本屋さんで「相鉄線物語」という本を見つけ、パラパラと見ていたら、「沿線のキリスト教会」というページがありました。一般の本で教会を紹介する本は珍しい。うれしくなって、思わずその本を買ってしまいました。そこにはいくつかの教会が写真で紹介されており、教会の名前も、かなり詳しく書かれています。我が泉教会は、というと、その本の出版後にできた教会ですから、当然、載ってない。これは、残念でした。
この本の中で、著者は、いわゆるニュータウン、それも新興住宅地の典型である「相鉄いずみ野線」沿線こそ、心を支える宗教というものが必要である、と言います。町には、心をいやす場所がないといけないと言うのです。そして、著者自身は教会に行っているわけではないと断わりながら、ここがどうもおかしいところなのですが、心を支える宗教として、「教会」をあげているのです。モダンなニュータウンにやさしさ、ボランティア精神の豊かな人々を集めたいなら、キリスト教会とミッションスクールを誘致するのが最もふさわしいとも言います。
この著者によると、町に教会が必要な理由は「心のいやし」だと書いていますが、その通りだと思います。私たちは、心が渇いているのです。心が叫んでいるのです。そして、心が泣いているのです。組織化された学歴社会、皆同じ考え方をしなければ仲間はずれにされる社会の中で、人は「自分らしさ」をなくして生きなければならない。叫びたくても、しかし声を押し殺していなければならない。飛行機が、飛行場に降りて羽根を休めることなく飛び続けているようなものです。がんばらなければならない。立派でなければならない。
そういう社会の中で、教会は、飛行場のようなものです。イエス・キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。教会は飛行場、いやしの場所なのです。本当の休みが与えられ、だから、本当の自分になって、ここから、出発できるのです。

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by rev_ushioda | 2013-02-26 00:13 | Comments(0)

「思い込み」

私たち夫婦は昔、結婚25周年のときに、それを記念して、北海道に小さな旅をしました。旭川でレンタカーを借りて、美瑛というところに行きました。「丘の町、美瑛町」とパンフレットには案内されています。初めての北海道です。車を走らせてみると、さすがに広いなあ、と感心しました。何とかの丘というのがあるというので、行くことにしました。1本の木が見えた。ああ、この近くだろうと、車を走らせても一向に、それらしい目的地にならない。一面の畑、また畑、丘を越えると、また丘のつながり。その丘の向こうに遠く雪をいただいた十勝岳の山並みが美しく見えます。その中をどんどん車を走らせるうちに、元来た道に出てしまいました。変だなあと思ううちに、はっと、気付きました。あの木が1本立っていた、あの丘が、まさに目的地だったのです。美瑛は「丘の町」。大自然の丘そのものを見せていたのに、私のイメージは、有名な場所なら駐車場があって、土産物屋でもあって、旗か何かが立っていて、というように思っていた。東京や横浜のイメージで、「丘」を探していた。考えてみれば、おかしなことです。そして、まさにその目的地の真中にいながら、私のイメージが邪魔して、そこを通り過ぎてしまったのでした。勿体無いことでした。
イエス・キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である」。しかし私たちは、私の北海道での失敗のように自分のイメージする道を通ろうとするのです。そして、探したけれどそんな道はなかったと言って、キリストの道を通り過ぎて行くのです。真理にも、命にも出会わなかった、と言って。キリスト教には、道があり、真理があり、命があります。どうかあなたのイメージで探さないでください。車でさーっと通り過ぎないで、あなたも日曜日、教会に立ち止まってもらえませんか。

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by rev_ushioda | 2013-02-23 11:53 | Comments(0)

「義母の死」

義母は、いわゆる「天寿をまっとうした」という言い方があるが、そのような最期を迎えた。何の苦痛もなく、すうっと息が止まったのだった。その瞬間は、家族の誰もその場にいなかったが、すでに先週、何度かベッドのそばに集まった家族は、何の苦痛もないことを見届けていたことや、ずっとそばにいて看ていてくださったスタッフの方の話から、誰もみな、天寿の全うの瞬間を思った。先週金曜日(15日)午後11時少し前だった。

