「幼児洗礼の証」

今日のイースターはあいにくの雨で、7時からの野外早天礼拝は中止となった。この5年間で初めての中止。地域の3教会から数人であるが参加を予定していてくださったので、本当に残念。(中学生の)子どもたちも、森でのエッグ・ハンティングができず、残念がっていた。

しかし礼拝では2名(夫婦)の転入会、そして幼児洗礼が行われた。その幼児洗礼の証を下に転載する。洗礼では、スイートピーの花を水に浸し、その水をふりかける仕方をとってみた。写真は、その後の祈りのときの按手。幼児洗礼で花を使う仕方は、故スタット宣教師がされたと聞いていたので、それを思い出し、4歳になっているこの子が緊張しないようにと、試みたものである。

幼児洗礼の証

娘のMは2009年4月19日に生まれました。
生まれたときに、すぐに幼児洗礼をお願いしたかったのですが、親の私が、なかなか礼拝を守れなかったこともあり、もうすぐ4歳の今回のイースターになりました。
今でも、礼拝をお休みしてしまったり、Mを連れてこられなかったりします。
先日の「牧会のはなし」で「幼児洗礼と幼児祝福」のことが記載されていました。それを読んで、「幼児洗礼は・・・年間を通じて忠実な礼拝出席、子どもを何としても礼拝に連れてくる場合に限る」とありました。私自身を振り返り、全くなってない・・・と思い、尻込みする気持ちもありました。でも、教会に「信仰の家族」として受け入れてほしいという気持ちは大きいですし、Mが、自分の願いで洗礼を受けようと思う前に、私に万が一のことがあった場合、同じ神の国に帰る人に導かれるようにという願いで、そして、生きることに迷った時、聖書から生きる道を聴いてほしいという願いで、幼児洗礼をやはり、お願いしようと思いました。
また、Mを出産した時から、この子は神様からの預かり物と思い育てようと思っています。なので、私自身の信仰が全くなっていないと思っても、神様のもとで育てるのが当たり前なのだろうという思いもあります。
私の信仰はとても弱く、神様のことを質問されてもちゃんと答えてあげられないような親で申し訳ないですが、神様のことをちゃんと教えてくれる方々の所(教会)に連れていくこと、そして、神様が良いように教えてくださると信じて、幼児洗礼をお願いしたいと思います。

「隣人を自分のように愛しなさい」マタイ22章39節

神様の大きな愛の中で生かされていること、そして、愛されていることを知り、隣人を愛する人となってほしいです。よろしくお願いします。

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by rev_ushioda | 2013-03-31 17:06 | Comments(3)

「友の葬式」

川越にある、同盟キリスト教団 霞が関キリスト教会で行われた、池田勇人牧師(同教会牧師)の葬儀に参列した。
池田牧師は神学校の同級の友である。35年ほど前に神学校を卒業した同級生は、7人。塾のような3年間の学びであり、そのうち牧師は5人。5人のうちの一人の友を、今日、主のもとに送り、今、深い喪失感がある。何と言っても私の牧師への歩みの原点に、東京東久留米の神学校での3年間があり、そこでの仲間がいる。この25年以上は、毎年、クラス会をするようになっているから、その一人が失われたことは、喪失感、寂しさそのものである。

式の開始時間まで礼拝堂正面にスライドが映し出されていて、そこに、クラス会のときに撮った写真もあった。

・・・・・・

さびしいよ、池田先生!

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by rev_ushioda | 2013-03-29 00:22 | Comments(4)

「気が進まないこと」

某委員会で、委員長に指名?されて、出席するように言われたのが、「世界改革派共同体 WCRC」の総幹事来日に当たっての歓迎会みたいな小さな集まりである。気乗りがしないと辞退しようとしたら、潮田先生が作った「日本中会 中長期計画」に含まれていることなんですよ、とおしかりをいただいた。帰宅して確認したら、確かに、2007年に作った中長期計画に記載されている。時の議長は私である。
よく見たら、その解説文は私が書いたものではなく、今回、私に出席を指名したA委員長の文章である。なるほどなあ、と思うところがあった。私たちは、実はあまりよく事情が分からないというか、趣旨は了解するがそれをするのは自分ではないだろうという思いのまま、一つのことを承認することがあるのだ。そして、それが後日、このような形で責任を引き受けなければならないことになる。
さっそくネット上で日本語で書かれたこの関係の記事を探したが、日本語では何と記事の少ないことか。勉強して予備知識を持とうとしたが、ネットでは詳細、入手できなかった。いくらオブザーバーの立場ではあると言われても、少なくともゲストを迎える一人として出席するのだから、私の中に文脈を構築するため、何かの方法を講じなければならないだろう。

