20年も前になります。トミー・ジョーブ牧師が運転する車で、私たち日本からのツアー一行は、アメリカのテネシー州立「モントゴメリ・ベル公園」に連れて行ってもらいました。その公園の一角、かなりゆったりした広さの土地が、「カンバーランド長老教会誕生の地」として、大切に保存されているのです。
f0086426_2240592.jpg

道々、トミー・ジョーブ牧師は片手でハンドルを握りながら、後部座席の私たちにCDのアルバムを見せて、「何か、聞くか?」と勧めます。そのようにしょっちゅう後ろを向くものですから、カーブだけでなく直線でさえ、すーっと道を外れそうになる。私たちは、その都度、冷や汗をかくのですが、しかし、対向車のない田舎道です。私が「これを」と言ってリクエストした曲が、ジョン・デンバーの「カントリー ロード」でした。(次の歌詞をクリックすると歌が聞けます)

♪ Country Roads, take me home To the place I belong:・・

まさにカントリー・ロード。田舎道を走りながら、「そうだ、この道は私たちの信仰のホームに導く道だ。」と、そのように思ったのです。この土地に、自らの信仰を大事にして生き抜いた人たちがいた。その信仰のゆえに、たとえ不利になろうとも筋を曲げないで戦うべき時には戦った人たちがいた。そして、開拓地におけるその信仰を確実に継承した人たちがいた。彼らの信仰生活が、その祈りが、この大地に染み付いているのだ。私たちはそこを走っているのだ。

そう思った時、スピーカーから流れてくる ♪ Country Roads, take me home To the place I belong:・・ の歌が、ぐっと大きく聞こえてくる気がしました。
f0086426_22412129.jpg

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-28 22:39 | Comments(0)

見出しのことで、署名のお願いです。
このキャンペーンの狙いは、平和憲法(9条)を世界に広げること。憲法改正を行わせないことです。インターネット上で署名してください。

以下、本文引用

ノルウエー、ノーベル委員会御中
日本国憲法は前文からはじまり 特に第9条により 徹底した戦争の放棄を定めた国際平和主義の憲法です。日本国憲法は、基本的人権の尊重・国民主権(主権在民)・平和主義(戦争の放棄)が特徴です。特に 第9条は、 戦後日本国が戦争できないように日本国政府に歯止めをかける大切な働きをしています。そして、この日本国憲法第9条の存在は、日本のみならず、世界平和実現の希望です。しかし、今、この日本国憲法が改憲の危機にさらされています。どうか、この尊い戦争の放棄を定め、世界平和を希求している日本国憲法 第9条にノーベル平和賞を授与してください。もし個人や団体しか授与できない場合は、どうかこの尊い平和主義の日本国憲法 特に 第9条を今まで保持してきている日本国民に授与してください。

以下のページを開き、署名にご協力ください。

九条を保持している日本国民にノーベル平和賞を


その後のニュース(2月3日)

賛同者の皆様へ

たくさんの方のご賛同・ご支援・ご協力心から感謝申し上げます。 本署名は、12月に「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会と合流し、ノーベル委員会に届けられております。

・皆様のご賛同・ご協力のおかげで賛同の輪が広まり、今Yahoo!ニュースの意識調査で本取組が取り上げられております。
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/10743/result

2/4までと残り短い期間ではございますが、周りの方に憲法について考えていただくきっかけとして、この機会を役立てていただければ幸いです!
(Yahoo!の意識調査についての詳細はこちらをご参照ください。
http://www.yahoo-help.jp/app/answers/detail/a_id/44397/p/575

・2/1 午後12時に、合計 21433(1460「第二期署名」+19973「憲法9条にノーベル平和賞を実行委員会のサイト」)と 4251件のコメントをノーベル委員会に送付いたしました。 尚、署名用紙で寄せられました 3454筆は1/21に郵送し、1/24にお届け確認済みです。
本署名は、推薦資格をお持ちの推薦人の方々の推薦状に「憲法9条を保持している日本国民」にノーベル平和賞を願う声として推薦文に書き添えていただき、推薦文の資料としてノーベル委員会宛に届けてさせていただきました。