義母は、早くに連れ合いを亡くしたから、91年の生涯の後半、今日までの50年近くは、一人で過ごしてきた。当然、子どもたちの養育のためには、ずいぶん苦労したことは、言うまでもない。しかし勤めを転々としたわけではなく、連れ合いが健在だった時から続けていた仕事を最後までやりぬいた。ずっと変わらず、一つの職場であった。そこでよい仲間をいただきながら、海外旅行にも行くことができ、絵の趣味はなかなかのスキルの持ち主であった。「サロン・デ・ボザール展」という、上野で開催する展覧会に出品するごとに、何度も賞をもらうという、腕の持ち主であった。ちなみにこのボザール展は、文化庁、東京都、NHKなどが後援するもので、そこでの受賞だから、それなりの名誉が伴うものである。

たまたま認知症をわずらうことになり、最後の10年は特養ホームでの生活になったが、実はそれまでの5~6年、時間があれば、泉教会に通っていた。義母は、キリスト教の信仰があったわけではないが、教会に来ることを楽しみにしていた。そうこうするうちに認知症になったので、そういう意味では泉教会の場所とか、日曜日ごとの礼拝と交わりは、義母の「社会生活」最期の日々となった、と言ってよいと思う。

その場所で、21日、葬礼拝が営まれていることに意味を感じないわけにはいかない。義母が最期の日々、聞いた聖書の言葉を、私たちもそれを聞いて、お別れの時、また、この日まで守り導いてくださった主を賛美するときにしたいと思う。
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by rev_ushioda | 2013-02-18 22:19 | Comments(3)

「バックアップ」

昔、航空機同士のニアミスがあり、回避する際の飛行機の動きで40人が重軽傷を負ったという事故がありました。
新聞にはその遣り取り、会話記録が載っていたので事実関係が良くわかったのですが、管制からの指示は、必ず飛行機の便名を呼び、指示する。飛行機の方でも自分の便名を言い、指示された内容を繰り返すということになっているようです。これを「バックアップ」と言うそうですが、その時の事故は管制の方で便名を呼び間違ってしまった。ところが、飛行機の方でもそれに気づかず、そのまま思い込みで遣り取りが進んでしまい、事故が起きたのです。バックアップがうまく機能しなかった例だったと思います。
このような事故から、私はコミュニケーションの問題を考えさせられました。相手を正しく認識するために、相手の名前や、言われたことを繰り返す。たとえ相手の名前をいちいち口にしないでも、「あなたは」と前置きする。そのように相手をきちんと受け止めることは、コミュニケーションの基本です。
しかしそのようにしないで、思い込みで遣り取りを進めてしまうことは、私たちの周りで良く起こるのではないでしょうか。先ほどの例のように名前を呼び間違えることは論外として、私たちの間で、バックアップはうまくいっているでしょうか。「嫌だ」と言う人に「なるほど、嫌なんだ」と、ちゃんとバックアップ(あるいはフィードバック)すればいいのですが、特に否定的な言葉ほど、それができずに、こちらの勝手な解釈、論理、理屈、あるいは励ましを押しつけているのではないでしょうか。そこで「ニアミス」が起き、お互いが墜落してしまう(または相手を撃墜してしまう)ということは、ないでしょうか。たとえ間違ったことを言っている人の言葉でも、聞き手から「私はあなたから今、このように聞きました。それでいいですか」とフィードバックされれば、非難などしなくても、すぐに間違いに気付いていただけるでしょう。
ところで、一番大事なのは、神の言葉へのフィードバックです。たとえば、「私はあなたを愛している」と神は言われるのです。私たちは「あなたは私を愛している。こんな私をも、あなたは愛してくださる」とフィードバックする。「恐れるな」と神が言われる。「このような状況でも、おそれなくてもいいのですね」とフィードバックする、といった具合です。こうして、私たちの人生は、墜落することから回避できるのです。神の言葉を聞き、神の言葉にしっかりと「バックアップ」あるいはフィードバックしていきたいと思います。

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by rev_ushioda | 2013-02-16 22:06 | Comments(0)

2月11日の休日、境川の散策を楽しんだ。いずみ中央と長後の中間から、厚木街道(瀬谷)まで1時間半。お天気がいいのでツーリングが多いこと。写真なんかふらふら撮っていると、横をすーと通っていく。危ない、危ない。

スタート地点動画

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動画


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by rev_ushioda | 2013-02-11 23:53 | Comments(2)