海外のゲストの接待は、言葉だけの問題だけではなく、神学的な文脈が貧弱な私にとって、最も苦痛とする事柄のひとつである。今まで極力逃げ回ってきたが、まだまだ、思わぬ出来事が訪れるものだ。しかし、ここは、あの時の責任を引き受けて、潔く出席しなければならないだろう・・胃潰瘍とかウツにならないよう、主よ、おまもりを・・

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by rev_ushioda | 2013-03-26 09:41 | Comments(4)

旧街道を歩く旅も、東海道を「江戸」から「京」まで行ったので、今度は中山道を西から東に向けて歩き始めた。前回1月は、東海道との分岐「草津」から「愛知川」までだった。さて、次回をいつにしようか、ホテルの予約をどこにとろうか、一日の歩行時間や鉄道との接続を考えながら3日間のコースを考える。こういう行程作りから何とも楽しく、リフレッシュする時になる。

前回のコースを振り返りながら、そういえばと思ったことがある。

中山道を歩いているのに、その道の横を、東海道線や東海道新幹線が通っている。その時は(私は東海道線に慣れているので)何とも思わなかったが、今思うと、歩いているのは中山道なのに、なぜ、東海道線が通っているのか?
そういえば、東海道を歩いた時も、宮宿(名古屋)で東海道線と分かれ、旧東海道(と国道1号線)は伊勢国(三重県)桑名に向かい、一方、東海道線と東海道新幹線はと言えば、岐阜、米原方面に向かっていた。私たちは東海道を歩いているのに、再び「東海道線」を見たのは、はるか先の草津であった。
神奈川に住んでいる人間は、東海道線が途中どこを通ろうが関係ないのだ。「わが道」すべて東海道だと思っていたが、中山道に立ってそこから見ると、なぜここを「東海道線」が通るのか、と文句を言いたくなる・・かどうかはわからないが、不思議なことではないだろうか。改めて、自分中心に物事を考えていて何の不思議も感じなかったが、その場、その土地に立ってみて、初めて、不思議と感じることがあるのだと思った。そういう意味では私たちは気づかないところで、人が何を思おうがお構いなし、中山道を東海道にしてしまっても疑問も感じず、わが道を当然として、いかに横柄にふるまっていることだろうか。

さて、上の問いに答えているサイトを見つけた。(→ 「岐阜の東海道線あれこれ」)。なぜ、こうなったのか、このサイトに詳細が記述されている。東海道は名古屋から急に東海道を離れ、岐阜から西は、もう「中山道瀬」である。それは、まだ東海道線がなかった時、すでに各地で鉄道敷設が進んでいて、東海道線を全線をつなげようというときになって、すでに出来上がった線路を使うために名古屋から北上、岐阜に向かったのだ、という説明に、目からうろこ、である。

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by rev_ushioda | 2013-03-18 14:40 | Comments(2)

「聖書との対話を」

私たちは常に、「こうでなければならない」という決めつけた考え方、時には、言葉や視線との戦いをしているのだと思います。
聖書の読み方について今、考えているのですが、聖書の読み方は、決めつけないところに、真実と、面白みがあると思うのです。「ここは、このように読むべきだ」と決めつけた瞬間、聖書の多様な読み方が否定され、多様に生きる人々の実存が否定され、画一化した世界を作ってしまうのです。その場は、しらけた空気となるでしょう。はたしてそれが、律法学者たちやファリサイ派の人々が作った社会でした。疲れた者、重荷を負う者(マタイによる福音書11章28節)を生み出してしまったのです。
「こう読んでいいのだ」という場が、用意されなければならないのです。それは違う、と言わない。その解釈が、たとえ違っていたとしても、一人の人のその解釈で教会が倒れるわけではない。そうならないために牧師がいるのです。違っていても、そう読む人の実存が現れるとしたら、それこそ聖書の聖書たるゆえんです。思いっきり、自分の生き方や生活から来る感想、理解の仕方を言ったらよいと思います。聖書を読まなければ、そもそも聖書の言葉への感想など出てこないのです。その感想がどうであれ、感想が出るのは、それだけ聖書を読んでいる、聖書の言葉が、読む者の生き方に何らかの仕方で触れ、対話が生じたのですから、大いに結構なことだと思います。
だから、聖書を共に読む場では、それぞれの読み方が最大限、尊重されなければなりません。そのために、一つ約束があります。「私はこう読む」というように主語をつけることがきわめて大事であると思います。だいたい「正しい」聖書の読み方などあるでしょうか。自分の考えにしても、間違っているかもしれないという、謙虚さが大事です。さらには、人の「間違い」さえ受け止める信仰的度量と寛容が必要です。だから、どの人にしても「私はこう読む」とするのです。聖書との対話によって「私は、こう考えた」とするのです。100人いれば、100通りの、そのような言葉が聞かれるでしょう。(それをじっと聞くのが、教会の聖書を読む会です。)愉快なことだと思います。そのように聖書は人に対話を求め、言葉を引出すことで、まず、その存在を肯定していくのです。肯定された人は、次に、自分から心を開き、聖書に問う人になるでしょう。そこに、人間が生まれる。反対に、人間的決めつけは、ロボットを作る。しかし聖書は、人間を創造する言葉なのです。