・引き続き、2015年度に向けて署名と共に推薦人の方を募っております。 日本をはじめ、世界の有資格者の方々へと働きかけを広げていただければ幸いです。推薦人募集についての詳細は以下。
http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/2014/01/blog-post_10.html

・「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会で、新しいネット署名を立ち上げました。 世界各国代表者宛:「徹底した戦争放棄の日本国憲法 第9条の価値を称え、広げるために、70年近く憲法9条を保持している「日本国民」をノーベル平和賞候補に推薦してください。」 署名サイトは以下です。
http://chn.ge/1dSWvo1

どうか引き続き、平和憲法を守り、活かし、広めていくための取組の一つとしてご理解・ご協力いただければ幸いです。

平和への願いと感謝を込めて
憲法9条にノーベル平和賞を


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-24 16:01 | Comments(2)

「神学生を迎えて」

「わたしは呼んでない。戻っておやすみ。」(サムエル上3:5)

そんなふうに言われたらどうしよう、牧師になる、とは言ったものの、私は、それを神からの「召命」だとどうして確認できるのだろうかと、40年前、思っていました。もしかして、自分が勝手にそう思っているだけではないか、とても不安だったのです。しかし、教会の推薦を受け、神学校の入学試験に合格、中会会議の承認を受けて中会神学生になりました。何とか神学校を卒業でき、中会会議で伝道師に任職され、最初の教会に派遣され、そこで三たび、中会会議で承認を受けて牧師の任職式(按手礼)を迎えました。この節目節目を越えて初めて、ああ、本当に神からの「召命」だったのだ、と思ったものです。
今週、教職者試験があります。教職者というのは、牧師のことです。教職者試験(牧師試験)に合格し、つまり事前審査を通過し、そのあとで持たれる中会会議で牧師にふさわしいと承認されれば、任職式(按手礼)を経て、牧師になれます。
私は、なってはならない者が牧師になるとしたら、神は強制介入してやめさせるに違いないと思っていましたが、果たして、牧師任職式(按手礼)の日のことです。説教者が定刻に到着しないのです。ああ、ついにここでストップをかけられたのか… 30分以上遅れて説教者が到着し、無事、式は行われたのですが、最後の最後まで、召命確認の緊張の連続でした。
牧師への道は、本人がなると言えばなれるものではありません。いくつもの手続き、面接、また神学校での訓練、能力の承認(卒業)があり、会議での承認を経て、牧師のつとめに任じられていくのです。それだけ、牧師のつとめが大事なものだからです。主から託された信徒一人一人に、みことばをもって仕える責任を負うのです。どんな嵐が吹こうがつぶれない信仰を世に証しなければなりません。慎重な手続きがあって当然です。
しかし、それは逆に、信仰がそれほどまでに大切にされている、宝のように素晴らしい、ということを表しているのです。教会は、今年、神学生を迎えています。昨年の中会会議で中会神学生として受け入れられ、最初の研修教会として私たちの教会に派遣されたのです。神学生の一生懸命を見て、私たちは、手に託されている信仰の宝を思うべきです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-14 23:20 | Comments(0)

「3年、いや、8年」

年賀状をたくさんいただきながら、ついに今年は出しそびれてしまった。買っておいた年賀状がそのまま、束になっている。

年末から年始にかけて、週のなかばに「クリスマス」「元旦礼拝」があった。そこで2週間は身動きとれなかった。動けたのは先週1週間だけだったが、何と言うか、忙しかったあとの脱力感というか、やっと戴いた休暇というような感じで思考が停止し、報告書、委員会準備など強いられた作業はこなしていたが、それ以外、何もできずに過ごしてしまった。かくして年賀状は、手遅れとなった。

ところで、今年の正月は、私にとって少し意味深い思いがある。定年65歳まで、いよいよ3年という年となった(なってしまった)。実際はプラス5年を私の使命と考えているが、規定から言えば定年は65歳の誕生日を迎えた年の年末までとなっているから、7日に63歳の誕生日を迎え、65歳の年末まで、まる3年となったわけである。秒読みとまではいかないが、分読みというところだろうか。
大変だ、牧師として何をした? 何もできていないではないか、という声が聞こえる気がする。牧師の締めくくりをどうしよう・・・あれやこれやの思い、何と言うかあせりのようなもの、だろうか。そういう思いが、昨年から行きつ巡りつしている。だから5年を伸ばすわけではないが、自分を振り返りながら、残すべきものを残す、箱根駅伝のランナーが中継所に差し掛かる時のような気持で、まとめの8年間に向けてここから出発したいと思う。

にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-13 23:32 | Comments(2)

「穴から見えるもの」

突然の「突」という漢字は、「穴」と「犬」の2文字から出来ていて、穴から犬が飛び出してくる、つまり、思いがけないところから予期しないものが飛び出してくるという意味だそうです。ですから、「突然」という意味は、時間的な「急に」ということではないのです。そうではなくて、自分たちの常識や予測を覆すように、思わないところに穴があいていて、予期しないものが飛び出してくる。その結果、自分たちの生き方やありようを動かす、そういう出来事を、突然というのです。
聖書の中には、不思議に、この「穴」というのがよく出てきます。ヨセフという人は、兄弟たちのねたみをかって「穴」に投げ込まれました。生き延びはしましたが、次に外国に売り飛ばされる運命が待っていました。エジプトに売られたヨセフに、災難は続きます。主人の誤解でまたまた穴、牢獄に投げ込まれてしまいます。穴から穴に投げ込まれます。そして、紆余曲折の後、エジプトの王宮の責任者になって、飢餓で苦しむ父や兄弟を助けることになるというドラマチックなそのあたりの消息が、旧約聖書に書いてあります。
穴、それは思いがけない災いの場として、聖書によく出てくるのです。しかし、そこで、私たちの予想を突き破るようにして、思わぬ展開を見せる。
穴があくまでは、私たちは自分の頑張りや自分の正しさで毎日が成り立っていると自負しています。そこに突然、穴があいてしまう。計画にも張合いにも穴があいてしまって、どうなっているのだ、と思う。そんな時、穴があくまではわからなかったことが開けてくる、と言うのです。だから、聖書によると、何とかして穴を早くふさいで元のようにしようとあせるのではなく、この穴から何が見えるだろうかと、覗いてみるほどの気持ちになった方が、「突然」という出来事の意味がわかる、というのです。人生のブラックホールは、もう一つのドラマの始まりのようです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-11 22:56 | Comments(0)

Y姉が召されたのは、お誕生日を4月にひかえた1月2日のことで、88歳でした。事情があり、生活保護を受けて、グループホームに入所していました。少し認知症があって、本人はほとんど過去を語らず、従って、私たちもこの方のことはほとんど知らず、そういう状況の中で、彼女はただ、ひたすら毎週日曜日の礼拝に出るのを楽しみにしていました。日曜日、おいでになると、必ず「今日、来られて良かった~」と、皆に言っておられました。毎週の送り迎えはN兄がして、礼拝では別の人が傍に座り、というようにお世話させて戴いていました。
12月22日、アドベント第4主日、クリスマスの祝会が行われた日が、礼拝に来られた最後となりました。11月に施設が実施した「みかん狩り」に外出した先で転倒して骨折、1週間ほど入院された後は、順調に礼拝に出られていたのですが、最後となったその日は、かなり調子が悪そうなことは誰の目にも明らかでした。転倒、骨折が原因というより、もともと何か不調があって、それで転倒したのかもしれないと思ったりしています。
お別れは、突然、迎えることになりました。「Yさんが亡くなりました。7日が火葬です。よろしければ参列ください。」「Yさんは教会の会員です。葬儀は、教会で責任をもってします。火葬前に、お祈りの時を持たせてください」・・こんなやり取りから始めた今回の葬儀でした。
思い出す一言があります。骨折されて入院していた病院に見舞った時、どういうわけか、その時、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかったのです。しかし、はっきりわかった言葉があります。「私はね、死ぬまでクリスチャンです。」突然、何を言われるのかと思いました。今思えば、遺言のような一言として私の耳に響いています。
ご家族がいないので、グループホームのほうで喪主をつとめてくださいました。家族、親族の喪主がいない、私にとって初めての経験ですが、去る1月7日に火葬、直前に火葬前礼拝を執行しました。
5分で、と言われて、確かに通常はそのくらいなのですが、みんな亡くなって初めて対面するのにそんな時間では無理と思いましたが、仕方ありません。グループホームの皆さん、よくしてくださって、お別れの品を入れたいというので讃美歌を歌いながら、それをしていただきました。そういうわけで、お顔を見ることも出来ないまま荼毘に付されました。
教会からの参列は10人、磯子教会から1名、グループホームから所長さん以下、ほとんどのスタッフが10数名、そして、弟ご夫妻で、結局、30人近い人が集まったことになります。寂しい最期になるはずのところ、よいお見送りができました。
Yさんは、晩年、この世的には、不運な人生であったというのかもしれない。しかし教会は、この方の信仰の友、家族となり、葬儀を、Yさんの一番大事にした信仰によって執行させて戴きました。何とも言えない光栄あるつとめを戴いたと思うのです。

