4人の牧師が獄死、竹入高を含めて3名の牧師は保釈後、亡くなりました。これは、日本のキリスト教史を紐解けばすぐ、分かります。
教会の信仰のために「殉教」の死を遂げた竹入 高牧師のご子息は、父君を拷問で亡くし、当然、信仰を捨ててしまったか、というとそうではなく、父君の信仰を受け継ぎ、父君と同じ牧師となりました。そして希望ヶ丘で牧会している時に出会った私の信仰を導き、私に洗礼を授けたのです。戦争中、日本で殉教した牧師は7人ですが、そのひとり竹入高牧師は、ですから、私にとっては信仰上の祖父ということになります。(竹入 高牧師が牧会された教会は、今、山科の地にある京都復興教会として信仰を証ししています。)
信仰の祖父の話をしましたが、考えてみれば、私には、殉教者の血が流れている、と言ってよいのかも知れません。殉教なんて、恐ろしくて、私には、考えられません。しかし、そんな迫害を受けるかどうかは別にして、イエス・キリストのものとして、その国の中を生きるようにというバトンを、向こうから、手渡されてしまったのです。ここでもまた、私の理由ではなく、「向こうから」ということになります。
私は、そういう牧師を選んで教会に行ったわけではありません。皆さんも、そういう牧師を選んで教会に来たわけではない。どうみても、「こちら」には理由がありません。ただ神にのみ、理由があるのだと思います。
考えてみると、牧師というものは、いえ、教会はみな、一つのバトンを持っているのです。殉教者が手渡す、信仰のバトンです。
ギリシャ語で「殉教者」という言葉(μαρτυs)は、また他の意味に「証人」があります。(使徒22:20参照)。証人となる、主イエスを証しするキリスト者となるということは、そして牧師になるということは、「殉教者」という意味が重なっていることを、私はあとから知りました。そういえば、大磯に澤田美喜記念館があります。江戸時代のキリシタンの遺物が展示されていますが、私は、大磯の澤田美喜記念館に行って、そこでこの日本という土地でキリシタンの命をかけた信仰を見て思いました。「私たちの信仰は、殉教者の血の上に乗っているのだ、信仰の祖父に殉教者を持つ私一人だけがそうなのではないのだ」と。
牧師というものは、いえ、教会/信徒は皆、一つのバトンを持っている。殉教者が手渡す信仰のバトンです。あなたもまた殉教し続けなさい、という意味ではない。殉教という命をかけて、彼らは、信仰のバトンを手渡す人を探したのです。そして見つけられたのが、私であったということです。


なぜ、教会に行ったのか。なぜ、キリスト者になったか。良く考えると、私には理由はありません。/なぜ、牧師になったか。これもまた、私には理由はありません。
ただ、主なる神に、神の御言葉にこそ、理由があった。そして、命をかけて信仰を護り抜いた先達に、理由があった。
私が教会に導かれ、信仰者になり、牧師になった理由は、私にあるのではなく、ただ神に、そしてまた信仰の先達にあったと、私は思っています。
だからどんなに弱くても、失敗しても、牧師になると決めてからここまで40年間、歩んで来ることが出来たと思っています。

後日、原稿に追加

神学校の卒業証書の言葉と、これを一人一人に読み上げる丸山先生の声が今も、私の心に響いています。

「新旧両訳聖書に啓示され宗教改革において宣明されし神学と精神に基づく伝道者の訓育を以て使命とせる本校の課程を卒業せし事を証す
願わくは貴君の生くる限り主の召命にこたえて教理と生活とを兼備し敬虔なる献身と救霊の業に励みつつ神の栄光をあらわされん事を祈る」
f0086426_2213396.jpg


(2014.10.16 女性会研修会 「なぜ牧師に?」 原稿)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-14 15:22 | Comments(3)

「昭和天皇と聖書」

ちょっと興味ある新聞記事があった。
10月10日の朝日新聞「昭和天皇実録を読み解く」という記事で、そこに「聖書進講たびたび同席ーキリスト教への接近」とあった。
記事は、太平洋戦争開戦直前から、戦後、どのようなキリスト教関係者に会ったかということから始まる。戦後などはそのことが「頻繁に」「たびたび」であったと書いている。記事の内容は「昭和天皇実録」のままではあるが、どういう言葉が語られたかも実録から紹介されており、昭和天皇のキリスト教への思いが垣間見られる興味深い記事だった。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-11 00:01 | Comments(0)

残念!

「戦争しない憲法9条を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください。」このメッセージに私たちも応え、署名に加わりましたが、今回は惜しくも受賞を逃しました。本当に残念でした。仕切り直しです。
しかし、この運動は、平和賞にノミネートされた後も勢いは衰えず、国内外から41万人もの著名が集まったそうです。座間市に住む一人のキリスト者が始めた小さな祈りの道造りが、大きなうねりになりました。ニュースでも再三にわたって受賞の有力候補であると紹介され、首相すら、このことを話題にするほどになっていました。
発表の前日(9日)の朝日新聞には、39面ではありましたが、「9条にノーベル賞なるかー平和賞予測トップに/市民団体、慌てて受賞準備」と大きな活字が躍っていました。

憲法9条は、信仰の言葉を現代というこの世に向かって「翻訳」した言葉だと思います。すなわち、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

そうは言っても、実際は、時々の政権による勝手な解釈によって9条は骨抜きにされ、今では自衛隊は立派な武力を保持する軍隊ではないかとあきらめ、平和な社会なんて、それは政治の話だと思った人もいます。そのは、国会の議論を指をくわえて見守るしかなかったのです。しかし、それは私の家庭の問題、子どもの将来の問題、信仰の問題だと受け止めた一人の主婦は、私たちの中にあった憲法9条に目を向け、それを手にしました。モーセが日常手にしていた杖を手にして出エジプトの偉大な物語の端緒を切り開いたように、また、ダビデが川から小石を拾い上げ、巨人ゴリアテに立ち向かったように、です。そこに、憲法9条にノーベル賞を、という思いがけない発想の転換が起こりました。その結果、1年余りで41万人の書名を集めたのです。
祈りは、当然、信仰を産み出すことに向かいますが、しかしまた、祈りは産み出された信仰者が現実に生きる社会にも向かう、という面も持っているのです。この両面に目を向けた祈りの道を、私たちは歩んでいくのです。
「あなたがたも賞を得るように走りなさい。」(コリントの信徒への手紙一 9章24節)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-10 21:31 | Comments(0)

「牧師会の帰りは」

牧師会があったので、帰路は一番近い駅、南林間から歩くことにした。携帯のナビを見ると、1時間半と出ている。ルートラボでは1時間40分。結果は2時間であった。
通ったことのない道を携帯のナビを頼りに歩くのは、何となく冒険心をくすぐり、心地よいものがある。ただし、ナビを表示し放しだと電池切れを起こし、方向音痴の私は即座に路頭に迷うのは必至である。携帯の長持ちのさせ方も覚えた。まあ、とにかく、携帯がなければ知らない道を歩くなどという、こんな「冒険」は出来なかった。牧師会の帰り道は、会場が近隣の教会なら、ちょっとした冒険ができるのだ。



にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-07 21:18 | Comments(0)