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by rev_ushioda | 2013-03-17 06:18 | Comments(0)

「良い朝を迎えて」

今朝、賛美の「めぐみ幼児園」卒園式を迎えた。寒い朝だったが、予報では、暖かくなると言っていた。
パパも長い休職期間だったが順調に回復し、4月復帰に万全の態勢である。いい朝を迎えることができた。

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by rev_ushioda | 2013-03-15 09:47 | Comments(2)

12日、「旭ふれあいコール」主催、旭区社会福祉協議会共催の傾聴講演会が鶴ヶ峰であって、講演を依頼されていたので出かけた。46人の参加者であったそうで、案内書に書かれた「定員30人」は即日埋まってしまったために、枠を広げざるを得なかったとのこと。それでも、かなりお断りしたことを聞いた。この種のテーマへの関心の大きさを改めて感じた。
さて、いだいた講演時間は、2時間半。その枠で、いかにお伝えしたいことをお話できるかが勝負であるが、しょせん、無理。最後の質疑応答で、「ほめることがコミュニケ^ションを阻害するとは不可解であり、自分は孫をほめているが悪いとは思えない」とのご発言があった。ほめて、それがすべて悪いわけではない。結果として悪くなる場合がある、という話であるが、これを分かっていただくには、この時間枠では無理である。一般的な返答でしかお答えできなかったが、たぶん、この方は納得しないで帰られたとお察しする。要するに、そうとうな時間をかけてはじめて見えてくるのが、傾聴のオクギで、私が一般講演会に招かれることにあまり気乗りがしないのは、そういうところにある(時間が短すぎる)。今まで自分がしてきたことに対して、立ち止まって、さらにはひっくり返されてみないと(目が開かれる、と言うのだろうか)わからないのが、傾聴のオクギである。ちょっといい話を聞いて参考にしてみようという辺りでは、そのオクギに入れないのである。これでよいと思ってきた自分が、どこかでひっくり返されるところで、受容が起こり、共感が起こる、というものなのだ。

簡単なようで奥が深いのが、「傾聴」である。簡単に話すのは、難しい。

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by rev_ushioda | 2013-03-14 15:20 | Comments(0)

「記憶を呼び覚ます」

私の部屋に置いてあるラジカセのアンテナは、くにゃっと曲がっています。「3月11日」テレビの上から床に転落して、壊れはしませんでしたが、アンテナだけ曲がった。そのままにしてあるのです。それを見て、記憶を消さないためです。何の記憶かと言えば、地震とか津波の記憶ではなく、その災害の後ろにある、災害に襲われた人々の茫然自失、家族を亡くした悲しみ、故郷を失った痛み、職を失った不安、原発事故への怒り。被災地から遠く離れた横浜に住んでいて、もし、現地に行かなかったとしたら、もし、関係者がいなかったとしたら、テレビの画面だけの情報だったら、果たして何事もなかったかのようにその後の日を過ごしたかも知れません。曲がったアンテナを見て、鈍感な自分に、人々の記憶を呼び覚ますのです。
また、主イエスはあの時も、今も、どこに立たれているかという記憶も呼び覚まします。飼葉桶に生まれた主イエスは、野にいた羊飼いたちと共に、横暴な支配者の恐怖政治のもとで叫ぶ人々と共に、難民の列と共に、差別偏見の対象とされ周縁化された人々と共に、愛する者の死に直面した人々と共に、罪を犯す人/罪を悔いる人と共に、そして、正義を曲げるさばきを行う王の前に、立っておられました。