火葬前礼拝 式次第

招   詞

聖書朗読  創世記28章13、15節
  主が傍らに立って言われた。「・・見よ、わたしはあなたと共にいる。
  あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。
  わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

Y姉と共にする私たちの信仰
  問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
  答  私が 私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、
      私の真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。

祈  祷

賛  美  465番「神ともにいまして」

祝  福

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-07 21:12 | Comments(0)

「主の御心なら」

初詣にどのくらいの人が出かけたのか知りませんが、相当な数だったと思いますし、そこでささげられた「願い」はどれほどだったことでしょうか。
聖書を開くと、次の言葉に出会います。

「あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(ヤコブの手紙4章15節)

これは昔から「ヤコブの条件」と言い、ラテン語のD.V.で表現しています。古い手紙など、その最後によく見られるそうで、ラテン語のDeo volente(神のみこころ)を略したものです。神の御心であれば、あのことやこのことをしよう、というのです。
「一年の計は元旦にあり。」私たちは、今年は、あれをするぞ、これをするぞと、計画を立てます。そのような前向きな考え方はいいのですが、しかし、一つの大事なことは、「主のみこころなら」という姿勢なのです。熱心な人ほど、または切羽詰ると、人は自分の考え方や自分のペースが基準になります。いつの間にか、神に聞くのではなく、自分の考えを、前面に押し出すように変わって行くのです。熱心な人ほど、です。熱心な気持ちは、すべての事に時がある、という「神の時」を大事にできません。自分のしたいことは神のしたいこと、となります。「これが一番いいことなのだ。これをしたい。やるべきだ」と。それが出来ていない人を見ると、何か言いたくなっている。果たしてそこに「主のみこころなら」という姿勢があるでしょうか。自己満足を求めているだけではないでしょうか。何が何でも、こうするのだ、という総理大臣のしたこと(靖国神社参拝)が、内外の厳しい批判を受けていますが、自分を中心に動かしたら、当然、周りに痛みと悲しみ、混乱をもたらすのです。
改めて言うまでもないことですが、私たちの中心に置くのは「自分の心」ではないのです。「主の心」を中心に置き、その主の御心を、私たちの判断の軸とするのです。その人は、あわてずに神の「時」が開かれるのをじっと待つでしょう。しかし、時が来たら即座に行動に移すでしょう。何も出来ない人に見えて、しかし「御心ならば」やり遂げる力を秘めているでしょう。
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-03 01:01 | Comments(0)

あけましておめでとうございます。

今年は、そんな気分に、とてもなれないお正月である。昨年からの安倍首相の言動は、私たちに非常な危機感をもたらした。憲法改正の動き。ついには特定秘密法の成立は、お上に物を言うなという圧力をかけるのは必至で、私には、かつての治安維持法の再来と映った。市民生活は一気に暗くなった。確かに、それでもいいと言う人もいるのは事実であるが、暮れも押し詰まった時に行った靖国参拝で一気に国際的に孤立したのだから、何をかいわんやである。隣人が嫌だというのに、あえてそこに踏み込んで行く。あの神社「靖国」に参拝して、何が「不戦の誓い」か。これが、おごる人の顔というものかと、顔をまじまじと見る。

おだやかな正月だ。孫が、外で無邪気に遊んでいる。だからこそ、この国の行く末を嘆かずにはいられない。こんな正月が来ようとは。

後日、瀬戸内寂聴さんが、「秘密法反対 命献げる」という記事が新聞に載った。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-01-02 15:46 | Comments(0)