「浮き出てくる罪」

今はもう二人の子どもがいる娘がまだ小さかったある日、クレヨンでお隣のブロック塀にいたずら書きをしてしまったことがあります。タワシか何かで消させました。それで、その時は消えたと思ったのですが、しばらくして、雨が降った時にふと見ると、何と、クレヨンの跡がくっきりと浮き出ているではありませんか。晴れた日、ブロック塀が白いときは気付かなかったのですが、雨が降ると塀は黒っぽくなって、白いクレヨンの跡が浮き出てきたのです。
私たちの心は、普段あまり気にしていないことでも、一旦何か事が起こると、急にそのことを思い出して悲しくなったり、辛くなったり、人を憎んだり、ということがあるものです。・・どうしてそんなことが起こるのでしょうか。あなたが真面目であればあるほど「これは自分の心が未熟なのだ」と言って、修業とか善い行いとかでその心の汚さを吹き消そうとするかも知れません。しかし、気付けばそれらのものは、あの消したはずのブロック塀の落書きのように、泉のように心の中から湧き出て来るのです。
キリスト教は、人間の弱さとか、醜さを、なかったもののようにごまかして見ることをしません。私たちは、知らず知らず心の塀に落書きをして人間性を傷つけているような者です。そのような思いは、いつも内側から浮かんできて、私たちを支配します。
この現実に立って、しかし、なお絶望しない道を切り開くのが、キリスト教です。イエス・キリストという方は私たちの真中を歩まれただけではなく、消しても消しても浮かび出てきてしまう私たちの醜さを背負い、そのまま十字架にまで進んでいかれたのです。十字架はアクセサリーなどでは決してありません。本性においてどうしょうもなく醜い、私たちを背負う、キリストの姿を指し示しているのです。あなたがもし自分の弱さや醜さに少しでも気付いた方であるなら、その弱さや醜さのところで、キリストはあなたを平安へと招いているのです。

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by rev_ushioda | 2013-02-11 21:43 | Comments(0)

ある教会で、子どもたちにゲームをさせました。よく知られた「伝言ゲーム」と言います。列を作り、端に立った子どもに短いメッセージを伝える。それを周りに聞こえないよう耳元でささやきながら、次の人、次の人と伝えて行って、最後の人にどれほど正確に伝わるか。そういうゲームです。
その時のメッセージは、「ピリポはナタナエルに出会って言った。」ヨハネによる福音書1章45節(口語訳)でした。さて、最後はどうなったかというと、「ピーピー泣かないでください。」
子どもたちはピリポとナタナエルという名前には縁がないので、子どもの生活感覚で受け止めると、ピリポは「ピーピー」、ナタナエルは「泣かないで」に変わってしまうのです。(加藤常昭『ペテロの第一の手紙』より)
このことを、私たちは笑ってばかりいられないと思うのです。私たちが日常的にしていることを見事に風刺していると思うからです。私たちは人の言葉を自分の経験とか感覚で受け止めて勝手な解釈をし、勝手な理解をしているのではないでしょうか。そればかりか、聖書の言葉さえ、そのようにして知らず知らず曲げていくのです。先ほどの例では、聖書の言葉を知っていれば、間違わないで伝えることができたはずです。
日常生活で、礼拝の持つ重みを分かっていただければ幸いです。私たちは、何を聞いても、おそらく自分の言葉に都合よく変換して聞いているに違いありません。それほど勝手な解釈があふれて、耳慣れしていると言えるのです。礼拝で聞く言葉は、私たちが、ついついしてしまう勝手な解釈から、私たちを守るに違いありません。聖書の言葉をもって、祈りましょう。礼拝で聞いたみことばの説教の言葉をもって、語り合いましょう。その時、私たちは、ピーピー泣くことから(この世的な言葉に支配されることから)離陸し始めるに違いありません。

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by rev_ushioda | 2013-02-10 21:33 | Comments(0)

「スマホモード」

牧師会の帰り道は、歩いて帰宅した。
南林間から自宅までちょうど2時間だった。小田急線に沿って大和駅まで南下、そこからは相鉄戦に沿って横浜方向に進んだ。最短の道案内は、スマートホン。歩行モードを選んだら、今まで通ったことのない細い道や、(歩行なので当然)一方通行も、通らせる。へ~、こうなっていたんだ、と車で幾度も通る道のそばを並行する道を進み、町の中を通る。スマホを手にすると、いつもの町も、未知になる。そして、未知が道になる。そこを歩く爽快な気分を味わえる。楽しい2時間だった。

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by rev_ushioda | 2013-02-05 23:52 | Comments(0)