私(たち)は、人の痛みにも、主イエスの恵みと憐れみにも、あまりにも鈍感な者なのです。一番いけないのは、すべて「心の問題」にしてしまうことです。信仰は内側から始まるのは確かです。しかし、その結実は、外に現れるのです。キリスト者が「外」のことに関して無関心でいる時、あいまいな態度をとり続けている間に、信仰など関係ないという人々の、被災地に対する行動や、平和に対する行動には、目を見張るものがあります。私たちの祈りの道は、いったい、どこに作られていくのでしょうか。

自分の計画を変更することを「愛」と言うのだ、そう聞いたことがあります。

「礼拝は終わった、そのみのりは/信じるものに/授けられる。心の中にまかれたその種/行動の花を/ひらかせる。神は招き、愛は結び、み国のため/働こう。」讃美歌21 91番

「それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。」ヘブライ人への手紙13章12節

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by rev_ushioda | 2013-03-06 12:48 | Comments(0)

キリスト新聞3月2日号の「論壇」に、木村利人さんが、東日本大震災と東京大空襲を重ねて、書いています。自然災害だろうが人為的な戦争だろうが、そこに人間の深い悲嘆、苦難の耐え難さがある、と。
そう言って、ご自身の体験を書いています。アメリカで出会った人のことです。その人は、木村さんが日本人だと知って近寄ってきて、こう言ったのです。1945年3月10日、自分は少年兵として焼夷弾を満載し、東京上空に到達した飛行機に乗っていた、と。その日とは、100万人以上の一般市民が家を焼かれ、10万人以上が燃える炎の中で逃げ場を失い、命を落とした、東京大空襲でした。そしてこう言った。「上から見た東京の全域には、様々な色の、今まで眺めたこともないようなものすごく大きな花火が地上で舞っているようで、本当に綺麗で美しかったですよ。」得々として語った。多くの人を死なせたことへの遺憾の意の表明も、反省も全くなかったことに唖然とした。まさにその日、多くの人の命が失われたのだ、自分の家も焼かれたのだ、とその人に語る木村さんの顔つきの険しさに、その人は気まずさを覚えてか、すぐにその場を離れて行ったというのです。
他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。他者の心への想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせるのだ、東日本大震災の被災地に対してもそうだ、と「論壇」は、述べていました。
被災地のあの防災センターを訪れると、外階段の鉄製の手すりは波の力でひん曲り、建物の中は流されて、何もない、廃墟となったその建物の前には祭壇が作られ、たくさんのお花が手向けられていました。しかしそこで、ピースをして写真を撮る若者がいたとか。ましてや、遠く離れた横浜にいる私たちは、現地で苦しみ、悲しみの日々を送っている方々にいったいどれだけ共感できるのだろうかと思います。はたしてペルシャ湾に赴いた自衛隊員の42人が亡くなっていると聞きました。そのうち20人が、自死であると。まったく正反対のようですが、根は一つです。苦しみや悲嘆と確かに向き合い、それを共有できる他者の心への想像力は、いったいどこで養われるのでしょうか。
時は今、受難節。主イエスの十字架の意味に沿い続ける一回一回の礼拝で、私たちは人間らしく生きるため、極めて大切な祈りの作業を重ねているのです。

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by rev_ushioda | 2013-03-03 23:20 | Comments(0)

「行為の意味」

世界祈祷日礼拝が、昨日(本来は3月第一金曜日)、今年は泉教会を会場に開催された。20人ほどであったが近くのカトリック教会の姉妹も参加してくださって、礼拝ののち、良い交わりをいただくことができた。式文を中心に進める仕方は私たちはあまり慣れていないが、いい刺激になる。あやうく飛ばされそうになった説教であったが、以下、マタイ25・31~46から語った内容を書いておく。


東日本大震災の後、何度もテレビで流れていたCMの一つに次のものがあります。「こころ」は、だれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える「思い」は、見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える」
宮澤章二「行為の意味」の一部です。
なるほど、「人が人として生きること」人への思いやりについての在り方を宮澤章二さんは私たちに伝えようとしています。実は、宮澤さんよりもはるか昔に、主イエス・キリストは、「人が人として生きる」ということ、「思いやり」の本質的な意味を、話しておられました。一つのたとえを示して、そのことを語っておられます。


聖書を読みましょう。34節「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
そこで、これを聞いた人は言うのです。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見たでしょうか?」「いつ、あなたにそのようにしたのでしょうか?」 また、そのようにしなかった人たちも、同じことを言います。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見たでしょうか?」「いつ、あなたにそのようにしなかったのでしょうか?」
いつ見たか、見なかったのかというのですが、実は、主イエス・キリストを、見ようとすれば私たちは見ることが出来るのだと、ここに言われています。なぜなら、主イエスは、私たちのそばにおられるからだ、と言われるのです。主イエスは、主イエスが愛した一人ひとりのそばに一緒にいらっしゃるのです。つまり、飢えている人、のどが渇いている人、旅をする人、裸の人、病気の人、牢に入れられた人の傍、です。主イエスは、これらの人々をご自分の「兄弟」と呼びます。また、「最も小さい者」とも呼びました。そして、そのそばに立っておられるのです。
しかし、多くの場合、人は言います。「イエスさま、いつ私たちは、あなたを見なかったというのでしょうか?」見えないという理由は、見捨てられているから、です。彼らは自分の隣人からも無視されているのです。果たして私たちは、何か必要を訴える兄弟姉妹を見ても、見ないふりをする時があります。そういう時は、何らかの自己中心的な理由がじゃまをして、彼らを助けたくない、という気持ちになっているのです。自分を指して、こちらは忙しいのだと言います。また相手を指して、まだ、あなたより悲惨な人はたくさんいる、ぜいたくだ、もっと頑張れ、と思うのです。そして、だから、助けたくないのです。
しかしそういう時に、彼らの涙は、悲しみは、心の叫びは、主イエスによって聞かれているのです。主イエスは彼らの傍に立たれるのです。主イエスは、これらの人々をご自分の「兄弟」と呼びます。また、「最も小さい者」とも呼びました。そして、そのそばに立たれるのです。


どうして私たちは、他の人の困っていることを見なかったのか。それは、私たちが、自分のことだけを見ている、からです。自分の秤で測っているからです。自分のことだけに関心を持っているからです。他者の苦しみや悲嘆への共感が欠如しているからです。感性がさび付いているからです。
キリスト新聞3月2日号の「論壇」に、木村利人さん(恵泉女学園大学 学長)が、東日本大震災と東京大空襲を重ねて、書いています。自然災害だろうが人為的な戦争だろうが、そこに人間の深い悲嘆、苦難の耐え難さがある、と。そこで、ご自身の体験を書いています。アメリカで出会った人のことです。
その人は、木村さんが日本人だと知って、こう言ったのです。1945年3月10日、少年兵として焼夷弾を満載し、東京上空に飛んできた飛行機に乗っていた、と。その日とは、100万人以上の一般市民が家を焼かれ、10万人以上が燃える炎の中で逃げ場を失い、命を落とした、東京大空襲でした。そしてこう言った。「上から見た東京の全域には、様々な色の、今まで眺めたこともないようなものすごく大きな花火が地上で舞っているようで、本当に綺麗で美しかったですよ。」得々として語った。多くの人を死なせたことへの遺憾の意の表明も、反省も全くなかったことに驚いた。まさにその日、多くの人の命が失われたのだ、自分の家も焼かれたのだ、とその人に語る木村さんの顔つきの険しさに、その人は気まずさを覚えてか、すぐにその場を離れて行った、というのです。
他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせる、東日本大震災に対してもそうだ、と そこで述べていました。

主イエスは、あの時も、今も、あしたも、ずっとこれからも、他者の苦しみや悲嘆を持つその人々のそばにいます。彼らの苦しみの中、飢え渇きの中、恥の中に、主イエスはおられるのです。しかし、人の目には隠されているのです。人の目に、主イエスが見えない、のです。
主イエスが最初に私たちのところに来られた時、誰にとっても、この方だ、と分かるような者として現れたわけではありませんでした。ベツレヘムの宿の人は、部屋が満室だというので、ヨセフとマリアを、普通の旅人として「馬小屋」に案内したのです。その夜、主イエスは馬槽の中に生まれたのです。しかしこうした結果、神の子でありながら主イエスは、住民登録の対象にもならない羊飼いの寂しさの傍にそっと立たれることになったのです。直後に、ヘロデの兵隊が町にやってきて、2歳以下の男の子を皆殺しにしました。その、殺される人たちの混乱と呻きの中に、主イエスはおられたのです。エジプトに難民となった時、主イエスは、そのような暴力の中で苦しみと悲しみを味わうような人々と、共にいました。十字架上で死なれたとき、主イエスは、のどが渇きました。裸でした。神からまったく見捨てられたその時、両脇で、やはり十字架で殺される人がいた、その人の傍に、主イエスはおられたのです。そして、「墓」の中に入れられました。死と絶望の底にある人のところに、くだって行かれたのです。主イエスは、こうして暗闇に住む者の一人になり、最も小さい者の一人になりました。 苦しむ者と共に苦しまれたのです。

私たちは、飢えている人、のどが渇いている人、旅をしている人、裸の人、病気の人、牢にいる人が見えないでしょうか。そこに、主イエスを見ないでしょうか。

『罪なき者の血を流すなかれ』という本があります(『罪なき者の血を流すなかれ』フィリップ・ハリー著、新地書房)。
第二次大戦中、フランスの、あるひとつの村に、ナチスの迫害を逃れてユダヤ人が逃げてくる。村人は彼らを受け入れて、国外脱出させました。その村の出来事が書かれています。村の名前は、ルシャンボン・シュル・リニョン。1998年の朝日新聞に「20世紀からの伝言 第三部 - 七つの村の記憶」という見出しがつけられた記事がありましたが、この本で紹介されている村のことでした。
そこに逃れてきたユダヤ人は一時ここで受け入れられ、そしてナチスの軍隊が来る前に、村人は、彼らを逃がしていくのです。
本の一番最後のところなのですが、ルシャンボン・シュル・リニョンという村が、周りのル・マゼ、その他の村と共に「コンシストワール・ド・モンタギュー」発音は違っているかもしれませんが、そこに属していたと書かれています。「教区」と、そこでは訳されていましたが、私たちが言う「小会」です。このような緊迫した歴史的状況の中で、小会(長老たち)がひとつの会議を機軸にして、そこで人々は命がけの決断をするわけです。小会の指導のもとに、この村が動いていたのです。
その決定がこの村の家々に伝わって、最初に難民がこの村に来た時、それは牧師館での会話から始まりました。「夜でした。・・・入ってもいいかときくので、『もちろんですとも、さあ、どうぞお入りください』と答えました。雪まみれでした」。
これが、やがてこの村のどの家でもきかれる事になったのです。「もちろんですとも、さあ、どうぞお入りください」。
これは「台所闘争」と呼ばれています。家の台所に迎える、そしてその台所から立ち上がっていく人々の物語なのです。特に身構えるわけではない。そこは台所なのです。しかしそこから物語が始まった。会議の場で何ごとか長老たちが決めて、それで終わるのではなく、それが次に当たり前のように台所に移されていって、「もちろんですとも、さあどうぞお入りください」という言葉、生活になった。
そして、その中心に小会のつとめがあったということなのです。御言葉が宣べ伝えられる、御言葉がこの世の中で生きて働く、ということのまさにその中心に、小会のつとめがあったのです。その会議が主イエスをしっかり見ていたから、家庭の台所でも、人々は主イエスをそこで見たというようなことが起こったのです。これは、本当に大切なことだと、私は思います。
木村利人さんは、他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如がある。想像力の欠如がある。そういうことが、人間としての平和で豊かな未来への生きる力を失わせる、と言いますが、あのフランスの一つの町の台所で、他者の苦しみや悲嘆への共感があった。他者の苦しみや悲嘆を想いめぐらす想像力のゆたかさがあった。彼らは、そこに主エスを見たのです。そして行動した。それは台所であった。台所こそ、主イエスをお迎えするような場所になったのです。


カトリックの讃美歌に、このような歌があります。
小さな人々の/一人一人を見守ろう/一人一人の中に キリストはいる/貧しい人が飢えている 貧しい人が渇いている 国を出た人に家がない 寒い冬には着物がない/小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる/
小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる/病気の人が苦しみ 牢獄の人はさげすまれ みなしごたちはさみしく 捨てられた人に友がない/小さな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストはいる

隣人と共におられる主イエスにお仕えするために、今、私たちはあのフランスの人たちと共に、台所から、生活の場から立ち上がります。
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by rev_ushioda | 2013-03-01 15:16 | Comments(0)